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嘆きの兄弟:リュゲル視点

「お前、どうやって部屋から逃げ出した」


俺が答えずにいると、レグルはフンと鼻を鳴らす。


「どうせプレシオが、あの役立たずが逃がしたんだろう、あいつはいつもそうだ、本当に使えない」

「やめなさい、レグル」


ラタミルに咎められ、ハッと彼女を見たレグルは切なげな表情を浮かべる。

その視線をゆっくり足元へ移すと、瞠目して「なに、それ」と呟いた。


「母ちゃん、足は? その足どうしたの?」

「―――失くなってしまったのよ」

「なんで?」


目を伏せて俯き、黙り込んだラタミルに代わって、ニャレクが答える。


「切られたんだ」

「は? 誰に?」

「ここの奴らだニャ、囚われて間もなく、逃げ出せないよう切り落とされたとラタミル様より伺った」


サフィーニャが手で顔を覆って呻く。

唖然としているレグルを見て意外に思った。

彼はもしかしたら何も知らされていなかったのか?

母親を世話していたプレシオも事実を伝えなかったのか。理由は分からないが―――弟を気遣ってのことかもしれない。


「嘘だ」


ぽつりと漏らすレグルに、ニャレクは首を横に振って「いいえ」と返す。


「ラタミル様は、貴方様の母君は、ここの者達に辱められ、酷い目に遭わされておりましたニャ、それをこちらのリュー様がお救いくださったのです」

「嘘だ、嘘を吐くなッ、たかが猫の分際で!」

「嘘では、ありませんよ、レグル」


青空色の瞳から零れ落ちた母の涙を見て、レグルは小さく息を呑む。

彼の全身から噴き出していた激しい怒気はいつの間にか混乱の気配へと移ろっている。


「この方が私を癒してくださいました、足も、代わりの精霊を与えていただいたのです」

「そんな、母ちゃん、だって」

「ごめんなさいレグル、私が弱いばかりに、力なく醜いばかりに、貴方に辛い思いをさせて」


「違う」


後ずさりしながら、レグルは青ざめた唇を震わせる。


「だって、僕が務めを果たせば母ちゃんのことも大切にするって、兄ちゃんだって、母ちゃんは大丈夫だって」


そう言って丸め込んでいたのか。

レグルが教団に手を貸す理由が分かった。いたいけな子供の善性と情に付け込んだ非道の仕打ちだ。

推論だが、レグルは母親の安全と引き換えに、教団で祀られることを受け入れたんだろう。

そして言われるままラタミルとしてふるまっていた。

兄のプレシオは実際に何が起きているか知っていたが、弟のためを思ってあえて口を閉ざしていた。

―――意識を失う前に見たレグルの態度と、プレシオの姿、他の教団の奴らの様子が脳裏によみがえってくる。

まだ何か引っかかるな。

この兄弟には別の意図が隠されている気がする。

何だろう、腑に落ちない、嫌な感じだ。


「全部、全部嘘だったのか、酷いよ、僕を騙したのかぁッ!」


レグルは髪を掻きむしり、吠える。

膝をつき喉が裂けそうなほどの絶叫を迸らせた。


「レグル!」

「どうしてッ」


拳を床に叩きつける。

何度も繰り返すたび鈍い音が響いて、次第に手と床の間に赤いものが付着し始める。

発狂する息子に母親のラタミルは苦しげな表情を浮かべながら近づいていく。


「レグル、お願いよ、落ち着いて、もう大丈夫なのよ、母さんこうして助けていただいたから、父さんとプレシオも一緒に」

「違う、違う違う違うッ、違うッ!」

「レグル」

「―――だって、だって父ちゃんはもういないんだッ」


え、とラタミルが固まった。

俺も、サフィーニャ、ニャレクと共に思いがけず唖然とする。


「どういう、ことなの?」


震える声が恐々と言葉の理由を尋ねる。


「あいつら言ってたよ、父ちゃんは母ちゃんのために役立つことを選んだって」

「な、に」

「だから僕にも、母ちゃんのために、役に立ちなさいって、そうしないと本物のラタミルの母ちゃんが、全部背負うことになるって、だから僕は」

「いない?」


ラタミルの姿がその場に力なく崩れ落ちた。

倒れかけた姿に駆け寄り支えると、体が酷く冷たく―――軽くなっている。


「あの人は、どうなったの? 役立つって、何を、されたの?」

「竜になったんだ」


「そんな、まさか」と聞こえてきた。

振り返った先でニャレクが震えている。その背にサフィーニャが気遣わしげに手を添えていた。


「あ、あれは、元はヒトだったのニャ」

「ニャレク、何か知っているのか?」

「俺はその竜と、いや―――竜もどきと何度も戦わせられたニャ、運用可能な状態に仕上げるためだと言って、何度も、何度も」


「そんな」


視界を不意に白いものが舞う。

羽根だ。


「うそよ、あの人が、竜にされたなんて」


俺の腕の中でラタミルの翼から羽がどんどん抜け落ち、消えていく。


「私は、あの人のために、子供たちの、ために」

「母ちゃん?」

「どうして、ああ、もうダメ、あの人がいないんじゃ、こんな醜い姿にされても、それでも耐えてきたのに」

「ねえ母ちゃん、どうしたの?」


顔をあげたレグルが不安げに手を伸ばす。

しかしその声は、もはやラタミルには届いていない。


「母ちゃん、母ちゃん? ―――お前ッ」


突然向けられた殺意に防御する暇もなく吹き飛ばされた。

衝撃波の類だ。

どうにか受け身を取ったが、ずきりと走った痛みに目を向けると肩が裂けている。

血が溢れ出す傷口に手をあてて「リール・エレクサ」と唱えた。

流石にまだパナーシアを唱えられるほどの体力は戻っていない。


「母ちゃん!」


力無く、まるで薄物の布が落ちるように床へ倒れた姿の元へレグルが駆け寄っていく。

両脚の代わりをしていた精霊が消えて、他はほぼ癒えていたはずの彼女の全身から見る間に生気が抜け落ちる。

翼からも落葉するように羽が抜け続けて止まらない。

あれではもはや飛ぶことすらままならないだろう。


「ああ、醜い」


呪いのようにもたらされた一言に背筋が凍り付いた。

―――遠い昔の記憶が脳裏によみがえる。

同時に、今、目の前で何が起きようとしているかも理解してしまった。


「そんなことないよ、母ちゃんは醜くなんかない、綺麗だよ、何も変わってなんかいないよッ」

「ごめんねレグル、私は醜い、あの人を愛してしまったばかりに―――あなた達を産んでしまったせいで、こんな、ことに」


レグルが青ざめる。

サフィーニャとニャレクも言葉もない様子だ。

母親からのあまりに残酷な一言に俺も唖然とする。けれど、あの人はラタミルだ。


分かってしまう。

ラタミルは俺達と異なる理を持つ存在。

天空神ルーミルにかくあれと望まれ生まれいずるからこそ、自らを醜いと称するその絶望の深さは計り知れない。


「もう、いい、ああ大いなる輝かしきルーミルよ」

「ねえ母ちゃん、僕の方を見てよ、母ちゃん!」

「御許を離れ、堕ちた私にせめてものご慈悲を―――」


ラタミルの全身が光に包まれる。

その光に輪郭が溶けて、フワッとはじけた。

白一色で埋め尽くされた視界が戻ってくると、もはや彼女の姿はどこにも無い。

名前さえ知ることはなかった。

一人の女性としてヒトを愛し、子を儲け、そして非道な仕打ちに儚く散った彼女の末路を今はただ悼む。


これが、ラタミルが迎える最期。

神の眷属である彼らには老いも死も存在しない。

けれど存在意義を失った時、彼らはこうして何一つ残さず消滅する。

―――まるで、元からいなかったかのように。


「母ちゃん」


ぽつりと零れたレグルの声が静まり返った室内に響く。


「どうして? どうしてこんなことになったの?」

「―――レグル!」


不意に飛び込んできた足音と声に振り返った。

プレシオだ、まさか追ってきたのか。

途中でロゼとは会わなかったのだろうか。


「兄ちゃんッ」

「ど、どうしたんだレグル、なんでここに、来ちゃダメだって言われてるだろ、母さんは」

「消えちゃったよ、兄ちゃん」


レグルはふらりと立ち上がる。


「消えた?」

「そうだよ、ねえ兄ちゃん、どうして僕に教えてくれなかったの?」


え、と呟いて、質問の意図を理解したようにプレシオは黙り込む。

兄の反応をどう受け止めたのか、レグルは力なく笑い始めた。


「みんな、みーんな嘘吐いてたんだ、母ちゃんは無事じゃなかったし、兄ちゃんはそれを知ってた、ねえ兄ちゃん」

「れ、レグル」

「兄ちゃんは父ちゃんが実験されて竜になっちゃったことも知ってるの?」

「―――なん、だって」


知らなかったのか?

唖然とする。

教団は兄弟それぞれに部分的な情報しか伝えず、彼らが互いに意思を疎通させなかったことで、目の当たりにしていた状況が違っていたのか。

レグルも驚いたようにプレシオを見詰めて、目から涙を溢れさせた。


「そっか、兄ちゃんも嘘吐かれていたんだね、ここの奴らに」

「い、いやレグル、だってそんな、父さんは」

「母ちゃんも知らなかったんだよ? でも僕が教えたら、消えちゃったんだ」

「レグル」

「全部僕のせいだよね、こんな、羽なんか生やして、こんなものが生えたから、だからッ」


行き場のない感情を吐き出し叫んだレグルを中心に魔力の嵐が巻き起こる。

より強力な衝撃波が辺りを切り裂き、サフィーニャを庇ったニャードルが苦悶の声を上げた。


「ニャードルッ」


くそ、詠唱のいとまが惜しい、急場しのぎだッ。


「ヴェンティ・レガート・ストウム!」


指定した範囲を風の精霊ヴェンティの防護壁が覆う。

だがあまり持ちそうにない、このままでは駄目だ、懐から香炉を取り出してオーダーを唱えようとした。


―――目の前に、血濡れの羽が散る。


「レグル!」


自分の翼から羽を毟り取り投げ捨てるレグルにプレシオが縋りついた。

彼の体もあちこち裂けて血を流している。


「悪いのはお前じゃない、俺でもないんだ、ちくしょう!」


唖然とするレグルの頬を赤く染まった両手で優しく包み込みながら、プレシオは愛しげに微笑みかける。


「黙っててごめんな、言わない方がお前を苦しめるなんて、こんなはずじゃなかったのに」

「にい、ちゃん?」

「ずっと、ずっと我慢してたのにさ、ハハ、もういいや、やめようレグル―――父さんのところへ行こう」


暗い色に染まっていたレグルの瞳に光が戻った。


「兄ちゃんッ」


強く抱き合う兄弟の姿に、胸が苦しい。

―――ハル、ロゼ、お前たちに会いたい。きっとたくさん心配をかけた、すまない。

だが俺も山頂へ行かなくては。

『竜』を、あの忌まわしい存在をロゼが目の当たりにする前に、どうにかしないと。


彼らの父親をこの手にかけることになっても。


「ごめんね兄ちゃん、僕たくさん酷いことしたよね、母ちゃんも、父ちゃんも、僕のせいで」

「もういい、いいんだレグル、行こう、前から話していたこと、憶えてるよな?」

「うん」

「連れていってくれるか?」

「でも」

「大丈夫だ、姿が変わっても父さんは俺達の父さんじゃないか」

「うんッ」

「霊峰サマダスノームは活きている山だから、きっと俺達の願いを叶えてくれる」


ハッとした。

活きている山? ―――まさか。


「行こう」


兄弟は抱き合い、レグルは赤く染まった翼を大きく広げ羽ばたかせる。

その姿はニャレクが囚われていた部屋の、向かいの部屋へ飛び込み、奥の暗がりへ消えていった。

―――あっちも格子が嵌った牢代わりの部屋じゃなかったのか?

猛る魔力の暴風がどうにか動ける程度に弱まり、衝撃波も抗える程度まで収まる。

急ぎ立ち上がって二人の後を追おうとしたら、背後から「お待ちくださいニャ!」とニャレクに呼び止められた。


「いけません、まがい物でも竜は竜ですニャ、俺も先の戦闘であの深手を、片腕を食い千切られたのですニャ、行けば命を落とすかもしれませんニャ!」

「大丈夫だ、俺は死なない」

「リュー様ッ」

「死ねないんだ」

「ニャッ、ニャア?」


無謀でも自惚れでも何でもない、ただ俺自身がそう決めている。

自分のために捨てる命など持たない。

―――俺は、ハルか、ロゼのためにだけ、覚悟を決める。


「ニャゲル、サフィーニャを頼んだ、どうにかここから逃げてくれッ」

「リュー様!」

「里にとって何が一番大切か忘れるな、お前は何の、誰のためにここにいる!」


こう言えばニャレクは自分の立場と役目を思い出して理解するだろう。

後からロゼも来ている、きっと大丈夫だ。


しかし―――プレシオとレグルを想うと、僅かに胸が軋む。

救いたいなどとは考えていない、そんな義理もない、だがあの兄弟は被害者だ。

些細なきっかけで悪意に絡め取られ多くを奪われた。

希望は無いのだろうか。

もしこれが運命だというなら、運命とは、こんなにも残酷なものなのか。


部屋の奥へ進むとまた自動昇降機があった。

装置は起動している。

きっと二人を上へ運んだのだろう。

もどかしい気持ちと共に運搬用の小部屋が戻ってくるのを待つ。


どうか、どうか間に合ってくれ。

今の俺にできる全てを賭けるから、どうか。

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