⑧
エクスクラメーションビルの裏に駐車場がある。
昨日涼と買い物に行った際に使ったダイハツミライースが置いてある駐車場だ。
「逢夢殿、ハイエースは運転できるでござるか?」
ミライースの隣に停まる、使い込まれたトヨタハイエースを指さして廉次郎さんが言った。
フロントドアに幽玄会社不思議とラッピングされているので、社用車であることは昨日の段階でわかっていた。
他にも幽玄会社不思議と書かれたデコトラ気味のトラックが一台あるので、社用車は三台なのだろう。
「はい。運転できます」
「それでは、拙者が案内するので、逢夢殿に運転をお願いするでござる」
「じゃ、私は真ん中座ろっと」
運転席に俺が乗り、助手席に廉次郎さん、真ん中の補助席に涼が座った。
後ろにシートはなく、荷物がわんさか積まれていたためこの座り方になった。
たまに街中で見る狭苦しい乗り方をする車を、自分が運転するとは思わなかった。
やはり幽玄会社不思議は便利屋で、この車は便利屋の車なのだと再確認した。
鍵を受け取ると、エンジンをかけ、サイドブレーキを下ろし、アクセルを踏む。久しぶりのハイエースの運転だ。
廉次郎さんの指示どおり、緑川通りから左折して立川通りを直進する。
「そのまま日野橋交差点を直進でござる。そして日野橋を渡ったら次の信号を左折でござる。そこからは川沿を走行でござる」
時代劇風のカーナビゲーションがあったら、それなりにヒットするのではないかと思いながら運転する。
この辺りは土地勘もあるので、今の廉次郎さんの案内で大体どこを走ればいいかわかる。
余裕ができたので質問してみることにした。
「二人はその格好で仕事をしているんですか?」
昨日涼が普通の人には普通に見えていると言っていたけれど、俺には開放的な涼と、時代錯誤な廉次郎さんしか見えない。
「そうでござる。でも心配はいらぬ。一般人には胸に有限会社不思議と書かれたつなぎを着ているように見えているでござる」
「そそ、私は青で、廉次郎さまは赤だよ」
「そのとおりでござる。刀で相手を切った際、返り血を浴びても目立たない色にしたでござる」
理由が怖い。つなぎの色を赤にした理由が怖すぎる。
切られないように気をつけよう。
「それじゃあ俺もつなぎに見えるのか?」
「ううん。逢夢はそのままスーツだよ」
「あ、俺は特にそういう幻影的なものはないのね」
「そそ、ない」
仕事着は特に決められておらず、私服で良いと言われていたけれど、一応、新入社員という意識はあるのでスーツで出勤していた。
でも涼や廉次郎さんのように俺もつなぎに見えているのではないだろうかと思って聞いてみたけれど、違ったようだ。
なぜか少し残念な気分になった。
気持ちを切り替えて仕事に集中する。
「ところで今日の仕事のゆがみについて教えてほしいんだけど」
昨日少し涼から聞いたけれど、具体的なことは全然わかっていない。
「説明むずいな」
涼は頭をかいている。
「それでは拙者が説明するでござる」
「廉次郎さまッ! 助かります」
拍手をする涼に廉次郎さんは「うむ」と答えると話し出した。
「昨日、逢夢殿はあちら側に行かれたでござるな? あちら側とこちら側の移動は、その時のように決められた場所での移動が基本になるでござる。しかし決められた場所以外で移動ができてしまうことがあるのでござる。その現象のことを空間のゆがみというでござる」
「そそ、廉次郎さまッ! 説明が上手です」
「でもそれだったら、そのゆがんだ場所を決められた場所に設定してもいいんじゃないですか?」
近くに空間のゆがみが発生したら、昨日のようにわざわざ遠くまで行って移動する手間が省ける。
「それはできないでござる」
「そそ。私も最初それ思ったけど、空間のゆがみはどこに移動するかわかんないんだよ。決められた場所での移動は、あっち側もこっち側も同じ位置になるんだけど、ゆがみの移動は全然違うところに行っちゃったりするから使えないんだよ」
涼が胸元からガムのボトルを出しながら言った。
廉次郎さんに差し出すが、断られていた。俺にもくれたので、ありがたくいただく。
「それにあちら側とこちら側とを移動できるのは許された者のみでござる」
「許された者?」
そんなことは聞いていない。俺は移動したけれど、許されていたのだろうか。
「そそ。あの輪くぐりで移動できることを許されるって言うんだよ。そうじゃない人はくぐっても移動できない。それはあっち側の住人もそう」
そういうことか。昨日、一日目で椚田社長が俺にあっち側での買い物に行かせたのは、あの輪くぐりで移動できるか試す意味があったのだろう。入社試験みたいなものだったということか。
「しかし空間のゆがみは許された者でなくても移動ができてしまうでござる。もし万が一こちら側の人間がゆがみに飲み込まれたら、それはもうおしまいと考えてよいでござる」
廉次郎さんが説明で、涼が昨日言っていた神隠しのことを思い出した。たしかにそういう理由なら空間のゆがみは解決したほうがいい。
今回の発生場所は多摩川と言っていたが、これが駅や公園とか人の多い場所で発生したら大変なことになりかねない。
「ただ基本的に人のいないところ、動きのないところの方が空間のゆがみが発生しやすいので被害は少ないでござる」
俺の考えを察知したのか、廉次郎さんが付け加えてくれた。
「それにあっち側の妖怪も飲み込まれたらこっち側に来ちゃうからね。困っちゃうよ」
涼の言うとおり、たしかにそれも困った話だ。
「さて、そろそろ着くでござるな。どうやって片付けるかは見てもらった方が早いでござる」
「うん。逢夢は見てて」
廉次郎さんに指示されたとおり、近くのパーキングに車を停めた。
車を降りると、廉次郎さんと涼はトランクを開け、何やら荷物を大きなカバンに入れたりして用意している。
準備が済むと、河川敷に向かうべく土手を上がる。
多摩川の川路をジョギングやサイクリングをする人がちらほらいる。
しかしその後ろの河川敷の風景に驚いた。
平和な日常が流れるその近くに、プラネタリウムで見たことのある、まるでブラックホールのような、黒くうごめくものがあった。