サマダスノームでのこと
「ふぁあぁ、気持ちいい~っ」
改めて温泉に浸かっている。
んー、体が蕩けそう、里に戻ったら兄さん達にも気持ちよかったって教えないと。
「はるぅ、きもちいいねえ」
「そうだねモコ」
「気に入っていただけて何よりですニャ」
黒い影みたいな木々の向こう、青く聳え立つサマダスノームが見える。
絶景だなあ。
―――昨日あんなことがあったのに、サマダスノームは少し形が変わっただけでやっぱり綺麗だ。
あの山肌の奥に、沢山の人達の亡骸が眠っている。
だけどロゼが噴火を抑えてくれなかったら、この辺り一帯は全て溶岩に呑まれて焼け野原になっていただろう。
火山灰が空を覆い尽くして、きっと一年は太陽が見られなくなっていた。
ニャモニャも、里も、何もかも燃えて無くなったに違いない。
人が死んでいる以上よかったなんて軽々しく口には出せないけれど、少なくともあの教団の被害はこれで収まったんだ。
「ハル様」
サフィーニャに呼ばれて振り返る。
「少し、お話しよろしいでしょうかニャ」
「いいよ」
ロゼのことかな。
―――けれど訊かれたのは、リューとサフィーニャが襲われた後、教団施設内で私が何を見たか、それからサフィーニャ達が脱出した後のことだった。
「当事者の一人として伺っておきたいのですニャ」
「ニャードルからは聞かなかったの?」
「ある程度は聞きましたニャ、ですが脱出後のことなどは、ロゼ様のあの奇跡についてはハル様に伺うしかありませんのでニャ」
「そうだね」
「差し支えなければ教えていただきたいですニャ」
「分かった、私もリュー兄さんとサフィーニャがどうしていたか知りたいんだけど、教えてくれる?」
「勿論ですニャ、私が見たことも全てお話いたしますニャ」
話を交換ってことで、まず私から昨日の夜の出来事をなるべく正確に、細かくサフィーニャに伝えた。
全部聞き終えて、サフィーニャは暫くぼんやりしていたけれど、手で顔を擦って「有難うございますニャ」と微笑んだ。
「魔人、恐ろしい存在ですニャ」
「そうだね、怖かったよ」
「ハル様、くれぐれもお気を付けくださいニャ、お話を伺っただけですが、何か嫌な予感がいたしますニャ」
「嫌な予感って?」
「そうですわね、そのラクスとかいう魔人は自分の代わりとなる何者かを刺客として差し向けてくるかもしれませんニャ」
「刺客?」
物騒な話だ。
でもラクスは捨て台詞を吐いていたし、魔人ならそういうことも出来てしまいそうな気がする。
カースなんて独自の魔法を編み出す力と技術があるなら、例えば眷属を生み出したり、他の生物を洗脳して操ったりもするかもしれない。
自分は動かずに目的を果たす方法なんていくらでもあるよね。
「そうだね、気をつけるよ、有難う」
「私の杞憂で済めばそれが何よりですニャ、そうであることを祈りますニャ」
次はサフィーニャの晩だ。
話を聞いているうちに涙が出てきて、サフィーニャもポロポロと泣き出してしまった。
辛かったんだね。
今頃、そのラタミルと子供たち、ラタミルの大切な人は、魂になって逢えたのかな。
そう願うしかない。
リューも本当に大変だったんだ。
サフィーニャ達が脱出して、私とロゼが辿り着くまでの間に起ったことはリューしか知らないけれど、あの時のリューは体の傷以上に心が傷ついて見えた。
兄さんは優しいから、きっと自分のことみたいに胸を痛めたんだろう。
ロゼはあえて慰めなかったのかもしれない。
リューが自力で乗り越えられるように、そして前を向いて踏み出していけるように。
だって、優しい人は強いから。
リュー兄さんは強い。
そのことを私も勿論知っている。
「兄さん、格好良かったんだね」
「ええ、お素敵でした、とても頼もしかったですニャ」
「だからサフィーニャはリュー兄さんみたいな人と結婚したいって思ったの?」
「はい、やはり家族を守れる強い殿方でないと、共に歩むならそのような方がいいですニャ」
「そうか」
「ハル様は強い殿方はお好きですかニャ?」
「好き、でも強さって色々あるよね」
「ええ、単に力が強い、魔力が強い、心の強さもありますニャ」
「そういうの全部備えていたら、好きになっちゃうかもしれない」
「まあ、ウフフ、同感ですニャ」
それってロゼやリューだよね。
でも二人は兄さんで家族だから、例えば兄さん達みたいな人とか。
うーん、家族に執着強いみたいであまり人には言えないかな、私は私が好きになった人を選ぼう。
「ニャレクとニャードルはどうなの?」
「ウフフ、ハル様は二人が気になるようですニャ、ニャレクもニャードルも私にとっては大切な幼馴染ですニャ」
「そういうことじゃないけど、あの二人って双子の兄弟で、ニャレクがお兄さんなんだよね」
「ええ」
「ねえ、三人の昔話も聞かせて欲しいな」
「フフ、分かりましたニャ」
サフィーニャの話を聞いて、私からもティーネのこと、村のことを話す。
これってもう友達だよね?
仲良くなれて嬉しいな。
一緒に温泉に浸かったからかもしれない、温泉って凄い。
「ねーはるぅ」
のぼせて岩場の平らな場所で伸びていたモコが、トコトコ歩いてきた。
「ぼくもうねむい、はるもいっしょにもどろ?」
「そうだね、十分あったまったし、そろそろ出ようか」
「ええ」
指先がすっかりふやけた。はあっ、いいお湯だった!
服を着て、オーダーで風の精霊ヴェンティを呼んで髪を乾かしてもらってから、荷物を持って岩場を出る。
少し歩くと、ニャレクとニャードルがカンテラ片手に私達を待っていてくれた。
「おかえり、小鳥の囀るような声がここまで聞こえてきたニャ」
「あの、兄も私も岩場の向こうへは近付いておりませんニャ」
「勿論覗きもしてないニャ」
「兄さん!」
二人っていつもこんな感じなのかな。
サフィーニャがクスクス笑ってる。
傍に来たニャレクがサフィーニャの首の辺りをスンスン嗅いで「いい匂いだニャ」って微笑んだ。
「ハル様に洗髪料と保湿剤を分けていただいたのニャ、使い心地もとてもよかったニャ」
「へえ、どうりで君の毛並みがいつもより輝いているわけだニャ」
「ウフフ、興味があるなら後で分けてあげるニャ、作り方も教えていただいたから、皆に伝えるニャ」
「それはいいニャ、有難うございますハル様」
ふふ、どういたしまして。
ニャードルだけ少しつまらなそうにしているけど、こういう話に興味ないのかな。
なんだかロゼとリューみたい。
ロゼは身だしなみに気を遣うけど、リューは清潔にしていれば十分だって、なんなら体だけじゃなく髪まで石鹼でまとめて洗おうとするんだよね。
それなのにいつも髪サラサラで、近付くといい匂いがする。
なんでだろ、むしろ何もしない方がいいとかそういうこと?
「ではまいりましょうニャ」
「皆様、足元にお気を付けくださいニャ」
帰り道はまたカンテラで道を照らしながら歩く。
オーダーを使ったらレニュクスが来てくれるかもしれないけれど、これはこれで楽しい。
月明かりの夜道。
体中ポカポカして、いい気分。
隣でモコが欠伸をした。
「モコ、眠い?」
「ん」
「ラタミルは寝なくていいってロゼが言ってたよ」
「でもぼくねむい、ねたらししょうみたいになれない?」
「そんなことないよ、眠い時は寝るといいよ」
「うん、ぼくねむい、ふぁーあ」
ロゼは本当に寝なくて平気なのかな。
それともモコがまだ雛だから眠くなるんだろうか、ラタミルのこと、本に書いてあったこと以外は分からないことだらけだ。
「そうだ、ニャレクとニャードルは温泉に入らなくていいの?」
「私達はいつでも入りに来られますニャ、お気遣いありがとうございますニャ」
「もし許されるのなら、次の機会はぜひともご一緒ニャ」
「兄さん!」
「冗談だよニャードル、そんなに怒らないでくれニャ」
「当然だニャ、兄さんはいつもそうやって」
「待て、ニャードル」
ニャレクが立ち止まる。
ニャードルも足を止めて、すかさず腰の剣へ手をかけた。
空から、羽の先だけ赤く染まった大きな翼を羽ばたかせて、夜の闇の中でも眩しく感じるほど綺麗な姿が舞い降りてくる。
「兄さん!」
「ししょー!」
ロゼだ。
サフィーニャ達は目を大きく見開いたまま固まっている。
今のロゼは妹の私でも少し動揺するくらい神々しい。
「ハル」
「どうしたの?」
じっと私を見詰めて、ロゼはなんだか嬉しそうに微笑んだ。
「驚かないね」
「空から来たことはちょっと驚いたよ」
「それはすまない、歩くより飛ぶ方が君の元へ手っ取り早く辿り着けるのでね」
ここへ来たってことは、温泉に入りに行くのかな。
リューはどこだろう、一緒じゃないの?
探してみたけど匂いもしない、ロゼ一人なの?
「ハル、君と少し話がしたい、リューにも声を掛けてきた」
「えっ」
「温泉に入りたいから手早く済ませてこいと釘を刺されてしまったよ、なので早速だが行こう」
「どこに?」
ニッコリ笑って上を指さす。
空?
「月が綺麗だ、空の散歩と洒落こもうじゃないか」
モコが「ししょー! ぼくもいく!」って翼を出して羽ばたかせる。
でもロゼは「断る」と答えてそっぽを向いた。
「僕はハルにだけ用がある、お前はお呼びじゃない」
「でもぼく、いっしょにいきたい」
「聞き分けのない奴は好かない」
「ふぐぅ」
うーん、モコも連れていってあげたいけど、でもロゼが私だけにしたい話って、多分サマダスノームで言っていたことだ。
さっきまで眠そうにしていたし、サフィーニャ達と一緒に戻ってもらおう。
「モコ、眠いんでしょ、サフィーニャと一緒に行って?」
「はるぅ」
「明日また遊ぼう、明日はモコと一緒に飛びたいな」
「ぼくのせなかにのる?」
「うん」
「わかった、ぼくかえる、はる、あとでね」
「あとでね、モコ」
サフィーニャも「いいですニャ」ってモコのことを引き受けてくれる。
名残惜しそうに何度も振り返りながら、モコはサフィーニャ達と一緒に里へ戻っていった。
「やれやれ、あれも君の言うことは聞くな」
少し呆れ気味にぼやいたロゼは、改めて私を見ながら両手を広げて「おいで」と笑いかけてくる。
月の光を受けてキラキラ輝く金の髪。
その陰から覗く、イチイの実より赤く澄んだ綺麗な瞳がキラリと光を放つ。
背中の翼も白く仄かに輝いて、羽の先のほうの赤を一層際立たせている。
「ロゼ兄さん、綺麗だね」
「おっと、まさか褒めて貰えると思わなかったよ、僕は君に褒められるととても嬉しい」
言葉以上に嬉しそうに笑うから、私も嬉しくなってロゼの胸へ飛び込んだ。
温かな両腕がしっかりと受け止めてくれる。
そのまま抱えられて、ロゼと一緒に体が宙へふわりと浮かび上がった。
「イグニ・パレクスム」
火の精霊イグニの力で全身が仄かな温もりに包まれる。
―――兄さん。
片耳を押し付けた胸の奥からトクトクと穏やかな鼓動が聞こえてくる。
居心地のいい温もりに寄り添って、ぐんぐん近付く月を見上げていた。




