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兄の不在

気が付くと、そろそろ日暮れが近い。

部屋でこのまま夕食をいただきつつ、話し合いを続けることにした。


食事はまたメアリがワゴンに乗せて運んで来てくれた。

だけど今度は泣かないで、私に「たくさん召し上がってくださいね」って微笑んでくれる。

有難う。

君の気持ち、無駄にせずしっかり食べるよ。


「にしても、ハルがまさかヤクサの娘だったなんてな」


パンを片手にカイがしみじみ呟く。


「つまりだ、俺達の主であられるオルト様の姪ってことだろ?」

「うん、そうなるね」

「恐れ多いぜ、お前がなんであの方から加護を授かったかようやく納得いった、身内だもんな」


海神オルト、そして天空神ルーミルは、それぞれ創造神ヤクサが自身の身を分けて造られた神々だ。

つまり、オルト様やルーミル様もある意味で私とリューの父さんってことになる。

カイの言うとおり恐れ多いよ。

そんな話を母さんはずっと秘密にしていたなんて、どんな気持ちでいたんだろう。


「承認の儀は不成立となってしまいましたが、殿下がお生まれになった背景を鑑みるに、貴方こそ次期王に相応しいと私は思います」

「シフォノ、その話は今いいだろう」


セレスがシフォノへ呟いて、スープを飲む。

コーンを裏ごししたとろみのあるスープ、暖かいけれどやっぱり殆ど味がしない。


「そうだぜ、どうするかはハルが決めりゃいい、いずれな」

「それも、そうだな」


カイからも言われてシフォノが頷く。


「ところで君はオルト教の信者なのか?」

「あ?」

「先ほど『俺達の主』と口にしていた、それにその、父上が暴れた時も、見たことのない武器を扱っていただろう」

「うぐッ」

「あれは海神オルトの加護によるものか、だとすれば君はかなり力のある神官とみるが、どうだろうか」


真剣なシフォノに、カイは咽る。

そうか、この中でシフォノだけカイが海神の眷属ハーヴィーだって知らないんだ。

教えた方がいいのかな。

こっそりセレスを伺うけど知らんふりしている、ティーネも成り行きに任せるつもりみたいだ。


「ま、まあ、そうだな、そういうことだ、ゲホッ」

「やはりそうか! 先ほど神楽を舞うと言っていた鈴音の巫女然り、神々も殿下の行く末を見守っておられるのだな」

「はあ、そうなんじゃねえか」

「ならばやはり私は城に残り、殿下の後顧の憂いを断とう、殿下、城は我らで守ります故、存分にお役目を果たされてください」

「有難う」

「お前も頑張れよ王子」

「気遣い感謝する、君にもその、ティリーア嬢を頼む、どうか守って差し上げてくれ」

「はいはい、承知したぜ」


カイは頭をガリガリ掻いて答えた。

気まずいんだろうな、でも事情があるから言えないよね。

シフォノも納得したみたいだし、この話は蒸し返さないでおこう。


「それじゃ、結局行くのはハルと俺、お前ら二人の計四人ってことか」

「ティーネ嬢はともかく、お前に助力を乞うのは不本意だが、やむを得ない」

「俺もお前のお守りまでしなきゃなんねえのは気が重いぜ」

「は? 何だと」


睨み合うセレスとカイを、ティーネが「食事中ですわよ」って窘めた。

二人のこういうやり取りを見るのはなんだか久々だ。

変わらないね、でもそれが少しだけ辛いよ。


ロゼ兄さん、リュー兄さん。

モコ。


この先は私達だけでエウス・カルメル、そしてファルモベルへ行くんだ。

兄さん達も、モコも、いない。

―――不安だよ。

それに種子を授かったらどうすればいい?

『虚』を封じるってことは、ビスタナ砂漠へ行けばいいのかな。

あそこには『虚』に通じる『無限の底』がある。

だけど行って何をすればいいんだろう。

砂漠の皆は無事かな、気になることばかりだ。


兄さん達がいないと、こんなにも足元が不安定になる。


「ハルちゃん」


呼ばれて顔を上げる。

皆が心配そうに見ていた。


「何?」

「大丈夫か」

「うん、平気」

「そうか」


心配を掛けたくないけれど、暫くは難しそうだ。

ごめん。


「そうだ、エウス・カルメルまでの道中について話しておこう」

「だな、明日ここを出発したとして、到着までどれくらい掛かるんだ?」

「何もなければ五日といったところだ、王都からは直通の馬車も出ている」

「使うのかよ、危なくねえか?」

「そうだな、何かしら起きて無関係な者たちを巻き込むかもしれない、騎獣で向かうのが妥当だろう」

「だったらハルの兄貴のピオスどもを」


カイがハッと口を閉じる。

セレスとティーネがカイを非難するように見る。


「いや、その」

「あーっと! そうだハルちゃん! クロとミドリは元気だぞ! 馬房で飼い葉をたらふく食べて、適度に運動もして、実に健やかだ!」

「そ、そうか、そりゃよかったな、ハル!」

「私も拝見したいですわ、とても毛並みのよいピオスだと伺っております」

「そうそう! 名付けたのはリュゲルさんで、それぞれ毛色が」


今度はセレスが両手で自分の口を塞ぐ。

ティーネとカイが怖い顔でセレスを睨んだ。


「いいよ、気を遣ってくれなくても大丈夫だよ」


寧ろ居たたまれないよ。

改めて兄さん達がいないって意識するから。


「すまない」

「ううん」

「なあハル、あのさ、俺達は、その」

「分かってるよ」

「ハル」


皆も、兄さん達がいないって実感が湧かないんだね。

今は父さん―――ヤクサ様のところにいるらしいけれど、どうしているだろう。


会いたいよ。

信じたいから、無事だって確認したい。


「あ、ええと」


セレスが話を切り出す。


「その、だから騎獣でエウス・カルメルへ向かおうと思うが、王都からは街道が通っていて、道中には宿も店も沢山あって、その、移動自体は比較的楽だ」

「巡回の兵達が街道の見回りを行っておりますし、周囲に魔物を寄せ付けない結界も張られております、万全の守りとまでは流石に申し上げられませんが、危険は少ないかと存じますわ」

「そりゃ助かるぜ、なあ、ハル」


中央エルグラートの主産業の一つが観光だ。

王都からエウス・カルメルまで街道を通したのも観光客の利便性向上のためだって教わった。

障害が少ないのは有り難いけれど、のんびり移動するつもりもない。

早く種子を受け取らないと。

それに兄さん達も、モコもいないのに、楽しんだりできないよ。


「ハルちゃん、あのさ、クロとミドリなんだが、その、主人を君に変更しないか?」

「え、どうして?」

「魔獣は基本的に主人の言うことしか聞かない、だから、つまり保険的な意味でってことなんだけど、どうかな」

「うん」


それなら、一時的にでも私が主人になった方がいいね。

後で兄さんに返そう。

クロトミドリはリュー兄さんの騎獣だから。


「二頭は君に懐いているし、力を示して調伏しなくても聞き入れると思う」

「分かった」


騎獣の主従契約変更は明日の出発前することになった。

それと、王家からエウス・カルメルへ、私達のことを先に連絡しておいてくれるらしい。


「アドスに謁見できないかも打診しておく、国家の大事だからな」


セレスが言う。

アドスはルーミル教最高位の神官で、天空神ルーミルに変わってエルグラートを守護している『護国の翼』と唯一交信できる御方だ。

前にその『護国の翼』も天眼を持っているってロゼが言っていた。

だったら天眼でモコを見つけて欲しい。

きっとあの子はどこかで私を待っているはずだから。


話が一段落ついて、食事も済むと、食器を乗せたワゴンを片付けるティーネにシフォノもついて部屋を出て行った。

ティーネはサクヤ達と今後の話をしてくるそうだ。

入れ替わりでメアリが食後のお茶を持ってきてくれる。


「殿下、お食事は如何でしたか?」

「美味しかったよ、有難う」

「よろしゅうございました、料理長にもお伝えしておきますね」


嬉しそうに笑ってくれるけど、正直、まだ味をあまり感じられない。

少し後ろめたいよ。


お茶を置いてメアリは部屋を出て行って、私とセレス、カイの三人だけになった。

なんとなく誰も喋らないまま静かに時間が過ぎていく。


「なあハル」


カイが話しかけてくる。


「その、あの時のことなんだが、チビが、いやなんかデカくなってやがったがよ、穴に飛び込む前に言ってただろ、待ってるって」

「うん」

「心当たりはあるのか?」


黙って首を横に振る。

「そうか」ってカイは呟く。


「でも、兄さん達は父さんの、ヤクサ様のところにいるみたい」

「そうなのか?」

「リュー兄さんがロゼ兄さんに言ったんだって、私の身代わりになった後で、父さんのところへ連れていって欲しいって」


どうしてだろう。

ヤクサ様が助けてくださるのかな、そうであって欲しい。


「なあ、神は蘇生の奇跡を起こせるのか?」


セレスがカイに尋ねる。

カイは「言いづらいことを訊きやがる」って苦笑した。


「一概に言えねえが、神でも失われたものを戻すことはできない、つまりは無理だ」


急に胸が詰まるみたいに苦しくなった。

今の話はきっとリューのことじゃない。

モコのことでもない、絶対に。


「けど、ハルの兄貴とチビについては何とも言えねえ、例外過ぎて俺にも分からねえ」

「どういう意味だ?」

「ハルとハルの兄貴は大地神の子だぞ? 前例がないものをどうこう言えねえだろ、それにチビのあの状況での、あの言葉もどうにも引っ掛かりやがるんだ」


「赤竜も言ってたじゃねえか」ってカイは話を続ける。


「カースの振り替えなんて芸当は俺達眷属であってもまず出来ねえ、血を媒介にする呪いだってならほぼ不可能だ、けどハルの兄貴はやってのけた」

「ああ」

「つまり、ハルの兄貴はヒトの範疇どころか、眷属の範疇にも収まらないってことだ、その可能性を俺には測れねえ」

「なるほど」

「チビにしたって、ラタミルのことなんざ知らねえが、あんなハルに気を持たせるような言い方をするか? あいつは天眼持ちだったし、訳があるように思えてならねえ」

「具体的には?」

「知るかよ、だから分からねえって言ったんだ」

「つまりまだ希望は潰えていないと、お前もそう思っているってことか」

「ああ、まあ気休めかもしれねえがよ」


嬉しそうに振り返ったセレスと、カイの優しい瞳に見つめられる。

うん。

私も諦めないよ。


改めて、やっぱりリューは凄いんだ。

モコも未来を視たから私に『待っている』って言った。

だから私は、もう泣いてばかりいない。


だけどね、本当を言うと、こんなことは望んでいなかったんだ。

どうにもならなかったのは分かっている。

それでも、会ったら絶対に言うんだ。

「二度としないで」って。

こんな思いはもう嫌だ、兄さん達やモコがいなくなるのは絶対にイヤだよ。


「とにかく、明日からエウス・カルメルへ向かうとして、問題はその次のファルモベルだな」

「北かぁ、正直に言うと気が進まねえぜ」

「何故だ?」


セレスに訊かれてカイが答える。


「単純に魔物が強いんだよ、寒くて年中雪が降っているから行動も制限されるうえに、海だって常に大しけだ、加えて」

「何だ」

「妖精がな、襲ってきやがる」


妖精が?

どうして?


「バカな、妖精は竜と対を為す存在で、私達を助けてくれるんだろう」

「北の妖精だけは別なんだよ、見た目だけはハルが好みそうなのもいるけどな、リスルトとか」

「リスルト?」

「ラッコって分かるか? 北海にすむ獣だ」


ラッコ、知ってるよ。

図鑑で見たことがある。


「リスルトはそのラッコとほぼ同じ外見をしている」

「へえ」

「だがな、ラッコと違って、奴らは群れで襲ってくる」

「群れ!?」

「そして秘蔵の石で頭をかち割ろうとしやがるんだ」

「こ、怖い」


セレスの顔色が悪い。

だけどラッコに似ているならきっと可愛いよね。少し気になるかも。


「でもハルちゃんは襲われないだろう、大地神の娘なんだから」

「俺達は違うだろ」

「うぐ、確かに」


ファルモベル。

想像よりずっと大変なところみたいだ。

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