⑭
「まあ、適当に座れや」
宿に着くなり、おっちゃんが言った。
俺たちは狭い畳の部屋の隅に並んでちょこんと座った。
「さて、何から聞こうか……」
胡坐をかいて正面に座るおっちゃんは、肘を張って膝に手を乗せている。
俺は涼をちらりと見る。
涼もこちらをちらりと見ていた。
お互い、どちらから話をしようかと伺っている。
お願いします、みたいな目配せを涼がしてくるので、仕方がないので頷いた。
それを見た涼は、目を見開いて少し笑って、ありがとう、みたいな感じのリアクションをした。
俺は正面に座るおっちゃんに視線をもどし、ゆっくりと口を開いた。
「あ、あのですね……。実はゆがみに巻き込まれまして……」
おっちゃんは「なんだって!?」と驚きながらも最後まで話を聞いてくれた。
涼はその間、うんうんと頷くだけで、静かにしていた。
「なるほどな。それじゃあかなり窮地に立っていたっちゅうわけかいな」
そう言って「かっかっか」と笑うおっちゃん。
「は、はい、すみません。助かりました……」
今でこそ笑えるが、さっきまでの俺らはまったくもって笑えなかった。
いや、まだ解決したわけではない。あっち側に帰るまで、笑えない状況には変わりない。
ただ迷惑をかけたので、怒られることも覚悟していたが、笑い飛ばしててくれて安心した部分もある。
「まあ、椚田社長に恩を売っておくのも悪くはない」
おっちゃんはふざけて手をすりすりとしながら言った。
「あの、ちなみに、ここって、どこなんですか?」
気になっていたので聞いてみた。ゆがみに巻き込まれどこまで飛ばされたのだろうか。
涼も同じように思っていたようで、前のめりになっている。
「ここか? そうか知らんのか? ここは松本だ」
「松本ということは、長野県ってことですね」
「ああ、そうだそうだ。長野県だ」
予想よりかは近かった。かなり遠くに飛ばされたかもしれないと覚悟していたので、幾分安心した。
「長野県って関東?」
涼がこっそりと俺に聞いてきた。
「違う。中部だよ」
俺もこっそり教えると、「違うのかぁ」と残念そうにしていた。
「それじゃあ二人は汽車で関東圏内に向かわんとな」
「汽車ですか」
こっち側の移動手段は馬か汽車らしい。
汽車は基本的にあっち側の路線と同じと考えていいと言っていた。
おっちゃんは山梨を抜けて東京から長野まで来たと言っていた。
他のルートとしたら、一度長野駅まで北上し、乗り換えて群馬から関東にはいる方法もあるかもしれない。しかし遠回りだし、乗り換えは邏卒と出くわす可能性がある。
やはり汽車を使うなら、おっちゃんと同じ山梨のルートがいいだろう。
「山梨県は関東だっけ?」
涼がまたこっそりと俺に聞いてきた。
「山梨はギリ中部だよ」
また俺もこっそり教えてあげると「ギリ中部かぁ」と悔しがっていた。
首都圏という括りだったら関東の仲間入りできるが、八地方区分だと山梨は中部に分けられる。
「じゃあ関東こーしんえつってなに?」
涼がもうこっそりじゃなく普通に聞いてきた。
「関東甲信越は、関東の東京、神奈川、埼玉、群馬、千葉、茨城、栃木の一都六県と、山梨、長野、越新潟の三県を加えた総称だよ。山梨の甲斐、長野の信濃、新潟の越後の頭文字をそれぞれ取って甲信越って名付けられてる」
「なんだよ。全部が関東じゃないのかよ。騙された」
涼が口をとがらせているが、誰に何を騙されたというのだろうか。
そんな涼を置いておき、おっちゃんは話を進める。
「俺は明日仕事があるもんで一緒には行けないから、二人で汽車を使って帰るといい」
それ以外方法はなさそうだ。
あっち側の電車のように早くはないだろうから、それなりに時間がかかるとは思うが、確実なのは今すぐ出発することだろう。
「ありがとうございます」
俺がおっちゃんにお礼を言うと、涼も「ありがとう、おっちゃん!」と目を輝かせて言った。
□◇■◆
駅までは案内してくれるとのことで、三人で宿を出た。
ガタイがよく背の高いおっちゃんが、邏卒いるかどうか目を光らせながら先導してくれる。
そんな中、「ああ、そうだ」と思い出したようにおっちゃんが話し始めた。
「くれぐれも転移石は他人に見せるなよ」
輪くぐりをくぐる前に涼からもらった石のことだろうとわかった。
「なんで?」
涼が聞く。
「そりゃ移動の印が反対になるからな」
「ちょっと詳しく教えて下さい」
重要そうなことだったのでしっかりと聞こうと思った。
「なんだ、知らんのか」
そう言っておっちゃんは説明をしてくれた。
どうやら転移石はくぐったときに行きと帰りで印が付くらしい。
ぱっと見はわからないけれど、邏卒たちはそれを読み取る妖具を持っているとのこと。
ゆがみによる転移者を取り締まる役割があるのだからそれについては理解できる。
「わかりました。気をつけます。ありがとうございます」
最後まで親切にしてくれた、おっちゃんにお礼を言う。
駅につく。
立川までの切符二枚買う。
「無事にな」
にかっと笑って手をあげて見送ってくれた。
「はい。ありがとうございました」
改めておっちゃんに挨拶をするとホームへと向かった。
「おっちゃん優しいね」
涼が言った。
「そうだね。それに偉い人だったんだな」
「そそ、それ私も思った」
涼に笑顔が戻っていた。
そんな話をしていたら、俺たちの乗る汽車がホームに入ってきた。
どうやら妖気機関車というらしい。
原理はどうであれ、関東に帰らなければいけない。
二人で乗り込んだ。




