モコ
「はる!」
え?
―――強く瞑っていた瞼を開く。
もう光は消えていて、アドスが、あれ?
いない?
でも、別の誰かがいる。
白いフワフワの髪。
スラッと背の高い、綺麗な男の人。
柔らかそうな前髪の下から覗く目は空の色だ。
まさか。
君は。
「モコ?」
「そうだよ、僕だよ、はる!」
男の人が駆け寄ってくる!
そのままギュッと抱きしめられた。
―――えっ?
ええっ、えーッ?
「ね、ねえ待って、君、本当にモコなの?」
「そうだよ、どうして?」
「だって大きいから、ロゼみたい」
「あ、そうか、ぼく小さかった」
言った途端に男の人の姿がシュルルッと縮んで―――モコだ。
本当にモコだ!
「ど、どうして?」
「ちいさいほうがきみはなじみがあるようだから、おおきなすがたはべんりだけど、それだけだよ」
「でもモコ、喋り方もなんだか違うよ?」
「それはごめん、ぼくはきみにあうまでずいぶんながいときをすごしたから、なれてほしい」
空色の瞳が「だめかな?」って私を伺う。
―――ダメじゃない。
やっぱり消えてなかったんだ。
私が来るのを、ずっとここで待っていたんだ!
「モコ!」
おもいきり抱きしめる。
柔らかくて温かい、モコだ、本当にモコだ!
「わぁ!」って驚いたモコは、だけど私の背中を小さな手でトントンと優しく叩いてくれる。
会いたかったよ。
君にずっと会いたかった。本当に会いたかった。
よかった。
また会えたね、モコ。
「待たせてごめん」
「だいじょぶ」
「会いたかったよ、モコ」
「ぼくも、きみにあいたかった、やっとあえた、うれしいよ、はる」
声が震えてる?
顔を覗いたら、空色の瞳が濡れている。
綺麗だな、今朝見た雨上がりの空みたいだ。
モコの額に額を擦りつけて目を瞑る。
モコがクスクス笑う。
もう一度ギュッと抱きしめると、耳元で「ただいま」って囁いた。
「おかえり」
君に、二度とあんな事はさせない。
本当にごめん。
そして、あの時守ってくれて有難う。
ねえロゼ兄さん。
リュー兄さん。
―――本当だったよ。
信じて進み続ければ、願いは叶うんだね。
「き、君、モコちゃんなのか、本当に?」
訊ねるセレスに、モコは「せれす」って顔を上げた。
腕を解いて立ち上がって振り返ると、二人ともすっかり驚いている。
分かるよ。
この展開は流石に予想しなかったよね。
「そうだよ、ぼくだよ」
「まさか、そんな」
「モコ」
「てぃーね、はるについてきてくれてありがと、ぼく、ずっとみてた」
見てた?
モコはニコニコ笑う。
「せれすもてぃーねもありがと、そとにかいもいるよね、あいにいこう」
「ま、待ってモコ、どうしてそのことを知っているの?」
「みてたんだ、だから、ごめんね」
「えっ」
「ぼくはみているだけだった、あいにいけなかった、そういうやくそくだから、ここをはなれられなかった」
約束?
事情が分からない。
誰と何を約束したんだろう、それにここを離れられないって、どうして?
「はなすことがたくさんある、はるがきたから、もうぼくはここからはなれられる」
「ま、待ってくれモコちゃん、その前にアドスは?」
「うん?」
「アドスはどこへ行ったんだ?」
そういえば。
いない、よね?
どこへ行ったんだろう。
「あどすはぼくだよ」
答えたモコの姿がスウッと変わる。
あっ、さっきの金の髪の男の人!
「ええッ、き、君がアドスなのか!」
「うん」
モコはまたポンッと元の可愛い姿に戻った。
すごいね、いつの間にそんな姿にも変われるようになったの?
「このちいさなすがただと、ひとはいうことをきかないんだ」
「ええと、言うことを聞かないとは?」
「ごさいもきかない、さっきはごめんね? ぼくいいっていったのに、ごさいがだめっていうんだ」
溜息を吐いたモコの姿が、またアドスに変わる。
「そ、そうだったのか」
「えー、ゴホン、威厳が大事らしい、宗教的な観点から、神秘性を保持する必要があるそうだよ」
「なるほど」
セレスは納得したらしい。
このアドスの姿になるとモコは喋り方も変わる。
ティーネはすっかり呆気に取られてさっきから黙ったままだ。
さっき抜けてきた通路の方から、不意に近づいてくる幾つもの気配を感じた。
『アドスよ!』
『アドス様ッ!』
あっ! さっきの五彩!
追ってきたんだ、どうしよう。
『ああッ、尊き御姿を信徒ですらない者達にそのように晒されてッ』
『我らが信仰の権威がッ』
『王族よ、控えるのだ、ここにおわすは尊き御方、頭が高かろう!』
『アドスよ、その者らとこれ以上語らうのはおやめください』
さっき以上に慌てている?
モコは五彩を見渡して「止すんだ」って溜息を吐く。
「ハルと共に来る方々も通すよう伝えただろう、さっきは何故止めた?」
『そ、それは』
『ですがアドスよ、恐れながらそちらの乙女のみが選ばれし者であられるのでしょう?』
『ならば、貴方様と謁見する権利は乙女のみにあるはず』
「セレスとティーネはハルにとってかけがえのない存在だ、それなら僕にとっても同じだよ、君達に口を挟む権利はない」
五彩は急にモゴモゴして『う、はい』とか『申し訳ございません』とか謝り始める。
『改めて、先ほどは大変失礼をした』
『我らは尊きアドスを敬い、地に惑う民を導く天の五彩』
『アドスはこの地にて約束の乙女の到来をずっと待っておられたのです』
『そして、運命の歯車は遂に回り始めた、それは』
『滅びへの始まりでもあると『護国の翼』より託宣が伝わっております』
滅びへの始まり?
どういうことだろう。
「あ、あの、それは一体」
「説明は僕がするよ、ハル」
アドスの姿のモコがニッコリ笑う。
「取り敢えず、カイを迎えに行こう」
「えっ、うん、でも」
「ここからすぐ外へ出られる、ちょっと待って」
モコの姿がキラキラ輝き始めて、一瞬眩しく光ったと思ったら―――大きな白い鳥に変わった。
本当に凄く大きい、騎獣のドー以上だ。
それにモフモフ、フワフワ、うわぁ!
『お、おおっ、なんと、アドスよ!』
『そのお姿、まさか、貴方様こそがッ』
『ご、『護国の翼』!』
騒ぎ出した五彩をちらっと見て、モコは私達へ「せなかにのって」って言う。
いいの?
三人いるけど、平気?
「とぶよ、のって」
「う、うん」
「いいのか?」
「へーき、はやく」
分かった、乗ろう。
最初に私が、うわ、うわぁ! フカフカだぁ!
羽に埋もれるみたい、フカフカの中はほんのり暖かい、ベッドで毛布に包まれている以上にフカフカしてる。
「まあ」
「おおっ、フカフカだな」
「えへへ! みんなのったね?」
私の後ろにティーネ、その後ろにセレスが乗った。
二人共もこのフカフカ具合に感激してる。
モコが翼を広げた。
大きい!
それに眩しいくらい白く輝いている!
『おお、尊き『護国の翼』よ!』
『麗しきお姿、何と神々しい』
『私は今、感涙に耐えませんッ、ああ偉大なるルーミルよ、我らが神の御使いよ!』
『その背に騎乗を許されし貴方様がたはまさしく選ばれた存在であったか』
『どうかこのエルグラートを、我ら無力なる民をお守りください、大いなる翼、そして運命の乙女!』
五彩の何人かは泣いているみたいだ。
体を震わせて、そのうち布で隠した顔を更に手で覆って座り込む。
「じゃあ、いくよ!」
モコが力強く羽ばたく!
風が巻き起こって、体がフワッと浮かんだと思ったら、そのまま一気に昇り始めた。
同時に上がった歓声があっという間に遠ざかる。
塔の上へ、上へ。
―――壁の一部が長方形に切り取られた窓が現れた。
外にはエウス・カルメルの風景が広がっている。
「さあ、そとだ!」
モコはその窓から勢いよく飛び出す!
うわぁ、下にエウス・カルメルが広がっている!
凄い眺めだ、絶景だ!
「おおっ、見事だな!」
「で、でも、少し怖いわ」
興奮したセレスの声と同時に、ティーネが私にギュッとしがみついてくる。
「だいじょーぶ、ぼく、ぜったいおとさないよ!」
「ええ」
「それなら目を瞑っているといい」
ティーネは「そうするわ」って私の肩の辺りに顔を押し付けてくる。
私も胴に回されたティーネの腕をしっかり握った。
モコは降臨閣の上をゆっくりと旋回して「みつけた」って呟く。
「かい、いたよ、おりるね」
「見つけたのか! この高さで!」
「うん」
「凄いな」
セレスに褒められてモコは嬉しそうだ。
地上が段々近づく。
だけど、こんなに大きなモコを誰も見上げて驚いたりしない。
認識阻害をしているんだろう、すっかり使いこなせるようになったんだね。
ここへ来た時に案内された、大神殿の脇の四角い建物の影に着地したモコは、私達を下ろしてポンッと姿を変える。
いつもの小さくて可愛いモコだ。
私を見上げて「はる」ってニッコリ笑う。
「いこう」
「うん」
「それにしても、カイの奴きっと腰を抜かすぞ」
「ええ、驚かれるでしょうね」
私もそう思う。
きっとものすごくビックリするよ!
モコの小さな手が私の手を握った。
温かくて柔らかい。
私もモコの手を握り返す。
おかえり。
本当に会いたかった。
今は胸が温かくて、嬉しくて仕方ないんだ。
行こう。
―――君に話したいことも、聞きたいことも、たくさんあるよ。




