決戦 5
崩れかけた成れの果ての、額に開いた穴から何か―――現れた。
ズルンと上体だけ抜け出て顔を上げる。
あれ、は。
「あッ、兄上!」
セレスが叫ぶ。
―――ランペーテ様だ。
白銀色の長い髪と、深い青色の瞳。
こっちを見ている?
違う。
母さんから貰った、このネックレスを見ているんだ。
『姉上』
呟いたランペーテ様は静かに目を瞑り、そしてゆっくり瞼を開けると、両腕を手前に突っ込む。
何かを強引に、力任せに引きずり出した。
あれは、魔人レパトーラ!
『おのれぇッ』
くすんだ金の髪と昏い色の瞳。
ランペーテ様に押さえつけられ、身動きの取れない様子のまま憎しみの籠った目を私達へ向けてくる。
『取引は成立したッ、何故貴様はまだ在る!』
『そうだな、私はお前と取引をした、結果、魂は消滅し、肉体はこうしてお前のものとなった』
『では何故ッ』
『だが私の精神までをも侵させはしない』
もしかするとランペーテ様は、エノア様と同じことをしたんだろうか。
魂と肉体、そして精神、自分を三つに切り離したんだ。
だから亡くなった後も肉体に魔力が残っていた。
『私の特異体質故に、常人と異なるのだろうと安易に結論付けたようだな、それはあながち間違いではない』
『なんだと』
『こんな真似ができるのは、他には恐らく姉上と、そしてその子らくらいであろう』
ランペーテ様が私を見る。
『我が姪、ハルルーフェよ』
姪、って、初めて言われた。
少し息を呑む。
今のランペーテ様は、見たことのない穏やかで静かな佇まいだ。
『厚かましいと承知の上で、頼まれて欲しい』
「は、はい、あの」
『姉上に謝罪を伝えてくれ、お前にもすまないことをした』
そして『リュゲルにも詫びねばな』と瞳を伏せる。
叔父様。
―――どうして。
『セレス』
今度はセレスに呼び掛ける。
セレスの肩が大きく震えた。
瞬きもせずランペーテ様をじっと見つめている。
『弟よ』
「ッあ、あ!」
『今更都合がいいと、言ってくれるなよ』
柔らかく微笑むランペーテ様の姿に、胸が苦しい。
こんなにも―――本当に綺麗な方だったんだ。
背後から拘束しているレパトーラの体を、ランペーテ様は押し上げるようにしてグッと反らさせる。
レパトーラの胸の辺りが縦に裂けて何かが覗いた。
黒い空間だ。
奥の方に鈍く光る何かが見える。
『ここだ』
『ぐぅッ!』
『セレスよ、この闇を貫け』
セレスがたじろぐ。
そんなことをしたら押さえつけているランペーテ様まで貫いてしまう。
「あ、兄上ッ」
『早くしろ』
「兄上ぇッ!」
ランペーテ様はまた目を閉じて、開く。
静かな眼差しがセレスに注がれる。
『セレス、私はこれまで一度たりともお前を弟と思ったことはない』
「ッう!」
『だが、それでもお前は私やサネウを兄と慕い、王族として民のため身を挺し続け、遂にはここへ至った』
セレスに語り掛ける声は『最早認めるしかあるまい』と続ける。
『お前は、我が弟だ』
「ち、違う、違うんです兄上、俺はただッ」
『もういい、理由などどうでもいいのだ、セレス、ここにある結果のみが全て』
ランペーテ様は『早くしろ』とセレスを急かす。
「ですがッ」
『取り返しのつかないことはある、私は違えてしまった』
「兄上!」
『お前は、これまで歩んできた道のりを誇るがいい、私も認めよう』
視界が濁って涙が溢れる。
だけど、いつもすぐ泣いちゃうセレスは涙を堪えている。
それならこれは、君の代わりに流れた涙なのかな。
ランペーテ様は最後まで酷い方だ。
でも、もういい。
王族としての務めを果たそうとされているお姿を見届けよう。
『さあセレス』
「ッうぅ、うううッ!」
『幕引きを任せる、やれ』
「あに、うえぇッ」
『やめろ!』とレパトーラが叫ぶ!
『我らには神が必要だッ、私は神に成る!』
『早くしろ、セレス』
『くッ、貴様ら如き脆弱な存在にッ、こんなことで終わらせはしない! 我が願いは! 我らはこの世界に!』
『セレス』
抵抗するレパトーラを押さえつけているランペーテ様の表情が苦しげに歪む。
崩れかけた顔面がオンオンと鳴いて、周囲の魔力がまた高まっていく!
「セレス!」
カイが叫んだ!
「てめえが片をつけろ! 兄貴なんだろ!」
ハッとなったセレスは剣を構える。
ランペーテ様を真っ直ぐに見上げる表情は、それでも辛そうだ。
「ランペーテ兄上」
セレスの呼びかけに、ランペーテ様は頷き返す。
「お覚悟!」
走り出し、高く飛びあがったセレスは、ランペーテ様が押さえつけているレパトーラの胸の裂け目めがけて剣の切っ先を下ろす!
『やあああああああめええええええろおおおおおおおおおッ!』
そのまま背後のランペーテ様ごと刺し貫いた!
『み、ごと』
「兄上ッ」
満足そうな表情を浮かべたランペーテ様の姿が一瞬で黒く染まる。
そしてボロッと崩れ落ちた。
『オオオオオオオオオッ、オオオオオオオオン!』
レパトーラの姿も黒く染まっていく。
胸に突き立てた剣を引き抜いたセレスは、改めて剣を構え直す。
『なぜだ、なぜ、なぜなのだ』
体のあちこちにヒビが入り、崩れていく。
レパトーラはうわ言のように繰り返す。
『我らもこの世に存在すべきものだろう、何故だ、どうして認めない、何故』
魔物の存在意義。
そのためにレパトーラは自分達の神を造ろうとした。
―――狂ったやり方で。
『我々は、なぜ』
ボロボロに崩れた手を、腕を、何かを求めるように宙へ伸ばす。
『ああ、あああああああ』
哀しい。
けれど魔人は、願いのためにあまりに多くの犠牲を出した。
レパトーラは決して許されない。
これは自分で招いた破滅なんだ。
『われらに、かみは、いない』
完全に黒い塊になったレパトーラの姿が崩れ落ちる。
―――残ったものは、歪な夢の成れ果て。
レパトーラはきっと本気だった。
でも、それは受け入れられない。
だってこの世界が消えてしまえば、誰の何の存在意義だって全て失われてしまうから。
辺りが大きな音を立てて揺れ始めた!
この繭を維持する要だった魔人が消滅して、崩壊が始まったんだ!
虚の穴も一気に広がっていく。
とうとうエノア様の封印が完全に解けてしまった。
急がないと世界が呑まれて無くなってしまう!
「いッ、いよいよ来ちまったかッ!」
メルがカイの傍へ降りていく。
「カイ、どうするの?」
「は、ははッ、まあ分かってたことだ、織り込み済みだぜ」
「強がって、だけど貴方、この高さから飛んだら」
「落ちる分には問題ない」
「まあ!」
「着地だけ頼むぜ、メル」
じっとカイを見詰めたメルは、溜息を吐いて笑う。
「そうね、貴方って、いつも無茶ばかり」
「今更だろ」
「ええ」
振り返ったカイが「そういうことだ、俺は行く!」ってこっちへ手を振る。
心配だけど、メルが一緒ならきっと大丈夫だね。
「エレ!」
呼ぶと、エレは私の気持ちを汲んでくれて、セレスの傍へスイッと降りる。
『君は私が運ぼう、乗るといい』
「あ、ああ、頼む」
『案ずるな、私はアレと違って対価など求めない、主の命だからな、君を無償で地上まで安全に送り届けよう』
「言い方が微妙だな」
『おい何じゃと! 誰が卑しいじゃ!』
怒るラーヴァに、エレは『そんなことは言っていない』なんて返す。
こっちも大丈夫だね。
エレ、よろしく。セレスを地上まで運んであげて。
エレの背中に飛び乗ったセレスが振り返って「ハルちゃん!」と私を呼ぶ。
咄嗟に体がビクッと震えた。
「君はどうするんだ?」
―――私は。
セレスに笑い返す。
役目を果たさないと。
セレス、カイ。
メル。
ラーヴァ、エレ。
ここまでたくさん力を貸してくれて、有難う。
私とモコだけじゃ、きっと魔人を止められなかったよ。
「なあ、答えてくれよ」
旅はもう終わり。
「君も来るんだよな、ハルルーフェ!」
お別れだよ。
その時が来たんだ。
「返事をしてくれ、なあ!」
胸が苦しい、涙が溢れそうだ。
だけど泣かない。
最後はきっと笑顔がいい、そうすれば、悲しい思い出になんてならないよね。
でも、本当はもっと一緒に居たかった。
色々なものをたくさん有難う。
私、幸せだったよ。
忘れないからね。
だから―――忘れないで。
「ハルルーフェ!」
エレが体をうねらせてゆっくり飛んでいく。
ラーヴァもその後をついて行く。
「お、おい待て! 戻れ! ハルの返事を聞いていない、ハル! ハルルーフェ! ハルーッッッ!!」
セレス、元気でね。
また泣いちゃダメだよ、もう慰めてあげられないから。
―――下でカイとメルがまだこっちをじっと見上げている。
「おい、ハル!」
カイは何か言おうとして、躊躇って、俯いた。
その背中に手を添えてメルがニッコリ笑う。
「ハルちゃん、貴方を待っているわ、ずっと」
「メル」
「いつかまた会いましょう」
メルはカイの背中をそっと押す。
カイは腕で目の辺りを擦ってから、振り返って駆け出した。
一緒にメルも黒い翼を羽ばたかせて飛んでいく。
―――皆、さよなら。
「ねえモコ」
「なに、はる」
「大丈夫だよね? 皆、無事にここから逃げられるよね?」
モコはニッコリ笑って頷く。
そうだよね。
今も地上ではロゼや皆が頑張ってくれているんだ。
この抜け殻の崩壊や、他の事だって全部どうにかしてくれる。
信じて任せよう。
私は、私にしか出来ないことをする。
どうか見守っていて。
存在しないものは消せないから。
だから眠らせるんだ、いつまでも、いつまでも。
―――この世界が歳を取って、いつか自然と終わりを望む、その時まで。
さあ、花を咲かせよう!
エノア様と私の願いを込めて、世界を埋め尽くすほどの花を!




