追い詰められた里のものたち
「よして、ニャードル」
「偵察に行った兄さんだっていまだに戻らないニャ、きっと奴らが」
「ニャードル!」
ニャードルの言葉を叫ぶように遮ったサフィーニャは俯いて、目元をそっと手で拭う。
唖然と見ていたら、顔を上げたサフィーニャは「お恥ずかしいところをお見せしましたニャ」ってぎこちなく笑った。
「いや、構わない、それより今の話は」
「ご恩人様方にお聞かせする話ではありませんニャ、会話に割り込み失礼いたしましたニャ」
サフィーニャに尋ねたリューに、ニャードルがそう返す。
振り返ったサフィーニャはニャードルをじっと見つめてから、またリューの方へ向き直った。
「いいえ、お話いたしますニャ」
「長!」
「ニャードル、こんなところを見せてしまっては、お話ししないわけにいきませんニャ」
ニャードルがぐっと黙り込む。
「それに、皆さまに私共の境遇を知っていただきたいのですニャ」
「長、それは」
「貴方の思うところは分かっていますニャ、それでも、これは長である私が決めたことですニャ」
改めてサフィーニャがリューと、それからロゼ、私とモコを順に見る。
「皆様、私の話を聞いていただけますかニャ?」
リューがロゼを振り返る。
ロゼはなんだか難しい顔をしていたけど、溜息を吐いて頷いた。
「分かった、聞こう」
「感謝いたしますニャ」
リューからの返答を聞いたサフィーニャはホッとしたように微笑む。
その話私も気になる、聞かせて欲しい。
何ができるか分からないけど、話せばせめて気持ちだけでも楽になるかもしれないよね。
「では、お話しさせていただきますニャ」
エメルニャがお茶を淹れなおしてくると言って立ち上がった。
入れ替わりにニャードルが来てサフィーニャの近くに座る。
真っ黒なくせ毛の中で光る金の目は、まるで夜空に浮かぶ月みたい。
「少し前、霊峰サマダスノームの中腹辺りにヒトが神殿のようなものを建て、大勢で集うようになったのですニャ」
「その話は以前聞いたことがある」
「まあ、そうでしたニャ」
「新興宗教団体らしいな?」
「はい、彼の者たちはラタミル様を祀っておりますニャ」
「まさか、そちらの彼がさっき話していたラタミルというのは」
「―――奴らはラタミル様、いや、堕ちたラタミルの指示で我らをこの地から追いやろうとしているニャ」
サフィーニャが「ニャードル」と語気を強くしてまたニャードルを咎める。
でもニャードルはイライラと尻尾を揺らしながら「あんなものは我らが崇めるラタミル様などではありえないニャ!」と拳を握りしめた。
「確かに麗しい見目をして、背に翼を持っておられるニャ、だがあのような非道をラタミル様が為されるはずがないニャ、あれは魔物ニャ、堕ちたラタミルニャ!」
「お願いだからやめて、そちらにラタミル様がいらっしゃるニャ」
私の頭の上にいたモコは、慌てて肩へ飛び移って、そのまま髪の奥に潜り込んでくる。
じっと見ていたニャードルが「申し訳ない」と声の調子を落としながら三角の耳を伏せた。
「私も勿論、里の皆同様にラタミル様を崇拝しておりますニャ、この里の安寧はかつてラタミル様によりもたらされたもの、それは理解しておりますニャ、しかし」
「おい」
不意にロゼが口を開く。
「その非道を行っているとかいうラタミルについて、容姿、言動の詳細を教えろ」
急にどうしたの?
私だけじゃなく、訊かれたサフィーニャと、ニャードルまで目を丸くしている。
腕組みしたロゼはサフィーニャから視線を逸らさない。
傍目にも(早く言え)って無言の圧が凄いよ。
「あ、は、はい、その」
サフィーニャ、ちょっと怖がってる。
だけどリューは止めに入らない。どうして? 様子を見ているのかな。
「私は彼の方を実際に見たことはありませんニャ、里のものから伝え聞いた話になりますニャ」
前置きをしてサフィーニャは『堕ちたラタミル』の話を始める。
幼い子供の姿をしていて、愛くるしい外見に金色の巻き毛、背中に純白の羽を一対持つらしい。
目は、暗く沈んだ青。
一緒にいた人たちに、無邪気な言動で遭遇したニャモニャたちを殺すよう命じたそうだ。
加護領域内を警戒してまわっていたニャモニャたちは武装していたけれど、圧倒的戦力差から不利に追い込まれ、全員が深手を負いながらも必死に里へ逃げ帰った。
「里には周囲より強い加護を授かっておりますニャ、ですから、おそらく彼らも里の中までは追ってこられなかったのだろうと、皆そのように考えておりますニャ」
「だが我らは里の中のみで生活しているわけではない、狩場も畑も採取場もすべて里の外にあるニャ、更なる被害を恐れて里の中に引きこもり過ごすわけには」
「そのことはどうでもいい」
「ニャッ!」
ロゼ兄さん、なんてこと言うの。
毛を逆立てたニャードルにお構いなしにロゼはサフィーニャへ問いかける。
「それより、件のラタミルの供をしていた輩が山中に居を構えた新興宗教団体の者だった、だからそのラタミルは教団と関わりがある、お前たちはそう思っていると、そういうことだな?」
「はい、それと、彼の方自身も仰られていたそうですニャ、自分は神だと」
「神」
「皆がそう呼ぶのだから自分は神だニャ、だから下れ、さもなくば死ねと、そのように」
「はッ!」
呆れたように声を上げて、ロゼは急に立ち上がると「気分が悪い」と言い残して家から出ていってしまった。
追いかけようか迷ったけれど、リューが座ったままだから、私も浮かせかけた腰を下ろして椅子に座りなおす。
リューは私や母さんよりもロゼのことを理解している。
そのリューが放っておくんだから、今はロゼを一人にしておいた方がいいんだろう。
でも、リューはロゼが出ていった戸口を少しの間だけ心配そうに見つめていた。
サフィーニャは狼狽えているし、ニャードルはずっと苛立って尻尾をパタパタ揺らしている。
「サフィーニャ」
「は、はい」
リューがサフィーニャを呼んで、サフィーニャは慌てて返事をした。
「そのラタミルらしき何者かが、里の子供を攫っているのか?」
「恐らくそうではないかと、まだ戻った仔らに話を聞いておりませんが、先の者たちが襲われたのも領域内、それも、あの仔たちがいなくなって間もなくのことでしたニャ」
「そうか、しかし何故彼らは君たちに危害を加えるのか」
「きっと私共との間に確執があるからですニャ」
「確執?」
訊き返すリューにサフィーニャの隣からニャードルが答えた。
「奴ら、ここへ来てすぐ領域の外に生えている木を手当たり次第伐り倒し始めたニャ、廃材で川の下流も汚したニャ、だから作業を止めさせたニャ」
「まさか武力行使でもしたのか?」
「向こうが先に仕掛けてきたニャ、武器を持っていたし、数も多かったニャ、マテリアルやエレメントを使う奴までいたニャ!」
「それで確執ができたのか」
「我らに非はないニャ、奴らの逆恨みニャ!」
「ニャードル落ち着いてちょうだいニャ、貴方の憤りはもっともだけど、お願いだから冷静になってニャ」
ニャードルは興奮した様子でフウフウ言いながら顔を撫でまわす。
仕草は可愛いけど、逆立った毛も含めて怒りの度合いが伝わってくる。
―――今の話のラタミルは、本当に本物のラタミルなのかな?
話を聞いている最中にふと思った、うまく言えないけど違和感がある。
そもそも、私も知っている世間一般のラタミル像や、ここにいるモコと、そのラタミルはあまりにかけ離れている。
魔物が姿だけ真似た偽物って言われた方がよっぽどしっくりくるよ。
人にはラタミルのように振舞うなんてどう足掻いても無理だし、多分竜もそんなことしない。
ハーヴィーはラタミルを嫌っているらしいから絶対ないだろう。
妖精の可能性だってない。
もし妖精なら、さっきモコをラタミルだと見抜いたように、妖精のニャモニャたちが同族に気付かないはずがない。
「口にするのも、恐ろしいことですが」
途切れ途切れ、サフィーニャが呟く。
「攫った仔らを売り、教団の資金に、そして、そして偵察に行った者たちは、彼らはきっと、もう」
「サフィーニャ!」
ニャードルがサフィーニャの肩を掴む。
ハッとしたサフィーニャはニャードルを見つめ返すと、急に眼からポロポロと涙をこぼした。
堪えていたものが溢れ出したんだ。
ニャードルはビクッとして手を離すと、サフィーニャに触れようとしてもう一度伸ばしかけた手を、今度はそっと下ろして俯く。
―――見ているこっちまで辛い。
リューも無言で二人の姿を見ている。
私の髪の影に隠れていたモコが、顔を覗かせて頬にそっと羽を摺り寄せてきた。
「失礼、いたしましたニャ」
暫く泣いて、落ち着いたサフィーニャは一生懸命目を擦ると、無理やり作った笑顔を浮かべて私とリューに頭を下げる。
「度々お見苦しい姿を晒してしまい、申し訳ありませんニャ」
「いや」
「先ほど、こちらのニャードルも申しておりましたが、教団を偵察に行った者たちが今も戻らないのですニャ」
「私の兄は偵察隊の隊長に名乗りを上げましたニャ、皆を引き連れサマダスノームへ行ったきり、今は呼び掛けても返事すらありませんニャ」
だからニャードルはこんなに怒っているんだ。
勿論、仲間を傷つけられたり、奪われたりしたことも許せないだろう。
だけど兄弟の行方が分からないのに冷静でなんかいられないよ。
私だって兄さん達に何かあったら―――そんな状況想像もつかないけど、やっぱり不安だし怖くて仕方ないと思う。
リューとロゼだけじゃないよ、母さん、ティーネ、モコも、セレスにも、カイにだって酷いことは何一つ起きて欲しくない。
部屋はしんと静まり返っていた。
不意に、フワリと暖かくて柔らかな香りがして、奥から盆を持って現れたエメルニャがニコニコしながらこっちへ来る。
目の前に湯気を立てるカップを差し出された。
今のはこのお茶の香りだ、なんだか落ち着く。
「どうぞ」
「あ、有難うございます」
私がカップを受け取ると、エメルニャはリュー、ニャードル、サフィーニャにもカップを渡していく。
「こういう時は美味しいお茶を飲んで、少し落ち着きましょうニャ」
甘いミルクティーだ。
美味しい、固くなって冷え込んでいた気持ちがゆっくり解れていく。
今の話を聞いて、ニャモニャたちを助けたいと思った。
だけど私に何ができるだろう。
サマダスノームの新興宗教団体は山中に神殿を建立するくらい大きな組織だ、しかも、ニャモニャたちを攫ったり殺そうとしたりする。
武装しているのみならず、マテリアルやエレメントを使う術者までいるなんて、ちょっとした軍隊並みの武力だよ。
それから、例のラタミル。
本当にラタミルかどうかはまだ分からないけれど、どちらにしたってかなり手ごわい。
もし、本物のラタミルなら、多分兄さん達でも勝てないだろう。
だって神の眷属だ、人がどうこうできる相手じゃない。
「サフィーニャ」
エメルニャの声に、私もサフィーニャを見る。
「お母様」
エメルニャはサフィーニャをじっと見つめてから、私とリューを見て、微かに溜息を吐いた。
悩ましげな表情をしている。
「やはり、皆様に聞かせる話ではありませんでしたニャ、そのことを理解していますニャ?」
サフィーニャはハッとなって私とモコ、リューを見てから、俯いて耳を伏せる。
隣でニャードルも下を向いた。
「はい、その通りですニャ、お母様―――私は短慮から愚かな真似をいたしましたニャ」
哀しい声が部屋に響く。
エメルニャも耳を伏せて、しゃがみこむとサフィーニャを両腕の中に包み込むようにそっと抱いた。