久々のおしゃべり
「兄さん、ただいま」
「お帰りハル」
そう言って私を見たリューは、何か察したように苦笑する。
「どうだ、新しいオイルは作れたか?」
「ラーバとガラシエが来てくれた」
「へえ、凄いな、おめでとう」
こういう反応が欲しかったんだよ。
後ろにいたロゼが私の肩を掴んで前へ押し出しながら、自分もずいッと進み出て「そうなんだ僕らのハルは素晴らしい、才能に溢れ」と私を自慢し始める。
嬉しいけど、それくらいにして欲しい。
リューはニコニコしながら「うん、うん」と相槌を打っている。そうじゃなくて、助けてリュー兄さん。
「まあ、ともあれ新しいオイルができて良かったな、ハル」
「うん」
「そろそろ夕時だ、少し早いが食事に行こうか」
「あ、うん!」
「そうだな、ここではネイドア湖で獲れた新鮮な魚料理が絶品だ、是非味わいに行こう」
不意に「すみません」とセレスが片手を上げた。
「どうしたセレス」
「あの、私は従者がここへ来ていないか、一応、少し探してきます」
そういえばそうだった。
セレスの従者は、セレスを置き去りにして逃げた。
そして、そのまま目的地のこの場所、ネイドア湖へ向かったかもしれないって、会った時に話していたっけ。
「ああ、そうだったな、探すのを手伝おうか?」
「いいえ、流石にそこまで面倒はかけられません、お気持ちだけ有り難く頂戴します」
「遠慮はいらないぞ」
「人に訊いて回るだけですから」
気を遣わなくてもいいのに。
丁寧に頭を下げたセレスを見て、リューは「それなら今夜は宿の厨房を借りて、ここで食事をとることにしよう」って、私とロゼに言う。
「セレスの分も用意しておく、簡単なものになるだろうが」
「そんな、私などにお構いなく!」
「君だけ他で食べろなんて言わないさ、そうだろう? ハル、ロゼ」
「うん!」
賛成! リューって本当に優しい。
ロゼが黙っているから、振り返って顔を覗き込んだ。目を見て笑うと、困ったように笑い返してくれる。
「兄さんも、リュー兄さんのご飯が食べたいよね?」
「ハルも言うようになったものだ」
やれやれ、と肩をすくめて、溜息を吐く。
「致し方あるまい、リューの手料理を天秤にかけられてはさしもの僕もお手上げだ」
「し、師匠ッ」
「お前はさっさと用を済ませてこい」
「はい、有難うございます!」
リューも食材を買いに、セレスと一緒に出掛けることになった。
私はロゼとモコと一緒に留守番だ。
「リュー、荷物が多いようなら呼んでくれ、君が呼べば僕はどこへでも駆けつけよう」
「はいはい、それじゃハル、モコも、後でな」
「いってらっしゃい!」
モコもヒヨヒヨ鳴きながら、翼をパタパタとはばたかせる。
「セレス、行こうか」
「はい、リュゲルさん、色々とお気遣い有難うございます」
「いいさ、知らない仲でもないだろう?」
「はい! あっ、あの私、リュゲルさんの魚料理すごく楽しみです!」
「そうか、そこまで期待されたら、腕を振るわないわけにいかないな」
「やった!」
楽しそうに話しながら出ていく二人を見送って、振り返るとロゼがムスッとしかめ面していた。
また拗ねたのか。
もしかして、お腹が減っているのかな。
「兄さん」
「なんだいハル」
「あのね、お願いがあるんだけど」
途端にパッと笑顔になって「何でも言ってごらん」と嬉しそうに訊いてくる。
「久しぶりにモコと話したいんだ」
「なんだそんなことか」
今度はつまらなそうに呟くと、ロゼは私の肩に止まっているモコをひょいと掴んで、床へ放り投げながら「フィルドゥ」と変身解除の呪文を唱えた。
白い煙がポフッと広がる。
その中から、久しぶりに羊の姿に戻ったモコが「はるぅ!」って勢いよく私に飛びついてきた。
「モコ!」
「はるっ、はるぅっ、ぼく、はるとおはなししたかった! うれしいよ、はるぅ!」
尻尾もはしゃぐようにフリフリ揺れてる。
フワフワでモコモコだあ、ふふっ、柔らかい。小鳥の姿も可愛いけれど、やっぱりモコはこっちの姿の方がいいよ。
「私もだよ、ずっと鳥の姿でいさせてごめんね、大変だった?」
「ううん、はるといっしょだったから、おふろもいっしょ、ねるときも、はるのそばにいたから、たいへんじゃないよ!」
「そっか」
「―――は?」
不意に低い声が聞こえてビクッとする。
振り向いたらロゼが、ロゼが―――ロゼ、顔が怖いよ!
「なんだと?」
「ろぜ、こわい」
モコも怯えて、体をぎゅっと寄せてくる。
震えるモコを抱きしめながら、怒るロゼを見るのは久しぶりで、私も少し戸惑う。
急にどうしたの?
「貴様、ハルの裸体を見たのか」
「うん」
そのことか。
今、一緒にお風呂に入ったってモコが話したから。
うわあ、ど、どうしよう。
モコはまだ雛だから、人で言うところの子供みたいなものだし、私は裸を見られても平気なのに。
「ハル、その痴れ者を庇う必要など無い」
「待って兄さん、私が連れて行ったの、小鳥の姿なら桶のお湯でも浸かれるから!」
「理由はどうでもいい、僕の至宝を不躾に映したその目を抉り出してくれる」
怖い。
まさか本当にやらないと思うけど、ロゼならやりかねない気もする。
「そんなことしないで、お願いだから」
「ハル」
「こわいよ、はる、ろぜこわいよ」
こんなにモコを怖がらせて、どうして分かってくれないの。
リューがいてくれたら、ロゼを抑えてもらえたのに。
またこの状況だ、今度もオーダーを使う?
だけどそれで収まるかな、さっきと今と状況が違うし、こうなったら別の手を使うしかない。
できれば、あまりやりたくはないけど、でも―――ロゼをこのままにしておけない、だって怖いよ!
よし、やろう。
この際だ、恥ずかしさは捨てる!
「おっ―――お兄ちゃん!」
ハッとなったロゼに、上目遣いで畳みかける。
「どうしてハルのお願い聞いてくれないの? そんな怖い顔したらイヤだよ」
「は、ハルッ」
「ロゼお兄ちゃん!」
流石にこれは、本気でものすごーく恥ずかしい。
逆にリューとセレスがいなくて良かった、こんなところを見られたら居たたまれないよ。
まだロゼにこの手が通用するか不安だったけど―――焦っている様子を見る限り、いける、よし!
「ハルがモコをお風呂に連れて行ったんだよ、だからモコは悪くないの、怒らないでお兄ちゃん」
「はるぅ」
「いや、だけれどハル」
「ロゼお兄ちゃんは、ハルが嫌い?」
「まさか! あり得ない!」
「それじゃもう怒らないで、お願い」
「ぐぅぅううぅぅぅッ」
葛藤するロゼ、そして、恥ずかしさのあまり倒れそうな私。
痛み分けってことで収めて、お願い。
このことは誰にも言わないように、後でモコにしっかり釘を刺しておかないと。
リューには通用したことがないけど、ロゼにはいつも効果覿面なんだよね。
母さんは笑ってたっけ。
―――すんっと静かになったロゼが、ゆっくり、優しく微笑んで、私の髪を撫でる。
「すまなかったね、ハル、お兄ちゃんであるこの僕が、あろうことか君を怖がらせるなんて」
ロゼの穏やかな目を見ていると、恥ずかしさがぶり返してくる。
つらい。
なるべく早く忘れよう。
「お、お兄ちゃん」
「ああそうとも、僕は君のお兄ちゃんだよ、だから君の嫌がることはしない、不安にもさせない、君のどんな願いも叶えよう」
「もう怒ってない?」
「勿論だとも、僕としては不本意極まりないが、可愛い君のお願いだ、それに、未だ飛ぶことすらできない雛に目くじらを立てるなんて、些か大人気なかったよ」
パチンとウィンクされた。
よかった、捨て身の戦法だったから、効果があって本当に良かった。
腕の中でホッと小さく息を吐いたモコの、強ばっていた体からも余計な力が抜けていく。
「さて、僕のハル、君のお兄ちゃんに、もっとおねだりはないのかな?」
「えーっと、それじゃ、道具の手入れをお願いしようかな」
「お安い御用さ、繕い物もあれば出しなさい、全て新品同然に仕立てよう」
「有難う兄さん」
じっと見つめ返す瞳に、「ロゼお兄ちゃん」と言い直す。
ロゼは満足して大きく頷いた。
―――疲れた。
すごく疲れたよ、普段のリューの苦労が偲ばれる。
いつも有難う、兄さん。
「はる、だいじょぶ?」
ため息を漏らすと、モコが体を摺り寄せてきた。
フワフワしてあったかい、頬ずりして返したらくすぐったそうな笑い声をあげる。
モコってあまり匂いがしないんだよね。
少し埃っぽいのは汚れているからだろうし、家畜の羊みたいな獣臭がしない。見た目は羊だけど、やっぱりラタミルだからなのかな。
「はるぅ」
「んん、平気、大丈夫だよ、それよりモコ」
「なに?」
「話そうよ、私モコと話したい」
「ぼくも!」
セレスが戻るまでの間だけど、たくさん話そう。
それから―――部屋から持ってきた荷物をロゼに渡して、機嫌よく修繕を始めるその傍で、モコと色々な話をした。
「モコはセレスのことどう思う?」
「すき、せれすきれいだ」
「分かるよ、セレスって本当に綺麗だよね」
「うん、そともなかもきれい、まっすぐでぴかぴか、ふたつがまざっていてふしぎだ」
「えーっと?」
「なかはめからみえるよ、はるもきれいだね、ぼくすきだよ」
「有難う」
抽象的だな。めって、目のことかな。
モコは、セレスのこと以外にも、旅のことやネイドア湖のこと、エピリュームのことも、興奮気味に話し続ける。
お喋りに夢中だ、きっと小鳥の姿の時もたくさん話したかったんだよね。
ごめんねモコ。
都合いいからって不自由を押し付けて、後ろめたいよ。
「ねいどあこ、おおきかったね!」
「そうだね」
「えぴりゅーむきれいだった、えのあのはな、えのあのかおり、えのあのたましい」
「エノア様が咲かせた逸話のある花だから」
「でも、えぴりゅーむはちょっとちがうよ」
「違う?」
「えぴりゅーむはののはなだよ、えのあがさかせたはなは、えのあだけがさかせられるよ」
モコ、もしかしてエピリュームについて何か知っているのかな。
だけどそのことを訊こうとしたら、早々に作業を終わらせてずっと私を眺めていたロゼが、ふと視線を窓へ移しながら「戻ってきたな」と呟いた。
「二人一緒か、ふん」
「リュー兄さんとセレス、帰ってきたんだね」
「ああそうだよ、ハル、話はおしまいだ」
「うん」
「はるぅ」
擦り寄ってきたモコを抱きしめる。
フカフカの毛を撫でながら、ごめんね、と謝った。
「また小鳥になってね、モコ、セレスは友達だけど、君のことを伝えるのはまだちょっと早いと思うんだ」
「いいよ、ぼく、はるといっしょならへいきだよ」
「有難うモコ、またお喋りしようね」
「うん!」
ロゼが「ディル・ベネート」と呪文を唱えると、白い煙に包まれて、モコの姿は小鳥に変わった。
ピイピイ鳴くモコを掌に掬い上げて撫でていたら、部屋の戸がコンコンと叩かれる。
「戻ったぞ、ハルいるな、俺もセレスと一緒だ」
「ただいまハルちゃん、師匠ッ、ただいま戻りました!」
リューとセレスの声だ。
「おかえりリュー」ってロゼがリューにだけ返事する。
「二人ともお帰りなさい!」
私も答えて、モコを肩に乗せながら立ち上がった。
―――まだ話し足りないけど、次の機会があるよね。その時またたくさん話そうね、モコ。
肩でモコがピッと鳴いて、羽をパタパタはばたかせる。
気持ちが伝わったのかな?
モコの羽を撫でながら、外で待っている二人を出迎えに、部屋の戸へ歩いていった。