エウス・カルメルへ向けて
※今回長いので、お時間のある時にでもどうぞ。
「じゃ、俺もそろそろ明日の準備に取り掛かってくるぜ」
カイが長椅子から立ち上がる。
「ハル」
呼ばれて見上げると、深い海色の瞳と目が合った。
「無理するんじゃねえぞ」
「うん」
「兄貴がいなくても、俺がお前の面倒くらい見てやる、だから心配するな、いいな」
「分かった、有難うカイ」
「礼なんかいいさ」
じゃあな、ってカイは部屋を出て行く。
「私はティーネ嬢が戻るまでここにいるよ」
「平気だよ、セレスも支度を始めないと、ついてきてくれるんでしょ?」
「ああ、勿論」
そういえばセレスは今、亡くなられたサネウ様の代理で軍部の統括をしているんだよね。
城を離れてもいいのかな。
「後のことはヴィクターと、サネウ兄上の補佐をしていた官に任せることにした、責任は私に振って構わないとも伝えてある」
「えっ、大丈夫なの?」
「いいさ、王族の務めだ、それに周りにあれこれ言われるのは慣れているからな」
「セレス」
「心配いらないよ、ヴィクターも補佐官も優秀だ、任せるのに不足はない、だが―――」
セレスが私の頬に手でそっと触れる。
「君には、私が必要だろう?」
「う、うん」
「よかった、これで心置きなく君と行ける」
有難う、セレス。
手に手を重ねて目を瞑る。
温かい、本当に君がいてくれてよかったよ。
「ハルちゃん」
瞼を開くと、オレンジ色の瞳と目が合った。
「先のことは分からないが、何があっても私は必ず君を守る」
「うん」
「リュゲルさんから君を任されているし、君に何かあれば師匠に顔向けできないからな」
「ふふ、そうだね」
「お二人が戻られるまで、私を支えるよ」
セレスも、カイも、傍にいてくれる。
それでも兄さん達がいない不安はどうしようもないけれど、大丈夫だ。
モコも必ず見つける。
きっとどうにかなる。
「セレス、力を貸して」
「お安い御用だ」
皆有難う。
おかげで前を向いて進めるよ。
暫くしてティーネが戻ってきた。
セレスは入れ替わりで自分の部屋へ帰っていく。
また明日、おやすみなさい。
「ハル、少し早いけど休みましょう、明日は日が昇ったらすぐに出発よ」
「うん」
「やっと元気になったのに、朝からバタついて、疲れたでしょう?」
「平気」
「そう、よかった」
ティーネ、君には特に心配を掛けたし、世話にもなったよね。
ごめん。
だけどもう独りで泣いたりしない、君を不安にさせないから。
有難う、私の親友。
「今夜は、このまま傍にいてもいいかしら」
「うん」
「よかった、明日から頑張りましょうね」
頷き合って、二人で旅の支度に取り掛かる。
手を動かしながらティーネから色々な報告を聞いた。
サクヤが神楽を舞うための手配を、執事や女官を集めて済ませてきたそうだ。
エロール大劇場の大支配人もまだ城に残っていて、キョウと一緒にサクヤを支援すると言ってくれた。
あんな騒動があっても、まだ自分にできることがあるんじゃないかって帰らなかったらしい。
本当に親切な方だ。
戻ったら必ずお礼を言わないと。
母さんたちは話し合いで、エルグラート全土の守りを強化するため、各国それぞれで自衛を行うことになったらしい。
今はどの国も同じくらい危険だろうからって。
オルムの竜たちとスノウさん、レブナント様も明日には帰国されるらしい。
ティーネがお別れの挨拶に伺ったら、スノウさんにはまた泣かれたけれど、レブナント様はやっぱり背中を押してくださったそうだ。
凄いな、レブナント様も、ティーネも。
だけどスノウさんの気持ちも痛いくらい分かる。だから必ずティーネを無事に連れて帰らないと。
今の私と同じ想いを二人にも味わわせたりしない、絶対に。
「明日、街道の起点の街までは王庭近衛兵団の方々が見送りについてきてくださるそうよ」
「助かるよ」
「最初はエウス・カルメルまで護衛すると言われたんだけど、流石にお断りしたの」
「そうだね、危険だからね」
「そこは考慮しなくていいと思うけれど、有事の際は身軽な方がいいわ」
「確かに」
「それに、近衛兵団の方々には何を置いてもまずは陛下と、城に残る王族の方々をお守りいただかなくては」
城も安全とは言えない状況だ。
守りは多いに越したことはない。
ふとティーネが辺りを見渡して呟く。
「モコがいないと静かね」
「そうだね」
まずはエウス・カルメルへ。
待っていてモコ。
君の居場所はまだ分からないけれど、必ず迎えに行くよ。
――――――――――
―――――
―――
「ねえ、あの話を聞かせて!」
呼び掛けると、その子は振り返って微笑む。
とても綺麗な子。
柔らかな白い髪は雲のよう。
澄んだ瞳は青空の色。
そして、眩しいくらい白く輝く大きな翼。
「いいよ」
穏やかな声で聞かせてくれるのは、大切な『誰か』の話。
私はこの話を聞くのが好き。
話をするこの子が好き。
大切に、大切に。
とびきりの宝物を見せてくれるように、口調から、声から、想いが伝わってくる。
『誰か』との思い出はどれも温かくて優しい。
聞いている私の胸にまで幸せが込み上げてくる。
君は本当に、その『誰か』を深く強く想っているんだね。
「いつか会ってみたいなあ」
「あえるよ」
「本当?」
「うん」
微笑む君の言葉が、胸に優しい波紋を起こす。
「それじゃ、楽しみにするね!」
『誰か』の事を、私は君の話でしか知らないはずなのに、どうしてだろう。
何故か懐かしい。
愛しく感じてしまう。
きっと君の想いが伝わってくるからだね。
―――贈り物を遺そう。
私ではまだ足りなかった。
もっとたくさんの想いが、たくさんの願いが、たくさんの祈りが必要なんだ。
いつか受け取ってくれる。
だからこれを君へ託す。
君ならきっと花を咲かせることができる。
冬枯れた大地にも、季節が廻ればそれは必ず訪れるから。
この種子を、貴方へ。
愛しい者達が生きるこの世界を失わせないで。
あの方がまた悲しい思いをしないように。
この花は、私の愛。
この花は、私の声。
この花は、私の温もり。
そしてこの花は。
この花は―――
貴方のその手で咲かせて。
「ねえ、知っている?」
冬が終わりを告げて、季節が廻ったら。
誰が来るか、知っている?
――――――――――
―――――
―――
目を開くと隣にティーネがいる。
まだ寝てる。
反対側を向いたらカーテンを閉め忘れた窓の外に夜明けの空が見えた。
うっすらとした水色。
モコの瞳の色を溶かした空だ。
「ん、ハル?」
「おはよう、ティーネ」
今朝は懐かしい夢を見た気がするよ。
あれは誰だろう。
花が咲いていた、知っている、あれはエノア様の花だ。
冬が終わりを告げると―――誰が来るんだろう?
体を起こしたティーネがあくびをして微笑む。
「さあ、支度をしましょう」
「うん」
いよいよエウス・カルメルを目指して出発する。
だけどその前に母さんに会わないと。
話があるって言っていたから。
身支度を済ませたところで、セレスとカイが部屋に来た。
「おはよう、ハルちゃん、ティーネ嬢」
「よう、ちゃんと起きてるな、支度は済んだか?」
全員集まったところで、メアリが部屋に朝食を運んで来てくれる。
ティーネが昨日頼んでくれたんだって。
「殿下、皆様、どうかご無事で」
メアリは弁当まで用意してくれた。
これはティーネから頼まれたからじゃなく、メアリ自身の気持ちだって。
有難う、大切に食べさせてもらうよ。
食事を済ませて、荷物を持って、母さんのところへ向かう。
母さんは広間で陛下と一緒に私達を待っていた。
「来たわね、おはようハル、セレス、ティーネ、カイ」
「母さん」
「貴方達がこれから向かうのはエウス・カルメルだけど、その後で行くことになるファルモベルに関して少し伝えておくわ」
北国ファルモベル。
王族であっても尋ねるのが難しい閉じた国だ。
「以前、貴方にファルモベルで女王に会うよう言ったわね」
「うん」
「このことは内密の話として聞いて、ファルモベルの王家は対外的なもので、実質的な統治は件の女王が行っているの」
隣でセレスが「えっ」と呟く。
初耳だ。
それに内密の話ってことは、公にできない理由がある?
「だからファルモベルでは、その女王と謁見なさい」
「どこへ行けばいいの?」
「恐らく向こうから迎えをよこすわ」
母さんが微笑む。
もっと具体的に教えてくれないかって訊ねようか迷っていたら、今度は陛下から「ハルルーフェ」とお声を掛けられる。
「旅路は何かと物入りでしょう、貴方にこれを授けます」
手渡されたのは、王家の紋章が刻まれた直径五センチくらいの金属製の板だ。
「支払いの際はその札を、代金は全てエルグラート王家が肩代わりいたします」
「あっ! ええと、有難うございます」
「いいえ、金銭の援助しか出来ずごめんなさい」
「充分です、感謝します」
お金のことはいつも兄さん達がしてくれていたから考えもしなかった。
札はセレスに預かってもらう。
そして改めて、母さんと陛下に向き直った。
「では、行ってきます」
「気を付けて」
「貴方がたに始祖エノアと、大地神ヤクサのご加護があらんことを」
広間を出て、まっすぐ城の西門を目指す。
そこから城下を抜けて街道へ向かうのが一番近いらしい。
「殿下! 叔父上、ティリーア嬢!」
「みんなぁ!」
「よかった、間に合いました!」
シフォノだ!
それにサクヤとキョウも!
「見送りに来たよ、も~っ、朝早いなら言ってよ、寝坊するところだったよ!」
「わざわざシフォノ様が知らせに来てくださったのです」
「殿下、叔父上、カイ殿、それから―――ティリーア嬢」
憤慨するサクヤと苦笑するキョウの隣から一歩前に進み出て、シフォノは胸に手をあてながらティーネを見詰める。
「ご無事で」
「はい」
「貴方の帰りを待っている、共に行くことはできないが、どうか」
「有難うございます、シフォノ様」
「ティリーア嬢」
見詰め合う二人を交互に見ながら、サクヤとキョウがこっそり話す。
「ちょっといい雰囲気じゃない? もしかしてときめきの予感!」
「王子と令嬢の恋愛モノは古来より最大手のジャンルだからね、これは確実にエモいよ、サクヤ」
「くぅ~っ、生で見られるなんて僥倖!」
「これだから推し活はやめられない」
セレスが二人に「こらこら」って声を掛ける。
ティーネも「二人共」って呆れてる。
「シフォノ様がまた動揺されてしまいます、それくらいになさってくださいませ」
「え?」
「あら?」
「むむっ、これは、王子は鈍感と見た」
「天然的な鈍さ、だがそこがいい」
「おいお前たち不敬だぞ、それは私のことか? 口を慎め」
不満そうなシフォノについ笑ったら、皆もつられたみたいに笑う。
クスクスと肩を揺らすティーネを見て、シフォノはちょっとホッとしたような表情を浮かべた。
「では行こうか」
セレスが促す。
シフォノとサクヤ達は西門まで見送りについてきてくれた。
「あ、クロ! ミドリ!」
西門の手前にクロとミドリがいる!
傍に手綱を持った兵も、私達を待っていたんだ。
よかった。
二頭とも元気そうだね、毛艶もいい。しっかり世話してもらっていたんだ。
「殿下、こちら殿下の騎獣です」
「うん」
「主従の契約を変更すると伺っておりますが」
「はい」
「では、騎獣の前に立ち、それぞれ目を見ながらご自身が主であると宣言なさってください」
兵に言われて、まずミドリの前に立つ。
じっと目を見て、ゆっくり息を吸って、吐いた。
ミドリ。
今、リュー兄さんはいないんだ。
だから戻るまで私をお前の主人と認めて。
「言うことを聞いて、ミドリ、私がお前の主人だよ」
ミドリも私をじっと見つめて、前脚をゆっくり折ると、頭を下げた。
有難う、いい子だね。
次はクロだ。
クロはミドリよりちょっとだけ気性が荒い。
鼻を鳴らしながら私を量るように見ている。
「クロ、兄さんが戻るまでは私がお前の主人だよ、君の力を貸して」
蹄で何度も地面を掻いて、一度大きく嘶いてから、クロもミドリと同じように前脚を折って頭を下げてくれた。
お前達は本当に賢い、いい騎獣だね。
「殿下、主従契約の更新は無事に完了です、流石ですね」
「二頭が聞き入れてくれたおかげだよ」
クロとミドリは立ち上がって、私に鼻面を摺り寄せたり、ペロペロ舐めたりする。
ふふ、くすぐったい。
兄さん達はいないから、お前達にも頼ることになると思う。
よしよし、これからまたよろしく。
兵士から受け取った手綱を掴んで、クロの鞍に跨る。
「ティーネ!」
手を伸ばしてティーネを引き上げて、私の後ろに乗せた。
「え! ま、待ってくれハルちゃん、まさか私はこいつと一緒に乗るのか?」
「マジかよ」
そうだけど、ダメかな。
後ろでティーネが「よろしいのではなくて?」って二人へ声を掛ける。
「日頃から諍ってばかりおられますし、これを機に交流を深められては如何かしら?」
「なッ、無理だ!」
「ふざけんじゃねえぞ、こっちだってお断りだ!」
今度はサクヤが二人を「まあまあ」って宥める。
「仕方ないよ、こうなったらさ、ワガママは言わない!」
「そうですよ、事は一刻を争うのですし」
「君達面白がっていないか?」
「ええっ、まっさかー!」
「とんでもありません、被害妄想ですよ、セレスさん」
「ほらほらセレス、頑張れ!」
「カイさんも、貴方なら大丈夫です、心に大海原を持って!」
「上手いこと言ったつもりになってんじゃねえぞオイ、やっぱり面白がってんだろ!」
うーん、どうしようかな。
暫く様子を見ていたら、二人は言い争っていたけど、結局一緒にミドリの鞍に跨った。
セレスが前で、カイは後ろだ。
「その無駄にデカい胸が鬱陶しいから俺が後ろになってやったが、お前はケツもデカいのかよ、何とかしろ、オイ」
「デカくない、失礼だなこの破廉恥野郎」
「あ? 贅肉溜め込んで何言ってやがる、オラもっと詰めろ、狭いんだよッ」
「黙れ! 誰の何が贅肉だって? これは筋肉だ!」
ティーネが「先が思いやられるわねえ」って後ろで溜息を吐く。
「さあ殿下、出発いたしましょう」
「あ、うん」
鐙で軽く胴を叩いてミドリを進ませる。
セレスとカイもクロの鞍の上で騒ぎながらついてくる。
「みんな! 気をつけて、いってらっしゃい!」
「無事のお帰りを祈っております!」
「殿下、叔父上ッ、カイ殿、そしてティリーア嬢! どうかご無事で!」
門の向こうでサクヤ達とシフォノが手を振る。
こっちも手を振り返して、改めて前を向いた。
王都へ来て、初めて城下町に出る。
城下町を抜けて街道へ出たら、そこから真っ直ぐエウス・カルメルへ。
いってきます。
母さん、殿下、皆―――兄さん達とモコも。
どうか見守っていて。




