14.囚われる
恋なのか、恋じゃないのか。
連日気が遠くなるほど考えたものの、とうとうこの日まで結論は出なかった。
フィルは重いため息をつくと、足早に騎士団の寮を出る。気もそぞろに歩きながら、ポケットから取り出した懐中時計に目を落とした。
(……少し、早すぎたか?)
逸る気持ちを抑えきれずに出てきてしまったが、あまりに早く迎えに行くとロッティの迷惑になるかもしれない。デートの支度は女性の方が時間がかかるものだから。
そこまで考えて、フィルははっとする。
(いや、別にデートじゃないだろ! しかも『逸る気持ち』ってなんなんだっ)
己に突っ込みを入れて頭を抱え込む。
そのまま硬直していると、「フィル様どうされたのかしら」「声を掛けてみる?」などという秘めやかな会話が聞こえてきて、フィルは慌てて路地裏に逃げ込んだ。
人気者は辛い。
うっかり悩みに浸れやしない。
仏頂面で路地を抜け、ひとつ向こうの大通りへと出る。
「……ん?」
花屋が目に飛び込んできて、フィルは迷いつつ足を止めた。
バートとの恋問答以来、フィルはロッティに一切会っていない。「仕事が立て込んでいるので」と伝えたものの、実際はどんな顔をして会えばいいかわからなかっただけだ。
手紙と花束だけは欠かさず送り、ロッティからも返事が来た。それで今日の日取りも無事に決まり、久々に対面することになったのだが――……
(直接会えない分をと思って、連続して花束を送りすぎた気がする……。さすがに彼女も困っているんじゃないか?)
花の騎士様、などと呼ばれたことに舞い上がって、やりすぎた自覚はある。もはやロッティ宅に鍋の余裕はないかもしれない。
仕方なく花屋の前を素通りし、通りをぶらぶらと冷やかしながら歩く。しかし、しばらく進んでピタリと足を止めた。
フィルは決然と顔を上げると、今来た道を荒々しく戻り出す。
(いや、やはり彼女にとって僕は『花の騎士』! 手ぶらで迎えに行くわけにはいかない!)
ロッティをがっかりさせたくない。
せめて一輪だけでも、と花屋の扉に手を掛けた瞬間、背後から鋭く名を呼ばれた。
***
「……似合わない……」
古ぼけた姿鏡を前に、ロッティは力なく肩を落とした。
なるべく地味に、目立たなく、闇に紛れられる格好でお願いします。
ぶうぶう反論するエレナにそう頼み込んで、なんとか黄色やらピンク色やらいう派手な色は回避できたものの。
ことデザインに関しては、エレナは全く譲らなかった。ひらひらして落ち着かないスカートを、ロッティは暗い目で見下ろした。
「フィルさんに、大笑いされちゃうかも……」
あの美貌の騎士にそんなことをされたら、きっとロッティは一生立ち直れないと思う。
惨めな気持ちで姿鏡を見つめると、寝癖がつきっぱなしの髪が目に入った。そこでやっと、髪をセットし忘れていたことに気が付く。
「うわわっ? いけない、いつもは軽く櫛で梳かす程度だったから……!」
大慌てで引き出しからリボンを取り出した。
これもエレナの店で購入した(させられた?)もので、スカートとお揃いの色で揃えてもらった。
エレナから教えられた通り、表面の髪を半分ほどざっくりと掴み上げる。リボンで結ぼうとした瞬間、せっかく掴んだ髪が手からこぼれ落ちた。
「…………」
何度か同じことを繰り返したものの、ことごとく失敗。事前に練習しておくべきだった、と今さら気付いてももう遅い。
情けなさにぎゅっと目を閉じた。
(……そう、いえば……)
ロッティと同じたっぷりとした茜色の髪を、手際よくまとめていた『彼女』の姿が脳裏に蘇る。
じんわりと涙が浮かびかけたところで、澄んだドアベルの音が聞こえてきた。慌てて櫛で髪を撫でつけ、玄関へと走る。
***
今日もきっと聞こえていないだろう、とフィルは完全に油断していた。何度か鳴らして反応がなければ、いつも通り勝手に入らせてもらうつもりだった。
数秒かぞえ、再びドアベルに手を伸ばす。
「――はいっ!」
宙に浮いた手をそのままに、フィルは完全に固まった。その視線は、勢いよく飛び出してきたロッティに釘付けだ。
普段は前髪に隠れて見えないはずの、こぼれるような翠玉の瞳がフィルの心を撃ち抜く。
茫然と立ち尽くすうちに、一陣の温かな風が吹き抜けた。茜色の豊かな髪がなびき、フィルの頬を優しくくすぐる。
(え……? え……!?)
真っ白なブラウスに、濃淡のある藍色のスカート。
スカートの裾からは、幾重にも重なったレースが見え隠れしている。ドアを押さえて一歩下がったロッティの動きに合わせ、ふわりと軽やかに揺らめいた。
「…………っ」
「あ……っ!」
真っ赤になったロッティが、首まで赤く染め上げて俯いた。もじもじとスカートを弄る様子に、フィルははっと我に返る。
「あっ、その早かったですか!? いやあまりに良い天気だったものだから、そうだお昼は食べられましたかっ!?」
矢継ぎ早に質問が飛び出し、フィルは思いっきり赤面してしまう。一体、自分は何をこんなにも動揺しているのか。
しかし、ロッティはほっとしたように顔を上げた。
「お昼は、取ってないです。朝が遅かったし……、始まる前に軽く食べるって、手紙に書いてあったから」
「そ、それは良かった。ではえぇと、先にお渡ししたいものがあるので……。少しだけ、入らせていただいても?」
どうぞ、とロッティから中を示され、フィルはぎくしゃくと扉をくぐった。ロッティに悟られないよう、何度も深呼吸を繰り返す。
(落ち着け、落ち着け……)
己に言い聞かせ、悠然とした足取りで居間に入った。平静を装い、敢えてゆっくりと口を開く。
「今日は花束は用意しておりません。と、いうのも……」
事前情報通り、居間には所狭しと鍋やコップが並べられていた。まるで一面花畑のようだった。
さすがに少し反省して眉を下げる。
「ここに来る前、偶然カイ殿とお会いしたのですよ。これ以上あなたに花を贈るなと、強い口調で釘を刺されてしまいまして」
「えええっ?」
驚く彼女にフィルは苦笑した。
カイの差し出口には多少苛立ったが、確かにこの惨状はいただけない。口が裂けても礼など言いたくないが、それでも胸中で密かに感謝する。
目を丸くしているロッティに、茶色の小さな紙包みを差し出した。
「どうぞ。花束の代わりの品です」
口調だけは軽いものの、その実フィルはひどく緊張していた。
じっくり選ぶ時間があったわけでも、高級なものでもなかったからだ。目に付いた店に適当に入り、間に合わせで購入しただけ。
それでも、彼女の美しい茜色の髪に似合いそうなものを選んだつもりだ。
包みを開くロッティを注意深く見守っていると、彼女の翠玉の瞳が見開かれた。唇がほころんだのがわかって、フィルは思わず安堵の吐息をつく。
ロッティが頬を染めてフィルを見上げた。
「すごいですっ。ちょうど今、こういうのが欲しいなって思ってたところだったから……!」
嬉しげに贈り物を目の高さに掲げてみせる。
――それは、錫で作られた髪留めだった。
花が彫り込まれているのが購入の決め手だったのだが、改めてよくよく見れば、表面はいびつで形も不格好だった。フィルは急に気恥ずかしくなって、ロッティの手から髪留めを取り上げる。
「や、やはり安物すぎたみたいです。今度代わりの物を――」
「だ、駄目ですっ」
一声叫んで、ロッティは荒々しく髪留めを奪い返した。そのまま大急ぎで茜色の髪に手を伸ばし、先程と同じように大雑把に半分がた掴み取る。
ぱちり、と金具の嵌まる音が響いた。
「…………」
記憶の中と同じ音に、自然と頬がゆるむ。
鏡の中の自分を眺め、ロッティは大興奮でフィルを振り返った。
「すごい、綺麗にまとまりました! フィルさん、本当にありがとうっ」
「……っ!」
フィルが大きく息を呑む。
胸の奥から激しい感情があふれ、喉に詰まって言葉にならない。
初めて、ロッティに名を呼ばれた。
初めて、こんな顔で笑いかけられた。
体中がみるみる熱くなる。
赤くなった顔を隠すように俯いたが、ロッティは髪留めに夢中で気付いていない。彼女に悟られないよう、ごしごしと荒っぽく目元をこすった。
(……ああ、駄目だ……)
囚われた。
――囚われて、しまった。




