昔々
その昔、偉大なるサマダスノームの頂に、恐るべき古き竜が住み着いた。
竜はふもとで暮らすニャモニャを屠り、更にはサマダスノームの頂を舞うラタミルまでをも喰らった。
皆が愛しいものの喪失に嘆き、明日のわが身を想い恐れに震えていると、天空神ルーミルより遣わされた最も貴く、気高く、なによりも美しいラタミルがこの地へ降臨なされた。
ラタミルは古き竜へ挑み、その戦いは三日三晩に及ぶ。
天には雷が轟き、雨風が吹き荒れ、地は震え、青きサマダスノームは古き竜の血で赤く染められた。
我らの想像を絶する戦いの末、遂にラタミルは古き竜を討ち取り、血で穢されたサマダスノームにはラタミルの瞳と等しく青く美しきサルフィスの花が咲き乱れ地を浄化された。
ラタミルは里へ加護を授けられ、里にはとこしえの安寧が約束された。
「―――故に、我らは大恩あるラタミル様への感謝と畏敬の念を忘れぬよう、この話を後世へと語り継いできたのですニャ」
ニャルディッドが語ってくれた里の伝承は、前置きされたとおりサフィーニャが聞かせてくれた話とほぼ同じ内容だった。
「まさか、伝承のラタミル様がロゼ様でいらしたとは」
「ええ」
「リュー様はご存じでいらしたのですかニャ?」
「知っていました」
どうして私には教えてくれなかったんだろう。
訳が知りたい。
兄さん達のことだから、きっと私のためを思ってしたことだろうけど、少し切ないよ。
「この伝承は数百年以上前から伝わるものですニャ、ロゼ様はそれほど長き月日を」
「ラタミルに寿命はありません、老いもしない、その気になれば永遠に存在し続けることができる」
「ですが、いずれ力が衰え消滅すると伝わっておりますニャ」
その通りだ。
ラタミルに老いも寿命も存在しないけれど、段々と力が衰えて、いずれ消滅する。それがラタミルの最期だと本には書かれていた。
「あいつは規格外なんです、あなた方も昨夜の光景を里から見たはずだ」
「ええ、ええ、なんとも恐ろしく、忘れ得ぬほどに美しい光景でしたニャ」
ニャルディッドは目を瞑り何度も頷く。
本当に綺麗だった。
魔力で噴火を止めるなんて、リューの言う通り完全に規格外だ。どれほど強大な魔力を持っていたとしても、人には到底真似できない。
あんなことができるのは、多分、ロゼ以外には神様くらいだよ。
ラタミルの中でも特別なラタミル。
でもロゼは『ラタミルが嫌い』と前に言っていた。
「あの奇跡をロゼ様がお一人で」
「はい」
「頼もしいお方ですニャ、ですが、少々恐ろしくもありますニャ」
「あなた」
「構いません、あいつも自分が畏怖される存在だと分かっています」
「ニャア、リュー様はロゼ様をよくご理解なさっておられるようですニャ」
「俺にも分からないことはありますよ」
そう言ってリューは目を伏せる。
私にもある。
でもリューは、きっと私よりロゼのことを沢山知っている。
―――羨ましいな。
「では、俺達が眠っている間、何があったか教えていただきたい」
「分かりましたニャ」
ニャルディッドの話によると、リューと私が眠ってしまった後、ロゼはモコに翼のしまい方を教えてから家を出たきり、さっきまで戻ってこなかったらしい。
どこにいたかは知らないって。
ただ、出ていく前に「僕の兄妹に何かあったら呼んでくれ、頼んだぞ」って託されたから、多分里の近くにいたんじゃないかって話だった。
「私共は伝承に謳われるラタミル様の出現に混乱し、畏れ、委縮しておりましたからニャ、居心地が悪かったのでしょうニャア、申し訳ないことをいたしましたニャ」
「それは仕方ないと思います、ですが、そう思っていただけるならどうか以前と同じように接してやってください」
「はい、ロゼ様の弟君、我が愛娘の恩人様が仰られるのでしたら、皆にも周知してそのように致しますニャ」
「私も失礼いたしましたニャ、皆様に気持ちよく過ごして頂けるよう努めますニャ」
「エメラニャ、それが固いんだニャ」
「あなたは緩すぎるんですニャ、もう少し威厳を持って振舞ってくださいニャ」
「ニャアァ、そう言われてもニャア、これが私だからニャア、君もこんな私を愛してくれたんだニャ」
「ニャッ、あなたッ!」
あ、引っ掻かれた。
今のは照れ隠しだろうけど、ニャルディッドは結構本気で痛がってる。二人っていつもこんな感じなのかな。
リューが苦笑しながら立ち上がった。
どことなく物思いに耽るような表情をしている。もしかしてロゼのことを考えているのかな。
「有難うございます、俺も少し出てきます」
「多少なりともお役に立てましたかニャ?」
「十分です、色々とお気遣い頂き恐縮です」
「おお、こちらこそ恐れ多いですニャ、我らは改めて皆様を心より歓迎いたしますニャ、どうぞ、里では自由にお過ごしくださいニャ」
「有難う、それじゃハル、後でな」
私の頭をポンと叩いて行っちゃった。
ロゼを探しに行くのかな。
私はどうしよう、調香するのもいいけど、ずっと寝ていたから少し外の空気が吸いたい気分だ。
「ニャルディッドさん、エメラニャさん、私も外へ行ってきます」
「でしたら菓子をお持ちくださいニャ、とても美味しいのがありますニャ」
「少しお待ちくださいニャ、今お持ちいたしますニャ」
エメラニャの後ろ姿を見送って、ニャルディッドは私を見詰めると目を細くして笑う。
「お嬢さんを見ていると、うちのサフィーニャが長になる前のことを思い出しますニャ」
「サフィーニャさんってもう大人なんですよね?」
「ですニャ、我らに限らず小型の妖精は見た目がこうですからニャア、大型はもっと上背がありますニャ」
「大型の妖精もいるんですか?」
「おりますニャ、我らの元となったのはネコですニャ、ですから元の姿が大きければ、大型の妖精になりますニャ」
やっぱりネコなんだ。
察していたけど腑に落ちた。仕草や、嬉しいと喉をゴロゴロ鳴らすし、語尾にニャってつくし、ニャモニャはネコだよね。
「大型の妖精って、例えばどんな種族がいるんですか?」
「トラ、クマ、オオカミにウマ、南方にはイルカや魚類、西方にゾウなどもおりますニャ」
「そんなに!」
トラ、クマ、オオカミとウマはともかく、イルカにゾウって、確か図鑑に載っていた。
魚の妖精もいるんだ。
それじゃ、昆虫の妖精もいるのかな。妖精ってどれくらい種類がいるんだろう。
「北方にはキツネやタヌキなどもおりますニャ、そうそう、南方にウサギもおりますニャ、ワニもいたはずですニャ」
「キツネ、タヌキ?」
「タヌキはずんぐりした外見のどんくさい奴らですニャ、ニャハハ」
「ワニもいるってことは、虫の妖精も?」
「おりますニャ、貴き身分はチョウの妖精ですニャ、北方におわされますニャ」
「へえーッ!」
クスクスと笑い声がして振り返ると、包みを持ったエメラニャが口元に手をあてていた。
私の視線に気付いて「あら、失礼しましたニャ」ってにっこり微笑む。
「昔、サフィーニャもこういう話をするたび、今のハル様のように目を輝かせておりましたニャ」
「ニャア、懐かしいですニャ、あの子は長として立派に育ってくれましたニャ」
「ええ、ですがまだまだ可愛い私達の娘、ハル様、どうかサフィーニャと仲良くしてやってくださいニャ」
「私からもお願いしますニャ、こんなことを申し上げるのは失礼かもしれませんが、あの子とハル様は少し似ておられますニャ」
「ふふ、ですわね、私もそう思っておりましたニャ」
似てる、のかなあ。
私はサフィーニャさんほどしっかりしてないと思うけど、自分のことって自分じゃよく分からないよね。
渡された包みの中身はサルフィスの花びらを練り込んだクッキーだった。
いい匂い、オヤツにどうぞ、だって。
家の外に出るといい天気!
すぐ近くに聳え立つサマダスノームの山肌も青く綺麗で、山頂の冠雪を眺めながら昨夜の出来事を思いだす。
―――たくさん人が死んだ。
悪い人も、多分いい人も、リューを攫ったラタミルや、あの新興宗教団体が作り出した竜も、全部。
魔人にも出会った。
ラクスって名乗っていたよね、怖かった、ロゼが追い払ってくれたけど、物凄く恨んでいたからいつかまた現れるかもしれない。
振り返ると不安がこみあげてくる。
ネイドア湖での出来事、ここで起きたこと、それに、エノア様から私に託された種子。
なんだか落ち着かないよ。
この旅の目的は母さんに会うこと、それと、モコをラタミルのところへ帰してあげること、それだけなのに。
そういえばロゼはモコのこと―――どう思っているんだろう。
帰してあげられないのかな。
服の裾を引っ張られて視線を下ろしたら、いつの間にか小さなニャモニャたちが集まっていた。
「ミャッ! おねえニャン、おかえりニャ!」
「すごいニャァ、おねえニャン、ラタミルさまのいもうとニャ?」
「ミャッミャ!」
「もしかして、おねえニャンもタラミルさまニャ?」
「ミャアミル」
「ラタミルさまニャッ」
「ふふッ、違うよ、私は普通の人だよ」
抱っこをせがむ小さなニャモニャたちをまとめて抱える。
フワフワして柔らか、ほんのりミルクの香りだ。
喉をゴロゴロ鳴らして可愛い―――あっ、もしかして、オヤツを持たせてくれたのってそういう理由だったのかな。
「みんな、オヤツ食べる?」
途端に小さなニャモニャたちは「ミャーッ」って一斉に元気よく返事した。
「オヤツなにミャ?」
「サルフィスのクッキーだよ」
「ボクたちがつんだやつミャ!」
「やったあ、おねえニャン、ありがとミャ!」
「焼いてくれたのはエメラニャさんだよ、後で皆でお礼を言おうね」
「ミャーッ」
ふふ、エメラニャさんありがとう。私も嬉しい。
サマダスノームからあの宗教団体がいなくなって、この子たちもやっと安心して暮らせるようになるんだね。
手放しで一件落着なんて言えないけれど、それでもやっぱり結果的には良かったんだと思う。
私はラタミルじゃないから加護を授けられない。だから代わりにニャモニャたちのために祈ろう。
この里が、これからずっと平和でありますように。
あの青く綺麗なサマダスノームに見守られて、ニャモニャたちが楽しく暮らしていけますように。