㉓
「へくしゅん!」
「うわあ!」
涼の爆弾くしゃみが暴発した。
緊張感の高まったこの中での爆弾くしゃみは驚きが大きかったが、慣れていると言っていた幽玄会社不思議の他のメンバーは微動だにしなかった。
しかし例外が一人だけいた。
清太郎だ。
清太郎は俺ほど大きくは驚きはしなかったが、ピクリとこちらに視線が一瞬向いた。
その瞬間を廉次郎さんは見逃さなかった。
左足を一歩前に踏み込んで、刀を下から振り上げた。
清太郎は防ぐことも避けることもできず、上段の構えのまま、左わき腹から右肩にかけて廉次郎さんに切られた。
ぱっくりと胴に穴が開き、そこから血が噴き出し、雨のように降った。
足元がふらつく清太郎。しかし刀を手放さないのは武士の誇りだからだろうか。
そして耐えきれなくなった清太郎は、膝から崩れるように倒れた。
その間、廉次郎さんは刀を振り上げた構えから動かず、ただ降り注ぐ清太郎の血を浴びていた。
清太郎が倒れたとき、小さな声で「兄上……。すまぬ……」と言ったのが聞こえた。
「れ、廉次郎……」
倒れた清太郎が廉次郎さんを呼んでいる。
「兄上ッ!」
廉次郎は駆け寄り兄を抱きかかえる。
「お、お前らしい……勝ち方だな……」
「兄上ッ! しゃべらなくていいでござるッ!」
「い、いや、もう、し、死ぬだけだ。死ぬと、わ、わかったとたん、不思議と、き、気持ちが、ら、楽になるものだな……。廉次郎……これを……」
そう言って清太郎は持っていた刀を廉次郎さんに渡した。
「兄上? これは?」
「お、俺が、作らせた、刀だ」
「しかし、大事なものでござろう」
「だ、だから廉次郎に、やる。お、俺だと思って、使ってくれ……」
刀を見つめる廉次郎さん。なんと言葉を返せばいいのか見当たらない様子だ。
「俺はな、廉次郎。お前、が羨ましかった。本当は、お前のように、なりたかった」
清太郎の言葉が聞き取りやすくなった。傷ついて逆にドーパミンが出ているのだろうか。
すなわちそれは死が近い。
「もういいでござる。早く傷が深くなるだけでござる」
「廉次郎、その刀に俺は“清廉”と名付けたんだ」
「清廉……」
たしか、清らかな様子、私欲がないこととかそういう意味だ。
「だが、俺は欲にまみれてしまい、このあり様だ。お前が持つべき刀だ」
そう言うと、清太郎は「げほっ」と口からどす黒い血を吐いた。
「兄上、もうやめて下され。もうわかったでござる」
廉次郎さんは必死に兄を説得する。
しかし清太郎は続ける。
「いや、まだ伝えきれていない。最後に一つだけ伝えなくてはいけないことがある。いいか、そこにいるお前らもよく聞け」
俺たちにも何か話があるようだ。
二人の元へ駆け寄る。
「これがお前のお仲間か」
清太郎が挑発するが、これには桐子姐さんも乗らない。
「俺がこんなことができたのは、どうしてだと思う?」
「……」
誰も答えない。
「ふん。呑気なものだ。道元が復活するというのに」
「な、なんじゃと!?」
清太郎の言葉に椚田社長が珍しく取り乱した。
しかし驚いているのは社長だけではなかった。俺と涼を除く幽玄会社不思議のメンバー全員が清太郎の発言に衝撃を受けたようだった。
「俺はそんなものどうでもよかった。ただ廉次郎と対決できればそれでよかった。だから協力するふりをして便乗しただけだ」
「兄上、どういうことでござるか? やはり死んではならぬ」
「いや、廉次郎。俺はここまでだ。お前に殺されるなら本望と思っていたが、こんな負け方ではやはり悔しい。最後は自分で……」
そう言うと、腰につけていた短刀を抜くと、自ら胸に当てた。
「兄上ッ!」
「さらばだ、誇り高き廿里家の自慢の弟よ。一足先に行く。また会おう、廉次郎」
そう言い残すと、ぶすりと自分の胸を刺した。
「兄上ッ!」
清太郎は動かなくなった。何も言わなくなった。
俺らは黙って見ているしかなかった。
しばらくしてから廉次郎さんが立ち上がった。
「社長殿、急で申し訳ないのでござるが、午後の半休をいただきたい」
俺らに背を向けたまま言った。
「ああ。ゆっくり休むとよい」
「かたじけない。それでは、みな、また明日」
そう言うと、こちらを向くことなく廉次郎さんは歩いていった。
清太郎から託された“清廉”を大事そうに握りしめていた。
□◇■◆
「おはよう、おはよう、嗚呼、おはようでござる」
翌朝、いつもと変わらない出勤をする廉次郎さんがいた。
「おはようございます」
「おはようございます、廉次郎さま」
「お、おはよう、ご、ございます……」
廉次郎さんが自分のデスクに鞄を置くと「みな、聞いてくれ」と言った。
「昨日は迷惑をかけたでござる。一夜明けて、気持ちが整ったでござる」
そしてにこりと笑顔を作る廉次郎さん。
「よかったです」
「さて、今日も仕事でござる。逢夢殿はもう慣れたでござるか?」
いつも通り、気さくに話しかけてくれる。
俺も努めていつも通りを心掛ける。
「ええ、慣れてきました。これからもご指導よろしくお願いします」
「もちろんでござる」
たぶん大丈夫そうだ。
俺が心配するほど弱い人じゃない。もっとずっと精神力の強い人なのだろう。
「よ、よかったです。で、でも、ほ、夢逢君には、もっと、な、慣れて、もらわないと……」
ばなりんさんも笑顔で話に入る。
「わかりました!」
前の職場は、他の社員との交流なんてほとんどなかったし、する気がなかった。
でも幽玄会社不思議は違う。楽しい職場だ。
これからももっと仲を深めたいと思った。
「へくしゅん!」
「うわあ!」
忘れてたけれど、涼の爆弾くしゃみにも慣れなくちゃいけないなと思った。




