③
夕焼けとは違う赤みがかった空の下の甲州街道は、歴史の教科書に載っているような日本家屋が建ち並び、そこに行きかう人々は異形そのものだった。
「ちょ、ちょっとなんだよこれ」
「あっち側」
「どういうことだ?」
「あっち側はあっち側。あ、でもあっち側にとったらこっち側があっち側になるから、こっち側とも言えるかもしれない。でも今はこっち側にいるから普段言っているこっち側があっち側なのかな? うーん、こんがらがってきちゃったぞ」
あたまを傾げる涼。
「いや、こんがらがってんのは俺の方だよ」
「そか。でも簡単に言えば、地球の裏側。あ、ブラジルのことじゃないよ? そういう裏側じゃなくて、もう一つの世界って感じ」
「それもわからん」
「ま、いいや。とりあえず、お腹空いたから、ご飯にしよう。そこで話す」
涼についてゆき、提灯のぶら下がったお店に入る。
店員さんの首がにょろにょろ伸びていた。
なるほど、だからお店の名前が“ごはん処ろくろ”だったのか、と妙に納得した。
悲鳴の一つも上げず、冷静に考えている自分が怖かった。
「逢夢はかなり耐性があるんだね」
席に着くなり涼が言う。
「この状況に対してか? ねーよ」
「うそ? 全然怖がらないじゃん」
「怖いって。ただもう死んだと思うことにしただけ」
周りを見渡す。
俺と同じような人がほとんどだけれど、角の生えた者や口が裂けている者、大きな一つ目の者、いわゆる妖怪図鑑で見るような者なども混ざっている。
やっぱ俺は死んだのだろう。
「そか。それはいい得て妙」
「ここはあの世なのか?」
「それはちょっと違うかな」
「じゃあなんだよ」
「だから裏側だって」
「ちゃんと説明してくれ」
「ちゃんと説明するの苦手なんだよな。でもしょうがない。うん、頑張って説明する」
そう言って涼は、一生懸命に説明してくれた。
苦手なんだなと伝わってきたけれど、俺もしっかりと理解しようと心掛けた。
途中で涼がおすすめの料理を注文してくれた。
「つまりは、同じ地球に別の世界線があるということなんだな」
「うん、ま、そんな感じかな。ほら、神隠しとかあるじゃん? あれは変な拍子にこっち側に来ちゃうことだよ」
「そうなのか? あの輪くぐり以外に来る方法があるのか?」
「空間のゆがみとか、強い妖力魔力で移動することはできる」
「なるほど」
なかなか受け入れられるものではないけれど、実際にこっち側に来ているという事実が受け入れざるを得ないものにしている。
運ばれてきた何の肉かわからない串焼きを食べてみる。美味しい。
「あと、GPSは反応するのにそこに何もないとかそういうこともあったりするのも、こっち側の存在があるから」
変な言い方をするなと思いつつ、自分のスマホを出して確認する。
電波もしっかり受信していて正常に機能している。
「これ通話もできるのか?」
「あたりまえじゃん。地球は変わらないから、電波の範囲は変わらないよ」
「それなのに、人や物は別なんだな」
「そうだね。でもたまにさ、歩いてて蜘蛛の巣に引っかかったような感覚になることない? それはこっち側とあっち側で人がクロスした瞬間だよ」
「え、あれそうなの?」
「そうそう。毎回じゃないけどね。なんか歪んだ時にたまになるらしい」
「へー不思議だな」
不思議という言葉で片付く問題ではないけれど、それ以外で表現できない。
「それじゃあ、涼は猫娘なわけ?」
いろいろ総合的に考えると、そういうことになるのだろう。
「うふふ。えへへ」
涼は両頬に両手を添えて照れている。なんで?
まあでもあっているということか。
「猫娘があっち側を歩いてていいの?」
妖怪が立川を闊歩しちゃダメなんじゃないか?
「それは大丈夫。この耳も尻尾も普通の人には見えないから」
「そうなの?」
「そそ。妖術でね、見えないようになってる。でも逢夢はみえるタイプなんだね。それに広告の“幽玄”が読めたんでしょ? 普通の人は“有限”って見えてるよ」
「まじか。あれはある意味テストだったってことか?」
「うん。あ、あと私は普通の人にはちゃんとした服を着ているように見えてるから、逢夢はラッキーだね」
「おいおい、周りに見えないからって開放的になるなよ」
「いいじゃんいいじゃん」
そう言ってゲラゲラ笑う涼はノンアルコールビールをがぶがぶ飲んで、よくわからない炒飯みたいなご飯を豪快に食べていた。
俺もお腹が空いていたので、遠慮なくいただく。
「あ、そうそう。それじゃあ社長もこっち側の人間なのか?」
「うん、そうだよ。あの人は、下の名前を飛鳥って言うんだけど、飛鳥時代に生まれた人だから、それをあっち側ネームにしたらしい」
「いや、ちょっと待て。どうツッコんだらいいんだ? え、あっち側ネーム? 飛鳥時代に生まれた?」
情報過多でパンクする。
「うん、こっち側は変わった名前が多いから、あっち側ネームが必要になるんだよね」
「そうか。じゃあそれはわかった。それで飛鳥時代ってのは?」
「歴史知らないの?」
「いや、知ってる。知ってるから驚いてる」
「そか。ま、簡単に言えば千三百歳くらいってこと」
「マジで!?」
「うん。でもこっち側じゃあ普通だよ?」
「いや、そうかもしれないけど、さっきまでこっち側を知らなかったんだから」
「ま、たしかに。それにしてもさ、そういう長生きしている人って、普通は見た目が幼かったりして、ロリババアとかじゃん? うちの社長はガチババアだからね。うけるよね」
涼はそう言ってゲラゲラ笑っている。
「いいのか? 社長なのにそんなこと言って」
「大丈夫っしょ」
その発言のすぐ後に、テーブルに置いていた涼のスマホがなった。
「はッ、社長!? え、買い物!? あ、はいもちろん。ちょっとお腹が空いていたので昼休みにしてたところっすよ。全然、順調っすよ。あはは」
いや、これ、あきらかに聞こえてるパターンじゃない?
妖術だか魔力だか知らないけど、もう俺の常識は常識じゃなくなっている。何があってもおかしくない。
そんなことを考えながら焦る涼を見ていた。
「よし、これを食べたらすぐに買い物に行こう!」
電話を切った涼が言う。
すごい勢いでご飯を食べている。
若さの成せる技なのか、猫娘には普通のことなのか、判断しかねるところだった。