旅立ち
ティーネを家まで送って帰ってきたリューに「明日は早いぞ」って言われたのに、目が冴えちゃってなかなか寝付けなかった。
だってしょうがないよ、ドキドキするんだもの。
リューも遅くまで荷造りしていたみたい。モコは今夜も暖炉の前だ。
ベッドに入ってどれくらい経っただろう、やっと眠くなってきて、うつらうつらし始めたと思ったらリューに起こされて、眠い目を擦りながら支度を始めた。
「ハル!」
「あれ、ティーネ?」
どうしているの?
ティーネは「やっぱり」なんてぼやきながら、のろのろしていた私を手伝ってくれる。
「ハル、昨日眠れなかったんでしょう?」
「うん」
「でも仕方ないわよね、長い旅に出るんですもの」
「うん」
急に胸がザワザワする。
振り返ってティーネを見詰めたら、あらあらって笑われた。
「待ってるわ、ハルが帰ってくるの、ずっと」
「うん」
「身体に気を付けてね、素敵な旅になりますように」
「うん」
ここには離れたくないものが沢山ある。
でも行くんだ、母さんがいる王都へ、この村の外の世界へ。
身支度と荷物の確認を済ませて暖炉の部屋へ行ったら、リューが朝食を用意してくれていた。
「おはよう」
「はる、おはよ!」
「おはよう、リュー、モコ」
モコは今日も元気そう。
昨日と同じように皆で食卓を囲むけど、同じ風景は暫く見られない。
必ず帰ってくるからね。
その時は、母さんとロゼも一緒だよ。
モコもラタミルの大神殿にちゃんと送り届けないと。
寝ぼけてなんていられない、よし、ご飯を食べて気合入れるぞ。
「ティーネ、家のこと助かる、世話をかけて悪いな、有難う」
「いいのよ、気にしないで、ロゼにもよろしく伝えてね」
「ああ、家にある食べ物なんかは全部片付けてくれていい」
「それは嬉しいわね、リューお手製の燻製、ロゼが作った果実酒、ハルのジャムも引く手数多ですもの、村の皆にもお裾分けしておくわ」
「ああ、君のそういうところを、うちのお転婆にも見習って欲しいものだ」
む、私だっていつも留守をしっかり守っていたし、村の皆にお裾分けもしていたよ。
不服だ、どうせ持っていけないから、リンゴのジャムをパンにたっぷり塗って食べちゃおう。
「あら、ハルったら」
「お前は本当に食いしん坊だな」
モコが目をキラキラさせて「ちょうだい」って言うから、これでもかってくらいジャムを盛ったパンをお裾分けする。
村の外には美味しいリンゴのジャムが沢山あるに違いない。
「おいしーっ」
「ハルが作ったジャムは本当に美味しいものね、私も大好きよ」
「えへへ、ありがとティーネ、モコもありがと」
「うん! ぼくもありがとう!」
「またいつか食べさせてね」
「分かった、まだジャム一瓶残っているから、それはティーネの家で使ってよ」
「嬉しいわ、きっと皆喜ぶわね、有難う」
「どういたしまして」
いつもよりゆっくり朝食をとって、片付けをして、それから―――荷物の最終確認と、家中の戸締り。
私は肩から大きな鞄をたすきにかけて、この中には日用品とオーダーの道具が色々入っている。
リューは昨日帰ってきた時と同じ、大きなリュックに腰から下げた剣、それと袋が一つ。
家を出て、戸に鍵をかけて、その鍵をティーネに渡す。
「皆が戻ってくるまで預からせてもらうわね」
ギュッと鍵を握りしめながらティーネは頷いた。
「行ってらっしゃい、二人が旅に出たって村長さんに伝えておくわ」
「ああ、頼む」
「ハルのことよろしくね、リューも気を付けて」
「ティーネも元気で」
「ハル」
少しひんやりした風がサアッと吹き抜けていく。
ティーネの柔らかな毛や長いひげが一緒にフワフワなびいて揺れる。
瞬きした赤い目がなんだか潤んで見えたから、私も鼻の奥がちょっとツンとした。
「気を付けてね、怪我や病気をしないように」
「うん」
「貴方の宝物は私がしっかり守るから、心配しないで」
「有難う」
大好き。
ギュッと抱き合って、フワフワなティーネに頬擦りする。
ティーネもくすぐったそうに笑いながら、小さく鼻を啜っていた。
「離れても、いつも貴方を想うわ」
「うん!」
改めて顔を見て、微笑み合ってから、そっと離れる。
行ってくるねティーネ。
お土産と土産話、たーくさん持って帰るからね。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
ゆっくり背中を向けて、歩き出す。
まだ気持ちが引っ張られるようだけど、前へ進む足は軽い。
森に入って、ティーネの姿が見えなくなるまで何度も振り返って手を振った。
ティーネもずっと私を見送ってくれた。
元気でね、また会おうね。
「ハル」
高い木々の枝葉の隙間から明るい光が差している。
下草をサクサク踏んで歩く私の頭をリューがぐりぐり撫で回した。
「ロゼと母さんを連れて帰ってこような」
「うん」
最後のお別れじゃないもんね。
撫でてくしゃくしゃにした私の髪を今度は手櫛で整えてくれるから、おかしくて笑ったら、リューもニッコリ笑い返してくれた。
「ねぇはる、てぃーねは?」
「村で留守番をしてくれるの、だから行こう!」
「うん!」
ぴょんと跳ねる姿を見て、リューも私も笑う。
森の中は明るいけれど、こんな奥まで入ったことはないから、気を付けて歩かないと。
見えない木の根や草に足を取られて転ぶかもしれないし、地面にいきなり穴が開いていることだってある。
触るとかぶれたり、棘が生えていたりする植物もある。自然って油断ならないんだ。
「兄さん」
「なんだ?」
シェフルへどう行くのか尋ねると、歩きながら説明してくれた。
「村から川まで一応道がある、殆ど獣道だけどな」
「そうなんだ」
「途中で何度も魔物を倒しているから、魔物も警戒して近くへはあまり寄ってこない」
「そっか」
そうだった。
森には魔物が出るんだ。
採取で踏み込む程度の場所は、村と同じようにエノア様の加護が及んでいるから、魔物が出ても簡単に追い払える小物ばかりだった。
でも、奥へ踏み込めば、もっと強い魔物がいる。
エノア様の加護も届かない、魔物たちは容赦なく牙を剥いて襲ってくる。
急に不安が湧いて鞄の紐をぎゅっと握ったら、あやすように背中をトントンと叩かれた。
見上げたリューは「大丈夫だ」と微笑み返してくれる。
「お前も自分の身を守るくらいはできるだろう?」
「う、うん、多分」
「それなら心配しなくていい、魔物は俺が引き受ける、傍を離れるなよ、いいな?」
「分かった」
「モコも、必ず俺とハルの傍にいるんだぞ」
「うん」
モコは周りをキョロキョロと見て、私に体を寄せてくる。
「なにか、いっぱいいる」
「そうだね、臭いがする」
一昨日の嵐のせいかな、森全体が湿っぽい。
濡れた土や草の匂いに混ざり込む獣臭と、なんだかよく分からない気持ちの悪い臭い。落ち着かなくてゾワゾワする。
魔物が出るかも、なんて思った矢先に近くの茂みがガサッと揺れて何か飛び出した。
「わっ」
「わあっ」
「おっと」
う、ウサギだ。
茶色のウサギ、立ち上がってこっちを見ている、可愛い。
もう、驚かさないでよ。
さっき別れたばかりのティーネのことを思い出して近付こうとしたら、いきなり腕を後ろへ引かれた。
「わッ」
「モコも下がれ、動くなッ」
リューが剣を抜いて踏み出すのと、また揺れた茂みから現れた何かがウサギをバクンと丸呑みしたのは殆ど同時だった。
振り下ろされた刃が一撃で頭を切り落とす。
断面から真っ赤な体液が噴き出して、残った胴だけグネグネとのたうっていたけれど、少しずつ力を失い動かなくなっていく。
蛇だ。
全然反応できなかった。
苔生した鱗、体のあちこちから生えた小枝のような突起物、口の中は細かい歯がびっしり、うえぇ。
「木蛇だな、樹木に擬態して獲物を待ち伏せる」
「魔物、だよね?」
「ああ」
リューは振った剣を鞘に納めてぱちんと留め具を嵌めた。