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贄の宴:リュゲル視点

本物の竜を実際に見たことはない。

俺の知識はあくまで図鑑や書物から得た程度のものだ。


それでも、目の前の『コレ』が違うということだけは分かる。

脚以外を剛毛に覆われ、頭部は体にめり込み、大きく裂けた口に鋭い牙が並ぶ。

比率的に大きさがおかしい両腕と、指先から伸びる鋭い爪。

細くしなやかな脚だけでは巨躯を支えきれないのだろう、重心のほとんどは尻から伸びる長く太い尻尾に置いているようだ。

荒い呼吸の合間にボタボタと垂れた唾液が地面に落ちて煙を立てる。

酸性の体液か、この分だと血液も酸の可能性がありそうだな。

複合獣、キマイラの類。

魔物の中にも複数の獣の特徴を兼ね備えたものがいる。

だが、これは異常だ。

明らかにやり過ぎ以外の何ものでもない。


これをロゼが見たらきっと鼻で笑うだろう。

今更、とんだ無駄骨だったと気付いて焦り過ぎた自分に失笑する。


俺はダメだな。

家族が絡むと見境がなくなる、ロゼにも何度か指摘されたことがあるのに。

だけど安心した。

同時に、今度はどうやってこの局面を乗り越えるかに思考を移行させる。

戦う必要はない、可能であればあの兄弟を連れて逃げよう。

まともに相手して奴らを喜ばせる義理はないからな。


「あれが、父さん」


檻の中で呆然と呟くプレシオに、レグルが泣きじゃくりながら掴みかかる。


「嘘だよ! あれが父ちゃんな訳がない、嘘でしょ兄ちゃん、嘘だよね!」


兄弟の慟哭はもはや届かないのだろう。

獣は舌なめずりしながら檻へ近づいていく。

まず幼い彼らを狩るつもりか、見殺しにして逃げた方が合理的なんだろうが―――くそッ。

寝覚めが悪くなるなんてまっぴらごめんだ。


「嘘だ」


レグルの翼から羽が抜け落ちていく。

ついさっき目の当たりにしたラタミルの最期が脳裏をかすめた。


「父ちゃん、母ちゃんのためにあんな姿になって、なのに僕のせいで母ちゃんは、母ちゃんは」

「レグル」

「兄ちゃぁん」


あんまりじゃないか。

何の義理もない相手だ、なんなら、俺をサフィーニャ諸共こんな場所へ連れ込んだ張本人だ。

竜のこともある、ロゼを苦しめたかもしれない。

それでも俺は、今のこの気持ちに理由をつけて彼らを切り捨てることができない。

きっともうすぐロゼが来る。

それまで、どうにか守ってやろう。

俺自身にもどこまでやれるか分からないが。


「火の精霊よ!」


エレメントを唱えつつ、懐から取り出した香炉を片手に握りしめる。


「我が希う声に応じて来たれ、汝の力をもって我が欲する望みを叶えよ!」


まずは先制攻撃、奴の気をこちらへ逸らす!


「イグニ・イクスミネイト・ハーサー!」


宙に現れた炎の槍が獣に狙いを定め一直線に飛んでいく。

その火炎を片腕だけで払い除け、獣は猛烈な勢いでこっちへ向かってきた。

同時に俺も駆け出しながら今度はオーダーを唱える。


「ヴィーラセルクブレ、応えよ、我が助けとなれッ」


傍らに収束した光が巨大な獣の姿を取る。

そして爪を振り上げた獣とぶつかり合った。

俺はそのまま走って間合いを取り、辺りに何か武器になるものはないか視線を走らせながらエレメントを詠唱する。


「火の精霊よ、我が希う声に応じて来たれ、汝の力をもって我が欲する望みを叶えよ! イグニ・エクシオー!」


対象範囲は獣の足元。

火の精霊イグニの熱で大地が沸騰し、白く滑らかな獣の両脚が沈み込む。

―――ほんの僅か、胸が痛んだ。

獣は絶叫しながら溶けた地面から飛び出して、食らいついてきた光の獣をなぎ倒し、また俺へと向かってくる。

駆け出しつつ両腕に手を添え、接近戦になった時の備えにマテリアルを唱えておく。


マテリアルは、外部から精霊の魔力を借りるエレメントと異なり、術者自身の魔力を元とし発動させる。

そういった性質ゆえに対象は術者自身が主であり、外部干渉する力は極めて低い。また、効果は術者自身の資質に依存する。

例えば同じ大きさの火の玉を飛ばす場合、消費する魔力はマテリアルではエレメントの数倍、下手をすれば数十倍かかるか、資質が足りなければ発動そのものができない可能性もある。


「パワーブーストッ」


両腕の筋肉がカッと熱を帯びる。

腕力増強のマテリアルだ、同時に疲労感が襲ってきた。

さっきパナーシアを唱え過ぎた影響がまだ残っているのか、回復が追いついていないんだ。

それでも、ここは踏ん張らなければ、命がかかった局面で泣き言など言っていられない。


倒された光の獣がまた獣に襲い掛かる。

現れた時より姿が一回りほど小さくなっている、獣へ手を翳してエレメントを唱えた。


「火の精霊よ、我が希う声に応じて来たれ、汝の力をもって我が欲する望みを叶えよ! イグニ・イクスミネイト・ハーサー!」


今度は無数の炎の矢だ、獣の頭上から雨あられと降らせる。

そこへ飛び込んでいって額の目玉を思いきり殴りつけた。

すまない。

だが、きっとあの人もこんな形で一つになることは望まない。

俺にも炎の矢は降り注ぐが、ある程度は光の獣が防いでくれた。

悲鳴と共に振り下ろされた爪に肩を切り裂かれ、痛みを堪えつつまた間合いを取り、肩の傷に「リール・エレクサ」と唱えて止血だけしておく。

今は回復に回す力が惜しい。

地表を薙ぐ尾を飛び退き避けながら更に後退して、もう一度エレメントだ。


「石の精霊よ、我が希う声に応じて来たれ、汝の力をもって我が欲する望みを叶えよ! ルッビス・レミューイ・ラングス!」


地面から浮かび上がった数多の礫が獣に撃ち込まれる。

噴き出した血が辺りを赤く染め、けれど構わず突進してきた獣の体当たりを喰らって吹っ飛ばされ、全身をしこたま打ち付けた。

咳き込むと僅かに吐血する、内臓をやられたか、くそ。

もう一度「リール・エレクサ」を唱えて応急処置だ。

このままやり合ってもこっちはじり貧になる一方、何か策を考えなくては。


『素晴らしい、素晴らしいですよ、ああッ』


突然あの男の不気味な声が響き渡った。


『まさかこれほどとは、あの猫など比較にならない、マテリアルにエレメント、オーダー、体術まで使えるとは、最高ですよお客人!』


恐らくはあのやぐらから、娯楽感覚で高みの見物をされているのかと思うと反吐が出る。

いい加減このバカげた状況を終わらせよう。

光の獣へ視線を向けると、俺の意を酌み駆け出し獣の喉笛へ喰らいつく。

払い除けようとして両の前脚を大きく振り上げたところへ、腹を狙ってエレメントで出現させた炎の槍を打ち込んだ。


「火の精霊よ、我が希う声に応じて来たれ、汝の力をもって我が欲する望みを叶えよ! イグニ・イクスミネイト・ハーサー!」


槍が刺さり、獣が絶叫する。

そのまま激しく地団太を踏み始めると、地面のみならず辺りのあらゆるものが大きく揺すられ、獣の足元に裂け目ができた。

逃げ切れず踏みつぶされた光の獣は弾け散った。

ここまで付き合ってくれて有難う、もう一度オーダーで前衛替わりを呼び出さなくては。

香炉の熱石に魔力を通し、芳香と共に精霊を召喚しようとした―――その時だった。


「ッぐ!」

「もう、やめろ、やめてくれッ」


脇腹が熱い。

痛い。

なにが、起きた?


「あんなになっても、あの人は俺達の父さんだ、酷いことをしないでくれ」

「ぷ、プレ、シオ」

「アンタ言ったじゃないか、必ず助けるって、それなのに約束を守ってくれなかった、アンタもあいつらと同じ嘘つきだ」


目をぎらつかせるプレシオの両手は、俺の脇腹から流れ出す鮮血で真っ赤に染まっている。


「だから、アンタも道連れだ」


ナイフだ。

結構深く刺さっている、それに、場所があまりよくない。

急に力が抜けて膝をついた。

回復しなければ。

このままでは、全員、殺されてしまう。


『貴様ぁッ、何をするプレシオ!』


響き渡る声に、プレシオはヘラヘラと笑う。

明らかに様子がおかしい。

道連れと言っていたが、何かするつもりなのか。


「これ以上お前たちの思い通りになんてさせるかよ、俺とレグルはなぁ、ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずーっと耐えてきたんだ!」

『プレシオぉッ』

「この人さらいのクソッタレども、俺たち家族をよくもこんな目に、お前たちさえ現れなければなぁ、父さんも、母さんだってッ、俺も、レグルもぉッ!」


プレシオの狂気に呼応するように獣が吠える。

理性などもう残っていないだろう、それでも、親子の間に流れる血の絆が共鳴を起こしているのか。

感じ入っている場合じゃない。

ナイフの柄を掴み力任せに引き抜くと、同時に傷口から大量の血が噴き出した。


「ぐッ、り、リール、エレクサッ」


貧血で眩暈がする。

それでも、震える両脚を励まして無理やり立ち上がる。

帰るんだ。

ハルが、ロゼが待っている。

この大量の血を有効活用してやろう、奴には魔物も混ざっているらしいから、コールが効くかもしれない。

滑る手の中の香炉に魔力を注ぐ。

―――俺は、あいつらを悲しませるわけにはいかないんだ。


『お前のせいで台無しだ、どうしてくれる、こんな楽しいひと時を、よくも、よくもッ』

「ははッ、それは残念だったなぁッ、でもな、ここでお前たちはお終いだ、俺達も―――お終いなんだよ」

『なんだと?』


「レグル!」とプレシオが呼ぶ。

同時にレグルの魔力がさく裂した。


『なッ何!』


あの時と同じように発生した衝撃波が、獣や俺、プレシオまでも切り裂いた。


「ごめんね、父ちゃん」

「父さん、ごめん」


レグルとプレシオは同じように元は父だった獣へ手を伸ばす。

獣はいよいよ暴れ狂い、足元の裂け目は更に大きく、深くなっていく。


『よさんかレグルッ、お前は所詮出来損ない、大人しく父親の贄となれッ、最後くらい役に立って見せろ!』

「嫌だッ」


翼を広げたレグルが獣へ向かい真っ直ぐ羽ばたいた。

プレシオも獣の元へ向かう。

よせ、殺されるぞ!

幾ら息子のお前達でも、ここまで変わり果ててしまった父親を止めることなど出来ない!


「兄ちゃんッ」

「レグル!」


「よせ!」


兄弟は同時に獣へその身をぶつけ、それぞれに爪の、尾の、一撃を受けて赤い血を迸らせる。

そして獣と共に地割れへと落ちていった。

獣の咆哮が響き渡る。


「プレシオッ、レグル!」


止める間すらなかった。

一瞬の出来事に目を見張り、息を呑む。

どうして。

何故、あんな無謀な真似をしたんだ。

レグルの体が獣にぶつかった瞬間飛び散った沢山の羽根が、光の粒となり大気に溶けて消えていく。

助けられなかった。

俺は、何もできなかった。


『は、早くしろッ、竜を失うわけにいかない、あの兄弟はもう用済みだ、どうでもいい、それより早く竜を』


この顛末の元凶となった男の焦った声が聞こえてくる。


「くそ」


目から熱いものが溢れて零れ落ちた。

今沸き起こっている感情を自分でも受け止めきれない。

呼吸することさえ辛いが、重い体を引きずってやぐらの方へ歩きだす。


出口ならきっとあそこだ。

今は逃げることだけ考えろ。彼らの死を悼むのはその後でいい。

―――本当にすまない。


『あの男も逃がすな、大切なお客人だ、まだまだ愉しませてもらわんとなぁ、グフフッ』


下衆が。


『さあ何をしている、早くしろ! 男を捕らえて裂け目から竜を引きずり出せ!』


仄かに硫黄のような臭いが漂ってくる。

俺自身がふらついていると思っていたが、足元が微弱に振動していることに気が付いた。

妙だな。

―――あの時プレシオはサマダスノームを活きている山と言っていた。


まさか。


『お客人、特別なお楽しみの時間をくだらない余興で終わらせてしまい大変失礼いたしました』


男の声と共に櫓の下に複数人の人影が現れた。

全員が武装している。

くそ、予想はしていたが、今の状態でどこまでやれるか。


『お詫びに貴方をご招待いたします、さあ、共にいらしてください、楽しいひと時を過ごしましょう』


武装集団の中からエレメントが放たれた。

咄嗟に除けようとするが、間に合わず踵を焼かれて呻く。

術者がいるのか、厄介だ。


『抵抗なさっても結構ですが、グフフ、いえ、抗っていただいた方が良いですな、さあ、もっと魅せてください!』


いよいよ追い詰められたか。

―――アイツはどこで道草を食っているんだ。

早く来てくれ。

鉄錆びた味の唇を噛みしめる。


俺を守ると約束してくれただろう。


「ロゼ、兄さんッ」


耳元であいつの笑い声を聞いた気がした。

何かの爆ぜる音にノロノロと振り返ると、俺と兄弟を乗せてここまでせり上がってきた床が大破している。


「―――リュゲル」


穴の傍に佇む姿を見つけて、全身の力が一気に抜けた。

夜の闇の中でも美しく輝く金の髪、赤々と燃え盛る炎のように鮮やかな色をした瞳、そこにいるだけで全てを圧倒する存在感。

傍らに何ものにも代え難い俺の大切なもう一人の姿を見つけて、不覚にも涙腺が緩みかけてしまう。


「ハル」

「兄さん!」


叫んで駆け寄ってくるハルへ手を伸ばす。

会いたかった。

どうしてお前までここにいるのか分からないけれど、今はただ胸が熱い。


「待たせたね、僕の愛しい弟」


その後ろからゆっくり歩を進めるロゼは、武装集団を、やぐらを、竜と兄弟が落ちていった裂け目を見て、フンと鼻を鳴らす。


「こんな茶番はもう終わりだ、僕が終わらせてやろう―――さあ、お前たちが焦がれた永遠をくれてやる」

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