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3 - 禁断の果実

 小一時間ほどアダムと見つめ合いだか、睨み合いだかを続けていた私は、おそらくこのまま居座ろうと考えている彼を、どうやって追い出そうか思考を巡らせていた。


 窓はカタカタ音を立てていて、外が暴風で荒れていることを思い出させてくれる。


 追い出したい気持ちはあるが、今、外に出るのは非常に危険だ。アダムが通常の人間とは異なる力を有していたとしても、危険な状況であることに変わりはない。


「どうした、イブよ。浮かない顔をして」

「だから、イブじゃないですってば。雫です! 私の名前はシ・ズ・ク!」


 言い直させよう促している時、私のスマホがけたたましく鳴った。


「うわっ! 何事だ⁉」


 スマホのディスプレイには『母』と表記されている。


「いい? 今から電話するから、静かにしててね!」

「デ、デンワとは何だ?」


 アダムを置いてけぼりにしたまま、私は受話器を取った。


「もしもし」


 久々に聞いた母の声。正月くらいしか帰省しないので、何だか懐かしい。正直、史上最大規模の台風の到来に、見ず知らずの男と二人きりというのは、心臓に毛が生えている私でも恐怖心はある。そんな時に聞く母の声は、私の心に多大な安心感を与えてくれる。


「もしもし、お母さん?」

「雫、そっちは台風が来てるみたいだけど、大丈夫?」

「うん。今のところ大丈夫そう」

「そう……」


 どこか含みのある声音。何か言いたいことでもあるのだろうか。


「どうかした?」

「そっちが大変な時に、ごめんなさい。落ち着いて訊いて……お父さんが倒れたの……」


 唐突な母の言葉を聞いて、私のスマホを握る指から力が抜けていく。徐々に視界も白んで、最後には何も考えられなくなった。


 ——お父さんが倒れた。


 そんなドラマのワンシーンにありそうな台詞を、平凡を絵に描いたような私が直面する日がくるなんて想像もしていなかった。


「大丈夫……?」


 受話器越しに伝わってくる、心労の声。私は言葉を失い、返事をすることが出来なかった。

 この世の全てが終わるかのような絶望感に全身を支配される。

 鼻の奥につんと痛みが走り、目頭が熱を帯びていく。気付いた時には、両目から涙が零れていた。


「どうした、イブよ⁉」


 置いてけぼりにしたままにしていたアダムが、私の異変に気付き声をかけてきた。私を労わってくれているのだろうけれど、オペラのような伸びやかな声に、私は少しだけ苛立った。


「雫、大丈夫? 私の言い方、悪かったかしら? そんな深刻に捉えなくていいわよ。ただのぎっくり腰だから、心配しないで」


 間の抜けた母の声。


 どうやら私は、とんでもない思い違いをしていたらしい。


「……ぎっくり腰?」


 拍子抜けした私の声は、どうか宙を舞っているようだ。いや、実際に拍子抜けしていたわけなのだけれど。ぎっくり腰が大したことないと、いいたいわけではない。私はてっきり、父はもう危篤状態にあるものだと思っていた。だから、症状というか病名が、私の想像を大きく下回ったことに、安堵より別の想いが先に出てきた。


「そうなのよ~」


 まるで世間話でもするかのように、母が軽く返してくる。


「死の瀬戸際とかじゃなくて、ただのぎっくり腰?」

「そうよ。死の瀬戸際なんて、あんたも大袈裟ね~」

「ママの言い方が、そんな感じだったから」

「それより、男の声が聞こえたけど……もしかして、彼氏?」


 話題を百八十度変えて、母が責め立ててくる。しかも、いい年して放課後の女子高生みたいなテンションだ。沸々とはらわたが煮えくり返ってくる。


「うるさい! とにかく、パパは大丈夫なのね⁉」

「それは大丈夫!」

「そう……それならいいけど。パパによろしく。じゃあね」


 これ以上余計なこと訊かれたくなかったので、私は早々に電話を切ろうとする。


「待って、待って!」

「何よ?」

「丁度いいわ! あんた、彼氏を連れて帰って来なさい」

「何で?」

「これから、リンゴの収穫時期なのに、肝心のお父さんは腰やっちゃうし、橘さんも先月辞めちゃったのよ」


 橘とは、十年以上実家のリンゴ農家を手伝ってくれている人だ。十年のベテランとなると、大半の仕事をこなしていて、橘のお陰で家の家業が成り立っていたといっても、過言ではなかった。その橘が先月辞めた。仕切り役の父はぎっくり腰。主に経理関係の雑務をこなしていた母一人ではとてもじゃないが、収穫シーズンを乗り切ることは出来ないだろう。農家の仕事は重労働、男手が欲しいというのも、リンゴ農家の娘として理解していた。


 そこで私は、はたと思いつく。私の悩みを同時に解決出来るような、なかなかの妙案かも知れない。


「わかった。彼氏じゃないけど、男手を連れて帰るわ」

「そう? まあ、誰であろうと、男手があるのは助かるわ~。求人かけても人が来ないのよ」

「準備出来次第そっち帰るから、じゃあね」


 言い切って、今度こそ私は電話を切る。


 私が思いついた妙案とは、アダムを実家に連れ帰ることだ。これにより、部屋に居座るアダムを出て行かせられるし、母も男手が手に入る。まさに一石二鳥の妙案だ。


 実家はドが付くほどの田舎にある家なので、無駄に部屋が余っている。アダム一人くらい住み込みになっても、全く問題ないだろう。それと、もうすぐ夏休みが明け講義が始まるのも、大学三年ともなれば、履修状況にも余裕があるし、講義に参加せずとも単位を取得する、処世術的なものもいくつか身についてきたので問題はない。


 そうと決まれば、すぐに作戦決行だ。


「アダムさん! イブさん、探しに行くよ!」


 アダムにはこう言っておけばいいだろう。青森県にイブがいない確証もないし、噓は言っていない。


「よし、あいわかった。それでは行くとしよう!」

「ちょっと待って……」


 外は生憎の豪風雨だ。青森に向かうのは、台風が過ぎ去って、飛行機が飛ぶようになってからだ。そう思った時、私は重大なことを思い出す。


 ——一体アダムは今晩、どうするつもりなのだろうか。


 都合の悪いことは一旦先送りにして、私は出来ることを始める。先ずは青森空港行きの飛行機チケットを予約する。本日は東京に台風直撃で全便欠航。台風はそのまま東北方面に北上していく予想になっていることから、明日も避けた方がいいだろう。そういう理由で、私は明後日の朝の便を予約した。


 どうせ家に居座るなら——おそらくアダムは居座るだろう、一日も二日も変わらない。


 明後日までバッファがあることで、それ以前の問題も解決していくことが出来る。例えば、アダムの服問題。私の服を着せるわけにもいかないし、家に男物の服もない。これは、明日私が買いにいくしかないだろう。


「さっきから何をしている。イブを探しに行くのではないのか?」

「探しに行くのは、明後日から。一応訊くけど……明後日まで、他に行くところないの?」

「我はエデンの園を追放された身。もとより居場所などありはせん」


 アダムのセンシティブな部分に土足で足を踏み入れた気がして、私は少しだけ罪悪感に苛まれる。


「なんかごめん……」

「案ずるな。今はここが我の居場所だ!」


 爽やかに笑むアダムは清々しい。ポジティブなのはいいことだけど、私は清々しくあって欲しくない。少しくらい悩む素振りがある方が、まだ可愛げがあっていい。だって、ここは私の家なのだから。勝手に居場所認定されて困る。


 私は溜息を吐いて、机に突っ伏した。



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