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兄妹

※今回はかなり長いので、お時間のある時にでもどうぞ

「はい殿下! そのままゆっくり前に! あと三歩、二歩、一歩、立ち止まってください!」

「は、はい」

「しずしずと座に膝をついて首を垂れ!」

「はい」

「そのまま目を瞑って、そう、そうです! 大変結構です!」


承認の儀の練習が始まって数日経った。

儀式当日は着々と近付いて、担当官の指導にもどんどん熱が籠ってくる。

私の方もどうにか様になってきた―――と、思いたい。


「殿下! あと少しですよ、殆ど完璧です! あとほんの少しだけ所作を覚えていただければ!」

「はいっ」


落ち込んだり悲しんだりする暇もなく、毎日が目まぐるしく過ぎていく。

セレスは大変そうだし、兄さん達とも全然会えていない。

母さんとも会えない。

今は叔母様を支えて、色々な問題に対処する手助けをしているらしい。


でも毎日サクヤとキョウ、カイが会いに来てくれるし、セレスも遅くなっても必ず顔を見せてくれるから、平気だ。

モコも混ざって皆で一緒に過ごす時間が今は唯一の癒しだよ。


「―――それじゃハル、そろそろ部屋に帰るね、明日も頑張って」

「おやすみなさいませ」

「じゃあな」


舞踏会の後、サクヤ達とカイの部屋は桂宮に用意された。

ラーヴァ達はまだ本宮の方にいるみたいだ。

私の部屋から宿泊部屋にそれぞれ戻っていく姿を見送る。


「ハルちゃん、私もこれで失礼させてもらうよ」

「私も下がらせていただきます、殿下、また明日、練習のお供を致しますわね」

「それじゃ二人とも、いい夢を」


セレスとティーネも自室へ戻っていった。

さてと、私はモコと湯を使おうかな。


「今日もしっかりマッサージしないと」

「ぼく、もむ!」

「有難うモコ、それじゃ、またお願いしようかな」

「はーい」


モコの小さな手でマッサージされると、ちょっとくすぐったいんだよね。

隣室へ行って、浴場に防水のカーテンを引いてから、浴槽に湯をためる。

その間に体と髪を洗って、モコも洗って、一緒に湯に浸かった。

はあ、気持ちいい。

暫くまったり寛いでから、湯を出て体を拭いて、夜着に袖を通す。


ベッドのある部屋へ戻ると、不意に扉がコンコンと叩かれた。


「ハル」


あ、リューだ!

急いで扉を開くと、深い緑色の瞳が私を見下ろす。


「兄さん!」

「起きていたか、夜更かしだな?」

「さっきまで皆が来ていたんだ、今お湯を使ったところだよ」

「そうか、なるほど、いい匂いがする」

「ねえ兄さん、入ってよ、せっかく来てくれたんだから、少し話そうよ」

「ああ、俺もそのつもりで来た」


うわぁ、嬉しいな!

一週間ぶりくらいかな、もっとかもしれない、リューが会いに来てくれるなんて。

だけど少し疲れた顔している、大丈夫?


「今お茶を淹れるね、座って待ってて」

「ああ」

「―――やあ、ハル」


え? あっ!

傍にフワッと現れたのは、ロゼだ!


「こんばんは、僕の可愛いハルルーフェ、僕の可愛いリュゲル、君達のお兄ちゃんだよ」

「ロゼ兄さん!」

「ししょー!」


モコも嬉しそうにピョンピョン跳ねる。

だけどロゼは鬱陶しそうに「お前はどうでもいい」なんて言う。

相変わらずだなあ。


「ねえねえ、ししょー、ぼく、ししょーにおそわったこと、ぜんぶできるようになった!」

「フン」

「もっとおしえて、ください!」

「ん? 多少は言葉遣いを覚えたか」

「おねがい、します」

「ふむ、いいだろう、若干殊勝なその態度に免じて教授してやる」

「やったー!」


モコは全然気にしていないみたい、もう慣れたんだろう。

だってロゼ、なんだかんだ言ってモコの面倒をみてくれるし、師匠もしっかりしてくれるからね。

よかったね、モコ。


兄さん達は卓を挟んでそれぞれ長椅子に掛ける。

お茶を淹れて持っていくと、ロゼに「おいで」って呼ばれたから、隣に座った。

モコはロゼと反対側の私の隣だ。

ピョンと腰掛けて、ニコニコしながら足をパタパタさせる。


「なんだ、モコまでそっちか」

「え、じゃあ私がそっちに行こうか」

「むしろ君もこちらへ来るといい、僕の隣においで」

「いい、流石に狭いだろ」


ふふっ、そうかも。

リューは私が淹れたお茶を飲んで「ああ、美味い」ってしみじみする。


「香りがいいな」

「給仕のメアリが毎日茶葉を選んで用意してくれるんだ」

「そうか、彼女はお前の担当だったな」

「知ってるの?」

「前にも言っただろ、俺は城内にいるほぼ全員の顔と名前を把握しているって」


あ、そうか。

すごいな、私には真似できないよ。


「リュー兄さんって昔から記憶力がいいよね」

「そうでもないさ、お前だって興味のある分野に関しては俺以上に知識を持っているじゃないか」

「それほどでも」

「君達はどちらも素晴らしいよ、流石は僕の特別な弟と妹だ」


エヘヘ、褒められた。

兄さん達は凄いから、褒められると自信が湧いてくる。


「そういえば、最近はオーダーのオイルを調香しているのか?」

「ううん」

「そうだね、可哀想に、君もリュゲルも誠実さ故に請われるまま自らを差し出して摩耗し続けている、しかし程々にしなさい、何であれ限度は弁えるべきだ」

「俺達はお前と違って情に厚いんだよ」

「やれやれ、そんな言葉で状況を受け入れてしまうとは、君達のお人好しぶりが僕は気掛かりでならないよ」


ロゼが心配してくれるのは嬉しいけれど、今はなるべく役目を放り出したくない。

だって私は王にならないから。

いずれ期待を裏切ることになるって分かっているから、今だけでも周りの想いに応えたい。


「ハル、お前は承認の儀の練習に励んでいるそうだな」

「うん」

「母さんから聞いたぞ、作法だ手順だってやたら面倒だそうだな」

「そうなんだ、母さんも面倒って言ってたの?」

「ああ、やってられなかったから、途中から適当に済ませていたらしい」

「え!」

「そのせいで儀式当日まで練習させられたそうだ、お前も適当に手を抜けってさ」


母さん、凄いな。

ちょっと真似できそうにない。


「まあ聞く限り俺も甚だ疑問だが、肝心なのはエノア様から託宣を授かることであって、作法だなんだは所詮後付けだろ? そんなものに労力を割いて何になるって言うんだ」

「僕も同感だね、真摯に励む君の姿は美しいが、やっていること自体は心底無意味と思うよ、所詮は儀式に参加できない者達が、それでも何かしら関わりたいと欲した末の虚構だろう」

「二人とも、そんな言い方しないでよ」


段々憂鬱になってきた。

俯いたら、兄さん達が慌てて「それでも頑張っていて偉い」とか「きっと何かしら別の形で役立つ時もある」なんて励ましてくれる。

まあ、綺麗な歩き方の勉強にはなっているし、私もそうだといいなって思うよ。


「悪いな、ハル、お前は頑張っているのに、否定したわけじゃないんだ」

「そうとも、努力する君は美しいよ、ハル」

「うん」

「実際偉いよ、お前はよくやっている」

「そうとも、いつも見ているよ、僕の可愛いハルルーフェ」

「有難う、ロゼ兄さん、リュー兄さん」


ふう、でも私も本音を言えば兄さん達に同意だから、仕方ない。

多分気分の問題なんだろうなとは薄々気付いているよ。


「ねえ、リュー兄さんは城下で復旧作業を手伝っているんだよね?」

「ん? ああ、そっちはある程度目途が立ったから俺は外れた、今は他のことをしている」

「何?」

「被害に遭った者達の世話だ、話を聞いて必要な物資を手配したり、単純に不安や不満に耳を傾けたりしている」


それなら私も手伝えそうだけど、今は他のことで忙しいからな。


「兄さんも凄いね」

「まあ、俺に政治的な権限はほぼ無いからな、できることと言えばこれくらいだ、地道に励んでいるよ」

「それでも凄いよ」

「有難う、城下で燻り続けてきた今の体制に対する不満が、今回のことで爆発しかけているからな、こんな状況で暴動でも起きたらそれこそ大惨事だ」

「うん」

「被害の拡大を防ぐって意味でも、王族として俺が市井に降りるのは必要なことだ、そうすれば王や王家はちゃんと民を見ているって思ってもらえるだろ?」

「そうだね」

「セレスやヴィクターも最大限協力してくれているよ、今はあの二人の方が俺よりよっぽど大変だ」

「え?」


そうなの?

驚いたらリューが教えてくれた。

軍内部はサネウ様があんな事になってしまって大混乱しているそうだ。

一時的に軍統括代理を引き受けたセレスと、王庭近衛兵団団長のヴィクターは、その突き上げを一手に受けている。

協力し合って事態を収拾しようと奔走する傍ら、城下の復旧への指示や、そのための予算の確保に関連各所と交渉も行っているらしい。


「誰もやりたがらないような汚れ仕事だ、それを弱音一つ吐かずに踏ん張っている」

「そうだったんだ」

「見上げたものだ、まあ、セレスは根性があるからな、次会った時は褒めてやれ、きっと喜ぶ」

「うん、兄さんが褒めてたって伝えておく」

「お前が褒めた方が喜ぶぞ、きっと」


そうかもしれないけど、セレスはリューを尊敬しているから。

私と会う時、いつも笑顔で、元気に見えるよう振舞ってくれていたんだ。

有難うセレス。君は本当に凄い人だね。


「あいつなら、いいかもしれないな」

「え?」


何のこと?

リューは笑って「なんでもないよ」ってお茶を飲む。


「ティーネも頑張ってくれたぞ、先日の会議で三国の意見をまとめてくれたそうだ」

「え?」

「ベティアスのスノウ代表がべた褒めしていた、東のノイクス、南のベティアス、そして西の商業連合、三国の協定を取り持ったそうだ」

「叔母様に責任を求めないって、あの話のこと?」

「ああ、王弟の不祥事により他国に損害を生じさせたからな、賠償程度で済めば御の字だ、場合によっては連合王国離脱の上、戦争にだって発展しかねない事案だ」

「えっ」

「そこをティーネが取り持って、上手い具合に落としどころをつけてくれた、彼女は政治の才能がある」


凄いな、ティーネ。


「お前がこれまでしてきたことも役に立ったんだぞ、ハル」

「私?」

「ああ、旅をしただろう? ネイドア湖にサマダスノーム、獣人特区、ディシメアー、砂漠と、それからドニッシス」

「思い返せば実に刺激的な旅だった」

「確かにそうだな」


ロゼとリューが笑い合う。

そうか、そうだね。

色々な場所へ行って、たくさんの人や獣人と出会って、数えきれない体験をした。

怖いことや辛い目にも遭ったけれど、楽しかった思い出はそれ以上だ。


「それなら私だけじゃないよ、兄さん達だって一緒だったでしょ」

「そうだな」

「ハルだけではなく、リュゲル、君も大いに貢献している、誇るべきだよ」

「俺はいい」

「よくないよ、兄さん達がいたから私も頑張れたんだ」

「そうとも、君がハルを想うように、ハルもまた君を想っている」

「分かってるよ」

「そして僕はそんな君達二人を想っている」

「エヘヘ」

「はいはい、それも知ってる」


モコが「ぼくは?」って私の膝に乗り出してくる。


「勿論モコもだよ」

「えへへぇ」

「厚かましい、新参者は弁えろ」

「ロゼ、先達の嫉妬は見苦しいぞ」

「違う! リュゲル、君はなんてことを言う、これと僕を同列に扱わないでくれ!」

「ほぼ同じだろうが」


ふふ、言い合う兄さん達を見るの、久しぶりだ。

―――こうしていると、ここが城で、私が王族なんてこと忘れそうになる。


「ハル」


不意にリューが私をまっすぐ見つめる。


「先の協定はお前がいずれ王になることを見越して交わされたものだ」

「うん」

「でも、お前は王位なんて継ぎたくないんだろ?」

「―――ごめんなさい」


だって、無理だよ。

けれどもうすぐ来てしまう誕生日に、承認の儀を受けて正式に継承権を認められてしまったら、拒めなくなりそうで怖い。

放棄を認めてもらえなかったら?

認めてもらえたとしても、私が王にならなかったことで、誰やか何かが辛く苦しい思いをすることになったら?


「謝らなくてもいい、大丈夫だ」


兄さん。

私を安心させるように、優しく微笑みかけてくれる。


「お前の気持ちは分かっている、だから俺が何とかしてやる」

「もう、何度も君達に言ってきたと思うが、いざとなれば僕が君達を新天地へ連れていくよ」

「ぼくも!」

「それは最終手段にさせてくれ、流石に無責任が過ぎるからな」


苦笑するリューに、ロゼが軽く肩を竦める。

二人とも有難う。

だけどなるべく自分で解決するよ。

次の誕生日が来たら、私はもう社会的には大人だ。

兄さん達をいつまでも頼っていられない。

少しずつでも自分で何とかできるように、慣れていかなくちゃ。


「さて、結構長居したな、そろそろ寝ないと明日に響くだろう」

「まだ大丈夫だよ」

「いいや、寝ぼけてティーネに叱られる姿が目に浮かぶぞ、理由を訊かれたら俺までティーネに叱られる」

「平気だってば」

「また会いに来るから、駄々をこねるんじゃない」


笑いながら立ち上がったリューは、私が駆けている長椅子の後ろへ回って、頭を撫でくれる。


「ロゼ、お前も行くぞ」

「仕方ない、リュゲルは寂しいようだからね、僕も一緒にお暇するよ」

「誰が寂しいだ」

「おや、今夜も子守唄が必要かな?」

「歌わせてないだろ」

「君もハルもまだまだ手が掛かるからね、お兄ちゃん冥利に尽きるというものさ」


ロゼも私の頭を撫でてから腰を上げる。


「それではハル、君によい夢を」

「うん」

「ハル」


リューの深い緑色の瞳。

ロゼの真っ赤な瞳。

二人が私を見ている。大好きな兄さん達。


「改めて、もうすぐ誕生日だな、おめでとう」

「有難う」

「頑張れよ」

「はい」

「よーし、それっ」


うわ!

いきなり腋に手を差し込まれて、そのままロゼに持ち上げられた!


「久々に抱っこしてあげよう! ハル、昔はよくこうしたね」

「う、うん」

「こらロゼ、やめろ」

「君もハルを抱っこしてあげるといい、随分重くなったぞ、ほら」

「よせって、ったく」


言いながらリューは腕を伸ばして私を受け取ってくれる。

へへ、ちょっと恥ずかしいね。

でも久しぶりだ、こうして兄さん達に抱えられると、小さな頃を思い出す。


「ハル」

「何?」

「お前はこれからもずっと、俺とロゼの大切な妹だ」

「うん!」


ギュッとリューを抱きしめた。

首筋に顔を埋めると兄さんの匂いがする。いい匂い。


「兄さん達も、私の大切な兄さん達だよッ」

「そうか」

「そうとも! よし、ではまとめてお兄ちゃんが抱っこしてあげよう!」

「わっ、やめろロゼ! お前まで抱きついてくるな!」

「ほーら、お兄ちゃんサンドだよ、ハル、嬉しいかい?」

「嬉しい!」

「いいな、ぼくも!」


モコまでリューの脚にギュッと抱きついた。

ロゼが「お前は混ざるな」なんて言うけど、モコは「ぼく、はるのだから、ぼくも!」って離れない。


「そうだな、モコはハルのだ、諦めろ、ロゼ」

「ムムムッ」

「ロゼ兄さんは誰のなの?」

「決まっている、僕はリュゲルと、君のものだ、ハル」

「だったら一緒だな」


リューが笑って、私も笑う。

モコも楽しそう。

ロゼは渋い顔をしていたけれど、結局笑顔になって、私とリューをもっとギューッと抱きしめてくれた。


ずっとこうしていられたらいいのに。

皆で一緒にいたいよ。

―――母さんも。

また家族で暮らしたい。

あの村に戻って、皆で一緒に。


いつか帰れるのかな。

帰りたいよ。

私達の家に。

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