②
俺の運転するダイハツミライースが、国道二十号線、いわゆる“甲州街道”を甲州方面に走る。
「そのまま真っすぐ進んじゃって」
助手席に座る涼が言う。
涼に車の運転ができるかと聞かれ「できる」と答えたらこれだ。
社長は今日付けで雇用するから、何かあっても保険的なものは大丈夫だと縁起でもないことを言っていた。
「いやあ、よかったよ、逢夢が運転できて。私一人だったら電車で行くことになるし、はあ快適」
涼はシートを最大まで倒して足をダッシュボードにあげている。
会社の車でそんなことをして良いのだろうか。
「ところで、その恰好で出かけるのか?」
俺はずっと気になっていた。
スタイルの良い身体のラインを強調するような、ぴったりとした胸元がざっくり空いたVネックのシャツと、短すぎると言っていいデニムのパンツで、目のやり場に困るのもそうなのだが、それよりも気になることがある。
涼は頭に猫耳を付けて、お尻にしっぽをぶら下げていた。
「ん? ああ、逢夢には見えるんだね」
「当たり前だろう」
「当たり前じゃあないんだよなぁ」
「どういうことだ?」
「ま、いいから。高尾駅付近になったら教えて。おやすみ」
涼は大きなあくびを一つすると顔にタオルをかけて寝入った。
「おい!」
呼びかけには応じずに、すやすやしている助手席の猫耳娘。
「まったく。変な職場だな」
俺のつぶやきはカーエアコンに取り付けられていたファブリーズの香りと共に車内に消えた。
□◇■◆
八王子駅を過ぎたあたりから、甲州街道の雰囲気が変わってきた。
まっすぐ運転していればいいと、助手席ですやすや眠る涼は言っていたけれど、ここらへんは運転したことがない。
顔にかけていたタオルはずれ落ち、気持ちよさそうな寝顔が見える。
両手両足が乱暴に放り出されている寝姿は、“寝相が悪い”ではなく“無邪気な感じ”と表現しておこう。
「りょ、涼。そろそろつくんじゃないか?」
女性の下の名前を呼び捨てにするのは、なんだか気が引ける。でも本人きっての希望だし、慣れるように努力しよう。
涼が「うーん」と言って伸びをした。
「着いた?」
「いや、わからない。ここらへんのことは詳しくない」
「そかそか。うん、でももうすぐだね。いい仕事するじゃん」
「はあ、どうも」
そんな会話をしていたら、高尾駅が見えてきた。
片側二車線だったのが片側一車線に変わる。
「それじゃあ、コインパーキングに停めよう」
ここらへんに詳しい涼が、あっちだこっちだ言って案内してくれた。
車を停めると「ついてきて」と言う、コートを羽織った涼の隣に並んで甲州街道を歩く。
コートの後ろから尻尾がはみ出ている。
駅方面に行くのかと思ったら、そっち方面じゃないようだ。
両界橋という橋をわたり、JR中央線の高架下をくぐると甲州街道から一本道をそれる。
機嫌がいいのか、そういう性格なのか、涼は両手を頭の後ろで組んで「ふんふーん」と鼻歌を歌いながら歩いている。
家々の並ぶ道を歩いていたが、またもや高架下のトンネルをくぐって、今度は山の中に入っていく。
高尾は東京とは言えやはり自然豊かだと再確認する。
そして山道の階段を登る。
急に俺はここで殺されるのではないかと不安になる。
「はあ、着いた」
登りきったところで涼が言った。
そこは小さな神社だった。いわゆる氏神様だろう。
社長には買い物を頼まれたはず。あっているのか?
「ここ?」
「うん」
そう答えると、涼は神社の後ろに回った。
ついて行くと、ひっそりと設置されている輪くぐりの前で止まった。
「おい、勝手にこんなところ来ちゃだめなんじゃないか」
神社は小さいので、本殿しかない。裏は整備されていなく、人が入ることが想定されていないようだった。
「いいからいいから。それじゃあこれを持って」
渡されたのは、白い綺麗な石だった。
「なにこれ?」
「石」
「わかってる」
「社員証みたいなものかな」
「これが?」
「そそ。さあ、じゃあくぐるよ」
「だから待てって」
俺の言葉が聞こえないのだろうか。ひょいと輪をくぐる涼。
仕方がないので、俺も真似をする。
「なんなんだよこれ」
「移動。それじゃあ下ろう」
「はあ?」
もう訳が分からない。
またもや鼻歌を歌いながら階段を下っていく涼について行く。
しかし下りきったところで違和感を覚えた。
神社の階段は山の中のため、空は木々でおおわれていたので、気が付かなかったが、そこを出ると異様な赤さだった。
腕時計は一時を指しているが、午後のはずだ。夕方というわけではない。
俺の心配もよそに、涼はどこ吹く風。
「おい、なんだか変じゃないか?」
「変だよ?」
「涼も感じてたか。ちょっと様子を見た方がいい」
「大丈夫。いつもと変わらないから」
「いや、変だって言ってたじゃないか」
言っている意味が分からない。
「変なのはいつもと変わらないってこと」
よくわからない話をしながらどんどん進んでいく。
甲州街道に戻ってきた。
そのはずだった。
俺は言葉を失った。
そこは俺の知っている、さっきまでいた甲州街道ではなかった。