見舞い 2
陛下に、ロゼが作ってくれた薬入りのコーディアルを召し上がっていただけた!
まずは目標達成だ!
ロゼの薬、コーディアルと味の相性が知りたくて、私も少しだけ飲んでみたんだ。
だけど味はしなかった。
それどころか魔力の痕跡さえない、無味無臭、ほぼ水、というか薬だって知らなければ完全にただの水だった。
ランペーテ様も味見で気付かれなかったし、やっぱりロゼは凄い。
グラスの中身を飲み干して、ふう、と小さく息を吐いたシェーロ様の顔色が少し明るくなったように感じる。
「美味しい」
ニッコリ笑って、私に空のグラスを戻す。
「有難う、ハルルーフェ、なんだか気分がよくなったみたい」
「よかった」
「貴方のお顔、もっとよく見せて」
「は、はい」
「ああ、本当に姉さまによく似ている、綺麗な金の髪、素敵な緑の瞳」
シェーロ様も母さんに似てる。
笑った時の目の感じ、優しい声の雰囲気、儀式でお会いした時と別人みたいだ。
「あら、なんだかいい香りがするわ、これはイーリス?」
「あ、はい、お見舞いに持ってまいりました、庭師の皆さまが大切に育てた白のイーリスです」
振り返ると、セレスがイーリスの花束を抱えてぎこちなく近づいてくる。
その姿を見上げたシェーロ様が「セレス?」と目を丸くした。
「え」
「まあ、貴方ね? ふふっ、いつの間にそんなに大きくなったのかしら、小さな頃と面影が変わらない」
「あ、姉、上?」
「なんだか夢でも見ているよう、もっと近くへいらして、貴方もお顔を見せて」
セレスはなんだかビクビクしながらベッドの傍まで来て、私の隣から体を乗り出す。
ハシバミ色の瞳をふんわり細めてシェーロ様は優しく微笑まれた。
「私の可愛い弟、今は妹ね、ふふ、セレスにハルルーフェ、貴方がたに会えてとても嬉しい」
「姉上」
「私は―――どうしてベッドにいるのかしら? ここは、私の、部屋?」
不意にシェーロ様は不思議そうに辺りを見回す。
「どうしたのかしら、何か、変だわ」
その表情が段々と曇り始める。
少し様子がおかしいような。
シェーロ様は不安そうに瞳を彷徨わせて、体を微かに震わせた。
「分からないわ、どうして」
「姉上?」
「セレス、貴方はセレスなのよね?」
「は、はい、そうです姉上」
「そして貴方は」
私を見詰めるシェーロ様に改めて「ハルルーフェです」と名乗る。
「そう、姉さまの娘、とても姉さまに似ている、姉さま、どうして? あ、たま、が」
言いながら頭を抱えてうずくまる。
「わ、私は、シェーロ、シェーロ・フィーネ・エルグラート、いいえ違う、今はお母様の跡を継いで、継いで? いつ?」
ふと顔を上げたシェーロ様は茫然と呟かれる。
「私、いつ、王を継いだの?」
「え」
隣でセレスが声を漏らす。
私も思いがけずシェーロ様を見詰める。
なに?
どういう、こと?
「ああ、眠い」
シェーロ様は目を閉じて、そのまま背中を枕へ深く沈ませた。
眉間にしわを寄せて苦しそうに見える。
「ごめんなさい、セレス、ハルルーフェ、なんだか急に眠くなってしまって、もう、お話しできそうに、ない」
「あ、姉上ッ」
「セレス、貴方と、お話したかった、ずっと」
「そんなっ」
「ハルルーフェも、会えて嬉しい、ねえ、姉さまはお元気?」
「はい」
「そう、姉さまにも、あい、たい」
スウッと息を吸いこみ、シェーロ様は気を失うように眠ってしまわれる。
どうしたんだろう、訳が分からない。
それに今のシェーロ様のお言葉は何だったの?
「陛下はお休みになられた」
後ろから声が聞こえてビクッとする。
振り返るとランペーテ様が冷たい目で見降ろしている。
「殿下、お引き取り願おう」
「は、はい」
「―――何をした」
「えッ」
ロゼが作ってくれた解毒薬入りのコーディアルを召し上がっていただいただけ。
これで薬師の薬の効果は消えた筈だ。
でも、こんなことになるなんて。
「まあいい」
繰り返し「お引き取りを」とランペーテ様に促されて、仕方なく部屋を出る。
セレスは抱えたままだったイーリスの花束をどうするか迷って、シェーロ様が休まれているベッドの脇の棚の上にそっと置いた。
扉を開けて待っていた衛兵の脇を通り過ぎると、私達の後から衛兵も部屋の外へ出て、閉めた扉の脇に始めと同じように立つ。
「戻ろう、ハルルーフェ、ティーネ嬢」
「うん」
「はい」
廊下を歩きだすけれど、誰も何も言わない。
シェーロ様のご様子は明らかにおかしかった。
『いつ王位を継いだの』って、どういうこと?
突然眠ってしまわれたし―――あの時、微かにロゼの気配を感じた。
目の前の出来事だったのに何も分からないよ。
だけど、とにかくこの事を兄さん達にも報告しないとだよね。
考えながら歩いていたら、いつの間にか自分の部屋の前だった。
取り敢えず落ち着くために、部屋に入って長椅子に掛ける。
私の隣にセレス、卓を挟んでティーネは向かい側。
時計を見るとコーディアルを作ってから一時間も経っていない。
「お茶を淹れてきますわ」
ティーネが立ち上がる。
「ついでに軽食もご用意いたしましょう、ハル、お腹が空いたでしょう?」
「あ、うん」
「セレス様も召し上がられますわね?」
「そうだな、頼む」
「畏まりました、では暫し御前を失礼いたします」
部屋を出て行くティーネを見送ると、肩からモコが羽ばたいて姿を現した。
ポンッと人の姿になって、セレスと反対側の私の隣に座る。
「はる、せれす、だいじょぶ?」
「うん」
「ああ、有難う、モコちゃん」
「ししょー、きたね」
「え?」
「しぇーろあぶなかった、でも、ししょーたすけてくれた、だから、だいじょぶだよ」
ロゼが、助けた?
思いがけずポカンとすると、不意に羽ばたきが聞こえて、私の膝の上に白くて大きな鳥が舞い降りた。
「やあ、僕の可愛いハルルーフェ」
「兄さん!」
「見ていたよ、やるじゃないか、とてもいい策だった、なかなかに感心したよ」
「ティーネのおかげだよ」
「そのようだね、常ながら機転が利く」
後でロゼが褒めてたってティーネに教えよう。
だけど、それよりも訊きたいことがある。
「ねえ兄さん、今モコが言ってたんだけど、シェーロ様を助けたってどういうこと? さっき叔母様に何があったの?」
「ふむ」
ロゼはフワッと飛んで向かいの長椅子に移る。
そしていつもの兄さんの姿に戻った。
「君の質問にはリュゲルが来てから答えよう」
「リュー兄さん?」
「呼んでおいたのさ、しかし端的に説明するなら、僕の薬が少々効き過ぎてしまったようだ」
「えっ」
「気を遣って調整したつもりだったが、やはりヒトは脆いな、目測が甘かったよ」
「あの、師匠、師匠が作られた薬は、件の薬師の薬の効果を消す限りではなかったのですか? 他に何か薬効が」
セレスが必死だ。
きっとシェーロ様を心配している。私もだよ、早く詳細が知りたい。
じっと見るだけで答えないロゼに、セレスはそのうち俯いて膝の上で手をギュッと握りしめる。
その手の上に手を重ねると、振り返って「ハルちゃん」と声を震わせた。
「さっき、姉上が初めて私を呼んでくださった」
「うん」
「本当に初めてなんだ、お話しできたことも」
「そうだね」
「なのにどうしてッ、は、ハルちゃんッ、私はッ、私はッ!」
「セレス」
縋りついてくるセレスを受け止める。
背中をさすって落ち着かせていたら、部屋の扉が叩かれて「入るぞ」ってリューが来た。
「どうした?」
「あ、うん」
近付いてリューも泣いているセレスを心配そうに覗き込む。
兄さん達が揃ったから、まず私達の成果を報告しよう。
手作りのコーディアルにロゼの薬を混ぜて、陛下に召し上がっていただいたこと。その後の陛下のご様子と、どうしてセレスが泣いているのか。
ロゼの隣に座って話を聞いたリューは、しんみり「そうか」と呟いた。
「それは、何と言うか、切ないな」
「うん」
「セレス、辛いだろうが、今はひとまず落ち着いてくれ、話はできそうか?」
「はい、すみません、取り乱して」
「いいや、俺も同じ立場ならきっとそうなる」
私もセレスを慰めながら、先週やっと母さんと会えた時のことを思い出していた。
辛いよね。
そうでなくてもセレスはずっとシェーロ様と話したがっていた。
ようやく願いが叶ったのに。
セレスが席を立って、隣の部屋へ顔を洗いに行って、戻ってくると丁度ティーネもワゴンを押しながら部屋に入ってきた。
フワリと漂ういい匂いにお腹が空いていたって気付く。
少し遅い昼だ。
ティーネはセレスの様子に気付いたようだけど、何も訊かず卓に食事の用意を整えてくれた。
「さあ、召し上がって、食べたら元気になるわ、少し行儀が悪いけれど、いただきながら話をしましょう」
「うん、有難うティーネ」
「どういたしまして」
具を挟んだパンを取ってパクッと齧る。
美味しい、具はリンゴのジャムだ。
「揃ったところで始めるとしよう」
そう言ってリューがロゼに話を促す。
やっと聞かせてもらえるんだ、あの時何が起きたか、陛下はどうされたのか。
「まず、僕が作った薬について説明しよう」
ロゼが話し始める。
「効能は解毒と解呪、呪われし王とは言い得て妙だ、事実件のヒトには呪詛が深く沁みついていた、ついでにそれも消してやろうと思ったのさ」
「呪詛」
唖然と呟いたセレスが、急に怖い顔をして手を握り締める。
「まさかッ、それも兄上がッ」
「落ち着けセレス」
リューがセレスを宥める。
ロゼは少しセレスの様子を伺って、また話し始めた。
「時間をかけて少しずつ浸透させていく類のいやらしい呪詛だよ、周りは気付かず、当人すら自覚を持たないから質が悪い」
「ロゼ、具体的にどういう呪詛だったんだ?」
「誰でも使えるが、故に根深い、対象に日々お前は無能だ、無価値だ、無意味だと繰り返して劣等感を煽り、無気力に追い込んでいくのさ、加えてあの俗物は言葉に少量の魔力を乗せていたようだね、かくして言葉の呪は呪詛となり意志を奪うに至った、品性下劣な所業だよ」
ずっと、ずっと昔から。
ランペーテ様はシェーロ様に劣等感を植え付けていった。
ロゼがした話はそういうことだろう。
しかも単純に言葉で貶めるだけでなく、魔力で精神を蝕み、洗脳と同じような状態にした。
確かにそれは呪いの類だ。
「だが呪詛に関しては僕が解呪した、しかし、そうだね、例えば指に棘が刺さったとしよう、抜くとどうなる?」
「血が出るな」
「うん、先程はそういう状態だったわけさ、呪詛という刺が抜けて正気に戻った途端、現実の辻褄が合わなくなり混乱したのだろうね、だから取り急ぎ眠らせておいた」
そうだったんだ。
あの時のロゼの気配は、シェーロ様を眠らせに来てくれたんだね。
「例えるなら夢のかさぶただ、恐らく明日まで目覚めないだろうが、今頃あのヒトは夢の中で現実を整理している、君達の見る夢はそういう手段の一つでもあるからね」
「傷を癒すようにか?」
「まあ、僕が行ったのはあくまで解呪のみさ、心無い言葉で負った傷までは到底癒せないよ、そちらは時間が掛かるだろう」
「そうか、そうだな」
「ああでも、大盤振る舞いで精神干渉も防いでおいたから、また操り人形に変えようとしても無駄さ、当面は心配いらないよ」
「流石だな兄さん、有難う、感謝するよ」
「ふむ、君に喜んでもらえて、僕も奮発した甲斐があったというものだ、どうだい? 今度はちゃんと役に立っただろう?」
リューが苦笑する。
私からも「ロゼ兄さん、有難う!」ってお礼を言う。
ロゼは紫色の目を細くして満足そうに頷いた。
でも、本当にロゼって凄い。何をどこまで出来るんだろう、流石だなあ。
とにかくこれでシェーロ様は解放された。
だけどまだ傍には宰相のランペーテ様がいるし、魔人の薬師だってまた何かするかもしれない。
シェーロ様が目を覚まされたら、改めて少しでもお話させていただきたいな。
その機会をなんとか持ちたいけれど、どうすればいいんだろう。




