王子様
「そうだハルちゃん、外へ出てみないか?」
セレスがニコッと笑いかけてくる。
「明日ここを立つなら大通りやネイドア湖を見に行こう、またエピリュームを摘んだりさ、どうかな?」
「いこう、はる、ぼくもいきたい!」
モコも翼をパタパタ羽ばたかせながらはしゃぐ。
そうだね、暫くネヴィアにもネイドア湖にも来られないだろうし、離れる前にあちこち見ておこう。
ここは思い出深い場所だから。
それに、もう騒動は収まっているし。
「カイ、まだネヴィアにいるかな」
「どうだろうな、もういないんじゃないか」
急にセレスはそっけない。
仲良くなったように見えたけど、まだ違うのかな。
「あんな奴のことより、ハルちゃん」
「うん」
「いえ、ハルルーフェ姫」
「えっ」
私の前で跪いて、セレスは手をスッと差し出してくる。
その手に触れると、引き寄せられて手の甲に―――わぁ、き、キスされた。
私を見上げながらパチンとウィンクする。
は、恥ずかしいよ。
緊張して手の平に変な汗まで滲む。
「どうか私めに貴方のお傍に侍る栄誉をお与えください」
「あ、はい」
「感謝いたします、姫」
「セレス、どうしたの急に」
「ハルちゃんは私にとって特別な姫君だからさ」
私の手を掴んだまま立ち上がると、セレスは声を弾ませる。
「行こう、二人でデートだ!」
「ぼくもいるよ!」
肩でモコがピョンピョン跳ねた。
気付いたセレスは苦笑して「そうだった、ごめんよモコちゃん」ってモコを撫でる。
目を閉じて気持ちよさそう、満足したみたい。
「それじゃ三人でデートだ!」
「でーと!」
「うんっ」
セレスがいてくれると楽しい。
この先も一緒に旅を続けたいな。
「ハルちゃんはどこへ行きたい?」
「ええと、そうだな」
「ぼく、ねいどあこまんじゅうがたべたい!」
「え?」
思いがけずセレスと顔を見合わせて笑う。
「モコは食いしん坊だな」
「ねいどあこまんじゅう、おいしいよ」
「確かにここでしか食べられない甘味だ、よし、ハルちゃんもどうかな?」
「行こう」
「それじゃ、まずは屋台巡りに出発!」
モコに外へ出たら喋っちゃだめだよと言い聞かせて、三人で出かけることになった。
兄さん達に伝えに行くと、快く送り出してくれる。
でも、セレスだけロゼに部屋の隅へ連れていかれて念入りに何か言われていた。
セレスは嬉しそうだったから、いいことだったのかもしれない。
ロゼは渋い顔していたけど。
何だったんだろう。
宿の外へ出ると陽が高い。
もうすぐ昼時だ。
屋台で昼食をとることにして、早速買ったネイドア湖まんじゅうを齧りながらあちこち見て回る。
串焼きの魚、いい匂いを漂わせる汁物、タレをつけて焼いた餅。
どれも美味しそう、迷うなあ。
絞り込んだ候補の中から麺の屋台に決めた。
見たことのない縮れた麺だ、その麺が魚でダシを取った透明なスープの中に沈んでいる。
美味しそうな匂い、後でリューに教えないと。
「ん、ウマい!」
「美味しいね、優しい味がする」
「おッ、ピヨーッ」
モコ、鳴き方がわざとらしい。今ちょっと喋りかけたよね?
スープはいい塩加減でダシの豊潤な味わいだ、具のシャキシャキした香草と半熟の卵、焼き色の付いた魚の身も美味しい。
弾力のある麺はモチモチでツルツル、食感がよくて食べやすい。
店員に訊いたら、西の商業連合から伝わってきた料理だと教えてくれた。
リアックで食べた豚角煮まんも商業連合から伝わってきたって話していたよね。
「セレス、商業連合って美味しいものが沢山あるの?」
「大陸の外と交易があるから、確かに珍しいものが色々あるな」
「へえ」
「連合王国内の流通は殆どが商業連合発さ、西へ行けば大抵のものは手に入る、もちろん、美味いものも沢山ある」
「いいなあ、西にも行ってみたいな」
「ハルちゃんも食いしん坊だね」
そう言われると少し恥ずかしい。
モコが嬉しそうに「おそろい」って呟いてすぐ翼で嘴を隠した。
もしかしてモコがよく食べるのって、私を見ていたせいだったりする?
でも我が家は昔から『よく食べ、よく働き、よく寝る』って方針だし、誰でも美味しいものは満足いくまで食べたいよね。
「商業連合にはお勧めの店が幾つかあるから、行くならぜひ案内させてくれ」
「本当?」
「ああ、料理も酒も凄く美味い、店の雰囲気もいいから、ハルちゃんもきっと気に入ると思うよ」
「そっか、楽しみ」
「ピッ、ピヨピヨ、ぼくも、ピヨッ」
さっきから一生懸命小鳥のフリを頑張っているモコに、つい笑っちゃう。
鳥の姿でも話せるようになったのはよかったけれど、思わぬ弊害だね。
セレスも笑って「そうだな、モコちゃんも一緒に行こう」ってモコを撫でる。
「さて、食ったら次はどこへ行こうか?」
「ネイドア湖!」
「よし、決まりだ」
屋台を出て、今度はネイドア湖へ向かう。
近付くほどに風がエピリュームの香りを運んでくる。
いい匂い、風も涼しくて気持ちいい。
街の景色が途切れると、その先には日差しを受けて輝く銀色の湖面が広がっていた。
今はもう静かにさざ波が立つだけの穏やかなネイドア湖。
この奥にネイヴィがいる。
―――きっとまた会おうね、ネイヴィ。
「綺麗だな」
風に揺れる髪を押さえながら隣に立つセレスを見上げた。
長いまつげの下でオレンジ色の瞳に映り込んだ湖面の光がキラキラ輝いている。
「昨日の出来事が夢でも見ていたように思えてくる」
「そっか」
あの大騒動をそう言ってしまえるなんて、やっぱりセレスは凄いな。
ネイドア湖内にネイヴィが作り出した異空間、水底からの景色は幻想的で綺麗だった。
だけど大蛇のことを思い出すとまだ怖くて少し震えそうになる。
大蛇は、ううん、彼女は、綺麗になって還ったんだよね。もう苦しんでいないし、哀しくもないはずだ。
「改めて有難うハルちゃん」
「えっ」
「君のおかげで今こうしてここに立っていられる、本当に感謝しているよ」
「そんな、私こそ、セレスとカイが、それにモコがいてくれなかったら」
「ぼく、とべるようになった!」
「そうだな、モコちゃんにも感謝だ」
「せれすもありがと、はるもありがとーっ」
モコはパタパタ羽ばたいてセレスの肩へ移る。
「つよいねせれす、とってもきれいだ」
「ハハ、お褒めに預かり光栄だよ」
「ぼくきれいなのすきだ、せれすもすき」
「その気持ちよく分かる、私も師匠とリュゲルさん、ハルちゃんが好きだ」
「ぼくは?」
「勿論モコちゃんも好きだよ」
得意そうに胸を張るモコに笑っちゃう。
頑張ったもんね、皆が出来ることを全力でして、今ここにいられるんだ。
「そういえば、モコはどうしてまた鳥の姿になってるの?」
「ぼく、はねしまえないから、ろぜがかえてくれた」
そうだったのか。
確かに翼の生えた羊なんて見つかったら大騒ぎになるし、知っている人にはモコがラタミルの雛だって気付かれるよね。
「はんにんまえっていわれた、ぼくもっとがんばる」
「飛べるようになっただけで凄いよ」
「そうかな?」
「ああ、荘厳なお姿だった、やっぱり君のことは敬うべきじゃ」
「ぼくもこだよ、せれす、もこだよ!」
「ああ、はい」
いつもこだわるけど、モコには譲れない部分なのかもしれない。
敬う、なんて畏まったら距離ができそうな気がするよね。
モコはモコだ、ラタミルだけど、私の大切な友達だよ。
「ハルちゃん」
不意にセレスが私を見つめる。
「さっき、もしかして師匠とリュゲルさんにパナーシアのことを訊いたのか?」
「うん」
思い出して俯くと、セレスは「そうか」と呟いて私の背中をポンポンと叩く。
「あいつが言った通り、答えてはくださらなかったんだな」
「うん」
「大丈夫だ、気を落とさなくていい、お二人にはきっと何かお考えあってのことだろう」
「そうだよね」
「師匠もリュゲルさんもハルちゃんのことをいつだって心から想っておいでだ、きっと話してくださる日が来るさ」
「私もそう思う」
「少し羨ましいな」
見上げたセレスに寂しげな影を見つける。
手を掴んでギュッと握ったら、目を丸くしてから、セレスははにかんで「有難う」と笑った。
「ハルちゃん」
手を握り返される。
セレスの手は暖かい。
「その、私が口にしていいか分からないが、君に伝えておこうと思う」
「何を?」
「パナーシアについて、私の知っていることを」
ドクンと鼓動が震える。
ネイドア湖の異空間で、セレスは私がパナーシアを唱えた時すごく驚いていた。
カイに口止めもされていたけど、やっぱり、セレスもパナーシアがどういう魔法か知っているの?
それなら教えて欲しい。
兄さん達を困らせることになるかもしれない、だけど知りたい。
じっとセレスを見詰めると、セレスも私の手をゆっくり放して、改めて私と向かい合う。
「聞かせて、セレス」
「ああ」
モコもじっとセレスを見ている。
緊張した雰囲気の中に、風が運んできたエピリュームの香りが漂った。
「パナーシアというのは」
セレスが言いかけた直後、急にモコがビクッと震えて私の方へ飛んでくる。
慌てて受け止めた小さな体は、とても寒いみたいに震えている。
「どうしたの、モコ」
「わかんない」
「モコちゃん、大丈夫か?」
「わかんないけどこわいよ、はる、せれす、ぼくすごくこわい」
何がそんなに怖いの?
辺りにおかしな気配は特にしない。
景色を楽しむ観光客と、エピリュームの花が風に揺れているだけ。
大蛇は消えたし、一体何がそんなに怖いんだろう。
セレスと顔を見合わせて首を傾げていたら、どこかから呼び声が聞こえてきた。
「セレス様ーッ」
驚いて声がした方を見る。
セレスも同じ方を向いて、あからさまに嫌そうな顔をした。
男の人だ。
きちんとした身なりをしているのにどこかだらしない、それに何か―――臭う。
「やぁっと見つけた、どこ行ってらっしゃったんですか!」
「それはこっちのセリフだ」
「いやいや、行先は決まっていたでしょ、なに言ってるんですか、散々探したんですよ」
「私もだよ、不本意だけどな」
セレスの知り合いなの?
誰か訊こうとしたら、男の人は急にセレスと私の間にずいッと踏み込んでくる。
驚いて後ろに少し下がった。
セレスが「おいッ」と語気を強めて男の人を非難する。
「君がここでのセレス様の恋人か、随分と田舎臭い、いや、純朴そうな娘ですねえ、セレス様」
「え、えッ」
恋人?
セレスが急に顔を真っ赤に染めて男の人を睨みつける。
「貴様、何を言っているんだッ」
「悪いが君とは遊びだ、こちらのお方は庶民の出など本気で相手にされる身分ではないのだよ」
「勝手なことを言うな、彼女は」
「セレス様は女性がお好きでいらっしゃる、だから君のような田舎娘にも慈悲を施してくださったのさ、せいぜい感謝したまえよ? なにせこのお方は」
「やめろ!」
セレスが怒鳴った。
ここまで本気で起こる姿を初めて見る。
どうしたの、この人は何を言おうとしているの?
―――そして思いもよらない言葉が、男の人の口から飛び出した。
「エルグラート連合王国、国王家第五子、セレス王子殿下であらせられる!」




