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母の話

エルグラートの国と王が虚を封じている?


母さんの話に、私と同じようにセレスとティーネも呆気に取られている。

本当のことなのかな?

母さんを疑ったりしないけど、すぐには受け入れられないよ。


「驚いているわね、私もそうだった―――承認の儀で託宣を授かるまで、想像すらしたこともなかったから」


エノア様の託宣?

母さんは話を続ける。


「承認の儀で授かるエノアの託宣は、歴代の王にこの事を伝えるためのものよ、そしてこの事実は王以外誰にも知られてはならない」

「何故?」


訊ねたセレスに母さんは答える。


「無暗に人心を不安に陥れてしまうから、その負の感情が封印の弱体化に繋がりかねないし、封印の悪用を目論む者が現れないとも限らない」


咄嗟にあの時のランペーテ様の、魔人の姿が頭に浮かぶ。

空間を割いて出現させた穴。

あれは虚だと魔人は語った。

確かにあの穴に吸い込まれたものは全て消えてしまった。

―――モコも。


「承認の儀の表向きの意義は次期王となる者をエノアに承認してもらうこと、でも真の意味は、この事を歴代の王に明かして役割を継承させること」

「王のみが知る事実、だったのですね」

「ええ」

「ですがそのことを私達に明かしてもよろしかったのでしょうか?」


今度はティーネが不安そうに訊いた。

母さんは頷いて「時が来たのよ」と答える。


「時?」

「そのことについて、この後皆を集めて話すつもりだけれど、貴方達には先に話しておきましょう」


居住まいを正す母さんに、つられて背筋が伸びる。

セレスとティーネも真剣な表情で母さんを見詰めている。


「貴方がた、建国神話を聞いたことはあるかしら」

「はい」


セレスが答えると、母さんは「では、その中でエノアの英雄譚は?」と重ねて尋ねる。


「存じています―――以前にリュゲルさんから語り聞かせていただきました」

「そう」


母さんは少しだけ目を伏せて、膝の上で重ねた両手を握る。


私も聞いたよ、『大災害』の話だよね。

確か、ヤクサ様が創世される以前の『無』の概念が氾濫し、世界を侵食し始めて、それをエノア様が食い止めた、って内容だったはず。

だけどあの時はビスタナ砂漠にある『無限の虚』から着想を得た、王家を称賛するための創作だって話していたけれど、本当のことだったの?


「始祖エノア、いいえ、少女エノアはね、真実世界を救ったのよ」

「そのことも託宣で継承された知識なのですか?」

「半分だけ正解」


母さんの返事に、セレスは不思議そうな顔をする。


「私は、おぼろげに覚えている」

「え?」

「かつて遠い、遠い昔、あの時の私が成し遂げたことだから」


どういうこと?

母さん、それって。


「私はエノアの生まれ変わり、長き時を経てエノアの魂が再び受肉した姿なの」


セレスがえっと声を上げる。

生まれ変わり?


母さんが、エノア様の?


「あの時、彼が私を見つけてくれるまで、私自身そのことを忘れていたわ」

「彼?」

「リュゲルとハルルーフェの父親よ、遠い約束を果たしてくれた、私の愛しの君」


懐かしそうに母さんは話を続ける。

私と兄さん達の父さんの話だ。私は殆ど知らない、なんだか緊張する。


「承認の儀を受けて間もなく彼が迎えに来たわ、だから私は彼の元へ行った」

「姉上が数年行方を晦まされたのは、まさか」

「彼のところにいたの、そして、リュゲルとハルルーフェを授かった」


「バカな」と呟いたセレスは、直後にハッと手で口元を覆った。

それを見て母さんは「いいのよ」って申し訳なさそうに微笑む。


「セレス、貴方は王家の者として正しい、誰にも何も告げず数年行方を眩ませて、しかも私は次期王位継承者だった、無責任だと分かっているし、そのことについては今も謝罪の言葉もありません、本当に申し訳ないことをしてしまった、本来であれば私はここにいてはいけない存在なのよ」

「い、いえ、姉上! 貴方がいてくださるからこそ、陛下は、この国は、大きく乱れることもなく瀬戸際を保っていられるのです!」

「それは違う、シェーロは立派な王よ、私がいなくても何も問題はない」

「ですがッ」

「だからと言って、この状況を放り出していなくなろうなんて考えないわ、それは私が最低限担うべきもの、それに家族を二度も悲しませるわけにはいかない」


黙り込むセレスと、様子を窺う母さんと―――少しの間、部屋はしんと静まり返る。


「私は、行かなければならなかった」


ぽつりと母さんがまた話し始める。


「そして、リューとハルの父親が誰かを語ることもできなかった」

「何故ですか、姉上」

「あらゆる意味で障りがあったからよ」


それはどういう意味だろう。

私の父さんは一体誰なんだろう。

そのことを、今、教えてくれるんだよね? 母さん。


「障り?」

「そう、どんな目に遭うか分からなかったし、何よりも、だからこそ縛るもののない環境でハルルーフェを育てなければならなかった」

「聞かせてください、姉上、ハルルーフェとリュゲルさんの父親は一体誰なのですか」


母さんはセレスを見て、ティーネを見てから、私を見詰める。


「それは、大地神ヤクサ」


えっ?


「創世の神、今は大地の守護者であられるかの御方が、貴方の父親よ」


ヤクサ様が、私の父さん?

どういうこと?

本当なの?


「かつてエノアはヤクサと誓いを交わした、どれだけ年月が経とうと、必ず再び出会い、その時は結ばれようと」


母さんが左手をスッと翳す。

その手の薬指に指輪が現れた。

緑色をした煌めく指輪、形が何となく―――さっき私がセレスに貰った指輪に似ている。


「彼は誓いを果たして私を迎えに来た、私もその時に自分が何者であるかを思い出した」


エノア様の生まれ変わりだって思い出したなら、もしかして母さんにはエノア様の記憶があるんだろうか。


「だから彼の手を取り、彼の領域へ渡った、そしてリュゲルを授かり、ハルを授かった時、再びこちらへ戻ったの」

「何故?」

「世界をハルに見せるため、ハルをヒトとして育てるためよ」


私のために。

あの森にある村も、私を育てるために用意された場所だった。

だけどどうして?

何でそんな事をする必要があったの?


「虚の封印は完全ではない」


不意に母さんは言う。


「エノアには虚を完全に封じ込めることができなかった、そのための要素が足りなかったの」

「要素?」

「虚は、存在する世界と対照的なもの、だから全てを備えていなければ、虚を完全に封じ込めることはできない」

「全てというのは?」

「ごめんなさい、それは私にも分からないわ、ただハルで『実る』のよ、その事と深い後悔だけが今の私にも残っている」


セレスに答えて、母さんは胸の辺りを押さえる。

本当に辛そう、ううん、悔しそうだ。


「ハルちゃんで一体何が『実る』んですか?」

「それも分からない、だけどエルグラートはハルを迎えるために創られた国よ、今この時のためにだけ、過去の長い月日が存在する」


唖然とする私達に、更に母さんは言う。


「だからハルルーフェには成し遂げてもらわなければならないの―――もし、果たせなければ、この世界は再び失われてしまう」

「再び?」


呟くセレスに、母さんは静かに頷く。


「この先については他の方々も集めて語りましょう、私たち以外にも関わりのある話だから」


振り返った母さんが私を見詰める。


「ハル」


胸がドクリと高鳴る。

―――怖い。


「後ほど使いをよこすから、それまでに気持ちの整理をつけておいて」

「母さん」

「ようやく元気になったばかりで申し訳ないけれど、恐らくあまり時間が残されていないの」

「どうして」

「答えるのは後でよ、ハル、お願いね」


私をギュッと抱きしめて、母さんは長椅子から立ち上がる。

部屋を出て行こうとする姿の手を咄嗟に掴んでいた。


「母さん!」


振り返った母さんへ、喉から声を絞り出す。


「兄さんはッ」


母さんが少し目を見開く。


「だから、私の身代わりになったの?」


この事を知っていたから、私の代わりに呪いを引き受けたの?

リュー兄さんがあんなことになったのは私のせい?


「違う」


屈んだ母さんに抱きしめられる。

耳元でもう一度、声が「違うわ」と繰り返した。


「貴方が今こうしていられるのは、リュゲルの愛よ」

「母さん」

「あの子はとても優しい子、そして本当に貴方を愛していた、だから」

「母さんッ」

「ハルルーフェ、そしてリュゲル、ごめんなさい、私は貴方達の母親なのに」

「うう、うーっ」

「ごめんなさい、ごめんね、ハル、リュゲル」


涙が溢れる。

母さんも泣いている。

辛いよ、苦しいよ。

戻ってきてよ兄さん。

―――いなくなったなんて、絶対に認めない。


「ハル、聞いて、リュゲルのことは貴方のせいではないわ、それだけは絶対に違う」

「うん」

「あの子が聞いたらきっと悲しむ、だから自分のせいだなんて決して思わないで、お願い」

「分かった」

「それに、あの時リュゲルはロゼに言っていた、貴方の呪いを引き受けたら、自分をヤクサのところへ連れていって欲しいって」


え?

それじゃ、兄さん達はヤクサ様の、父さんのところにいるの?


「その意図は私にも分からないけれど、私とあの人の子がこんなことで失われるわけがない」


母さんは断言する。

少しだけ胸の痞えが取れたような気がした。


そうだよね。

確かめた訳でも、はっきりそう聞いてもいないんだ。

兄さん達はきっと戻ってくる。

モコだって『待っている』って言ってた。

だから―――必ず取り戻せる。


「ハル、私達は信じて、為すべきことを果たしましょう」

「はい」

「本当に強い子に育ってくれたわね、有難うハルルーフェ、私は貴方が心の底から誇らしい」


抱きしめて、髪を撫でられて、母さんの温もりに顔を埋める。

こうしていると小さな頃に戻ったみたいだ。

母さん。

私も信じるよ。

信じて、前を向くよ。


「それじゃ、私は皆を集めてくるから、気持ちを落ち着けておいて」

「うん」

「また後でね、ハル」

「分かった」


今度こそ母さんは振り返らず部屋を出て行く。

残された私とセレス、ティーネの三人で、暫く黙り込んだ。


正直、話の規模が大き過ぎてまだ全部呑み込めていない。

母さんはエノア様の生まれ変わりだった。

私の父さんは大地神ヤクサ様で、私には生まれた時から役目が与えられていた。

それは虚を完全に封じること。

このエルグラートと歴代の王は、エノア様が封じきれなかった虚を封じ続ける役目を担うために存在していた。


そしてもしも私が虚を封印できなければ。

世界は『また』失われてしまう?


「途方もないな」


ぽつんと呟いたセレスに、ティーネが「そうね」と答える。


「何もかもが想定外だ、どこから整理をつけたものか見当もつかない」

「取り敢えず、今オリーネ様から伺った内容を確認いたしましょう」

「そうだな、そうするか」


二人がこっちを向く。


「ハルちゃん、構わないか?」

「ハル、大丈夫?」


頷いて「うん、平気」って答えた。

―――もう泣いて閉じこもっているわけにはいかない。


前へ進むんだ。

取り戻すために。

そして、私がしなければならないことを知るために。

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