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更なる被害

宿に戻って兄さん達に渦のことを伝えたら、二人は私とセレスに部屋で待つように言ってからネイドア湖へ向かった。

大丈夫かな。

あの渦、呼吸しているようだった。

『何か』が底から湖の外を見上げているように感じた。

怖い。

何がいるんだろう。

あの渦の奥にいる『何か』が魚を食い荒らしたり、船底に穴を開けたりしたのかな。


日がすっかり暮れたころ、兄さん達は戻ってきた。

湖は特に変わりなく、静かな水面が広がっていたらしい。


「だが、痕跡を感じた」

「痕跡?」

「魔力の残滓だ、あまりよくない、何の痕跡かまでは分からなかったが」

「魔物じゃないの?」

「ああ、ロゼが言うには違うらしい」

「あれは魔物ではないよ、しかし外来生物でもない、どちらにせよ関わらない方がいいだろう」


ロゼに頷いてから、リューは「もうネイドア湖へ近づくな」と私とセレスに言う。


「実害を被ったわけじゃないが、ここに長居しない方がいいだろう」

「僕も同感だ」

「セレスも、余計な世話かもしれないが、このままネヴィアに留まるのは止した方がいい」

「はい」

「すまないな、君の事情を知っているのに、気分を悪くするようなことを言って」

「いえ、お気遣い感謝いたします」


私もリューと同じ気持ちだ。

薄情だけど、私にはセレスの方がずっと大事だから、ここを立つことになったらセレスも一緒にネヴィアから離れて欲しい。


「ひとまず今夜は休んで、明日どうするか決めよう」

「ああ」

「ハル、すぐ出発することになるかもしれないから、荷物をまとめておくように」

「はい」


さっきまで楽しかったのに。

初めての釣りで、魚もたくさん釣れたのに。

落ち込む私に気付いた兄さん達が改めて釣果を褒めてくれたけど、素直に喜べなかった。

魚は、リューが腕をふるって美味しく調理してくれた。

自分で釣った魚は美味しかったし、満足もしたけど、それでもあの光景と不安が頭から離れない。

複雑な気持ちのまま寝る支度を済ませて、ベッドに潜り込んだ。


「ハルちゃん、大丈夫?」

「うん」


明かりの消えた部屋。

隣のベッドからセレスが気遣って声を掛けてくれる。

モコもずっと私の傍を離れようとしない。触るとフワフワしてあったかくて、少しだけ気が紛れた。


「ねえセレス」

「なに? ハルちゃん」

「私ね、明日、カイを探しに行こうと思うんだ」


間を置いて「あいつを?」って声が返ってくる。

暗いけど、セレスが顔を顰めているのが分かった。


「どうして?」

「カイ、前も森で会った時に仕事だって言っていたんだ、だから今度もそうじゃないかなって」

「今は単に観光しに来ただけかもしれないぞ」

「それで『湖に近付くな』なんて言う?」


ネイドア湖の噂や実際の被害を見聞きして、心配してくれただけかもしれない。

でも、この町の人達は今もネイドア湖で魚を獲っている。湖周辺は立ち入り禁止にもなっていない。

皆の認識はそこまで危険じゃないんだ。

それなのに『近付くな』なんて、状況をもっと深刻に見ていないと口にしないんじゃないかな。

危ないと分かっていて、わざわざ観光に来たり、留まったりしないはずだよ。


「何か知っているなら聞きたくて、うまく言えないけど、落ち着かないんだ」

「落ち着かない?」

「モヤモヤするんだよ、野次馬なだけかもしれないけど、知ってスッキリしたい」


不安と、薄い恐怖と、上手く言えない何かが胸で混ざっている。

明日にはネヴィアを離れることになるかもしれないから、その前にカイと会って話がしたい。


「だけど、あいつ素直に教えてくれるかな」

「頼むだけ頼んでみるよ」


じっと私を見詰めていたセレスは、小さく息を吐いて「分かった、私も行くよ」って言ってくれる。


「リュゲルさんにハルちゃんのことを頼まれているし、私が君を放っておけないからね」

「ふふ、セレスならそう言ってくれるんじゃないかなって思ってた」

「そうなのか?」


まいったな、なんてぼやくセレスに、小さく笑い返す。

首の傍でうずくまっていたモコもヒヨヒヨ鳴いた。

よかった、これでやっと眠れそうだよ。


「朝になったらリュゲルさんと師匠に話して、あいつを探しに行くとしよう」

「有難う」

「ハルちゃんに頼りにされたんだ、気合入れないとな、それじゃ今夜はもうおやすみ、ハルちゃん」

「うん、おやすみセレス」


仰向けになって目を瞑ると、ほうっと息が漏れる。

カイ、どこにいるんだろう。

なんとなく思いつきはするけど、そこへ行って本当に会えるかどうかまでは分からない。

とにかく寝よう。

これ以上考えたって今は仕方ない、あの黒い渦のことも思い出さないようにしよう。

モコの羽を撫でて「おやすみ」と囁いた。

眠りがとろとろと意識を満たしていく。


―――知らない景色だ。

辺りにはエピリュームに似た花が咲き乱れている。


またあの夢。

昨日も一昨日も見た、同じ夢。


誰かが泣いている。沢山の叫び声が聞こえてくる。

空が、端から段々と黒く染まって、気付けば辺り一面はすっかり黒く塗りつぶされてしまう。

エピリュームによく似た花の向こうに広がる銀色の湖面。

その中央が急にぐるぐると黒く渦を巻き始めて、渦の傍に透明な影が立ち上がった。

影は渦を見ている。


渦の奥にいる『何か』を見張っている?


声が聞こえた。

呼んでいる。

誰か、私を呼ぶ声が。


―――『おいで』って。


「ハルちゃん!」


ハッと気づくと目の前にセレスの顔があった。

あんまり綺麗で思わず息を呑む。

キラキラ輝く大きな目と、長いまつげ、暗くても分かるほど白くて滑らかな肌、唇は艶があってプルンとしてる。

は、迫力だ、大迫力だ。

ロゼも近くで見るとたまにビックリするけど、それくらい驚いた。寝起きの美人は心臓に悪い。


「大丈夫かハルちゃん、返事をしてくれっ」

「セレス」

「ああそうだ、私だ、随分うなされていたけど大丈夫か?」

「うん、平気」


じゃ、ない。

かなりドキドキしてる、でも半分はセレスのせいだよ。

ホッと息を吐いてセレスが体を起こすから、私も起き上がってベッドに座る。

顔が熱い。

コロコロ転がってきたモコが翼を広げながらピイピイ鳴いた。


「とりあえずこれ、汗を拭きなよ」

「あ、うん、有難う」


受け取った手拭いで首や胸の辺りを拭う。

部屋は特に暑くないのにここまで汗ばむなんて、あの夢のせいかな、そんなにうなされていたのかな。


「苦しそうで放っておけなかったんだ、体調は? 具合の悪いところはないか?」

「平気、どこもつらくないし」

「本当に?」


すいっと体を寄せてきたセレスが、片手で前髪を上げて、露わにしたおでこと私のおでこをピタッとくっつける。

ひゃあ、近い!

またドキドキがぶり返す、セレスは美人だから近いと緊張するんだよね。

男の人なら兄さん達のおかげで結構平気なんだけど、女の子は慣れないよ。母さんもティーネも美人だけど、セレスは美人過ぎるから変に意識しちゃう。


「ん、少し熱があるか?」

「なっないよ、それはセレスのせいだよ!」

「私の?」


おでこを離してきょとんとしたセレスは、クスクスと笑いだした。

もう、笑わないでってば。


「ごめん、むくれないでハルちゃん、その顔も可愛いけど」

「可愛くないよ」

「可愛いって、よかった、確かに元気そうだ」


心配してくれる気持ちは素直に嬉しい。

有難う、セレス。


「しかし随分うなされていたな、怖い夢を見たのか?」

「うん」

「そうか、とりあえず飲み物を持ってくるよ、喉が渇いただろ」

「有難う」


卓上の水差しからコップに水を注いで、手渡してくれる。

冷たくて美味しい、体の熱がゆっくり引いていく。


「落ち着いた?」

「うん」

「そうか」


隣に座って、ゆっくり髪を撫でてくれる。セレスの手は暖かくて優しい。

凭れたら、背中をトントンと叩いてくれた。


「ねえ、セレス」

「ん?」

「今夜は一緒に寝てくれないかな」

「え」


不安で、少し甘えたい気分だ。

セレスっていい匂いがする、柔らかくて、気持ちよくて、こうしているとホッとする。

胸も大きくてフカフカ。

母さんを思い出す、なんてちょっと子供っぽいかな。


「えーっと」

「ダメかな?」

「いや、私は構わないというか、むしろ役得というか、でもそれじゃ師匠に合わせる顔が、いやでもハルちゃんのためだし、うぐぐ」


困らせた?

見上げると、目の合ったセレスは口をもごもごさせてから、真面目な顔で頷いた。


「分かった、寝よう」

「うん」

「だけど私は、誓って君に何もしない」

「うん?」

「指一本触れたりしない、絶対に」

「はい」


やけに念を押してくるけど、寝るだけなんだし、そんなに身構えなくていいのに。

先にベッドに潜り込んで上掛けを持ち上げる。

そろそろと隣に入ってきたセレスは、横になって天井を見上げながらふーっと長く息を吐いた。


「おやすみセレス」

「ああ、おやすみハルちゃん」


モコは、私を挟んだセレスと反対側でふっくら丸くなっている。

こうして二人が傍にいてくれると心強いよ、今夜はもうあの夢を見ないで済みそう。


夢の景色―――知らない場所だったけど、湖だけは、あれはきっとネイドア湖だ。

黒い渦の奥にいる『何か』を見張っていた透明な影。

エピリュームに似た見たことない花。

夢と現実を結び付けても無意味かもしれない。

でも、同じ夢をもう三日も見ている。

何かあるんじゃないかって考えてもおかしくないよね、あの夢、私に何かを伝えようとしているのかな。

呼んでいたのは誰だろう。

色々と気になって、考えが頭の中をぐるぐる回る。

このままじゃ眠れないよ。

オーダーを使おうかな、呼ぶのは精霊じゃなくて眠気だ。いい香りを嗅いだら緊張が解けるかも。


だけど、そのうちいつの間にか眠っていたようで、気が付いたら朝になっていた。


――――――――――

―――――

―――


「おはよう、ハルちゃん」


開けた窓から気持ちのいい風が吹いてくる。

すっかり身支度の済んだセレスが、オレンジ色の髪をなびかせながら振り返ってニッコリ笑う。

もう起きていたんだ、今朝は随分早いんだね。


「おはよ」

「よく眠れたようだね」

「ん」


そういうセレスは寝不足気味?

目の下にうっすらクマがある。

もしかして、夜中に起きたせいで寝付けなかったのかな。だとしたら悪いことをした。


「セレス、眠そうだよ、大丈夫?」

「バレたか、でも平気だよ、心配してくれて有難う」

「私のせいだよね、ごめんね」

「えっ、いや、ハルちゃんのせいじゃないさ、これは私の未熟さというか下心というか、とにかく謝らなくていい、こっちこそ、その、ごめん」


なんだか微妙な空気になった。

謝り合うのもおかしいから、この話はおしまいにしよう。


「それよりハルちゃん、支度を手伝うよ、まずその眠そうな顔を洗おうか」

「ふふ、はーい!」


台に置いたタライに水を張って、顔を洗ってから、着替えて、セレスに髪を梳かしてもらう。

昨日たっぷり汗を吸った寝間着は後で他のものとまとめて洗うことにして、早速兄さん達の部屋へ向かった。


「リュー兄さん、ロゼ兄さん、おはよう」

「おはようハル」

「やあおはよう、今朝も君は愛らしい、僕の可愛いハル」


出迎えてくれたリューに促されて部屋へ入る。

二人も支度を済ませて、部屋でくつろいでいたみたい。


「セレスから聞いたぞ、昨日の晩うなされたんだってな」

「え?」

「今朝早くに来て、話してくれたんだ」


あれ、そのセレスがいないよ?

振り返ると開けっ放しの戸の前で、なんだか小さくなりながらこっちを見ている。どうして入ってこないんだろう。


「セレス?」

「放っておけ」


ロゼがフンと鼻を鳴らす。


「相応の報いさ、あの痴れ者が」

「セレス、何かしたの?」

「いや、何もしていない」


今度はリューが溜息を吐く。


「ロゼのことは気にするな、また話を大げさにしているだけだ」

「リュー!」

「セレスはちゃんと誠意を見せただろうが、それくらいにしておけよ、余計にハルが不安がる」

「しかしだな」

「ロゼ」


リューに睨まれて、ロゼはむすっと黙り込む。

私だけ話が見えないんだけど。

一体なにがあったの、誠意って何? セレスは何をしたの?


「ハル、セレスも、今朝は外で食べよう、俺もたまにはのんびりしたい」

「あ、うん、分かった」

「お供します」


そうか、そうだった。

ネヴィアに着いてからもリューはずっと食事を作ってくれていた。

でもリューだって観光に来たんだから羽を伸ばしたいよね。

今はそういう状況じゃなくなっちゃったけど、外で食べるのは賛成!


「ロゼもいいな?」

「ああ、店の料理も悪くない、君が日ごろから僕とハルへ掛けてくれる愛情に感謝を」

「大げさだな」


私も感謝してる。リュー、いつも有難う。

早速リューに促されて、部屋を出て宿の正面口へ向かう。

ずっと廊下に立っていたセレスは、ロゼが前を通り過ぎるまで待ってから、私の隣に来てニコッと笑った。


「セレス、何かしたの?」

「天地神明に誓って何もしていない、ただ筋は通さないといけないからね」

「話が見えないんだけど」

「大丈夫、ハルちゃんは気にしなくていい」


ロゼがセレスをギロッと睨む。

ビクッと震えたセレスに、気付いたリューがロゼの傍へ行って「こら」と背中を叩いた。


「やめろって言ってるだろう」

「どうして僕を諫める、随分寛大にふるまっているぞ!」

「そうだな、えらいえらい、だったら睨むのもなしだ」

「うぐぐ」


もういいか。

これ以上追及しても、ロゼの機嫌が悪くなるだけみたいだし。


「おやリュゲルさん、それにご兄妹とご友人も、おはようございます」


途中で会った宿の主人が気さくに声を掛けてきた。

この人はリューに料理を教わってから、私達のことを何かと気に掛けてくれる。

おかげで過ごしやすくて、色々と助かっているんだ。


「今朝一の話題がありますよ、もうお聞きになりましたか?」


例の外来生物絡みの事件です。

そう言われて少し身構える。またネイドア湖で何か起きたのかな。


「妹さんが残念がってらした運航休止中の帆船ですが、今朝がた沈没しているのを発見されたそうです」

「えっ」

「船底を食い破られて浸水したことが原因だとか」


あの帆船が沈んだの?

大きくて立派な船だったのに。


「さすがにねえ、これはいよいよ魔物の仕業じゃないかって噂でもちきりですよ」

「魔物、ですか」

「事実なら恐ろしいことです、まだ領主様が兵を派遣してくださらないので、ひとまずネイドア湖周辺を閉鎖することになるかもしれません」

「なるほど、確かにそうですね」

「ですがここの観光はネイドア湖ありきですから、もしそうなればうちも含めてこの辺り一帯どこも商売あがったりだ、いやあ、まいった」

「それはその、何と言えばいいか」

「ご心配には及びませんよ、騒動が落ち着いたらリュゲルさんに教わった『あらい』と『たたき』を売り出して一気に盛り返しますからね、ハハハ!」


店主は気楽に笑うけど、確実に状況は悪くなっている。

リューとセレスもそう思ったのか、複雑そうな表情で黙り込んだ。

ロゼだけ、いつも通りの雰囲気で、腕組みして「ふむ」と呟いてから明後日の方向を眺めている。

朝食に何を食べようか、とか考えているんだろうな。


私の頭の中で、昨日見た黒い渦と、夢で見た渦が、重なりながら蘇っていた。

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