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承認の儀 3 リュゲル視点

儀式の前、兄妹で過ごした時に、敢えてハルに聞かせなかった話がある。

―――現在、城下は酷い有り様だ。

代替わり後の王家の圧政、そして治安悪化に耐えかねていた民衆の不満は、サネウの企てにより発生した騒動で頂点に達しかけていた。


だから俺は王族として、彼らの怒りの只中へ身を投じることを選んだ。


最初は酷かった、罵られ、責められ、石を投げつけられたことも数えきれない。

憤慨してともすればそいつらに罰を下そうとするロゼを宥めつつ、俺は可能な限りの献身を続け、その結果ようやく彼らから信頼を得られるようになった。

この状況を生み出した張本人は、今の国王であられるシェーロ叔母上では決してない。


私怨にかられた宰相と、それを狡猾に利用する魔人。

奴らが諸悪の根源だ。


今になって思うが、あの時俺に王になれと告げてきた宰相は、恐らく自身より劣る者に仕えることが我慢ならなかったのだろう。

母さんが王位を継いでいたら、恐らくこうはならなかったと思う。

今までの扱いから鑑みて宰相は母さんを特別視している。きっと、唯一認めていたに違いない。


だがその母さんは継承権を放棄し、俺達と共に城を去った。

宰相は絶望しただろう。

そして歪んでしまった。

魔人はそこへ付け込んだ。


いや、魔人が現れなくても、恐らく宰相は単独で今の状況を作り出しただろう。

あれは復讐したいと願っているように感じる。

母さんに?

―――違う、才ある自身と、それを取り巻く全てに対してだ。


俺はハルの兄であることを誇りに思っている。

だが、宰相はそうではなかった。

俺とあいつの立場はまるで裏表だ、もしかすると俺も宰相のようになっていたかもしれない。


実に哀れだ。

だが道は決した、俺は奴に同調することも、ましてハルを裏切り、陥れることもない。


「―――ハル、綺麗だったわね」


鍵となる魔力結晶を翳し、静謐の塔の扉の向こうへハルが消えてから、隣に立つ母さんが囁いて笑った。


「承認の儀を受けた時の私にそっくりよ、本当に大きくなって、子供はいつの間にか大人になってしまうのね」

「そうだな」

「貴方もよ? リュゲル」

「うん」

「こんな立派に育ってくれて、本当に有難う」


俺も、貴方の息子でよかったと思う。

母さん、ロゼ、そして父さん。

俺は色々なものを与えられ、今、こうしてこの場に立っている。


ハルが塔に入って間もなく、宰相を伴い陛下が現れた。

何か―――少し妙に感じたが、警戒しているせいだろうか。

宰相は丸腰だ、まあそもそもリーフィリオである奴は武器など必要としないだろうが。


「どうかした?」

「いや」


陛下も自身の鍵を扉に翳し、塔の中へ入っていく。

その後に宰相が続いて、辺りは若干緊張した静けさに包まれた。


「さて、と」

「母さん」

「なに?」

「承認の儀はどれくらい掛かるんだ?」

「すぐよ、宰相が宣言して、国王がエノア様に承認を求めて、そして次期継承者に託宣が下って、おしまい」

「十分程度か?」

「そうねえ、それくらいかしら」


十分もあの中にハルと陛下を宰相と共にいさせるのは気掛かりだが、こればかりはどうしようもない。

溜息を吐くと耳元で「リュゲル」と声がした。


「やはり駄目だ、アレが弾かれた、僕も塔の中までは見通せない」

「アレ?」


ふと、小さな白い小鳥が飛んできて俺の肩にとまる。

そして隣にいる母さんくらいにしか聞こえない程度の声で「りゅー」と俺を呼ぶ。


「ぼく、はるといっしょ、だめだった、ばちんってなった」

「弾かれた、のか?」

「うん」


しょげているモコを撫でて慰めてやる。

ラタミル、いや、ロゼですら見通すことも、中へ入ることさえ叶わないのか。

いよいよ心配だな。

やけに胸騒ぎがする。


あの時感じた違和感は何だったのか。

言葉ではうまく言い表せない、直接肌に覚えるような何か。

長旅でハルも大分鍛えられたが、それでもリーフィリオ相手にどれだけ立ち回れるだろう。それに叔母上は戦えるのか?


見詰める静謐の塔の扉から、ハルが現れる兆しはまだない。


「リュゲル」


不意に呼ばれて振り返った。

母さん?

顔色が悪いようだが、どうかしたのか?


「私、行かないと」

「えっ」

「貴方達はここで待っていて」


俺にそう告げて歩き出した母さんは、傍に控えているヴィクターに近付く。

手を差し出し「剣を貸しなさい」と命じた。


「オリーネ様?」

「早く」

「はッ」


受け取った剣を携えた母さんはやおら駆け出し、そして―――静謐の塔の扉をすり抜けた。

突然の出来事に周囲はざわつき、セレスが「何事ですか?」とシフォノと共に俺の元へ小走りに寄ってくる。


「いや、俺にもよく」

「何故姉上が静謐の塔へ?」

「分からない」

「オリーネ様はまだ鍵をお持ちなのですか?」

「いいや、母上の鍵は既にハルルーフェが受け継いでいる、あの方は鍵など持っていない」


だが、何故?

俺も扉へ近付き触れてみるが、どれだけ力を込めようとびくともしない。


「中で何があったんだ」

「リュゲルさん、ハルちゃんは、姉上は」


戸惑うセレスに首を振り返す。

動悸がする。

嫌な予感が頭の中を駆け巡る。

ハルは無事なのか?

母さんは、殿下は、塔の中で何が起きている?


「あっ!」


セレスが声を上げた。

扉から母さんが、ハルを背負って―――ハル?


「リュゲル、ロゼを呼んで!」

「僕ならここに」


突然現れたロゼに、周囲は騒然となり絶句した。

それはそうだ、純白の大きな翼を羽ばたかせ現れた姿は、まさしく天の御使い、ラタミル。

思いがけない降臨に誰もが恐れ戦き、近付いてこようとさえしない。


「お願い、助けて!」

「ふむ」


ロゼは母さんからハルを受け取る。

ハルは、目を閉じて眠っている?


いや、まさか。


違和感を伴う現実が目の前にある。

あの、普段から滅多なことでは動じない母さんが、髪を振り乱す勢いでロゼに縋りついている。

隣にいるセレスは腰が抜けたように座り込み、シフォノも佇んだまま動かない。


ロゼの腕の中にいるハルは、本当にただ眠っているだけのようだ。


「これは血の呪い、僕にも手の施しようがない」

「そんな」

「対価は同じ血を持つ魂だね、あの俗物か、よくも僕のハルを」

「ダメよ、ハルを死なせるわけにはいかない、だってこの子は!」

「母さん、貴方に辛い事実を告げるが」

「やめて」

「恐らくは、僕らの父さんであっても、ハルの眠りを覚ますことは叶わないよ」


母さんが叫ぶ。

セレスは地面を思いきり殴りつけた、何度も、何度も、何度も。

その腕を止めようとしてシフォノがしがみつく。

拳からは鮮血がほとばしっている。


ハル。

俺の、何よりもかけがえのない妹。


「いいや」


俺にはできる。

誰にも出来ないことが、俺にだけはできる。


「リュゲル?」


ロゼの隣に膝をつき、ハルを受け取る。

まだ温かい。

それに、ふふ、可愛い寝顔だ。

長いまつげ、形のいい鼻、淡い色の唇。

―――お前が生まれた日のことを思い出す。


あの時、俺は本当に嬉しかったよ、ハル。

お前に会えてよかった。

お前の兄になれてよかった。


「大丈夫だ、母さん」

「え」

「ハルは、俺が取り戻す」


ハルの柔らかな頬をそっと撫でて、隣のロゼを見上げる。


「兄さん、頼みがある」

「なんだい?」

「これが済んだら、俺を父さんのところまで連れていってくれ」

「お安い御用さ」

「―――訊かないんだな?」


ロゼは優しく笑う。

その見事な金の髪の影から、深い青色の瞳が俺を見詰めている。

ああ、やっぱりそうか。

お前の呪いはとっくに解けていたんだな。


「君は、僕との約束を守るのだろう?」

「ああ」

「であれば、僕は君の全てを受け入れるまでさ」

「有難う」

「いつも言っているだろう、僕は君と、ハルの、頼れるお兄ちゃんだ、案ぜず全て任せるといい」


そうだな。

頼むよ、兄さん。

そして―――ごめんな、ハル。

だけど俺はお前との約束も守る。傍にいるよ、いつでも、必ず。


互いの心臓を重ね合うようにしてハルを抱きしめる。

目を瞑り、ゆっくり息を吸って、吐いて―――さあ、戻ってこい。

呪いは俺が引き受ける。

この日のために父さんと約束したんだ。


ハルルーフェ。

お前のためなら何も惜しくはない。


重なった胸の奥から微かな鼓動が伝わってくる。

同時に手足の先の方から凍えるような冷たさが這い上ってきた。

これがあの男の情念、憎悪、そして嘆き。

やはり哀れだ。

俺が全て連れていく。

お前には呪いのひとかけらだって残しはしない。


元気でいろよ?

泣くんじゃないぞ、お前はもう十分強いんだ。

いつでも見守っているから、頑張れ。


兄さんの頼もしい腕が俺とハルをまとめて抱えてくれる。

本当に世話になってばかりだ。

でもお前がいてくれるから、俺も安心して任せられる。


ハル。

ハルルーフェ。


それじゃ。


―――またな。

以前にも書きましたが、この話はハッピーエンドです。

蛇足だと思われても明言させていただきます。


よろしければ、結末までどうぞお付き合いください。

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