噂とまんじゅう
今の話って本当?
船底を食い破ろうとするなんて、それってやっぱり外来生物じゃなくて、魔物なんじゃないかな。
「手漕ぎの小さなボートばかりですが、既に被害が出ております」
「だからこの帆船も襲われる可能性がある、と?」
「はい、大勢お客様を乗せて、湖の中央近くへも行きますので、事故が起きてからでは遅いと、被害が収まるまで運航休止になりました」
「なるほど」
ショックだ。
理由は分かったけど、凄くショックだ。
泳げない、遊歩道を歩けない、今度は帆船にも乗れないなんて、期待していた分、ガックリきた。
落ち込む私の肩を誰かがポンと叩く。
セレスかと思って振り返ったら、ロゼが立っていた。
「ハル、気落ちしなくてもいい」
「兄さん、船に乗れないって」
「ああ、僕もとても残念だ、でも心配はいらない、すぐに君の憂いを晴らして」
「ロゼ!」
急にリューがロゼを呼んで、つかつかとこっちへ来たと思ったら、腕を掴んで連れて行っちゃった。
どうしたんだろう?
呆気にとられていると、今度はセレスが隣に来て慰めてくれる。
「元気出してハルちゃん、土産物屋でも覗きに行こう、絵ハガキを探したいって言ってただろ?」
「うん」
「私も一緒に探すよ、素敵な絵ハガキが見つかるといいね」
「有難うセレス」
このまま落ち込んでいても仕方ないか。
促されて歩き出そうとしたら―――何か、嫌な感じがして足を止めた。
ネイドア湖の方から?
何だろう、今のって。
「あ」
桟橋の下に浮いているものに気付く。
魚だ。
死んだ魚、ボロボロで腐りかけている。
一匹じゃない、他にもいる、たくさん、たくさんの死んだ魚が水面にたゆたっている。
「うわっ、酷いな」
セレスも顔をしかめた。
腐敗臭に気付かなかったのは、エピリュームの花の香りのせいかな。
だけど死骸を見つけた途端に嫌な臭いが鼻をついた。
あれは、ネイドア湖で今起きていることの原因は、やっぱり魔物だと思う。
だってあれは、食べることが目的じゃない、命を奪うことが目的に見える。
可哀想だ、ただ腐って浮いているだけの魚があんなに沢山、ひどい。
「ハルちゃん」
行こう、と、セレスが顔を覗き込んでくる。
「師匠とリュゲルさんが呼んでる、こんな場所より、もっと楽しいところへ行こう」
「うん」
大通りの方へ戻る道の手前で、リューとロゼが私達を待っていた。
肩に止まっているモコも体をスリスリと摺り寄せてくる。
重い気分で歩き始めると、背後から生臭い風が追ってきたように吹き抜けていった。
胸騒ぎみたいな感覚がして、少し不安になる。
嫌だな、こういうの。
ネヴィアの大通りまで戻ってきた。
さて、気持ちを切り替えるとするか。さっきのことをいつまでも引きずっていても仕方ないもんね。
兄さん達と、セレスと一緒に、改めてあちこち見て回る。
飲食店と土産物屋が殆どだけど、雑貨屋とか、洋服屋なんかもあった。リューが昨日買い物をした食料品店は、店内の半分が土産物屋で、随分にぎやかだ。
「外来種の件でどうかと思っていたが、魚はまだ獲れるそうだ、けれどあの状況を見る限り、そう遠くないうちに影響が出始めるだろうな」
「ねえ兄さん、外来種っていうより、魔物じゃないかと思うんだけど」
「ああ、だから領主がわざわざ兵を派遣するんだろうな」
あ、そうか。
気付いていなかったのは私だけらしい。セレスも「そうですね」って頷いている。
「魔物かあ、それじゃ遊泳禁止になるよね」
「ああ、水中に生息する種のようだから、水に入らない限り危険はないだろう」
「今まではいなかったんでしょ? どうして急に現れたんだろうね」
「魔物は発生の過程がまだ解明されていないからな」
生態がある程度判明している種もいるけれど、殆どの魔物が発生も生態も謎のままだ。危険だから調査も出来なくてずっと放置されている。
魔物って何なんだろう。
私たち人や獣人、獣とも一線を画する存在。
クロやミドリみたいに調教を受けて人の役に立ってくれる魔物もいる。
ここでネイドア湖まんじゅうを齧りながら考えたって、答えが出るわけじゃないけれど。
よく分からないものは、分からないってことだけで怖いよ。
加えて魔物は大抵凶暴だから、身の危険を感じるって意味でもっと怖い。存在すること自体が脅威だ。
―――昨日、味見させてもらったまんじゅうを改めて買って食べているんだけど、これ美味しい。
外はモチモチ食感で、中の餡は甘過ぎず重過ぎず、大きさも手ごろで幾つでも食べられそう。
「ねえリュー兄さん」
「どうした?」
「このまんじゅう作れそう?」
「お前なあ」
こういう場所で訊くんじゃないと強めに注意されてしまった。
でも作れるよね?
ネイドア湖の思い出の味だ、再現してもらって、母さんとティーネに食べさせてあげたい。
「ハルちゃん、あれ、絵ハガキじゃないか?」
「あ、本当だ、絵ハガキだ!」
土産物屋の店先に並んでいた、色々な種類がある、嬉しい!
駆け寄って眺めていたら、店内から出てきた店員がおすすめを教えてくれた。
あの帆船とエピリュームが描かれている。これがいい、これを母さんとティーネに送りたい。
「兄さんこれ欲しい」
「また手紙を書くのか」
「うん」
「お前、結構筆まめだな」
そうかな、旅の思い出を二人に届けたいだけなんだけどな。
同じ店で郵便の受付もしているそうだから、書いたらまたここへ持ってこよう。
昼になって、飲食店で食事をとってから、宿へ戻った。
リューは預けたクロとミドリの様子を見に、セレスはまた町の人に従者のことを訊きに、二人が出掛けて、私は昨日と同じようにロゼとモコと留守番。
絵ハガキを書いたり、羊の姿に戻してもらったモコと喋ったりしているうちに、気付けば夕方になっていた。
「ただいま」
「お帰り兄さん」
「やあ、お帰りリュー」
「セレスはまだ戻っていないのか」
食材を買い込んできている。
ということは、また宿の厨房を借りるんだね。今夜は何を作ってくれるんだろう、楽しみだな。
「先に食事の支度をしてくる、今夜は魚の煮込みだ」
「おお!」
「セレスが戻ったら厨房へ来てくれ、主人が料理を教わりたいそうだから、ついでに教えてくるよ」
そっか、例の看板料理にするって言っていた、あらいとたたきかな。
リューがまた部屋を出て、暫く経った頃に、セレスが帰ってきた。
「ただいま戻りました」
「セレス、お帰り!」
「ただいまハルちゃん」
モコはリューが戻ってくる前に、また小鳥の姿に変わっている。
セレスにもモコのことを話したいけど、ラタミルだ、なんて知ったら驚かせるだろうから、なかなか言い出せない。切欠が欲しいよ。
「師匠、戻りました!」
「ああそうか、収穫はあったか?」
「いえ、今日も特にありませんでした」
セレスの従者のことも気がかりだ。
今頃本当に酷い目に遭っているのか、それとも勝手に辞職してどこかへ行ってしまったのか、せめてそれだけでも分かればいいのに。
「ところでリュゲルさんは」
「兄さんは厨房だよ、セレスが帰ってきたら、連れてきてくれって言われてる」
「そうか、待たせちゃって悪いな、申し訳ない」
「平気だよ、それより行こう、お腹すいたよ」
「ハハッ、私もペコペコだ、師匠も行きましょう!」
「元よりそのつもりだ」
モコを肩に乗せて、皆で宿の厨房へ向かう。
近付くとやけに賑やかだからこっそり覗いてみたら、宿の主人以外にも何人かいて、皆でリューから料理を教わっている最中だった。
訊いたら、他の宿の料理人や、飲食店の人達だって。
宿の主人の話を聞いて、自分たちにも教えて欲しいって押し掛けたらしい。
リューは丁寧に料理を教えていた。
さすが兄さん、面倒見がいいよね。
お礼に食材をたくさん貰って、今夜は晩餐みたいに豪華な食事になった。
全部は使いきれず余らせたから、明日の朝も楽しみだ。
「やれやれ、ここへ来たら既に五人いるし、後から更に増えてまいったよ、報酬が貰えたからいいが」
「君の料理の腕は至高の域だからな、常人にはおよそ到達できまいが、研鑽を重ねることに意義はある」
「はい、今日もリュゲルさんの料理を頂けて幸せです、師匠」
「お前も精々感謝するといい」
「はい師匠!」
「いや、作ったのは俺なんだけどな」
フフ、皆で食べると楽しいね。
モコも夢中でホロホロになった魚の身を啄んでいる。
野菜もたっぷりで、旨味がスープに凝縮されて、一杯の満足感が凄いけど、しつこくないからおかわりが止まらない。
手作りのパンもフワフワでモチモチ、スープに浸して食べると美味しい。
「兄さん、スープまだある?」
「またおかわりか、食べ過ぎるなよ、ハル」
「えへへ、だって美味しいんだもん」
「やれやれ」
リューはセレスに、今日は何か収穫があったのかって、声を掛ける。
「いえ、今日も特には」
「そうか」
「ですがネイドア湖に関する噂を色々と聞きました」
「俺も聞いた、お互いに話して、情報を整理しようか」
「はい」
もしかして、二人が夕方まで帰ってこなかったのって、情報収集していたの?
セレスは従者が来ていないかの聞き込みも兼ねてだろうけど、リューはもしかして、ネイドア湖で何が起きているか気になっているのかな。
本当に魔物だとしたら、いずれもっと大きな被害が出るかもしれない。
早く兵が派遣されて、原因を取り除いてくれたらいいのに。
「ではまず私が聞いた噂ですが、湖上に髪の長い女性らしき姿が佇み、泣きながら何かを訴えてくるそうです」
「俺も聞いたな、言葉の内容は分からないらしいが」
「現れる場所や時間もまちまちだそうです、湖の乙女なんて呼ばれていました」
「名称は麗しいが、見かけたら怖いだろうな」
話を聞いているだけでもう怖いよ!
モコを撫でて気持ちを落ち着かせる。モコは、ヒヨヒヨ鳴いてくすぐったそうにしている。
「湖の中央、他より深くなっていて、誤って入り込まないように柵を巡らせている辺りで、たまに渦が発生しているという話も聞きました」
「ああ、湖で渦だなんて、奇妙だな」
「大量の魚が同時に同じ方向へ泳ぎ続けるか、急激な温度差による対流でも起こらない限り、渦なんてできませんからね」
「そうだな、加えて俺が聞いたのは、渦の中央から時折水柱が上がるそうだ」
「水柱?」
「精々一、二メートル程度の高さらしいが」
「んー、渦に水柱か、外来生物、もとい、やはり魔物の仕業なのでしょうか」
「俺はそう思う、件の女性に関しては何とも言えないが、今ここで起きている諸々の現象に関しては魔物が原因と考えるのが一番しっくりくる」
「ですね、私もそう思います」
熱心に話す二人をよそに、ロゼとモコはモリモリと食べて、飲んで、食事を続けている。
私も食べているけど、なんとなくフォークが進まない。
昼に帆船のところで感じたおかしな気配。
たくさん死んでいた魚たち、今聞いた話、どれも不気味でなんだか怖い。
せっかくネイドア湖へ来たのに。
エピリュームの花、とっても綺麗だったのに。
ラーバとガラシエを呼べるオイルも作れたのに。
「ああそうだ、ハルちゃん」
「何、セレス?」
「これも聞いた話なんだけどね」
意味深に声を潜めるから、少し身構えた。
また怖い話なのかな?
「ここの名物、ネイドア湖まんじゅうの秘密を探ろうとすると、巨大蒸し器に入れられて、まんじゅうにされてしまうらしいよ」
「え」
何の話?
ポカンとしていると、急にロゼが「なんだと」と声を上げる。
「では僕のリューがまんじゅうにされてしまうかもしれないのか」
「おい待て、どうして俺がまんじゅうにされるんだ」
「私もそれが気懸りで、リュゲルさんが再現してくださったリアックの豚角煮まん、あれは本当に美味かったから、だから」
「リュー、ここにいる間は僕の傍を離れるな、君をまんじゅうになどさせるものか」
「待て待て、セレスも急に妙なことを言い出さないでくれ」
「ですがリュゲルさんッ」
「リュー!」
「ああもう、うるさい」
なんだか気が抜けた。
モコがケプッと小さくゲップをして、テーブルの上でコロンと転がる。
噂はしょせん噂でしかないか。
話だけ聞いて怖がっていても仕方ないよね。魔物かもしれないって話も、確定したわけじゃない。
だけど今の話、おかしい。
クスクス笑ったら、兄さん達とセレスも私を見て、同じように笑い出した。
「にいさん、まんじゅうはネヴィアを出てからでいいよ」
「お前までそういうことを言うのか、まったく」
「ハル、誰が聞いているか分からない、まんじゅうの件は慎重に扱おう」
「そうですね師匠、リュゲルさんを守るためにも」
「どうやらよっぽど俺にまんじゅうになって欲しいようだな」
それはないってば、兄さんがまんじゅうにされたら困るよ。
だけどモチモチで温かなまんじゅう生地に包まれるのは、もしかしたら気持ちいいかもしれない。
まんじゅうみたいに丸くなったモコを撫でながら、そんなことを考えて、またちょっと笑った。
ネイドア湖まんじゅう。
外はモチモチフカフカで、中には甘さ控えめの餡が入っています。
表面に焼き鏝で『ネ』と入れてあるのが目印。




