里の秘湯
「ここって温泉があったんだ」
「はい」
活火山のサマダスノームが近いからかなあ。
今でもシェフルで浸かったお湯の気持ちよさを忘れられないけれど、温泉って浴槽よりもっとずっと広くて大きな場所にお湯がたっぷり溜まっているんだよね?
そこへ全身を浸す。
暖かいお湯の中へ肩からつま先まで沈めるのかぁ。
はぁ、想像しただけで体の力が抜けそう。そんなの絶対気持ちいいに決まってる。
「行こう、すぐ行こう!」
「まあ、お食事はもうよろしいのですニャ?」
「あっと、もう少しだけ食べたら、そしたら行こう、ねっ、サフィーニャ!」
「はい」
またサフィーニャにクスクスと笑われてしまった。
これは食いしん坊だと思われたな、流石に少し恥ずかしい。
でも、誘われて嬉しい気持ちだってあるよ。
初めての温泉。
しかも、妖精の里にある温泉だ。
次に絵ハガキを出す時は絶対にこの事を書かないと、母さんとティーネ驚くだろうな。
美味しい料理をいただきながら、リューとモコに声を掛けておいた。
リューも温泉って聞いて目の色を変える。
後でロゼを連れていくって、場所だけサフィーニャに訊いていた。
ロゼもきっと喜ぶだろうな。
そのロゼだけど、また姿が見えない。
里に戻ってからよくいなくなるけど、もしかしてニャモニャたちに気を遣われるのが嫌で、敢えて行方を眩ませているのかな。
「やっとだね、はる!」
ピョンピョン跳ねるモコに、何のことか分からなくて「何が?」と訊き返す。
「ぼくもいっしょにおふろ、おんせん!」
「あ、そうか」
前に浴槽の話をしたこと、憶えていたんだ。
モコとはもう何度も一緒にお風呂を使っているけど、羊の姿で一緒するのはこれが初めてだね。
「モコ、温泉はね、浴槽よりずっと広くて、泳げるくらい大きいんだよ」
「おおーっ」
「ハル様いけませんニャ、温泉は泳ぐ場所ではありませんニャ」
おっと、いけない。
それに私もモコも、そもそも泳げない。
こっそりサフィーニャに打ち明けると、サフィーニャも「私も泳げませんニャ」って恥ずかしそうに教えてくれた。
「何度かニャレクとニャードルに教わったのですが、どうしても体が沈みますニャ」
「でも私達って魚でもハーヴィーでもないから浮かばないよね?」
「ええ、なのに二人は浮かんだまま泳げますニャ、不思議ですニャ」
「私も沈むかなあ」
「どうでしょう、ハル様なら浮いたまま泳げるかもしれませんニャ」
「はるどうしよう、ぼくしずむかもしれない、だってぬれたらおもかった」
前に川の水に浸かった時、モコ、すごく重たそうな姿になっていたな。
水から引き揚げてくれたカイも重いって唸ってたし。
もしかしたら沈むかもしれない。あの時のことを思いだすと私も泳げる気がしない。
ネイドア湖では結局一度も泳げなかったし。
三人で顔を見合わせて溜息を吐く。
そしてすぐ私とサフィーニャだけ噴き出して笑ったら、モコはきょとんとしている。
「なあに?」
「なんでもない、ねえモコ、泳げるようになろうね」
「うん、ぼくがんばる、ねえはる」
「なに?」
「ししょーはおよげるんだよね」
「そうだね」
「まあ、それは本当ですニャ?」
サフィーニャが食い気味に身を乗り出してきた。
すっかりロゼの話題になると目の色が変わるようになったな。
「水中はハーヴィーの領域、ラタミル様は滅多なことでは踏み込まれませんし、まして泳ぎを習得されたりなどなさりませんニャ」
「でも水泳は得意だって言ってたよ」
「ニャア、素晴らしいですニャ、はニャアァ」
またうっとりしちゃった。
そういえば文献でもそんな記述を目にしたことがあるような、ラタミルはハーヴィーを嫌っているから、その領域である水場には近付こうとしないって。
ロゼはやっぱりハーヴィーの中でも規格外なんだ。
逆に出来ないことってあるのかな。
「あっ、し、失礼いたしましたニャ!」
おっ、今回は戻ってくるのが早かった。
サフィーニャは恥ずかしそうに手で顔を何度も撫でつける。
「その、温泉は里から少し離れた場所にありますニャ、なので最近はずっと近付くことすら出来なくなっておりましたニャ」
「そっか」
「ですが皆様のおかげでまた行けるようになりましたので、是非にと思いましてニャ」
「有難う、サフィーニャ」
「いいえ」とサフィーニャは頭を下げる。
「お礼を申し上げるのはこちらですニャ、本当に皆さまには感謝しておりますニャ」
「主に頑張ったのは兄さん達だけどね」
「ハル様も、ニャードルの命を救ってくださいましたニャ」
ラクスと遭遇した時の話を聞いたんだね。
―――エノア様から授かった種子『ポータス』って、本当に不思議な花だ。
いまだに効果がよく分からないけれど、唱えると胸の奥から温もりが溢れ出すような感覚を覚える。
私の『愛』を消費するから、あまり気安く唱えない方がいいってロゼに忠告されたんだよね。
そもそも『愛』って何だろう。
家族愛、兄弟愛、友愛、夫婦愛、性愛―――難しいよ。
分かる部分もあるけれど、分からない部分も多い。
愛が何なのか、そのうち理解できるようになるのかな。
食べて飲んで、楽しく過ごすうちに辺りはすっかり夜になって、光の精霊ルミナの灯す明かりがまだまだ賑やかな会場を照らす。
空には昨日と同じようにぽっかり浮かぶ白い月。
何となく、月明かりの精霊レニュクスの気配を感じる。
もしかしたら近くに集まってきているのかもしれない。
「サフィーニャ、そろそろ行こう」
「はい、まいりましょうニャ」
「わーい、おんせん、おんせん!」
お腹も膨れたことだし、早速温泉へ向かうことにした。
会場を離れると急に薄暗くなるけど、今夜は月が出ているから明るい。
それでも一応、火を灯したカンテラを提げて、足元を照らしつつ里の裏手から森の奥へと伸びる小道を進んでいく。
「我々は護衛にてご一緒させていただきますニャ」
「ご安心くださいニャ、麗しき乙女の裸体を覗き見るなどという下賤な真似は決して致しませんニャ」
「兄さん!」
ニャレクとニャードルもついてきた。
私達が温泉に浸かっている間は少し離れた場所で警護してくれるって。
―――そうだ。
「フルーベリーソ、咲いて広がれ、おいで、おいで、私の声に応えておくれ」
ふと思い立って香炉を取り出し、オーダーを唱えてみる。
香りに惹かれてフワッと現れた輝きは、やっぱり!
「月明かりの精霊レニュクス!」
サフィーニャが目をまん丸く見開いた。
「まさか、レニュクスが現れるなんて」
ニャレクとニャードルも驚いているみたい。
私も最初はビックリしたな。
あの時は助けてくれて有難う、レニュクス。
「レニュクス、温泉までの道のりを照らして」
お願いしたら、頭上から白い光がサッと差して、今いる場所から薄暗い森の奥まで月明かりの道が現れた。
サフィーニャがほうッと息を吐く。
「ヒトがここまで精霊に愛されるなんて、ハル様は素晴らしい才をお持ちですニャ、流石、ロゼ様とリュー様の妹君でいらっしゃいますニャ」
照れるなあ。
フワフワの手で私の手を掴んで、サフィーニャは「まいりましょうニャ」って微笑みかけてくる。
ネコの姿のニャモニャ族、妖精と一緒に森の奥にある温泉を目指して光の道を進んでいく。
なんだか童話の世界に迷い込んだような気分、モコも浮かれてピョンピョンと跳ねるように歩いている。
後ろからついてくるニャレクとニャードルも楽しそう。
やっぱりオーダーは皆を幸せにしてくれるんだ。
でも、戦いでもオーダーは役に立つ。
力って良いとか悪いとかじゃなくて、使い方次第なんだよね。
―――サマダスノームで魔人が使っていた『カース』は、『オーダー』の対極にあるような呪文だった。
強制的に精霊を消費して恐ろしい効果を発生させる。
苦しみながら引き裂かれたアクエの上げた声のない悲鳴、あんなものは二度と聞きたくない。
絶対に間違っている。
あんな力の使い方は、目的を叶える手段として最低のやり方だ。
「ハル様?」
「あ、ううん、レニュクスはね、サルフィスの花の香りを混ぜたオイルで来てくれたんだよ」
「まあ、どうりで先ほどのオーダーから馴染み深い印象を覚えたわけですニャ」
「今夜も月が綺麗だから来てくれたんだろうね」
「そうですニャ」
サフィーニャは月を見上げながら少しだけ寂しそうな顔をする。
サマダスノームでの出来事を思い出したのかな。




