反転湖 3
竜。
―――初めて見る竜に圧倒される。
セレスとカイ、モコも私と同じように、透明な竜の姿を見上げたまま、誰も何も言おうとしない。
大きくて長い体、爪のある短い手足、頭には角、顔は動物に例えるならシカ、かな?
頭から背中にかけてふさふさとたてがみが生えている。
透明だけど、よく見ると全身が透き通ったうろこで覆われていて、時々光を反射して青くきらめく。
綺麗。
しなやかで、力強くて、神々しい姿。これが実物の竜なんだ。
『逢えて嬉しい、君を待っていた』
「え」
『さあ、約束を果たそう、こちらへおいで』
約束?
分からないけれど、その声に惹かれるように歩きだそうとした。
腕を掴まれる。
同時に服の裾を引かれた。
振り返ると、今度はカイとモコが私を引き留めて心配そうにしている。
『水をまとうもの、大気をはらむもの、私はその子を害さない、人の子もこちらへおいで』
「大丈夫だよ、カイ、モコ」
セレスも何か言いたげに私を見ている。
三人に頷き返して、改めて竜の傍へ近づいていく。
竜は、スイと首を伸ばして私に鼻先を近づけた。
『君に託すものがある、そのために私は待っていた』
「どういう、ことですか?」
間近で見るとますます迫力だ。
でも怖い感じはしない、さっきの大蛇はあんなに恐ろしかったのに。
深い緑色の目がじっと私を見詰める。
ゆっくり瞬きをして、なんだか笑いかけられたように感じた。
『いつか、君がここへ来る―――あの子はそう言っていた』
あの子?
あの子って誰だろう、それにこの竜、私を知っているの?
『あの子から託されたものを君へ渡そう、しかしその前に彼女を解き放って欲しい』
「彼女?」
『領域を犯す哀れな娘、歪められ今も泣いている』
もしかして、あの大蛇のことかな。
竜は目を伏せて吐息を漏らす。その姿はなんだか大蛇を憐れんでいるように見える。
『彼女はここへ近付けない、私が恐ろしいのだろう、そして、私はこの場を動けない』
「どうして?」
『彼女が私を恐れるのは、私が彼女を喰らうから、私がこの場を動けないのは、まだ約束を果たしていないから』
「約束って、その誰かから私宛に預かっているものがあるっていう」
『それだけではない』
『待っているんだ』と竜は言った。
何を待っているんだろう。
腕を伸ばすと、竜は手の平に顔を擦りつけてくる。透明なのに少し暖かくて、なんだかほっこりした。
「さっぱり要領を得ねえ」
近くでカイが腕組みしながら顔を顰める。
「おい、もうちょっと分かりやすく教えろ、まずここから出るにはどうすればいいんだ」
『託されたものを受け取ってもらえたなら、すぐにでも』
「ならさっさと渡せ」
『できない』
「なんで」
『彼女がいる、外へ出る君たちを追うだろう』
「ンなもの逃げ切ればいい」
『彼女が外へ出てしまうことがいけない、ネイドア湖は完全に汚染され、周辺の命をも奪うだろう』
「フーンなるほど、危ない橋は渡れないって訳か」
『すまない』
舌打ちしてそっぽを向くカイに、竜は頭を下げる。
でも、もしそんなことになったら沢山の人が苦しむことになる。
今は私達が危ない状況だけど、だからって皆を巻き込むのはやっぱり避けたい。どうすればいいの?
「では、私達があの大蛇を退治すればいいのか?」
私の隣に立ったセレスが竜に尋ねる。
でも竜は、首をゆっくり横に振った。
『退治しては禍根を残す、彼女を満たしてやって欲しい』
「満たす?」
『数多の人と同じように、彼女も水面へ想いを託し、よこしまなモノに捕らわれた、そして歪められ、ウロになってしまった』
「化け物に変えられたって話か?」
『そのように悪し様に言わないで欲しい、元は黒髪の、美しい娘であったよ』
黒い髪の、美しい人。
あの大蛇が元は人だったなんて考えたくない。でも、カイもモコも同じことを言っていたし、竜の言葉はきっと本当だ。
満たすってどうすればいいんだろう。
水面へ想いを託しって、そんな話を最近聞いたような気がするけど、なんだったかな。
『このままでは花が咲かない』
竜は哀しそうな目をする。
『彼女は願いを得られず、代わりを欲して手当たり次第に命を貪っている、彼女を満たしてやってくれ、喰らってしまうにはあまりに哀れだ』
「どうすればいいの?」
『答えは望みの底にある、私には分からない』
そう告げる竜の目の奥は静かに凪いでいる。
朝露に濡れた葉のような色濃く鮮やかな緑。似ている、この目の色、リューと同じ色だ。
『君の名を教えて欲しい』
不意に尋ねられて面食らった。
そういえばお互いに名乗ってもいないや、知り合ったならまず挨拶だよね。
「ハルです」
『ハル、それが君の名か?』
「あ、えっと、ハルルーフェです」
隣でセレスが「ハルルーフェ」と私の名前を繰り返した。
そうか、セレスと、それからカイにもきちんと名乗っていなかったな。
ハルルーフェって長いから、普段から呼ばれ慣れている呼び方で教えたんだよね。
『ハルルーフェ、美しい響きの名だ』
「あなたの名前は?」
『約束を交わした時に返してしまった、だから今は名が無い』
名前が無いなんて不便だろうな。
でもここに一人でいるなら名前が無くても困らないのかも。
―――こんな静かな場所に、ずっと一人きりで。
竜はいつからここにいるんだろう。
『ハルルーフェ、私に名をくれないか』
「えっ」
『君に名付けて欲しい、あの子から種を受け継ぐ君が、私の名を決めてくれ』
種?
さっきも言っていたけど、あの子って誰だろう。
分からないことばかりで混乱する。
でも、名前は付けてあげよう。
一人ぼっちで名前も無いなんてあんまりだから。
『そちらのラタミル、あなたの名は?』
「ぼくもこだよ!」
『ふふ、好い名だ、まだ雛でいらっしゃる、御身へ祝福を』
「ぼくもはるになまえをもらったよ、だからずっとはるといっしょ、ぼくはるだいすき!」
嬉しい、モコの頭を撫でる。
お尻で尻尾がピルピル揺れて、モコも嬉しそうに眼を細くして笑う。
「ありがと、私もモコが大好きだよ」
「えへへーッ」
「あの、名前つけます、ちょっと待って、ええと」
どんな名前がいいだろう。
モコはモコモコしているからモコだけど、流石に同じ感覚で竜に名付けるのはちょっとためらわれるよね。
うーん、そうだな―――よし。
「ネイヴィ」
『ネイヴィ』と竜が繰り返す。
ネイドア湖にいるからって理由の名前だけど、気に入ってくれるかな。
『ネイヴィ、それが私の新たな名か』
「うん、どうかな?」
『好い名だ、ハルルーフェ、私を呼んで』
「ネイヴィ」
竜、ううん、ネイヴィは、長い首をもたげてオオオンと吠えた。
遠くまで響き渡る、大きくて柔らかな声。
ひらりと何か降ってきた。
これ、花びら?
『ハルルーフェ、君へ愛の種子を渡そう』
竜の声に重なって『言葉』が胸に響く。
ホワッと暖かい、同時にその『言葉』は『呪文』だと理解した。
とても大切で、特別な花を咲かせるための呪文。深い想いが込められている。
「はる?」
モコが不思議そうに私を見上げながら首を傾げる。
「うん―――ネイヴィ」
頷き返して、改めてネイヴィへ呼びかけた。
「これ、どうすればいいの?」
『君がいつもするように呼べばいい』
いつもって、オーダーのことかな。
花を咲かせて、その香りでオーダーを使う、か。なるほど分かった。
でも今のままじゃ花を咲かせられないんだ。
あの大蛇をどうにかしないと。
よし―――不安だけど、やるだけやってみよう。
「セレス、カイ」
二人を振り返ると、ちょっと戸惑う気配があって、それぞれ「なんだいハルちゃん」「どうした」って訊き返される。
私だけじゃ無理だけど、二人と一緒ならきっと大丈夫。
強いからって理由も勿論あるけど、それ以上に傍にいてくれるだけで心強いよ。
今は兄さん達に頼れないし、頑張るしかない。
「力を貸して欲しいんだ」
「お安い御用さ、君が望むならいくらでも貸すよ」
「ありがとうセレス!」
「えーっと、よく分からないが、さっきの不気味な、いや、デカい蛇を満たす? んだよな、よし、とにかくやってみよう!」
「軽率な奴だな、何をどう満たせばいいか皆目見当ついてねえじゃねえか、それでどう動くっていうんだ」
「こういう時は行動あるのみだろ、考えるばかりじゃ始まらない」
「その前に頭を使え、無駄に動き回っちゃ結局さっきと同じだ、無謀な脳筋には付き合いきれねえ」
「なんだとッ」
「またけんか、だめだよ、せれす、かい!」
モコに叱られて二人はウッと唸って黙り込む。
えっと、とりあえず仕切り直しだ。
まず作戦を立てないと。
それから迅速に行動、二人の意見の間を取ればちょうどいいよね。
あの大蛇をどうすれば満たせるか―――満たす、か。
いったい何で満たせばいいんだろう?




