難儀な兄妹
「殿下、叔父上、それではまた夕食時に」
午後の授業が終わって、一旦シフォノと別れてから、私とセレス、ティーネでリューの部屋へ向かう。
勿論、小鳥の姿で私の肩にこっそりとまっているモコも一緒だ。
「兄さん」
扉を叩いて部屋へ入ると、長椅子に掛けて片手に開いた本を持ったリューが「お前達」ってニコリと笑う。
「来たな、お疲れ、今日もしっかり学んできたか?」
「うん、でも、ぼんやりして先生とティーネに叱られたよ」
「リュゲル、貴方からも言って頂戴、この頃ハルもセレス王子も浮付いて困っているの」
「そうか、けど君がたっぷり絞ったようだから、俺からの小言はナシにしておくよ」
リューは苦笑して私とセレスを見る。
「ハル、セレスも、あまりティーネを困らせないように、いいな?」
「はい」
「すみません」
ティーネが「私、お茶をご用意してまいりますわね」って部屋を出て行く。
私達はリューから長椅子に座るよう促された。
立ち上がって長椅子の手前の卓に積まれた本を片付けるリューを、私とセレスも手伝ってから、改めて腰を落ち着ける。
「兄さん、何の本を読んでいたの?」
「色々だ、最近はこの国の成り立ちや、王家の始祖であられるエノア様関連の文献に目を通している」
「そうなんだ」
「結構面白いぞ、それに流石王家の蔵書だけあって、民間ではなかなか読めないような内容も沢山ある」
「例えば?」
「そうだな、最近読んだ中で興味深かったのは、かつてエルグラート全土を脅かしたとされる『大災害』についてだ」
大災害?
聞いたことのない話だ、どんな内容なんだろう。
「教えて兄さん」
「いいぞ、大まかに概要を説明すると、創世以前にあった『無』の概念が氾濫し、世界を侵食し始め、それをエノア様が食い止めた、という話だ」
「すごいね」
「セレスは知っているか?」
リューが私の隣に座っているセレスへ話を振る。
セレスは首を横に振って「いいえ、初耳です」って、私と同じように驚いている。
「そのような文献が存在したのですね、書庫の本を全て読んだわけではないので、存じませんでした」
「まあ、おとぎ話の類だからな、しかし妙に信ぴょう性があると興味を引かれたんだ」
「確かに」
え?
セレス、理由が分かるの?
「ハル」
リューが両腕を膝の上に置いて、体を少し前に屈めた格好で話しかけてくる。
「ビスタナ砂漠へ行った時のことを覚えているか?」
「うん」
「それじゃ、その時確かロゼが話していた、砂漠に関する話は覚えているか?」
「ええと?」
「砂漠の中央に存在する、大地神ヤクサが創世される以前の何も存在しなかった『虚無』へ通じていると言われている大穴」
「あ!」
無限の虚、だ。
リューがニッコリ笑う。
「そう、その大穴だ、あれはロゼも『あちら側へ行ってはいけない』と話していただろ?」
「うん」
「大災害では虚無が氾濫して世界を無に返そうとしたとある、なんだか通じるものがあると思わないか?」
「そうだね」
そのままリューは話しを続ける。
「ヤクサが世界を創られる前、全ては存在せず、そしてヤクサがこの世界を創ったことで、全てが存在するようになった」
「うん」
「ヤクサは身を分けて空と海に神を作り、これら三神により世界の均衡は保たれている」
「そうだね」
「しかし神は、世界に干渉することはできない」
前にロゼが話していたことだ。
神は世界を創っても、干渉することは許されていない。
何故なら世界にどんな変容を促してしまうか分からないから。もしかするとそれは悪い結果を生むかもしれないから。
「故にエノアが神に代わって災厄を退け、英雄となり、このエルグラート連合王国を建国して最初の王となった、それが話の内容だ」
「エノア様はどうやって厄災を退けられたの?」
「その辺りに関しては記述が曖昧だ、退けた、とも、鎮めた、とも記されている、ヤクサの僕の竜と妖精が力を貸したらしい」
「へえ」
「まあ、この話に依るとだ、王家は救世の英雄の末裔、という箔付けになり、エノアは世の危機を救い神となった尊い存在である、という解釈にも繋がる」
「うん」
「つまりだ、物語の体を取った王族の血統とエノア様の神格を謳うプロパガンダ、というわけだ」
なるほど!
単に壮大な英雄譚ってわけじゃないのか、勉強になる。
「筆者はビスタナ砂漠の穴のことを知っていて、そこから着想を得たのでしょうね」
「俺もそう思う」
セレスにリューが頷き返す。
「まあ宣伝云々はともかく、話としてはロマンがあって悪くない、俺は好きだよ」
「同感です」
なんだか二人が意気投合してる。
確かに格好いいよね、エノア様が大災害を退けるまでの大冒険、ちょっと興味あるな。
「こういう読み物は息抜きにもなるんだ」
そう言って笑うリューは、外に出していないだけで、やっぱり疲れているんだろう。
私の知らない所でもきっと色々と頑張ってくれている。
―――今はいないロゼも。
いつも本当に有難う。
「ところでお前達、俺に何か用があったんじゃないのか?」
あ、そうだ。
リューに訊かれて思い出した。
「うん、あのね兄さん」
「どうした?」
「明日か明後日には舞踏会にお招きした賓客の方々が順次到着し始めるって、ティーネに聞いたんだけど」
「ああ」
分かりやすくリューの表情が曇る。
「奴らのことだろ、来なくていいのにな」
「兄さん」
「俺は二度と会いたくなかったよ、ロゼも嫌がっていた、代表ならバイスーのチェンラブ殿だって構わなかっただろうに」
セレスが苦笑する。
リューは不満そうにフンと鼻を鳴らす。
「でもね、サクヤと、多分キョウも来てくれるんだよ?」
「それは構わないさ、むしろ歓迎だ、二人には世話になったからな」
「ラーヴァとエレにもお世話になったよ」
「そっちは数に入らない、用が済んだらさっさと商業連合に帰ってもらう」
「同感です」
もう、セレスまで。
―――部屋の扉が叩かれて、ティーネがお茶の用意を持って入ってくる。
「まあ、なんだか空気が重くなくて? 何の話をされていたのかしら」
「おかえり、ティーネ」
「ええ、ハル」
立ち上がってお茶の用意を手伝う。
ティーネは「ダメよ」って苦笑するけど、最近はそれだけだ。
「あのね、兄さん達、やっぱりラーヴァとエレに会いたくないんだって」
「オルムの会長と相談役ね、社交の場に苦手意識は厳禁よ、表向きだけでも仲良くなさって」
「そうすると奴らは都合のいい方へ勘違いして強引に関係を結ぼうとしてくる、厄介で質が悪い」
「まあ、難儀なこと」
クスクス笑うティーネに、リューは渋い顔で続ける。
「あいつらはな、俺だけじゃなくハルも狙っているんだ」
「あら」
「強引に娶ろうとしたことさえある、ハルは断ったが」
「まあそれは、なんてことでしょう」
ティーネ?
なんだか急に真剣な顔つきだ。
私の両手をギュッと握りながら「いけないわ」って見詰めてくる。
「ハル、オルムの方々がご到着なさったら、けっして貴方の傍を離れませんから」
「どうしたの?」
「今度は貴方を守るわ、彼の方々は王子以上に油断がならないようですし」
「え、王子?」
セレスがビックリした顔でティーネを見る。
「あの、まさか、そこに私は含まれていないよな?」
「貴方に近付く不届き者の一切を容赦致しません」
「ティーネ嬢?」
「もう怖い思いはさせないわよハル、大丈夫」
「なあティーネ嬢、王子って今の言葉に私は含まれていないんだよな? なあ、どうなんだ答えてくれ!」
狼狽えるセレスを、リューが気遣うような目で見守ってる。
ティーネは返事しない。
というよりセレスを見ようともしない。
何度も呼びかけて、そのうちしょんぼりしたセレスの肩へ、私の肩からモコがパタパタ羽ばたいて飛び移る。
「せれす、よしよし」
「モコちゃん」
いつも私にしてくれるように、セレスにフワフワの羽を摺り寄せて慰めてくれる。
ええと、ごめんね?
でも今ティーネが言った『王子』にセレスは含まれないと思うよ、多分。
「ティーネ、君の伯母のスノウ代表も来られるそうだな」
リューがティーネに話しかける。
私の手を離して、ティーネは「ええ」って返事した。
「会うのは久々だろう」
「先日お手紙が届きました、叔母様が私の舞踏会のドレスを見立ててくださるそうです」
「それは楽しみだな、ノイクスの現代表はレブナント公だが、名代で君が出席するんだよな?」
「はい」
「他にはどなたが来られるんだ?」
「主にエルグラートとの国境近辺に領を持つ領主が何名か参ります」
「分かった、確認しておく」
「私の方で把握しておりますので、後ほど詳細をお伝えいたしますわ」
「助かるよ」
そうなんだ。
二人の話を聞いていた私に、セレスがこっそり教えてくれる。
ノイクスは各領を領主が治めて、その領主間で国の代表を持ち回りしているから、招待状は全ての領主へ送られているんだって。
だけどノイクスの領主全員が領地を離れるのは現実的じゃない。
主にお招きしているのは中央エルグラートと関わりが強い国境近辺の領主、そして、その時の国家の代表を務めている領主で、他は形式的なものらしい。
でも当然来て構わないし、他を疎かにしているわけでもない、とのことだ。
「父より皆様へよしなにと言付かっております」
「承知した、ところでティーネ、当日のエスコート役はもう決まっているのか?」
「いいえ、ふふ、貴方にお願いしようと思っていたところよ、リュゲル」
「助かる、気を遣わせてすまないな」
「こちらこそ」
やっぱりシフォノじゃないのか、でも仕方ないよね。
シフォノはどうするんだろう?
前にセレスが話していたみたいに、王族の誰かに頼むのかな。
不意にそっと肩に触れられる。
振り返ると、セレスが笑いかけてくる。
「君は、私が」
「あ、うん」
「当日、君をエスコートする栄誉にあやかれて光栄だ、早く御紋花をあしらったドレス姿が見たいよ」
御紋花、あ、そうだ!
「ねえ兄さん」
「ん?」
「兄さんも礼服を仕立ててもらっているんだよね、御紋獣って何にしたの?」
ずっと知りたいと思っていたんだ。
丁度いいから教えてもらおう。
「御紋獣か」
あれ?
リューはちょっとためらって、ため息交じりに話す。
「鳥だ」
「鳥?」
「白い大型の猛禽、翼の先だけ赤い」
「あっ!」
それってもしかして!
「あいつが絵を描いて寄越すから、それを渡して紋にしてもらった、他は認めないって騒ぐから仕方なくだ」
「そ、それは、もしやッ!」
セレスが体を乗り出すようにしてリューに尋ねる。
ティーネも「あらまあ」なんて事情が分かった雰囲気だ。
「羨ましいッ!」
悶絶するセレスの肩で、モコが「わぁ!」と飛び上がった。
「リュゲルさんのみに許されし特権! ぐぅッ、尊いッ! 羨ましいがそれ以上に尊過ぎるッ、くぅッ!」
「別に、いつもの我侭みたいなものだぞ」
「ぐうううううううッ、な、なんてことだッ、ハァハァッ、ハァハァッ! リュ、リュゲルさんッ!」
「どうした」
「礼服ッ! 今から拝見するのが楽しみですッ!」
「そうか」
「礼服をお召しになったリュゲルさんを拝見するのも楽しみですッ!」
「分かったから落ち着けセレス、よしよし」
うーん、いつものセレスだ。
ティーネが呆れてるよ、でもロゼが絡むと止まらないからなあ。
「兄妹揃って難儀ねえ」
ぽそっと呟く声が聞こえた。
言わないでティーネ。
でも、セレスもラーヴァも、どうしてこんなに興奮しやすいんだろう。
好きなものに一直線な姿勢は悪くないと思うんだけどな。




