⑦
今日を初出勤というのか、昨日がそのまま初出勤になったのかはよくわからない。
でも昨日も給与が発生しているようだから、今日は二日目と言えるのだろう。
そんなことを考えながら立川駅から少し離れたところの一角にそびえる、エクスクラメーションビルという五階建ての古びた雑居ビルを見上げる。
そのビルの最上階の五〇一号室が幽玄会社不思議のテナントだ。
五階は他に五〇二号室があるだけで、フロアのほどんどを幽玄会社不思議が占めている。ちなみに五〇二号室が何に使われている部屋なのかは知らない。
「おっす、逢夢。おは」
ビルを見上げる俺の後ろから、不意に声をかけられたが、すぐに相手が誰だかわかった。
「おはよう、涼。朝から元気いいね」
振り返ると案の定、涼がいた。手にはコンビニで買ったと思われるおにぎりを持っていた。
「まあね」
ほっぺたに鮭を付けた涼が答える。
昨日知り合ったばかりとは思えない自然な朝の挨拶を済ませると、二人してビルに入る。
自動ドアではない。いわゆるテンパードアと呼ばれる、手動タイプのガラスのドアだ。
エクスクラメーションビルは古く、エレベーターはない。五階まで狭い階段を登らなくてはいけない。
前を進む涼は「ほいほいほい」と言いながら一段とばしで上がっていく。
駅の階段くらいの段差ならまだしも、それなりに一段一段が高い。
よくそんなに足が上がるなと思うけれど、猫娘の涼には簡単なことなのだろうと一人納得する。
息も切れ切れに五階にたどり着く。涼は全然疲れている様子はない。俺も早く慣れたいものだ。
幽玄会社不思議のドアを抜け事務室へ向かう。昨日俺用のデスクをもらった。涼の片付いていない机の隣だ。
「お、おはよう、ご、ございます……。りょ、涼さん……。ほ、逢夢くん……」
給湯室からばなりんさんが出てきた。
「おは」
「おはようございます」
社内が涼しかったのは、ばなりんさんが誰よりも早く出勤して冷房を入れていてくれたからだろう。
俺はデスクに着くと、持ち込んだ筆記用具などを引き出しにしまったり、自分の使いやすいようにセッティングを始めた。
涼は引き出しからガムを取り出している。引き出しを悪いと思いながらも覗いてみると、よっちゃんイカやソフトせんべいなどのお菓子類がたくさん入っていた。
「ガムいる?」
涼がボトルタイプのガムを差し出してきてくれた。
「じゃあもらおうかな」
好意をありがたくいただき、手のひらを出す。
「うん。たくさん買っちゃったからどんどん食べて」
そう言って涼はじゃらじゃらと俺の手にいくつもガムを出した。
「いやいや、こんなには無理だよ」
「そ? でもまあ、もらって」
仕方がないので、二粒ガムを食べると、残りはちょうど持ってきていた、ジップロックに入れて引き出しにしまっておいた。ジップロックはなにかと便利だ。
ばたんという激しい音とともに、勢いよく事務室の扉が開かれた。
「おはよう、おはよう、嗚呼、おはようでござる」
廉次郎さんの登場だ。桜吹雪でも舞っていそうな振る舞いで挨拶をしている。
「お、おはよう、ございます……」
「廉次郎さまッ! おはようございます」
「おはようございます」
「うむ。凛殿、涼殿、逢夢殿、みなおはようでござる」
挨拶をすると侍の廉次郎さんも自分のデスクに座り、ノートパソコンを開いた。
オフィス侍は初めて見た。
昨日は変な会社に入社してしまったかと思ったけれど、みんな案外普通の出社をしているし、普通の会社なのかもしれないと思えてきた。
ただ個性的な人が多いだけで、もしかしたら楽しく働けるかもしれない。
そう思ったら幽玄会社不思議で働くことに前向きに考えられるようになってきた。
「なあ、涼。みんなパソコン開いているけれど、何を見てるんだ?」
廉次郎さんもばなりんさんもパソコンを開いている。隣の涼も会社員らしくパソコンをいじっている。
俺はまだ支給されていないので、何をして良いかわからない。だから涼に質問してみた。
「ん? メールでの依頼の確認とかじゃん?」
「なるほど」
昨日家に帰ってから幽玄会社不思議のホームページを見てみた。依頼内容を書き込む応募フォームがあったので、それの確認の作業をしているということだろう。
「ま、私はユーチューブだけどね」
涼がパソコンを指さして言うので、画面を見させてもらうと、エガチャンネルが映っていた。音も出さずに見ても楽しいのだろうか。
そんなやりとりをしていると、ゴーンと突然鐘がなった。
時計を確認するとちょうど九時になったところだった。
「おはよう」
ゆっくりと事務室の扉が開かれ椚田社長が入ってきた。
「お、おはよう、ございます……」
「おは」
「おはようでござる」
「おはようございます」
昨日も思ったけれど、なかなかオーラのある社長だ。それに涼から千年以上生きていると聞かされた。そういう意味でも偉大さを感じる。
「寒葉君、入社してくれて感謝しとるよ」
優しく微笑む椚田社長。逆に怖い感じがしなくもなくもない。
「こちらこそありがとうございます」
「早速じゃが、仕事の片付け方を見学するとよい。廉次郎と涼よ、今日は二人で多摩川に発生しているゆがみを解決してきとくれ。詳細は地図を用意しておく。涼よ、新入社員の寒葉君の前じゃからの。ヘマをするでないぞ」
涼にニヤリと笑いながら椚田社長が言った。
「久しぶりのゆがみきた。ま、余裕っしょ」
涼はそう言うと、腕や首を回したり、胸を揺らしながら軽くジャンプをしたりして準備体操を始めた。
「廉次郎もよいか?」
椚田社長が確認する。
「廿里廉次郎に、おまかせあれぇえ」
まるで会計ソフトのCМみたいな言い方をする廉次郎さん。しかしこの会社の勘定の奉行はばなりんさんだ。
「ということじゃ。寒葉君よ、いってくるがよい」
椚田社長はそういい残すと事務室を出て行った。
「それじゃあ行こっか。逢夢」
「逢夢殿、早速出発でござる」
「は、はい」
やっぱり普通の会社ではなかった。