遠雷 リュゲル視点
肩を落とし、嘆息した。
予想していなかったわけじゃないが、改めて無力感が募る。
昨日、ハルが叔父のランペーテに襲われたことを陛下へ直々に申し上げるべく、ついさっき御前を伺ったんだが、結果は門前払い。
護衛の兵曰く、陛下は本日体調不良で床に臥せっておられるとのことだ。
日を改めてまた伺うか、いや、どのみち結果は同じだろう。
宰相も執務が忙しいとのことで面会に応じなかった。
卑劣な奴め、最早語るに落ちたな。
サネウといい、母さんの弟だっていうのに、どいつも性根の卑しいクズばかりだ。
しかしこのまま穏便に済ませる気はない。
ロゼだって俺が手をこまねいていたら、そのうち宰相を罰するため勝手に動き出すだろう。
それだけは避けたい。
今の緊張状態の一角が崩れるようなことにでもなれば、状況は一気に悪化する。
何かいい手はないものか、そう考えながら廊下を歩いている途中、ヴィクターと会った。
「リュゲル様」
「ヴィクターか」
俺を探していたとでもいった雰囲気で、声を潜め「今、お時間はおありでしょうか」と訊いてくる。
もしや既に聞き及んでいるのか。
流石だな、やはり信頼できる。
「ああ、構わない」
「それでは場所を変えて、少々お付き合いください」
「分かった」
「参りましょう」
背後にふっとロゼの気配を感じた。
傍にいるんだろう、先に歩き出したヴィクターに気付いた様子はない。
そのまま部屋へ案内され、扉に鍵を掛けると、ヴィクターは俺に座るよう促す。
卓を挟んだ長椅子に向かい合う格好で腰を据えてすぐ、話を切り出された。
「昨日の一件、私の元へ報告が上がっております、まずはハルルーフェ様のお加減を伺いたく」
「大丈夫だ、もう落ち着いている、見かけだけかもしれないが」
「左様ですか」
表情を暗くして項垂れたヴィクターは「申し訳ございません」と謝罪した。
「王庭近衛兵団団長としてあるまじき失態です、次期王であられるハルルーフェ様をお守りしきれず、まこと申し開きもございません」
「何を言う、君がどうこうできることじゃなかっただろう」
「しかし、恐れながらまだいたいけなハルルーフェ様が覚えられた恐怖と失望は如何ほどかと、もっと気を配るべきでした」
ヴィクターは言うが、無理な話だ。
当時はモコが、ラタミルがハルとセレスを隠していたし、宰相は殆どのことを可能にするほどの絶大な魔力を誇るリーフィリオ。
幾ら近衛兵団団長とはいえ、人が踏み込める領域外で物事は展開していた。
何をどうしようもない、俺にだって防ぎようもなかった。
「まさか宰相閣下が斯様な真似をなさるとは」
「その点に関しては俺も心底失望したよ、あの方は理性的だと思っていた」
「ええ、同感です」
膝の上でグッと手を握るヴィクターは、真実憤っているようだ。
ハルを想ってくれているのか。
有難いことだな。
「リュゲル様、ハルルーフェ様の警備を強化したいのですが、如何でしょうか」
「君の気持ちは有り難いが、妹がこれ以上委縮してしまうのは避けたい、あいつは今も充分窮屈に感じているんだ、現状維持で頼む」
「では、隠密に優れた者を配備いたします、我々としても今回の件は見過ごせません、ハルルーフェ様にご迷惑はお掛け致しませんので、それでどうでしょうか?」
それでも恐らく、セレスとモコは気付くだろう。
だが、わざわざハルに言ったりもしない。
「分かった、そういうことならよろしく頼む」
「御意に、御身を二度と危険に晒さないと誓います」
「頼もしいよ、有難う」
王庭近衛兵団は王族直属の兵だ。
その警護対象には宰相も含まれているが、有事の際は、王に次ぐ地位を持つハルの方が優先される。
彼らが職務に忠実であることを期待しよう。
「ヴィクター」
「はい」
「君に頼みたいことがあるんだ、ついでになってしまうが、いいだろうか」
「何なりと」
俺はヴィクターに、昨日ハル達と話した内容の聞かせられる部分だけかいつまんで伝えて、協力を仰ぐ。
ヴィクターは思いがけず驚いている様子だったが、真剣な表情で「承りましょう」と頷いた。
「しかし、オリーネ様が危惧されておられる事とは一体何でしょう」
「俺にも分からない、だが現状懸念は幾らでもある」
「確かに、では私からも、今のリュゲル様のお話に関わりあることかもしれません、ご報告が幾つかございます」
「何だ?」
居住まいを正し、ヴィクターが語った内容はこうだ。
近頃、王都周辺に配備されている部隊内で、体調不良を訴える者が増えている。
症状としては倦怠感、頭痛に腹痛、めまいや熱等、諸々の病の初期にみられるようなものだ。
斥候として紛れ込ませたヴィクターの配下も数人やられて、状況把握に幾つか穴が開いてしまっているのだと言う。
「頻発する魔物との戦闘で何かあったか、配給の水や食料に中ったか、原因は不明なのですが、全員が一様に『声が聞こえる』と申しております」
「声?」
「はい、誰かが呼ぶのだと、それが何者かは不明なのですが、皆等しく同じことを口にしているのです」
「気味が悪いな」
不意に肩をポンと叩かれた気がした。
―――ロゼは何か知っているのか?
後で話を聞かせてもらおう。
向かい合ったヴィクターは深刻な表情を浮かべている。
「また、件の『粉』が関わっているのでしょうか」
「あり得る」
「だとすれば、やはりサネウ様が」
「部隊内で具合を悪くしているのはお前の部下だけなのか?」
「いいえ」
「それならまだ断定はできない、調査して事実を明らかにすべきだろう」
「そうですね、誰にどのような利があるか、部隊を弱体化させる目的をまず突き止めなければ」
単純に考えれば、反乱の事前阻止、だろう。
その場合の下手人は恐らく宰相、しかし魔人が関わっている可能性もある。
もしもそちらだったら、考え得る展開は更に最悪だ。
守備が薄くなった王都へ、魔人に先導された魔物が軍を成して押し寄せ、あらゆる全てを蹂躙し尽くす。
粉以上の被害が、恐ろしい情景が、容易に想像できてしまう。
「リュゲル様、改めて私も、今の状況に恐ろしい予感を覚えます」
「そうだな」
「王都はエノア様の聖地でもあります、建国以来、エノア様の加護と陛下の守護、二つの偉大な力に守られた、連合王国内で最も安全な地であったというのに」
「その基盤が揺らいでいる、不安は国民にも伝わっているんだろう?」
「はい、市井の者たちの陛下への不満も、根を辿ればそこに端を発するかと」
だとすれば、やはり宰相。
ランペーテが全ての元凶か。
そして背後についているだろう魔人も加担しているに違いない。
―――だが、奴らの目的は果たして一致しているのか。
「兵達同様に、近頃は陛下もよくお加減を悪くされておられます」
不意にヴィクターが沈んだ様子でぼやく。
「お見舞いに伺うことさえ許されません、あの方が今どうされているのか、宰相しか知らないのです」
「そうか、気遣わしいな」
「はい」
彼が陛下を想う心には、忠義以外の感情がある。
本人が言ったわけじゃないが、話していれば気付くことだ。
だからこそ今の彼の心境は察して余りある。もし俺が同じ状況に置かれたら、不安で居たたまれないだろう。
「来週にはいよいよ舞踏会へ参加される賓客方がお越しになられます、遠方より来られる方などは数日前から王宮に宿泊なさいますので、騎士団はそちらの警備へ殆ど持っていかれます」
「君たち近衛兵団もか?」
「我々は王家直属ですので、しかし手が足りなければ駆り出されるでしょう、結果として城内全体の警備が手薄になってしまいます」
「ああ、いよいよ危ういな」
「はい」
「俺の方でも手を尽くそう、何よりも妹を、そしてセレスや、お婆様、お爺様に関しても、可能な限りお守りする」
「よろしくお願い致します、リュゲル様にお力添えいただけるなら、何よりも心強く存じます」
「期待に応えられるといいんだけどな」
「いえ、貴方の強さは体感しておりますので、その聡明さも」
「君ほどじゃないさ」
お互いに顔を見合って軽く笑う。
こんな形で思いがけず、友人のような関係が持てるなんてな。
「何かが起きるならば、舞踏会当日」
「ああ」
「必ずや阻止してみせます、王庭近衛兵団の名に懸けて」
「協力する、必ず陛下と、妹を守ろう」
「はい」
一区切りついたところで、ヴィクターが扉へ向かう。
「少々失礼致します」と出て行く姿を見送った。
しかし、それはそれとしてハルのことは一体どうしたものか。
陛下には会えず、宰相も逃げ回って捕まらないなら、先代であるお婆様に口添えを頼むか。
恐らくはまだお耳に入っていないだろう、そういう都合が悪い情報はきっと遮断されている。
しかし、だからこそ意味があるかもしれない。
もしこのことを足掛かりに、現在の体制について追及出来たら―――と、俺は何を考えているんだ。
まずはハルだ。
俺の妹を泣かせた責任は必ず取ってもらう。
決して許すことなどできない、ハルがいくら強くて、もう割り切っていたとしても、俺自身が納得いかない。
ハルルーフェ。
あいつの周りに不穏な動きが幾つもある。
俺は守りたい、何よりも、誰よりも、あいつを。
そのために俺はここにいる。
だから、守れるだけの強さをください―――父さん。
暫くすると、ヴィクターが戻ってまた俺の向かいに腰掛ける。
そのまま他愛ない話をしているうち、給仕が茶の用意を運んで来てくれた。
「ところでヴィクター、この後の君の予定は?」
「残念ながら、こちらを頂きましたら、御前を失礼いたして兵舎へ戻ります」
「そうか、手合わせを願いたかったんだが」
「はい、私も時間が許すならばと、しかしリュゲル様と談話して過ごす一時も実に有意義に存じます」
「ふふ、そう言って貰えると嬉しい」
「貴方様がお聞かせくださる旅の話はとても興味深い、私もいつか旅をしてみたいという思いが湧いてまいります」
「いつかすればいいじゃないか、陛下の供として」
「それは」
目を丸くしたヴィクターの頬が、うっすら赤く染まる。
「ふふ、リュゲル様は存外意地が悪くあられる」
「きっとできるよ、いずれ」
「はい、あの方にこの世界の美しいものをたくさんご覧いただきたい、その傍らに在れるのならば、この上なき喜びに存じます」
「そうだな」
ハルにも、辛く恐ろしい思いも沢山しただろうが、それ以上に色々なものを見せてやれてよかった。
壮麗なネイドア湖、白峰輝く大山サマダスノーム、数多のそれぞれ様相が異なる町や村、ディシメアーで望んだ大海、あいつに泳ぎを教えてやった。
西の砂漠、そして異彩を放っていた商業連合、列車、車に飛行船。
アイドルとして舞台に立つあいつは眩しかった、今も目裏に焼き付いて離れない。
たくさんの思い出と、ハルルーフェの笑顔。
俺が長旅で得た一番の収穫だ。
「いつか君が陛下と旅を楽しめるよう願うよ」
「有難うございます」
茶を飲み干したヴィクターが「それでは」と立ち上がる。
俺も一緒に部屋を出て、扉の前で別れた。
さて、まずお婆様とお爺様にお会いしよう。
今頃ならば伺ってもご迷惑にならないはずだ。
「リュゲル」
耳元で聞こえた囁きに「分かってる」と小声で返す。
お前からも聞かせてもらわなければ。
今、城外で何が起きているのかを。
長く続く廊下に誰の姿も見えない。
何かを予兆させるような奇妙な静けさが辺りを満たしていた。




