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とてもこの世のものとは思えない声を聞いた俺らは、一目散に駆けだしていた。
いや、こっち側はこの世のなのか、という疑問は今は置いておく。
たぶんやばいトカゲは俺らが走り出したことで、聞かれていたことに気がついたと思う。
だけど、俺らを認識していたかは不明だ。おそらく顔は見られていないと思う。そう思いたい。
後ろから追いかけられてはいない。逃げ切れただろう。
しばらく走ると路地を抜けた。人通りの多い道に出た。
あの場から離れられたという安心感はあるが、ここからは怪しまれてはいけないという、また別の緊張感に包まれる。
「何とか離れられたな」
俺は息も切れ切れに、涼に言う。
「うん。まじで怖かった」
涼はまだ走れそうだけれど、ドキドキしているのか、胸に手を当てている。
「とりあえず、ふらふら歩いて、ここがどこか情報を集めるか」
「そだね。でも逢夢は大丈夫? 疲れてるんじゃない?」
「まあな」
正直に言うと、疲労困憊。もうへとへとだ。
昨日の寝不足とさっきの全力疾走で、もう俺の体力はゼロだ。
「しょうがない。これ飲みな」
そう言うと涼は、胸からリポのつかないビタンのDを出して、俺にくれた。
「ありがとう」
少しでも疲れが取れるなら、生温かい栄養ドリンクでもなんでも飲む。
涼からリポのつかないビタンのDを受け取るとすぐに身体に流し込んだ。
前回もらった時よりほんの少し温かかったのは、きっと走ったせいだろう。
□◇■◆
「ほい、これが逢夢のね」
「サンキュー」
商店街と呼ばれるところには的屋も並んでいた。
俺たちは腹ごしらえをしようと焼き鳥を買った。
店に焼き鳥と書いてあったので間違いはないはずだけれど、俺の知っている、普段食べている鶏肉なのかは判定不能だ。
ちなみに現金は、途中で見つけた質屋であっち側の日本円をこっち側の日本円に替えた。
理由を聞かれてヒヤヒヤしたが、テキトーなことを言ってごまかした。店主も接客として聞いただけで、大して興味もなさそうだったので乗り越えられた。
「おいしいね、逢夢」
「うん、おいしい」
神社の境内に丸石が二つ並んでいたので、腰を掛けている。
焼き鳥一本ずつの寂しい昼食だ。でも本当だったら俺一人で彷徨っていたところだ。焼鳥すら食べられなかったかもしれない。涼がいてくれてよかった。
腕時計を確認すると、時刻は午前十一時。
俺の腕時計のチプカシはデジタルではないので、ゆがみを抜けても生きていた。シンプルなデザインが好きだったが、ゆがみを耐えてくれたことでより好きになった。
「逢夢、これからどうする?」
「まずはここらへんの住所を知ろう」
「どうやって?」
「新聞とかあればいいんだけれど」
「たしかにね」
商店街には“尾張屋”という蕎麦屋があったが、隣に“越後屋”という菓子屋があり、さらに数軒先には“紀伊国屋”という書店があったので、店名から場所を割り出すのは難しかった。
しかし近くに“倫敦”という喫茶もあったけれど、イギリスではないということは言い切れる。
どうしようか考えあぐねていると、涼が「しっ!」と口に人差し指を当てて言った。
言わずと知れた、黙れという合図だ。
身をかがめる涼に、俺は素直に従う。
「ふう。おっけ、逢夢」
しばらくしてから涼が言った。
「な、なにがあった?」
「ほら、あそこに黒服の兵隊みたいな二人組が歩いているでしょ?」
涼は神社の外を指さして言った。
たしかにそんな二人組が歩いていた。
神社は塀ではなく背の高い木に囲われている。しかし本数が多くはなく外が良く見える。逆に言えば仲もよく見えるということだ。
「あの二人がどうした?」
「あの二人組はあっち側で言う警察みたいなもんだよ」
涼の言わんとすることが分かった。
「なるほど。見つかっちゃいけないわけね」
「そそ。なんて言ったっけ? そらつ? らつそ? らっそ?」
「邏卒?」
「あー! そそ。それそれ」
アハ体験ができて気持ちのよさそうな涼。
「あいつらに見つからないように、また通報されないように行動しながら、輪くぐりを見つけるってことが俺らのやらなきゃいけないことってことだね」
「ま、そだね。でも輪くぐりを見つける前に、関東に帰らなくちゃいけないよ」
「どういうこと?」
何やらまた知らない情報がありそうだ。
「妖怪ってさ、地域に根付いているじゃん? だから基本的に力はその地域でしか発揮できないんだよ」
「ちょっと待って、もうちょっと詳しく教えて」
「また説明かよ」
とは言いながらも一生懸命に涼は説明をしてくれた。
かいつまんで言うと、国内の移動は自由だが、妖力を使える場所には制限があるということだ。それは藩や国ではなく、関東や関西などの八地方区分で分けられているらしい。
しかも輪くぐりも例外ではないため、俺らの場合は関東地方の輪くぐりでないとあっち側には戻れないとのこと。困ったものだ。
こっち側の住人は基本的に自分の地域から拠点を動かさないため、許された者だとわかればその地域の輪くぐりを通れる。しかしあっち側の俺みたいなタイプは、妖力が芽生えても、引越しをしていたり、親が実家に帰って生んだりしていて、輪くぐりを通れないことが多いらしい。だから人間がこっち側にいるのは珍しいという。
ゆがみを通り抜けているときは、スマホで連絡を取ればいいと思っていたし、誰かに声をかければいいと思っていたし、そこら辺の輪くぐりを通ればいいと思っていたしで、だいぶ楽観視していた。全部だめだった。やはり涼がいてくれて本当に助かったと心から思う。
「涼、ありがとう」
改めてお礼を言う。
「大丈夫。私、先輩だから」
「よろしく先輩。よし、それじゃあ情報収集しようか」
俺がそう言うと涼は「えへへ」と言って笑った。
持っていたジップロックにゴミをまとめて、胸ポケットにしまう。
二人立ち上がり、お尻の埃を払う。
神社の鳥居を抜ける。
何食わぬ顔をして町を歩く。誰も俺らのことを対して気にも留めていない様子だ。
「ちょっと君たち良いかな?」
安心したのもつかの間、少し歩いたところで不意に後ろから声をかけられた。
「え? は、はい?」
問い掛けに答えながら振り返ると、邏卒が二人立っていた。




