サフィーニャ
サフィーニャと名乗ったそのニャモニャは背筋がスッと伸びていて、何ていうか気品がある。
不意にティーネを思い出した。ティーネも獣型の時は彼女みたいに品があってモフモフなんだよね。
そういえば色々な毛色のニャモニャがいるな。
さっき案内をしてくれた甲冑を着込んだニャモニャの、隙間から覗く毛色は黒だった。
「この度は我らが里の宝をお救い頂き、心よりお礼と感謝を申し上げますニャ」
またサフィーニャと他のニャモニャたちが揃って頭を下げる。
顔を上げたニャモニャの何人かが濡れた目元を拭って、サフィーニャも嬉しそうに小さな牙を覗かせながら微笑んだ。
「もう、戻らないものと思っておりましたニャ」
「それなら尚更、助けることができてよかった」
「有難うございます、お気遣い痛み入りますニャ、お優しい方ですのね」
リューが少しだけ照れたような顔をする。
私も本当によかったと思う。
あの横転した馬車から子猫たちだけじゃ出られなかっただろう。閉じ込められたまま衰弱して、最悪死んでいたかもしれない。
事故が起こらなかったとしても、その時はロゼが話していたように売り飛ばされて誰かのペットにされていただろう。
あんなに怯えて、帰りたいって泣いていた子たちが酷い目に遭うなんて耐えられないよ。
「ところで、皆さまは旅のお方とお見受けいたしますニャ」
「ええ」
「でしたら本日はこちらで夜をお過ごしください、お休みいただける場所を整えさせていただきますニャ」
えっ、妖精の里に泊まれるの?
リューも目を丸くして驚いている。
まずできない体験だよ、すごい、やった!
「あー、いえ、お気持ちは有り難いのですが」
えッ断るのリュー兄さん?
私がショックを受けた気配に気づいたらしいリューが、振り返って首を横に振る。
なんでぇ? 泊めてもらおうよ、せっかく好意で言ってくれているのに。
ああ、未知の体験がぁ。
「俺達はヒトです、本来はこちらに招かれざる客だ、用は済みましたので、そろそろ失礼させていただきます」
妖精は他種族と関わることを嫌がる。
この里の人達のように、誰にも見つからない場所でこっそり隠れ住むって、本に書いてあった。
もちろん例外もいるらしいけどね。
それと、妖精には独自の通信能力が備わっていて、どれだけ離れていても他種同族の妖精と意思疎通が可能なんだって。
エレメントやオーダーを使わずに精霊の助けを借りたり、人には作ることのできない霊薬の製造方法を知っていたりもするらしい。
ラタミルはハーヴィーの眷属の妖精もいる。
この人たちは、もしかしたらルーミルを信仰しているんじゃなくて、ラタミルの眷属なのかもしれない。
それならモコへの態度も納得がいく。
「それと、この里のことは誰にも言いません、何なら誓約を交わしても」
「まあ、なんてこと」
サフィーニャはフワフワの両手で口元を覆って、長いヒゲをピンピンと揺らす。
他のニャモニャたちも『誓約』と聞いてざわついている。
今、リューが言った『誓約』は、魔力を用いて行う呪いによる縛りのことだ。
破れば誓約時に取り決めた罰を受けることになる。
「誓約など、恩人様にそのようなこと致しませんニャ、私共はあなた方のお人柄と誠意を信用しますニャ」
「ですが」
「ニャモニャは恩義に報いる一族、子供たちを連れ戻してくださったのみならず、我らにまでそのようなお気遣いを頂いて、このご恩をお返ししなければ我らの面目が立ちませんニャ」
そう言ってサフィーニャはリューの前へ進み出ると、そっと手を取った。
リューがここから見ていても分かるくらいあからさまに動揺している。
兄さん、触り心地がいいもの大好きだもんね。
私も大好きだから羨ましい、フワフワして柔らかそうな手だな。
「それに、あなた方はラタミル様とご一緒におられますニャ」
肩へ移っていたモコが「またぼく?」と首を傾げる。
ここへ来てから大人気だよね、モコ。
「ラタミル様は美を好み、醜悪を何より厭われますニャ、そのラタミル様がお心を許されているのなら、あなた方は姿も魂も美しいということですニャ」
「―――そうなの?」
こっそり尋ねてみると、モコはピッと鳴いて翼を広げた。
羽の先が当たってくすぐったいよ。
「そうだよ! はるも、りゅーも、ろぜも、きれい! ぼくきれいなのすきだ、さふぃーにゃも、きれい!」
「まあ」
目を丸くしたサフィーニャは、恥じらうように少し顔を背ける。
他のニャモニャたちまでそうだそうだと騒ぎだして、今度は長い尻尾が困ったようにゆらゆらと揺れた。
「私には過ぎたお言葉ですニャ、感謝いたしますニャ、モコ様」
「ほんとうにきれいだよ?」
「あの、ええと、その」
サフィーニャを見ていたリューが振り返って「こらモコ、彼女を困らせるんじゃない」ってモコを窘める。
だけどモコはあまり分かっていない様子で首を傾げた。
ため息を吐くリューについ笑っちゃう。
「すまない、その、モコは素直なんだ」
「お気遣いなく、モコ様のお言葉有り難く頂戴いたしますニャ」
「でも、君は確かに綺麗だ」
「ウニャッ?」
もう、私もそう思うけど、リューもしょうがないなあ。
不意にロゼがゴホン、ゴホンと咳払いをして、ハッと我に返ったリューは慌ててサフィーニャの手を離しながら「失礼した」って謝った。
「ウフフ、本当に楽しい方たちですニャ」
サフィーニャもそうだけど、他のニャモニャたちも笑うと口からちょっと牙がのぞくんだよね。
可愛い、やっぱり猫の妖精だ。
「ぜひ我らの里で旅の疲れを癒してくださいですニャ、おもてなしさせてくださいですニャ」
「しかし」
「そうだ、よければ旅のお話なども聞かせて欲しいですニャ」
サフィーニャがそう言うと、途端に他のニャモニャたちも「そうだそれがいい」と騒ぎだす。
「我らは外のことをあまり知りません、恩人様、是非お話し聞かせて欲しいですニャ」
「ですニャ! 今夜は宴会ですニャ!」
「お話聞きたいですニャ、ヒトの暮らしを知りたいですニャ!」
「今夜は我らが里でお過ごしください、美味い酒もありますニャ!」
「子供達もお願いしておりますニャ」
「ミャーニャ!」
「ミュンミュンッ」
「祭りですニャ、久々に騒ぎますニャ!」
「子供たちの無事の帰還と、ご恩人様方のご来訪を祝って、皆で祝杯を挙げるニャーッ」
「ニャーッ!」
「祭りニャー!」
大騒ぎだ。
流石にこの状況で断るのは失礼だよね、兄さん?
振り返ったリューが私を見て、ロゼを見て、仕方ないって言うように肩をすくめる。
やった、妖精の里に泊まれる!
見渡した景色には背丈の低い家々が並んで、井戸や、日用品なんかもあるけれど、どれも私が知る物より二回りくらい小さい。
竿に干した小さな服が風に揺れている。
ここで妖精たちが暮らしているんだ。
何を食べて、どんな生活を送っているんだろう。
珍しい植物が生えていたりするかな、オーダーに使えると嬉しいんだけどな。
「では、お言葉に甘えさせてもらって構わないか?」
「勿論ですニャ、それではご案内いたします、皆さまどうぞこちらへ」
リューはサフィーニャと一緒に歩きだす。
私もついていこうとして、不意に溜息が聞こえて振り返った。
「兄さん?」
ロゼ、なんだか浮かない顔をしている。
どうしたんだろう。
「どうかした?」
「いや、気にしなくていい、すまないね、ハル、行こうか」
そう言ってクロとミドリの手綱を掴む。
もしかして今夜ここで過ごすのが嫌なのかな。
「兄さん」
「なんだいハル」
「なにか心配事? それとも気になることがあるの?」
じっと私を見て、ロゼは私の髪を撫でる。
大きな掌の感触が気持ちいい。
「なに、たいしたことじゃない、ここにある家はどれも小さいだろう?」
「うん」
「僕が入って平気かと思ってね」
「あッ」
そうか、考えなかった。
多分大丈夫だと思うけど、横になるのは難しいかもしれない。
「窓や戸口から腕や足が飛び出したりしたら格好悪いだろう?」
「うん、そうだね」
「だがまあその時は外で毛布にでも包まって休むよ、さあ行こう、君はこいつらの暮らしぶりが気になっているのだろう?」
「う、うん」
ロゼが気付いているなら、多分リューにも気付かれているな。
だけど貴重な体験を逃したくないよ、そういうのは誰だって同じだと思うよ?
リューとサフィーニャの後を追おうとしたら、ニャモニャが一人やってきてクロとミドリを預かってくれると申し出てくれた。
「騎獣、平気ですか?」
「大丈夫ですニャ、村の畑でピオスも好む野菜を作っておりますニャ、ご恩人様方の大切な騎獣ですからニャ、その野菜と新鮮な水をたっぷりご用意いたしますニャ」
「有難うございます」
クロとミドリに「いい子にするんだよ」と声を掛けると、二頭は鼻を鳴らして返事する。
手綱をニャモニャに預けて、改めてすっかり距離が開いてしまったリューの背中を追いかけた。




