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俺たちの乗った車両は前の方だったので、一番後ろまで移動すれば、それなりに時間稼ぎになるはずだ。
それに乗車率も見た感じ五割は越えている。何とかなるかもしれない。
しかし車両編成はそこまで多くない。都心の電車のように十五両編成とはいかないようだ。
ピンチになりそうだったら、関東に入る前だとしても、途中の駅で下車するということも考えなければいけない。
「なんとかなるよね」
涼が不安そうに言った。
「なんとかしよう」
そう答えると、涼も「うん」と頷いた。
俺は涼の手を強く握る。
涼も同じように強く握り返した。
絶対に捕まりたくないと気持ちが固まる。
移動して四両目、他の車両のときと同じようにすたすたと後ろに移動する。
しかし五両目に移動しようと後ろのドアを開けると、もそこには車両はなかった。
「ここで終わりだ」
「どうする?」
不安そうな涼が俺に聞く。
「ここに隠れるしかないな」
車両の連結部分は、あっち側の電車のように覆われてつながっているわけではなく、バルコニーみたいなエリアでつながっている。
俺らはドアを閉めるとそこに身を潜めた。
ドアは一部ガラスになっており、中の様子が見られる。
後ろに車両もないのにこんなところに入るのも変だとは思うが、他の乗客は特に気にも留めていない様子だ。
あっち側もこっち側も、我関せずというスタイルは変わりはなのだろう。
今のところ車掌と邏卒はこの車両には来ていない。
「逢夢、大丈夫かな……」
涼が俺に名前を呼ぶ。
不安なのだろう。
正直に言って、俺も不安だ。
一度邏卒の職質から抜け出し、安心しきっていたところ、この状況だ。一気に緊張感が高まり、心臓がドキドキしているのが、胸に手を当てなくもわかる。
涼が不安なのも理解できる
「ああ、きっと大丈夫だよ」
俺は涼に、余計に不安にさせないように努めて落ち着いて答えた。
「そ? 大丈夫? それじゃあ逢夢も食べてくれる? 可愛くてついつい買いすぎちゃったんだよね」
カラフルな金平糖が詰まった小袋を紙袋から五六個ほど出して涼が言った。
俺の心配は不要だったかもしれない。
うん、涼は今日も変わらず涼だ。これでこそ涼だ。
「ありがとう。一つもらう」
金平糖の小袋を涼から受け取る。
二粒つまんで口に頬りこむ。久しぶりに食べた金平糖は美味しかった。
金平糖を口に含みながら、周りを見渡す。
のどかな風景を走る妖気機関車。
木造の家々がたまに建っているだけで、五月初旬の新緑の原っぱや山々が一面に広がり美しい。
空はうっすら暗くなってきている。チプカシが示す、時刻は午後四時半。
汽車が減速し始めた。中部地方最後の駅、上野原駅に到着するのだろう。
ホームに入る際、こんなところにいたら怪しまれるかもしれない。一度車内に戻ってやり過ごそう。
「涼、一旦他の乗客と同じようにして紛れよう」
「おっけ」
俺らを乗せた妖気機関車がゆっくりとホームに入った。それと同時に俺らも車内に入る。
大きい都市の駅というわけではないので、乗客の出入りはそんなにない。
もし邏卒が来そうだったり、悪い予感がしたら、ここで降りて、関東までの約一駅分の距離を歩こうと思ったけれど、その必要性は感じられなかった。
汽車が汽笛を鳴らす。出発の合図だ。紫色の煙を上げて、ゆっくりと重い車体が進みだす。
妖気機関車が上野原駅を出たことを確認すると、そっと俺らは最後尾のバルコニーの所へ移動する。
「次で降りるんだよね」
「ああ、そのつもりだ」
次の藤野駅まで行ければ関東に突入できる。そこで下車して輪くぐりを探す。
あと一駅分、何とかやり過ごしたい。
涼は今度は紙袋から麩菓子を取り出し食べ始めた。
黙って手を出したら一つくれた。
涼が「美味しいね」と笑っていたのでつられて笑う。
ふとドアのガラス越しに車内に視線を向ける。
向こう側のドアからちょうど車掌が入ってくるところだった。もちろん邏卒を連れて。
「涼、邏卒がこの車両に来た」
「え、もう!?」
「思ったより早かったかもしれない」
「次の駅まで間に合うよね?」
「わからない……」
緊張感が高まる。
汽車は次の駅に向かって猛スピードで走っている。
飛び降りることは現実的ではない。
一人一人に声掛けをしている車掌。その横で目を光らせる邏卒。
車両の真ん中くらいまで移動している。
やはりさっきの駅で降りるべきだったか。
次の駅まではもう数分だろう。
持ちこたえてほしい。そうしたらここから飛び降りて逃げられる。
そう願いながら車内を見ていると、邏卒たちは妙な動きをし始めた。
車掌と邏卒が一人の乗客に前のめりで話を聞いている。
そしてたまにこちらをちらちら見たり、指をさしたりしている。
もしかしたら「一番後ろに人がいる」と乗客が余計な報告をしたのかもしれない。
あっち側の電車とは違い、こっち側はセキュリティ的にも無断乗車しやすい。そういう報告は日常的なのかもしれない。
話を聞き終わったのか、車掌と邏卒は目を合わせ頷き合う。
そしてそれ以降の乗客には目もくれず、ゆっくりとこっちに向かって歩いてきた。
「涼、やばい。ばれたかもしれない」
「え!? 嘘!?」
涼の表情は驚いたと思ったら、みるみる不安そうになっていった。
「きっと大丈夫だ」
何が大丈夫なのか、言っていてわからない。でもそうい言うしかないと思った。
ドアから離れできるだけ死角に身を置く。
涼がこっちによって来る。
手を差し出してきたが、麩菓子がほしいわけではないだろう。
俺は涼の手を握る。
狭い場所だ。体がくっつくが、文句は言えない。守るように涼を奥にする。
しかし守ると言っても、どう対応すればいいのか策はない。
もう少しで藤野駅という関東の駅だったのに。ゴールは目の前だったのに。
邏卒たちが乱暴にドアを開ける音がした。




