7 - アダム下車する
「——発車します」
鼻に掛かった男性の声が車内のスピーカーから聞こえてくる。
電車が緩やかに動き始めたところで、無理矢理引き入れたアダムに目を向ける。手摺にしがみついた彼は、生まれたての小鹿のような顔をしていた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だって」
がくがくと膝を震わせるアダムを横目に、私は座席シートにつく。
「ここ座りな」
二つ並びのシートの奥側——窓側に座った私は、隣の——通路側のシートをぽんぽんと手で叩く。
徐々に加速していく電車は、すでに時速八十キロくらいは出ているだろう。
「窓の外、見てみな……」
アダムの手を引いて隣に座らせると、私は日除け幕を上げた。とめどなく流れ行く車窓が視界に映る。
「景色が流れていくようじゃ……」
アダムは車窓の虜になったのか、意識を外に集中させている。
「実際、流れてるからね」
「不思議だ……」
「ん?」
「この箱の中はお主の屋敷のように穏やかだというのに、事実この箱は高速移動している」
「慣性の法則かな……私もよく知らないけど……」
「カンセイ?」
「いや、気にしないで。確かに不思議かも……原理とかそういうの、今まで気にしたことなかったかも」
小難しい話をしていると、頭が痛くなりそうだ。話題を切り替えようと、私は話題を探しながらふわふわと切り出す。
「エデンの園ってどんなところなの?」
「エデンの園……イブも知っておろう? まあ良い、話をしようか……」
シートに身を委ねたアダムは、天を見上げて思い起こすように語り出した。
「下界も悪いところではないようじゃが、エデンの園はここよりも、実りのある地だった。朝は野鳥の挨拶で目覚め、昼は広大な土地になる樹の実を楽しんだ。晩はイブ……いわぬともわかろうな?」
「わかんないです!」
「そう、恥ずかしがるでない。我とお主の中じゃ」
「そんなことは、どうでもいいです」
「なら、どんな話が訊きたい?」
「人間はアダムさんとイブさんの二人だけだったんですか?」
「そうじゃ。人間はな。動物は沢山いたぞ、ゾウ、ライオン、ワニ、タカ。陸海空何でもおった」
「そうなんだ」
「何じゃ、つまらなそうじゃのう? お主も知っておることだし、仕方ないか!」
豪快にアダムが笑い声を上げる。
「しっー。電車で大声は駄目」
「すまぬ」
アダムは苦笑いを浮かべ、後頭部を掻いている。
「やっぱり、今日は素直ですね?」
「そうか? 我はいつも素直で良い子と神に言われておったぞ?」
「そうなの? てかそうか、神様に会ったことあるんだもんね。どんな感じなの神様って?」
「神は寛大なお方だ」
「どんな見た目なの?」
「見た目? そんなものはない」
「じゃあどんな声?」
「そんな……どうした?」
私が質問攻めにしたからか、アダムの表情が暗くなっていく。彼にとって神の存在は、あまり訊かれたくないことなのだろうか。私が神の話をするのもおこがましいし、これ以上は止めておこう。
「ごめん。ちょっと夢中になってたね。私、興味があることには歯止めがかからなくなっちゃうんだ……」
私の悪い性格の一つだ。子供の頃から、夢中になると自分を抑えられなくなる時がある。
「いや……我も腰を折ってしまって、すまない」
「気にしないで、悪いのは私だし」
気まずい。空気がとてつもなく気まずい。どんよりとした空気が二人を取り巻いている。
「あ——」
「その——」
何か話そうと口を開くと、タイミングが完全に重なる。そしてまた、口を噤む。
そんな時。
「——次は、虹町ショッピングモール前」
次の駅を知らせるアナウンスが車内に流れ、どんよりとした空気を切り裂いてくれた。
しかも、次の駅は私達の目的地だ。
食料品から衣服、家具まで何でも揃う大型ショッピングモールと同時に、昨年開設されたばかりの新駅だ。青森に帰省し、アダム共々家業に従事するにあたり、必要になりそうなものが全て揃いそうだったので、今回は虹町ショッピングモールに行くことを決めたのだ。
窓の外すぐそこに、ベージュ色に塗装された外壁の大型の建物が見える。私も実際に訪れたことはないので、あれが件のショッピングモールなのかは不明だが、おそらくそうだろう。他に目ぼしい建物はない。
緩やかに速度が落ちていく。新駅に突入し、視界は駅の壁に遮られた。
電車が空気を圧縮するような音を立てて停車する。
「着いたよ。降りよっか!」
いつもよりワントーン明るい声音でアダムを促す。
「わかった」
自動ドアが開き、私が下車すると、アダムも後をついてきた。
完成間もない新駅は、どこもかしこも真新しい。清潔に保たれた白い壁が、ガラス張りの天井から取り込まれる陽光を反射させている。電車の行き来を知らせる電光掲示板も、最新のLEDディスプレイ仕様ではっきりと映し出され、とても見やすい。
全体的に光を多分に取り込む造りになっているのか、この駅は眩しいほどに明るい。訪れた買い物客をワクワクさせるための駅造りだろう。私の最寄り駅と比べると、随分造り込まれている。均等に配置された照明の位置など、細部まで拘りを感じる。
恐らくピーク時ではないこの時間でも、沢山の人が行きかっている。
「人がゴミのようじゃ……」
アダムがポツリと零す。
「さすがにすごいね。私も初めてだけど……」
私自身もその人の多さに息をのむ。
「ねえ~ママ、あのお兄ちゃん、お外でスリッパ履いてる」
少し離れた場所から、小学生くらいの男児がアダムを指差している。
アダムの西洋風の見た目は、やはり何かと目立つ。
「コラ! 見ちゃダメ!」
男児の母親はまるでゴミでも見ているかのように我々を一瞥すると、男児の手を引き、通路の奥に消えていった。確かにアダムの格好はおかしいけど、そこまでだろうかと、私は首を捻りつつ先に進むことにした。
「こっちみたいだね」
視界の上部に映る『虹町ショッピングモール→』という表記を指差す。
「案内よろしく頼む」
「凄い人多いから離れないでね」
ショッピングモール直結の接続通路の始まりらしき場所に、自動改札機が設置されている。
「出る時も、入る時と同じでここに切符を入れてね」
アダムに一言残し、私は自動改札機を抜ける。
「フン……知れたことを」
アダムは慣れた手つきで自動改札機に切符を通す。後はそのまま抜けてくるだけなのに、彼はその場に硬直した。
「どうしたの? 早く出てこないと、出られなくなるよー」
私の呼びかけに全く聞く耳を持たないアダムは、尚も自動改札機の真ん中で硬直したままだ。切符を投入して、その場にとどまるものだから、機械がエラーを発生させたのか、けたたましい電子音を鳴らす。
「何やってんのよ……」
仕方なくアダムの方に寄って行くと、慌てた駅員が走ってきた。
「どうかしましたか?」
駅員がアダムを呼び止める。
「我の切符が……」
「切符がどうかされました?」
「帰ってこぬのじゃぁぁぁぁぁ!」
出し抜けにアダムが叫び出す。入場の時は出場用に切符は返却される。そして出場時に切符は回収され、二度と手元に帰ってくることはない。それが世の常識であるが、それを知らないアダムは出場時も返却されると思っていたのだろう。
「すいません。彼、まだ日本の文化に慣れていなくて……出場が遅れちゃったみたいなんです」
私はアダムの傍に駆け寄り、駅員に事情を説明する。
「そ、そうですか……では、こちらからどうぞ」
なるべく面倒事には関わりたくないといった様子で、駅員は顔を引きつらせながら手早く臨時の入出ゲートを開けてくれた。
私はゲートから内部に入り、泣きそうなアダムの腕を引き外に出した。
「すいません。ご迷惑をおかけしました」
「いえ、お気を付けて」
ペコリと頭を下げて、私はアダムの腕を引きショッピングモールへ向かった。モールまでは一直線だ。
周囲の冷ややかな視線に耐えかねた私は、モールに向かう歩を早めた。