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5 - あれもこれも初体験

 朝食は家にあった食材で適当にこしらえた。トーストに薄く切ったリンゴを乗せて、軽く焦げ目がつくまで焼いたものに、思う存分蜂蜜をかけてやった。


 それを二人分用意して、アダムに食べさせてやる。


「何と美味!」


 一口齧ったアダムは満足気だ。


「それも、リンゴだよ。最初はリンゴ食べないとか言ってたのに、めっちゃ食べるじゃん」

「その……リンゴというのは、禁断の果実のことか? だとしたら、たばかったな!」


 口先では私を責めても、リンゴトーストを口に運ぶ手は止めないアダム。彼は心はもう完璧にリンゴに毒されている。


「じゃあ……おかわり、いらないのね?」

「いる」


 食い気味な返答に、思わず笑みが零れる。


 一口食べるごとに「おお」とか「ああ」とか、いちいち唸り声を上げるアダムを見ていて悪い気はしない。本当は自分が食べるつもりだった分を、私は黙って彼に差し出す。


「それは、お主の分ではないのか?」

「そのつもりだったけど……。アダムさん欲しそうだし」

「戯け。よもやこの我が、お主の分を横取りするわけなかろう!」


 てっきりかっさらわれるものだと思っていたから、私は驚きを隠せない。価値観や常識という名の自己の物差しが、彼と私とで異なっているだけで、本来の彼は良心に満ち溢れているのかも知れない。


「ありがとう。私もいただくね」


 リンゴトーストを一口齧ると、焼くことにより一層糖度が増したリンゴの甘味と、近所のスーパーで買った特売の蜂蜜の人口的な甘さが織りなす、甘味のパラダイスが口一杯に広がる。


「甘っ! でも、このカオスな甘さがやめられないんだよね~」


 口の中に広がる甘味を、一緒に入れてきたインスタントコーヒーで流し込む。こうすることで、口に甘ったるさが残らず、きれいさっぱりリセット出来るのだ。


「おお、これは飲み物だったのか?」


 アダムにもちゃんとコーヒーを入れて上げていたのだけれど、私が手をつけるまで何かわからなかったみたいだ。


「そうだよ、コーヒーって言って……」


 折角、説明を始めたのに、アダムは話の途中でコーヒーに口をつける。


「——ぶうっっっっっ!」


 アダムが勢い良く、茶色の液体を口からぶちまける。案の定、彼の対面に座った私の顔が、不快な水飛沫で汚された。


「なんじゃ⁉ この飲み物は……」


 舌をべぇっと出したアダムが不満の目を向けてくる。


「何すんのよ!」

「お主が変なものを飲ませるからじゃ!」


 テーブルの下からティッシュを数枚取って顔を拭く。


「コーヒーだよ。苦くて熱いから注意してって言おうとしたのに! 勝手に飲むから」

「我が悪いと申すのか?」


 それには取り合わず、私はパジャマに付いたシミをティッシュで丁寧に叩く。


「毒を飲ませるとは、何を考えておるのだ」

「毒じゃないよ。趣向品だよ? コーヒーは……」


 絨毯も出来るだけシミが残らないように、丹念にティッシュで叩く。


「こんな物を好んで飲むものの、気が知れん」


 グチグチと文句を言い続けるアダムを尻目に、私は一度シャワーを浴びることにした。


「私、お風呂……えーとっ……水浴びに行って来るから、どこにも触れないで、おとなしくしていて。わかった?」

「それは、構わぬが……」


 どこかアダムの様子がおかしいように思う。何というか、もじもじしている。


「どうかした?」

「すまぬが、ここで用を足しても良いか?」

「言い訳ないでしょ!」


 私はアダムをトイレまで引っ張って行って、使用方法を一から説明する。先程の反省を踏まえてか、やけにおとなしく聞いている。


「それで……ズボンを下してここに座って……」

「もう限界じゃ、説明は後にしてくれ!」


 全身をくねらせながら、アダムはズボンを脱ぎ捨てた。


「全部脱がなくて——きゃあ!」


 アダムのエレファントが視界に飛び込んできたので、途中で言い止めて目を背ける。勢い良く扉を閉めると、中から「おうっ」という、低い喘ぎ声が扉越しに聞こえてきた。


「危なかった……もう少しで部屋の中でされるところだった……」

「うわあああああぁぁぁ……何だコレはー⁉」


 アダムの悲鳴が聞こえてすぐに、中から扉が開かれる。中の惨状を見れば、一瞬で悲鳴の理由がわかった。ウォシュレットの水が天高く伸びていたのだ。


 下半身をビショビショに濡らしたアダムが、水を滴らせながら血相を変えてしがみついてくる。お陰で私も廊下もビショビショだ。


 急ぎウォシュレットを止めた私は、アダムを引きずり回して風呂にぶち込んだ。上のジャージを剥いで、一糸纏わぬ姿にし、空の湯船に入れる。


 なるべく下半身を見ないよう心掛けて、シャワーをアダムに向け、ぬるま湯を頭のてっぺんからかけてやる。


「何をする⁉」


 掌で必死にガードし抵抗するアダムに、私は躊躇なく徹底的に湯をかける。これも我が家の清潔を保つためなのだから致し方ない。


 一度シャワーを止めて、シャンプーをアダムの頭上にプッシュする。


「髪、こすってみて」


 訝しげにも、言われたことはちゃんとやってくれるアダム。髪が徐々に泡立っていき、同時に彼のテンションも上がっていく。


「何じゃコレは⁉」


 全てが初体験。いちいち初々しい反応が見られて、少しだけそれが面白い。


「シャンプーだよ。この泡で髪が綺麗になるの」

「おおそうか! スカッとしてなかなか心地良いぞ」

「それは良かった。じゃあ、流すから目瞑って」


 アダムが目を瞑ったのか確認する前に、私は彼の頭からシャワーをかけてやった。なるべく直視しないようにはしているが、横目に映るアダムのシャワーシーンはその容貌から、まるで昨夜、夜通しトイレで観たハリウッド映画みたいだ。


 一通り流し残しを確認した私は、シャワーを止めて、あらかじめ浴室の入口付近に用意しておいたバスタオルをアダム手渡す。


「これで体拭いて」

「すまぬ」


 バスタオルで体を拭くのは二度目なので、私が指示せずとも上手く拭いていた。無知なだけで、学習能力は高い。さすが、我らの始祖というだけはある。


「拭けたらジャージ着て、さっきの部屋で待ってて」

「ああ」


 半ば強引にアダムを浴室から追い出す。リビングまで背中を押して連行する。コップに水を一杯用意してあげてから、私は浴室に戻った。


 私はやっと、静かにシャワーを浴びることが出来る喜びを嚙み締める。


 アダムに汚されたもこもこパジャマを洗濯機に放り込む。下着はちゃんとネットに入れてから洗濯機にぶち込んだ。


 シャワーの温度はぬるめの三十七度。いつも私はこの温度だ。


 頭からぬるま湯をかぶる。色々なものが流れ落ちていく気がして、堪らなく心地良かった。思い返せば、アダムが吐いたコーヒー、アダムの尿だかウォシュレットの水だかわからない液体、短時間で二回もかけられるなんて。


「はあ……気持ちいい」


 私はその後、思う存分シャワーを楽しんだ。昨夜はごたごたして風呂に入る時間、というか気力がなかった。そのつけを返すようにたっぷり長い時間をかけて、全身を隈なく流した。


 お気に入りのシャンプーや、ボディーソープの香りで包まれると、荒ぶった気持ちが落ち着いてくる。


 目が離せなくて、次は何をしでかすのかわからないアダムだけれど、子供の世話をしているみたいで、何だか少し、ほんの少しだけ楽しくなってきた。何というのだろう。これが母性本能をくすぐられているということなのだろうか。



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