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 幽玄会社不思議と書かれた年季の入った事務所の扉を開く。

 甘味処を出た俺らは、また輪くぐりを抜けて、再びこっち側へと戻ってきた。

 やはり見慣れたこっち側の方が俺としては落ち着く。

 あっち側は夢見心地というか、自分が死んでしまったような気がして、落ち着かなかった。

 俺は涼に指示された通り買った荷物を事務所の倉庫に持っていく。涼は「会計処理を済ませてくる」と言って事務室に向かった。果たして涼に会社のお金の管理が出来るのだろうか。

 事務所は入り口の扉を開くと目の前に「幽玄会社不思議」と書かれたロゴマークの目立つこじんまりとしたエントランスがあり、左右に廊下が分かれている。右に行くと倉庫とトイレ、左に行くと手前から会議室、事務室が並び、突き当りが社長室となっている。

 就職面接をしたのが社長室だったので、それ以外の部屋には入ったことがない。というより、まだ面接当日であり、入社一日目だ。ちなみに契約書は結んでいない。

「じゃ、その紙袋のままその隅に置いといて」

 ちゃんとした会社なのだろうかと思っていたら涼が登場した。

 会計処理をしていたはずの割に早い。問題なくやっているのだろうか。

「置きっぱなしでいいのか?」

 薄暗い倉庫はスチールラックが向かい合うように二台並んでおり、いろいろなものが置かれている。

 細長い作りで決して広い部屋ではないけれど、棚にはテプラが貼っておりしっかりと整理整頓されている。

 俺が置いた紙袋以外、床においてあるものなんて、立てかけられた台車くらいだ。

「大丈夫、大丈夫」

「だ……大丈夫じゃないです……」

 消え入りそうな声が聞こえたと思ったら、涼の後ろにいつの間にか一人の女性が立っていた。

「えーいいじゃん、ばなりん」

「だ、だめです……。そ、それに、ば、ばなりんっていうのも……」

「逢夢。この人、ばなりん」

 唐突に涼が紹介してくれたのは、黒のレディーススカートスーツを身にまとった“ばなりん”と呼ばれる黒髪ロングの女性。

 見るからに華奢で気が弱そうだけれど、小さな声で涼にしっかりと物申している。

「りょ、涼さん……。だ、だから、私は……」

「ばなりんさんですか。私は寒葉逢夢と申します。これからどうぞよろしくお願いします」

 幽玄会社不思議の従業員であることは間違いない。先輩には挨拶をしなくてはいけない。

「あ、い、いや……。わ、私はモトオバナリンと言います……。か、会計です……」

 目にもとまらぬ素早い動きでポケットから名刺ケースを取り出すと、そこから一枚俺にくれた。

 俺は「頂戴いたします」と言うと、ばなりんさんは「ち、近いうちに、か、寒葉さんの、め、名刺も作ります……」と細い声で言ってくれた。

 いただいた名刺に目を落とすと、“本尾花(もとおばな)(りん)”と書いてあった。

「本尾花さんでしたか」

 名刺によると、苗字が本尾花で、名前が凜だった。

 勝手にばなりんと呼んだことに申し訳ないと頭を下げる。涼のせいだ。

「やや、ばなりんはばなりんだよ。ね! ばなりん! 逢夢もそう呼びな」

 涼は本名がどうであれ、本人がどうであれ、決めた呼び方で呼ぶのだろう。

「いや、本尾花さんだろう」

 俺としては先輩に対してあだ名は呼びにくい。それに明らかに年上だし、そもそも初対面だ。

「で、でも……。ば、ばなりん、さん、だったら……あの、その、い、いいかも……」

 うつむき加減で長い髪を指でくるくるいじるばなりんさん。

「わかりました。ばなりんさんって呼びますね。私の事は寒葉でも逢夢でも構いません」

「そ、それじゃあ……。ほ、逢夢君って呼びますね……」

 そう言うとばなりんさんは両手で顔を覆った。

「やや、私はばなりんって呼ぶ!」

 よくわからない決意を抱く涼がこぶしを胸に当てている。

「はぁ……。ま、まあいいです。そ、それより、りょ、涼さん……。えっと……か、買ってきたものは、ちゃ、ちゃんと棚に、お、置いてください……」

 ばなりんさんが俺が床に置いた紙袋を指さした。

「ちぇ。じゃ、逢夢。教えるからやろ」

 言うが早いか、がさがさと紙袋から買ってきたものを出し始めた。

「すみません、ばなりんさん。ちゃんとやっておきます」

 俺はばなりんさんにぺこりと頭を下げると、涼の手伝いを始めた。

「あ、そ、それと、涼さん……。あ、後で、わ、私のデスクに、来てください……」

 事務室に戻る時に何かを思い出したようにばなりんさんが言った。

「えーなんで?」

 不服そうな涼。

「あ、あの……。チャ、チャーハンと、あ、あんみつは……その、け、経費では落とせません……」

「えーいいじゃん」

「だ、だめです……」

 ここから大きい声の涼と、小さい声のばなりんさんの二人の押問答が続いた。

 ちゃっちゃと買ってきたものを棚に並べて仕事を終えたかったけれど、涼はどうにかチャーハンとあんみつを経費で落とそうと、ばなりんさんに食い下がっていた。

 あの食事は涼が「私が払うから気にしなくていいよ」と言ってくれたのと、日本円が使えないとのことでおごってもらっていた。いや、おごってもらっていた気でいた。

 会社の経費で落とそうとしていたなんて思いもしなかった。

 この件に関しては、俺も普通に涼がだめだと思った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ばなりんかわいいです! 漢字で書かれた時、私もモトオ・ばなりんかと思いました笑
[一言] バナリン先輩可愛いですね( ´∀` ) でもって……さすがに経費じゃ、ねぇ?( ̄▽ ̄;)
[良い点] おごるとかいいながら、何とか経費で落とそうと頑張る涼!一周まわって、何てかわいいのでしょう~♪
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