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メビウス後輩 後編

 俺の目の前に広がるこの古い旅館。もう暗くなりつつある周囲も相まって、不気味な存在感を 放っている。周りの文芸部員達ははしゃいでいるが、俺はどこかで見たことのある旅館だな。なんて事を考えていた。

「先輩、どう思います?」

「正直な所見た事がある気がする」

「私もです」

 俺に馴れ馴れしく話しかけてきた紫髪の文学少女は、円谷 環。この文芸部の支配者だ。

 円谷は俺の隣でにこりと笑った。


 初日は部屋に荷物を置いただけで、何もなかった。

 そのおかげか、翌日は早々に起きれた。まだ日は昇っていない。だが、その片鱗が水平線から顔を出して、俺の顔を焼いている。

 俺は旅館から抜け出し、外の砂浜に出る。潮の混じった匂いと、夏特有の熱気のこもった香りが脳を刺激する。

「いい朝ですね、先輩」

 背後から、円谷の声が聞こえる。

「ずいぶん早起きだな」

「こんなにいい景色を見逃すのって、勿体無いじゃないですか。それに、先輩と過ごしたかったんですよ」

 そう言いながら、円谷は俺に何かを差し出した。

「これは?」

「【しおり】です」

 中身を確認してみれば、この旅行の予定が書かれていた。一日目、三日目はほぼ移動だが、二日目は予定が詰まっていた。

「この後は朝食か」

「はい。先輩も来ますよね」

「……まぁ予定は無いし、行ってもいいかもな」

 円谷はその言葉を聞くとにこりと笑い、手を振って去っていった。

 俺はしおりを眺めながら、砂浜をゆっくりと歩く。早朝の空気は俺の肺を満たした。

「てっきり円谷ならしつこく言ってくるかと思ったんだがな」

 そんな独り言を呟きながら、しおりを畳んでポケットの中に入れた。


「先輩、来てくれたんですね」

「まぁな」

 旅館の食堂には、部員の数だけ朝食が用意されていた。白米、魚、味噌汁、これでもかと和食が並べられている。

「先輩、こっちにどうぞ」

 円谷は自分の隣の席をポンポンと叩く。見てみれば、そこはちょうど端の席。隣に円谷以外はいない。他の空いている席は、どこもかしこも両隣が埋まっている。

 俺は仕方なく、円谷の隣に座った。

「先輩、来てくれてありがとうございます」

「ん? ただ朝食を食べに来ただけだ。礼を言われるほどじゃない」

「いえ。私の隣にって事です」

「他の席はどこも両隣が埋まってるからな。……これは何の魚だ?」

「魚ではなく鯨だそうですよ。今朝近くの港に新鮮な鯨が獲れたらしくて、せっかくだからと女将さんが料理してくれました」

「そいつはいいな。鯨肉は好物だ」

 俺は箸を取り、鯨肉に箸を入れた。


「美味しかったですね」

「あぁ。絶品だった。だけど円谷の分までもらってよかったのか?」

「はい。私はもうたくさん食べたので」

 円谷は自分のしおりを確認しながらそう言った。

「先輩、次はオリエンテーションですよ。濡れてもいい服に着替えて砂浜に集合です」

「わかったわかった」

 俺の言葉を聞くと、円谷は手を振りながら女子部屋に帰っていった。


 俺は濡れてもいい服を着て、旅館の前の砂浜に出た。まだ部員達は誰もおらず、俺が一番乗りだった。

「せ〜んぱい」

 振り向くと、薄手のパーカーを着た円谷がアイスを持って立っていた。一つは茶色、もう一つはオレンジ色。

「どっちがいいですか?」

「ならこっちをもらおうかな」

 俺はオレンジ色のアイスを受け取り、ペロリと一舐めした。オレンジ味。俺の好きな味だ。

「先輩ならそっちを選ぶと思ってましたよ」

「え? そんな顔してたか?」

「えぇ。私、先輩の事結構見てるんですよ?」

「そう言われるとちょっと恥ずかしいな」

 円谷は俺の腕を引っ張り、パラソルの下に移動した。触れた円谷の肌はもっちりとしていて、少しだけ。俺はドキドキした。 

「あっついなぁ」

「暑いですねぇ」

 円谷は少し離れて、隣に座っている。太陽だけでも暑いのに、これでべったりくっつかれていればと考えると……

「想像しただけで汗かいてきたな……」

「なら海に入りますか?」

「いいな、それ」

 俺はアイスの最後の一口を食べ、近くにあったゴミ箱にそれを捨てた。

「あ、待ってください」

 円谷に腕を引っ張られ、引き留められる。円谷の手には、日焼け止めが握られていた。

「……塗らないぞ」

「もちろん。先輩もいるかなって思って」

「あ、そう言うことか。もらってもいいか?」

「えぇ」

 円谷は俺の手の上に、それなりの量の日焼け止めクリームを出した。俺はそれを肌に塗っていた。

 パサリ

 と布の落ちる音がした。振り返ってみると、円谷がパーカーを脱いで、中に着ていた水着姿になっていた。色白の肌と、紫色の水着が目に眩しい。

「さ、海に入りましょ!」

 円谷は俺の手を掴み、海へと駆け出した。


 二人してはしゃぎ、かなり長い時間子供のように遊んだ。水をかけ、軽く泳ぎ、水際を走り回った。

 俺達以上に夏を満喫した奴はいないだろうと思う程、楽しい時間だった。

 終わりのゴングは腹の虫だった。

「お腹空きましたね」

「かなり遊んだからなぁ」

「そろそろ旅館の昼食も出来る頃ですし、上がりましょう」

 俺達二人は砂浜に上がり、足の裏を砂まみれにしながら旅館へと帰っていった。

 シャワーを浴び、食堂で簡単な昼食を食べ、また部員達は皆集合していた。

 これから旅館の女将さんの案内の元、この旅館の歴史を教えてもらうらしい。

 馬鹿らしい。そんなのは歴史系の部活にでも任せればいいのだ。

 俺は早々にその集団を抜け、旅館内に何か面白いものは無いかと練り歩く。

「う」

 急に視界がオレンジ色に染まる。何事かと目を細めると、大きな窓から綺麗な夕陽が俺の顔を照らしていた。

 その大きな窓の周辺には、旅館特有のゲームコーナーが静かに佇んでいた。

「……」

 俺は妙な既視感を覚えていた。確かに。この旅館は漫画に出てくるような旅館。だが、あまりにも俺の記憶にはっきり残りすぎている。

「……ピンボール」

 俺は硬貨を入れ、ゲームを始めた。

「右上のバネ……」

 俺は右上のバネを狙って台を操作する。ボールは跳ね回り、ガラス張りのピンボール台の中を駆け回る。なかなか上手くいかず、何度も何度も穴に落ちそうになる。その度に操作可能なツメでボールを弾き、上へと弾き上げる。

 だが、何度も。何度も。穴の元へと戻ってくる。その度に何度も、何度も、弾き上げられる。

「クソ!」

 無性に腹が立ち、強めにツメでボールを弾く。ボールは台の中を駆け上り、右上のバネへと当たった。バネは本来の機能を果たさず、ただの障害物としてボールを弾いた。

 ボールはそのまま、ツメの間の穴の中に吸い込まれていった。

「テレレテレレレ〜……」

 口から漏れ出したのは、ゲームオーバーの音。ピンボール台と全く同じ。

 俺は弾かれたようにそのピンボール台を離れる。後退り、卓球台に腰をぶつける。

「よぉ」

 声のした方を、反射的に見る。いつもより、何倍も明るい夕陽が俺の目を焼く。

「ひっでぇ顔だな」

「……小暮」

 夕陽の中に、人影が見えた。俺には、それが小暮だと直感的に理解した。

 満遍なく橙色に染まった俺の視界で、シルエットすら見えない小暮が笑みを浮かべた。

「そろそろ終わらせるべきだ。そうだろ?」

「何がだ」

「お前ならわかるはずだ」

 俺は黙って考える。

「円谷か」

「そうだ。このままだと無限に続く。円環は終わらない」

「メビウスの輪……」

 見えない小暮は、眉を顰めた。

「お前のセンスは的確だよ」

 そう言って、小暮は俺に手を振ってどこかへ行こうとした。

 ふと、大昔の記憶が蘇る。

「なぁ。お前の負けなんだから、約束守れよ」

「……そうだな」

 小暮は夕陽の中に溶けるように消えた。いや、最初からいなかったのかもしれない。

 俺はポケットの中に手を入れた。しおりを取り出し、中身を確認する。

 そして、暗くなり始めた窓の外を見て旅館の出口に向かった。


「先輩! もうバーベキュー始まってますよ!」

 円谷が紙皿を持ってやってくる。その紙皿の上には、俺の喜びそうなものばかりが乗っている。

 俺は円谷から割り箸を受け取り、それを使って食べ始める。

「先輩……あそこ座りましょう?」

「あぁ、そうだな」

 バーベキューの輪から少し離れた岩の上に腰を下ろし、紙皿の上の食材を食べる。円谷も隣に座り、同じように自分の紙皿の上のものを食べている。

「美味いか?」

「ふふ。それ遅れて来た先輩が言うんですか〜?」

 円谷はふざけるように答えた。

 俺が完食する頃には、円谷がみんなに花火を配り始めていた。円谷は花火セットの余りを持って俺の元へとやってくる。

「先輩、花火好きですか?」

「あぁ。まぁな」

 俺はわざと興味なさげに答える。

「でもでも、先輩。残りの花火これしかないんですよ」

 そう言って円谷は線香花火を二本取り出した。

「先輩、勝負しましょう? ルールは」

「あぁ、先に非が消えた方が負け。負けた方は勝った方の言う事を聞くでどうだ」

 円谷は驚いた様な顔をして、片方の線香花火を取り落とす。俺は落ちた線香花火を拾い上げ、あらかじめ用意しておいた点火棒を取り出した。しゃがんだ状態で円谷の方を見る。

「さぁ、円谷。線香花火を少し前に」

 円谷は何がなんだか分からない顔をしながらも、しゃがんで線香花火を前に出した。俺は自分の持っている線香花火を隣に並べて持ち、二つ同時に火を付けた。

「ズルは無しだ」

「先輩、どうして」

「息がかかると落ちる速度が早まるぞ」

 俺のアドバイスを聞いて、円谷は口を閉ざした。しかし、視線は線香花火ではなく俺の方をじっと見ている。

 俺はその視線を肌に感じながら、視線を線香花火から離さない。

「いいや。先輩」

 円谷は喋り出す。

「先輩は知っているはずです」

 円谷の声は悲しそうだ。

「この先の事を、どうやってか。私と同じように」

「あぁ」

 俺は短く返事をする。

「私がズルをして数秒稼がなきゃ、私の花火の方が先に落ちる。これだけは何度やっても変わらなかった!」

 円谷は叫び出す。

「先輩が勝ったら、きっと、このループをやめろって言う……まだ、先輩を手に入れてないのに……」

 円谷はついに泣き出した。

 だが、俺は。

「私は先輩が好きです」

 俺は線香花火から目を離さない。

「これだけやっても、先輩は。私の気持ちに答えてくれませんか?」

 円谷は俺の顔をじっと覗き込んでいる。

 だが。俺が見向きもしないのを理解してか、線香花火の方に視線を戻した。


 線香花火が、一層激しさを増して燃え上がる。

「見逃すなよ」

 俺は円谷に語りかけた。

「え?」

 円谷が花火を見たままそう言った瞬間。

 同時に火が消えた。性格には、円谷の線香花火はその火を地面に落として消えた。だが俺の線香花火は、萎むように消えていった。

「え、どうして……」

「さっき線香花火を落としただろう。その時に地面の水気で、線香花火を濡らしておいた」

「でも……先に落ちたのは……」

「俺がいつそんな事を言ったんだ? 俺は先に火が消えたらって言ったんだ。つまり勝負は引き分けだ」

 円谷は俺の発言を思い出す。

「そうだ……」

「そこでお願いだ」

 俺は膝を伸ばして立ち上がる。

「円谷が俺の事を好きなのは分かった。何度も何度もこの夏をループさせるくらいにはな」

 円谷は顔を赤くして、俺から急に目を逸らす。

「そんな熱心な円谷に俺は心を動かされた。だから」

 俺は円谷に手を差し出す。

「一緒に未来を見に行こう」

「……?」

 円谷は何を言っているのか分かっていない様だった。

 俺は急に恥ずかしくなって、頭の後ろを掻く。

「だから……円谷は手に入れたんだよ、俺を」

「!」

 円谷は差し出した俺の手を無視して、俺に飛びついてきた。

「本当ですか!? でも、どうして!」

「あ〜……さっきも言ったがその熱意にやられたってわけだ」

「良いんですか!?」

「あぁ、良いよ。俺の負けだ」

 円谷は急にハッとして、俺から離れた。

「す、すいません。私浮かれて……」

「いや、そっちの方が年相応でいいと思う。今まで全部分かってたみたいな動きが出来てたのって、ループを使って全部知ってたのか?」

 円谷は申し訳なさそうに頷いた。

 俺は円谷を優しく地面に下ろした。

「これからは気軽に使うなよ」

「はい!」

 円谷は俺の腕に自分の腕を絡ませ、旅館の方に引っ張っていく。不思議と、嫌悪感は湧いてこなかった。

「明日は午前中は近くの街の探索をして正午には電車に乗って街に帰るので、いっぱい午前中に遊びましょうね」

「少し離れろ、暑苦しい」

「嫌です」

 円谷は俺の腕に一層固く腕を絡ませてくる。俺は頭上に光る月を仰ぎながら、これからやってくる知らない明日に胸を躍らせた。

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