28.二度目のデートのお相手は
ピチチチチ、と小鳥が軽やかに歌い出す。
大あくびしたロッティは、うんと伸びをして起き上がった。
昨夜はフィルに翻弄されたせいですっかりくたびれて、ベッドに入った途端に寝落ちしてしまった。少し仮眠を取ったら、すぐにクリスの魔石に取りかかるつもりだったのに。
「作業……全然できなかったなぁ……」
悔やみながら服を着替え、窓を大きく開け放つ。
賑やかにさえずっていた小鳥たちが、びっくりしたように飛び去った。
窓枠にぼんやりと腰掛けて、ロッティは眩しい朝日に目を眇める。やわらかな風が頬をなぶった。
(さて。どうしようかな……?)
――クリスの魔石に、何の属性を込めるべきか。
フィルは火の魔石以外と言っていたが、彼の希望を聞くに地の魔石も駄目だと思う。
フィルは勘違いしていたようだが、『頑健な体』というのは防御力ではなく健康を表すのだ。地の魔石は病気予防に効果はあっても、怪我には何の効力もない。
(となると、残るは水か風……)
フィルの瞳は水の魔石に似た澄んだ青。
せっかくお兄さんが大枚をはたいて買ってくれるのだから、お兄さんの色にしてもいいかもしれない。
ロッティはひとつ頷き、窓から離れる。
居間に飾っている花を何気なく眺め、ゆっくりと足を止めた。屈み込んで紫の花をまじまじと鑑賞し、高らかに手を打ち鳴らす。
「そうだっ。紫がかった水の魔石に挑戦してみよう! クリスさんの瞳の色に似せれば、きっとクリスさんも喜んで――」
「嫌だね。なんっで自分の目と同じ色を付けなきゃなんないんだよ。自己愛強すぎ人間みたいじゃないか」
「ひょええっ!?」
あきれたような声に、ロッティはその場でぴょんと飛び上がった。早鐘を打つ心臓を押さえ、勢いよく背後を振り向く。
視線の先には、帽子を目深に被った少年が立っていた。彼は帽子のつばを押し上げ、ニッと口の端を上げる。
「はよ、ロッティ。今からおれとデートしない?」
「……へ?」
窓の外でふんぞり返る――今日はどこからどう見ても男の子のクリスに、ロッティは間の抜けた声を上げた。
***
「ありえないっ! お前、女なめてんのか!」
「ひいぃっ、ごめんなさいごめんなさい〜!」
壁際に追い詰められたロッティは、黒のローブをかき合わせてひたすら小さく縮こまる。ぷるぷると小動物のように震える彼女を、クリスは憤然と腕組みして見下ろした。
「マトモな服が観劇ん時に着てた一着しかないってどういうことだよっ。そんなんでどうやっておれとデートする気だ!」
「だ、だから、今からそのマトモな一着に着替えますから」
「たった二日前に着たのと同じ服を着るなっつってんの! しかも相手が違うならともかく、おれとはそん時にも会ってるだろーがっ」
けちょんけちょんに言い負かされ、ロッティは力なくうなだれる。
クリスは言うだけ言ってすっきりしたのか、しゃがみ込むロッティに目線を合わせた。
「よし、ならデートは買い物に決定だ。お前の服を買いに行くぞ。おれが選んでやる」
鼻息荒く宣言され、ロッティは目を丸くする。
「え。私、別にいらな……」
「なんて?」
「は、はい喜んでっ」
上目遣いに心にもない台詞を吐く。
せっかく今から作業しようと思ったのに……と内心ため息をつきつつも、外出の支度を整えるべく立ち上がった。
クリスを居間に待たせ、台所で朝食代わりのビスケットを大急ぎで流し込む。フィルから貰った髪留めで茜色の髪を結い、ローブのしわを伸ばして居間に戻った。
「お待たせしましたっ」
「全然。おれも今来たとこだよ」
爽やかに微笑まれてずっこける。
床に崩れ落ちるロッティに、クリスがしかめっ面を向けた。つま先でトントンと床を叩く。
「そこ、喜ぶところ。デートだってちゃんとわかってる? ロッティは待ち合わせに遅れた設定で、ハイもう一度」
仕切り直し、というように手を叩くと、クリスはふっと視線を下げた。切なげな表情で壁に寄りかかり、カバンから取り出した懐中時計を握り締める。
ちらちらと何度も時計を確認しては、唇を噛んで遠くを見つめた。
その途端、ロッティの背中に電流が走る。
(これ……!?)
愕然と息を呑み、食い入るようにクリスの姿に見入った。
(クリスさんは今……待ち合わせを、してるんだ……!)
だんだんと彼の背後に雑踏の幻まで見えてくる。
ロッティは大慌てで頬をつねると、居間の入口まで後ずさりした。深呼吸して笑顔を作り、小走りでクリスに駆け寄る。
「ご、ごめんなさーいー。わたしー、どうやらチコクしちゃったみたーい、だわー?」
カタコトと謝罪すると、クリスははっとしたように顔を上げた。
ロッティを認めて目をまんまるに見開き、一瞬動きが止まる。すぐさまへにゃりと口角が下がり、とろけるような笑みを浮かべた。
「全然っ。気にしないでよ、おれも今来たところだからさっ」
声を弾ませ、照れたように鼻をこする。
その声音はあふれ出る喜びを隠しきれていない。
ロッティもつられて嬉しくなり、自然と頬がゆるんだ。
「じ、じゃあ行きましょうか」
「うんっ」
可愛らしく頷いて、クリスはズボンでごしごしと手をぬぐう。ロッティに笑顔で手を差し伸べて――……
みるみる表情を消していった。
(ヒィッ!?)
おののくロッティに、額に青筋を立てて食ってかかる。
「こんっのド下手くそがぁ! そんなんで世界狙えると思ってんのかっ!」
「ね、狙ってないです!」
「女はみんな女優なんだよ! フィルを落としたいんなら、もっと感情を込めて演技しろ!」
ロッティはひとつ瞬きして、思いっきり首をひねった。しばし考え込み、照れ笑いしながら頭を掻く。
「えへへ。フィルさんなら……実はもう、昨晩落としちゃったんです」
「はああッ!? まじでぇ!?」
大仰に目を剥く彼に、大得意で頷いてみせた。
「はいっ。フィルさん、私のことをお友達だって言ってくれたんです!」
「………」
フィルのヤツ、前途多難だな……。
遠い目をして意味不明な呟きを漏らしたクリスは、ロッティを置いてさっさと歩き出す。ロッティも慌てて彼に追いすがった。
「クリスさんっ」
ひょいと肩をすくめたクリスが、いたずらっぽく舌を出す。
「ちなみにさっきのは、年上カノジョにベタ惚れな少年って設定な。次は逆にしてやってみるぞ」
「逆?」
と、いうことは。
クリスが年上、ロッティが年下という設定だろうか。
首をひねる彼女に含み笑いして、クリスは帽子を取った。乱れた髪を整え、婉然と微笑む。
「ふふん。あたしが年上カノジョで、アンタが年下カレシよロッティ」
「えええええっ!?」
クリスの格好は男の子のままなのに、声音やしゃべり方、仕草ひとつでもう妙齢の女性にしか見えなくなってくる。
目を白黒させるロッティを引っ張って、クリスは鼻歌交じりに家を出た。
妥協を許さない彼にビシバシと厳しく指導されながら、道中様々な役柄になりきるロッティであった。
そのいずれも棒演技であった、と付け加えておく。