華燭の団欒
「でも、鳥の姿のロゼをどんな風にあしらっているか楽しみだね」
「そうだな」
私が選んだ御紋花も、ドレスにどうあしらわれているのかな。
―――ちなみに、御紋花や御紋獣は公用の紋と扱いが少し違うらしい。
紋章自体は専門家が幾つか案を用意して、そのうちどれを選ぶか、私とリューに伺いにくるそうだ。
「恐らく舞踏会後だろうな、紋章院から連絡が来る、それが通例らしい」
「そうなんだ」
「ちなみに、正式な紋は専門家が作成する理由は、歴代の王族と紋が被るのを防ぐためだ」
「なるほど」
「リュゲルさんの仰るとおり、紋章院には過去全ての紋の記録が残っている、そしてそれを扱う専門家達も記録の内容を頭に叩き込んでいるからね、長く受け継がれてきた王家の伝統と格式を重んじた、君だけの紋を作成していることだろう」
「セレスも紋を持っているの?」
「勿論、ほら、服のあちこちに入っているんだ、これとか」
そうだったんだ!
模様だと思ってた、これはセレスの紋なんだね。
「まあ、礼装以外で普通は紋なんか入れないんだが、私のはその、特製だから」
「あ」
「うん」
セレス以外が着ると、全身の穴という穴から血を吹き出して絶命する呪いの服、だよね。
専用って意味で紋入りなのは理解できるけど、今は本当の理由が何となく察せるから少し複雑だ。
セレスも微妙な顔をしてる。
―――それから、暫く色々と話をしていると、部屋に使用人が声を掛けにきた。
もうすぐ広間に晩餐の用意が整うそうだ。
「あら、すっかり長居してしまいましたわね」
「ティーネ、君は戻るのか」
「はい、本日はこれで、皆様は楽しい夕べをお過ごしください」
丁寧にお辞儀して「それではまた明日、おやすみなさい」って、ティーネだけ自分の部屋へ戻っていく。
私はリューとセレス、それから私の肩にこっそりいるモコと一緒に、いつも食事をいただく広間へ向かう。
「―――あっ」
広間に入ると同時に思わず声が出た。
奥の席に陛下が、シェーロ叔母様がいらっしゃる!
「おお、待っていたよお前達!」
「ふふっ、驚いていますわね、本日の晩餐はシェーロも一緒にいただきますよ」
お爺様、お婆様。
先に席に着いているシフォノは緊張してカチカチに固まってる。
「あっ、あね、うえ」
声を震わすセレスにシェーロ様は優しく微笑みかける。
「先日ぶりね、セレス、ハルルーフェも、本日は私も共に晩餐をいただきます」
「はッ、はい! 姉上ッ、あの!」
「なあに?」
「その、お加減は」
「もう大丈夫」と答えて、シェーロ様はご自身の胸の上にそっと手を置く。
「私の身に何が起きたか、これまでのことも、全てを把握したわけではないけれど、少しずつ取り戻しているの」
「はい」
「だから、私は王としての務めを果たさねばなりません」
立ち尽くしているセレスに「そちらへいらして、ハルルーフェも」って、シェーロ様は私のことも自分に近い席へ招いてくださる。
ハシバミ色の瞳が、今度はリューへ向けられた。
「貴方は、そう、姉さまのご子息、名は確かリュゲル」
「はい」
目を細めたシェーロ様は、懐かしそうな、少し寂しそうな表情をされる。
「あの時はまだ小さな男の子だった、それがこんな立派に成長なさったのね」
「恐れ入ります」
「貴方も姉さまによく似ている、特にその強い意志を感じる瞳、ハルよりも濃い緑の色、盛夏に茂る葉の色ね、美しいわ」
「有難うございます、お褒め頂き恐縮です」
シェーロ様はリューにも自分に近い席へ座るよう促された。
それぞれ席に着いて、楽隊が音楽を奏で始めると、卓に料理が運ばれてくる。
「しかし今日はよき日だ!」
お爺様、凄く嬉しそう。
お婆様もニコニコしながら「そうね」って頷かれる。
「シェーロや、お前とこうして団欒するのはいつぶりだろうか」
「ごめんなさい父様、私」
「いやいい、いいんだよシェーロ、私達もオリーネことでお前に色々と強いてしまった、すまないと思っている」
「けれどシェーロ、私は貴方をオリーネの代わりと思ったことなどありませんよ」
「母様」
「貴方は統治者たる資質を十分に備えている、故に王位を譲ったのです」
シェーロ様とお婆様はじっと見つめ合う。
「はい」と答えたシェーロ様ははにかむように微笑まれた。
その雰囲気が、前にヴィクターが話してくれた昔の印象と重なる。
「シェーロが新たな王となり、そして次の継承権を持つハルルーフェも城へ戻った、我らがエルグラートはこれからも安泰だ!」
「ええ、ホーン」
「シェーロよ、そしてハルルーフェよ、くれぐれも国と民を頼むぞ、共に益々の発展をもたらしておくれ」
お爺様の言葉に、シェーロ様が「はい」と頷く。
私も倣って「はい」とお答えした。
―――でも、私は王位を継がないけれど。
「そしてセレス、リュゲル、シフォノよ、お前達は二人に仕え、よく支えるように」
「御意に」
「は、はいッ!」
リューとシフォノがお爺様に返事する。
「特にセレス、お前はいずれハルルーフェの伴侶となるのだから、その心構えをしっかりと持ちなさい、いいね?」
「承知いたしました父上」
「まあ、そういえば、セレスはハルルーフェと婚約なさっているのよね」
改めてシェーロ様から訊かれて、その、ちょっと、ええと。
戸惑ってチラッと見たら、セレスもなんだか顔が赤い。
「正式な文書は既に交わされたのかしら」
「いえ、まだ」
「でしたらお早く、いつでも承認のサインを致します」
「あ、姉上!」
「ふふ、可愛らしいこと、姉さまも貴方ならハルルーフェを任せてくださるわ」
「お、恐れ、いります」
セレスは俯いてモジモジしてる。
私もなんだか落ち着かないかも、変だな、胸がドキドキしてるよ。
「ハハ! さあ、今宵は楽しい晩餐だ、もっと食べなさい、そして大いに語ろう!」
「ええ―――シェーロ、ハルルーフェ、セレス、リュゲル、シフォノ、私達の可愛い娘と息子、そして孫たち、貴方がたと共に食卓を囲めてとても嬉しく思います」
「そうともクラリス! 私達は幸せ者だ!」
「そうね、ホーン」
お爺様とお婆様が微笑み合う。
不思議な気分だ。
ここには、今までいることさえ知らなかった血の繋がった方々が揃っている。
お婆様、お爺様、叔母さま、従弟。
こんなにたくさんいたんだね。
でも、叔父様方は。
今はもう分かり合える気がしないけれど、叶うなら親しくさせていただきたかった。
王族として血が繋がっているのに、どうして今ここにあるような、温かくて穏やかな関係を築けなかったんだろう。
思いがけず驚いたけれど、楽しい団欒のひと時に、色々な話をした。
シェーロ様は私とリューから母さんの話を聞きたがって、以前にお婆様方と過ごした時の再現みたいな雰囲気だ。
「姉さま、ご自身で屋根を修理なさるの?」
「はい」
「そう、ハルルーフェもなされるのね?」
「できます」
「であれば私も屋根の修理をこなせるようならなければいけないかしら、手始めにどういった訓練を受けたら」
「あ、姉上は陛下であられますので! 屋根を修繕する職人に仕事を与える立場かと、恐れながら」
「まあ、そうだったわ、民の仕事を奪ってはいけない、けれど個人的に練習するのはどうかしら」
「やめておいた方がいいかと、どうしてもと仰るのであれば私が、その、僭越ながら」
「教えてくださるの?」
「えっ」
「つまり、セレスも屋根の修繕ができるということですね?」
「はい、まあ、多分」
「素晴らしいわ、それではやり方だけでも教えていただけて?」
「いや、あの姉上」
セレス、さっきからずっとタジタジしてる。
それにしてもシェーロ様って本当に母さんが好きなんだ。
さっきから母さんのやっていたこと全部やりたいって、村にも興味津々なご様子だ。
嬉しいな。
―――だけどこれではっきりした。
やっぱり離れに母さんを閉じ込めたのは陛下じゃない、ランペーテ様の独断なんだ。
「姉さまは、今も私にとって憧れで、かけがえのない、理想の方です」
そう呟いたシェーロ様は、私とリューを見詰める。
「ハルルーフェ、リュゲル、貴方がたをこうして見ていると、まるでそこに姉さまが居られるよう」
「叔母様」
「よく戻ってくれました」
「はい」
「私も、貴方がたを愛称でお呼びしても?」
「ど、どうぞ」
「では、ハル、リュー、私の可愛い姪と甥、本当に有難う」
ハシバミ色の瞳が、今度はセレスへ向けられた。
「セレス」
「は、はい」
「随分長く、寂しい思いをさせてしまいましたね」
「え」
「ごめんなさい」
「姉上」
セレスのオレンジ色の目が大きく見開かれて潤む。
不意にお爺様が鼻を啜られた。
隣からお婆様がハンカチを手渡されて、だけどそのお婆様の目元も少し濡れている。
「いえ、いいえ、姉上」
セレスは手で目の辺りをグッと拭って、笑う。
まるで雨上がりの空で輝く太陽みたいだ。
「私は、今こうして姉上と話せて、過去の全てを報われた思いです、謝罪など無用です」
「セレス」
「シェーロ姉上、貴方に名を呼んでいただくことだけが願いでした」
「そう」
シェーロ様もそっと目の辺りを指で拭う。
不意に「お、叔父上ぇッ」って涙にぬれた声が聞こえて、シフォノが肩を震わせながらしゃくり上げてる。
リューも、振り返ると目が合って、嬉しそうに頷いた。
よかったねセレス。
本当によかったね。
「過ぎ去った時は戻らないけれど、これからは、たくさん話をしましょうね」
「はい」
「貴方と姉弟として、多くのものを積み重ねていきたい」
「はい、姉上!」
「私の可愛い弟、今は女の子だけど」
「あ、はい」
「私にとっての姉さまのように、いつか貴方が誇れる姉になるわ」
「シェーロ姉上は既に私の誇りです」
そのセレスの一言で、お爺様とシフォノがいよいよ大きな声で泣きだす。
お婆様が「困った方々ね」なんて苦笑して、お婆様がお爺様を、セレスがシフォノを、泣き止むまで宥めた。
広間全体があったかい雰囲気だ。
壁際に立って待機している使用人の何人かも、こっそり涙を拭っているみたいだった。
「私は、多くを取り戻さなければなりません」
不意にシェーロ様が呟かれる。
「手始めに、まずは姉さまのこと」
そう言って私とリューへ改めて視線を向けられた。
「あと少し待っていらして、必ず解決いたします」
「は、はいっ」
「ただ、姉さまも何かお考えがあって現状を受け入れておられるのかもしれません、でなければランペーテ兄さまが姉さまを閉じ込めておくなんてできるわけがない」
凄い、母さんをこんなに信頼されているんだ。
事情を伝えておいた方がいいのかな。
そっとリューを見ると、小さく首を振って返される。
うん、今はやめておこう。
後で兄さん達がどうにかしてくれるつもりかもしれないし。
「貴方の継承権を正式に承認する儀式までには、必ず姉さまを開放します」
「よろしくお願いします」
「姉上、我々も微力ながらお力添えいたします、何なりとお申し付けください」
シェーロ様へ協力を申し出るセレスと一緒に、シフォノもうんうん頷いてる。
勿論、私とリューだってそのつもりだよ。
今は姿を隠しているけれど、ここにモコも、それからロゼだっている。二人もきっと力を貸してくれる。
「有難う」
フワッと微笑まれたシェーロ様が、一瞬母さんに見えた。
「頼もしい弟、頼れる甥と姪、私は家宝者です」
「シェーロ、私達もいるよ」
「父様」
「そうですよシェーロ」
「母様、いえ、先代閣下におかれましては、お言葉を賜り大変心強く存じます」
「取り繕わなくて結構、子を案じるのは親の性というもの、そして子ならば存分に甘えなさい、退位したとはいえ私は前王、貴方のためなら幾らでも権威を振るいましょう」
数日前、シェーロ様をお見舞いして、そして今。
なんだか見違えるようだ。
これならきっと何が起きても大丈夫だって思える。
乗り越えていける、皆で。
私も頑張ろう。
大切な人を、ここにある温もりを守るために。
色々なことが少しずつ変わっていくような気がする。
それがどう変わるかなんて分からないけれど、きっといいことだよ。それだけは間違いない。
食後のデザートまで食べ終えて、お腹も気持ちも一杯だ。
そろそろお開きな雰囲気の中、先にお婆様、お爺様が名残惜しそうに退室なさって、次いでシェーロ様も席を立たれた。
「では、私もこちらで失礼させていただきます」
「はい」
「姉上、おやすみなさい、よい夢を」
「ええセレス、ハル、リューにシフォノも、よい夜をお過ごしになって」
執事に付き添われて広間から出て行くシェーロ様を皆で見送った。
最高に素敵な夜だったな。
私もいい夢を見られそうだ。
「ねえ、兄さん」
「ん?」
「シェーロ様って母さんに似てるね」
「お前もそう思ったか、目も髪の色も違うが、雰囲気が似てるよな」
「笑った時の顔も、一瞬母さんかと思った」
「ああ、俺もだ」
リューとクスッと笑い合う。
―――母さん。
今頃どうしているだろう。
シェーロ様が約束してくださったから、すぐまた会えるって思いたいよ。
「じゃ、俺も部屋へ戻る」
私の頭を軽くポンポンと叩いて、リューも広間を出て行く。
その後すぐシフォノも「また明日!」とお辞儀して立ち去った。
「さて」
セレスと二人だ。
一応、肩にこっそりモコがいるけれど。
「私達も行こう、部屋まで送るよ」
「うん」
手を握られる。
そのまま歩き出すセレスについて行く。
広間を出て、長い廊下にコツコツと、私とセレスの足音だけ響いてる。
「いい夜だったな」
ぽつんと呟くセレスの声は、色々な気持ちが満たされて聞こえた。
胸がギュッとして、私まで嬉しくなって「うん」って頷き返す。
「姉上に謝られてしまった、その必要なんてないのに」
「うん」
「でも、嬉しかった」
不意に立ち止まったセレスが手を離す。
そして、抱きしめられた。
両腕がギュウっと私の体を絞めつける。
「ハルちゃん」
「なに、セレス」
「嬉しいんだ」
「うん」
「こんなに嬉しくて、嬉しくてッ」
「そうだね」
「ハルルーフェ」
「どうしたの」
「有難う」
また泣いてるね、セレスってやっぱりちょっと泣き虫なのかも。
でも、それは幸せな涙だから、もっと泣いていいよ。
全部受け止めるから。
―――本当によかったね、セレス。




