離れとその後の出来事
「母さん、元気だったよ」
離れに独りきりできっと寂しいだろうけれど、変わらない、いつもの母さんだった。
「書斎にいて、だけど扉を開けようとしたらモコに止められて、母さんも入らなくて正解だって言うし、あれってどうして?」
尋ねるとモコは「うーん」って唸る。
「しょさい、よくなかった、みてた」
「誰が?」
「らんぺーて」
ギクリとする。
監視用の術でも仕掛けられていたんだろうか。
「呪いの類だよ、ハル」
ロゼが教えてくれる。
呪い?
―――そう言えば、ロゼは私達より先に母さんと会っているんだ。
あれ、もしかしてリューも?
前にロゼに協力してもらって、私より先に母さんに会って無事を確かめるって言っていたよね。
「建物内に監視用の、あるいは逃走防止、そして侵入を阻止する術が幾つも施されている、相当な念の入れ様だ、余程母さんを逃したくないらしい」
それって、あの時ランペーテ様が口にしていた『姉上も』っていうのが理由?
母さんまで自分の物にしようとしている?
ゾクリと鳥肌が立つ。
「ハル、離れへどう入ったか、僕に教えてもらえるかい?」
「先にセレスが入って、屋根裏部屋の窓を開けてくれて、そこからモコに中まで運んでもらったよ」
「なるほど、図らずも最適解を選んだわけだね、流石は僕のハルだ」
たまたまだけど、どういう意味?
首を傾げるとロゼは訳を答えてくれる。
「君でも、その未熟者でも、建物に侵入しようとすれば仕掛けのどれかが作動して何らかの被害を被っていただろうね、先程も言ったがあれらは呪いの類だ、しかし、そこのそれは体質的に呪いの一切が降下を及ぼさない」
そうだ、セレスはアサフィロス。
生まれつき魔力を持たないから、魔力を媒介に発動する呪いが通用しないんだ。
「件の書斎に関してもだが、そこは未熟者なりに機転を利かせて安全策を講じたのだろう、結果として卑劣な愚か者は君達の侵入に気付くのが少々遅れた、故に母さんと会話する時間を持てたのさ」
「そう、だったんだ」
母さんはしきりに時間が無いって言っていた。
つまり、偶然だけどさっき上手くやれていなければ、もっと早くに気付かれて、母さんと話すことさえできなかったかもしれないんだ。
「さて、ハルルーフェ、では母さんと何を話したのかな? 母さんは君がエノアから種子を託されたと知っていただろう?」
「えっ」
「ちなみに僕からは伝えていないよ、母さんは僕にしなかった話を君に聞かせたのだろう、教えてもらえるかい?」
てっきりロゼから聞いたんだと思っていた。
それじゃ、やっぱり母さんは種子について何か知っているんだ。
「うん、ロゼ兄さんの言うとおり、母さんはエノア様の種子のことを知っていたよ」
まさかってリューが呟く。
「何故だ?」
「分からないけれど、もうすぐ恐ろしいことが起こるって言ってた」
「恐ろしいこと?」
リューは腕組みして考えこむ。
隣でセレスも難しい顔をしている。
「そのことについて、詳しく話すためには私の準備が必要なんだって」
「お前の準備? 何だそれは」
「それも分からないけれど、北のファルモベルへ行けって言われた、女王に会ってきなさいって」
「ファルモベルの女王?」
やっぱりリューも戸惑っている。
母さんが言っていた『女王』って、一体どこの誰のことなんだろう。
北へ行けば分かるらしいけれど、何の手掛かりもないまま、行き先だって見当もつかないよ。
「母さん言ってたよ、因果から逃れる術はないけれど、唯一の希望は、まだ未来は確定されていないことだって」
「要領を得ない話ばかりだな、どうしてハルの準備がいる、それは何だ、ファルモベルのどこへ行けば会える?」
話しながらやけに胸がざわつく。
ネイドア湖のネイヴィから聞いた通りなら、エノア様の種子は残り二つ。
一つはきっと、宗教特区エウス・カルメルにあるルーミルの大神殿。そこにいるアドスが持っている。
そして最後の一つは北のファルモベルにいる女王が持っているらしいけれど、居場所が分からない。
種子が五つ集まったら―――私の準備が整う、のかな?
でも、エノア様から託された種子の理由も、意味だって分からないのに、何の準備だろう。
不安だ。
分からないことだらけで、少し怖い。
「北で、私の覚悟が試されるんだって」
「お前の?」
「うん」
全員が神妙な顔をして黙り込む。
勿論私も、何の覚悟を試されるか分からないけれど、試すって言うくらいだからきっと辛いことに違いない。
何かを手放したり、失ったりするかもしれない。
そんなのは嫌だ。
自分のことなら幾らでも耐えられる、だけど、もし私の大切な人に何かあったら、きっと乗り越えられない。
「はる、だいじょぶ」
「モコ」
モコが私を見上げて、ギュッと抱きついてくる。
「ぼく、そばにいるよ、はるをひとりにしない」
「うん」
「そうだな」
リューも頷く。
セレスが笑顔で「勿論、私もついてるぞ!」って胸を叩いた。
ロゼも微笑みながら「不安にならずとも大丈夫さ」って私の髪を撫でてくれる。
「僕も君と共に行こう、どちらにせよ気は乗らないが」
「ごめんねロゼ兄さん」
「謝ることなどないさ、お兄ちゃんとして妹のために骨を折るのは当然だ、君は構わず存分に僕を頼るといい」
「だったら余計なことを言うな」
「む、リュゲル、可愛げがないぞ? 君は僕を労いたまえ、この頑張るお兄ちゃんを思いきり褒めるといい」
「俺だってハルの兄だ、骨を折るって意味では同じだろ、俺とお前は対等だ」
「意地悪を言うものではないよ、僕は君とハルに褒めて欲しいのさ、それが僕の意義に繋がるのだから」
「難儀な兄だな」
呆れるリューに笑ってから、二人に「頼りにしてます、ロゼ兄さん、リュー兄さん」って言う。
二人とも嬉しそうに笑って頷いてくれた。
いつだって一緒だとすごく心強いよ。
「わ、私も頼りにしています、師匠! リュゲルさん!」
「ぼくも!」
セレスとモコが声を上げる。
リューは笑顔で頷くけれど、ロゼはフンと鼻を鳴らして「お前たちは知らない」なんて言う
「お前こそ意地の悪いことを言うんじゃない、それにいつも気にかけてやっているだろ、知ってるぞ」
「はい、存じております師匠!」
「存ずるな」
ロゼは素っ気ないけど、セレスは目をキラキラさせている。
隣でリューが苦笑した。
「ぼくもしってる、ししょー、こわいけど、やさしーよ」
「うるさい、僕に覚えのないことを言うな、お前達に優しくなどしていない」
モコにまで言われてる。
フフ! だけど私も知ってるよ、ロゼ兄さんって何だかんだ面倒見がいいんだ。
「ハル、他に母さんと話したことはあるか?」
「ええと、その、母さんじゃないけれど、モコが母さんを知ってるみたい」
視線を向けるリューにモコは「ぼくしってる、でも、わかんない」って首を傾げる。
「既視感みたいなものか?」
「ちょっとちがう、しってるの、でもね、ぼく、おりーねとあうのはじめて、だからしらない」
「よく分からないな」
「ぼくもわかんない、どうして?」
「君に分からないことなら、俺にも分からないよ」
「そうだね、ふしぎ」
モコはパチパチと瞬きして考えこむ。
確かに不思議だ、どういう感覚なのかもいまいち理解できない。
もしかして私と母さんが似てるから、そう感じたのかな。
「ロゼ、今のモコの話、『天眼』が何か関係しているのか?」
「さてね、恐らく違うと思うよ、だけど僕にも分からない」
「お前が分からないんじゃいよいよお手上げだな」
「おてあげ!」
モコが両手をパッと挙げる。可愛い。
向かい側でリューとセレスもクスッと笑った。
「まあ、そんな気がするってこともあるだろう、ひとまず保留にして良さそうだな」
そうだね。
離れであったことは一通り話した。
―――後は。
不意に部屋の扉が叩かれて、誰か入ってくる。
美味しそうな匂いを漂わせるワゴンを押しているのはティーネだ。
「ティーネ!」
「お申し付けどおり昼食を運んで参りましたわ、ところで―――ハル」
ティーネはワゴンから離れて私のところへ真っ直ぐ歩いてくる。
「何かあったの? その顔はどうしたの? それに随分疲れて見えるわ、もしかして泣いたの? どうして?」
「あ、うん」
ランペーテ様にされたことを思い出して俯くと、ギュッと抱きしめられる。
温かくていい匂い、ティーネにこうされると落ち着く。
私からも背中にそっと腕を回した。
「話せるようなら教えて、ハル」
「うん」
顔を覗き込んで「何があったの?」って訊いてくるティーネに、少しずつ話をした。
もう思い出したくないし、説明するのも苦痛だけれど、それでも言わないと。不安そうな顔をさせたままでいられないよ。
「あのね、実は―――」
――――――――――
―――――
―――
離れで母さんと話したこと、その後ランペーテ様から何を言われて、何をされたか、ティーネにも全部伝えた。
兄さん達は黙り込んで、また静かに怒っている。
セレスも険しい表情を浮かべているし、モコは心配そうに私に体を寄せてきて、そしてティーネは。
「許さないわ、絶対に」
こんなに怒った姿、初めて見る。
小刻みに震えて、ロゼとの間に無理やり体を割り込ませてくると、さっきより私を強く抱き締めた。
モコまで反対側から抱きついてくる。
二人とも落ち着いて、私はもう大分平気だよ。
「ねえ、ティーネ、モコ、大丈夫だから、心配しなくていいよ」
「いいえハル、このことはけっして有耶無耶にしません、すぐにでも陛下へ申し上げて、宰相には然るべき罰を下して頂きましょう」
「待ってくれティーネ、陛下へは俺からお伝えする、だから騒ぎを大きくすることは控えてくれ」
「まあリュゲル! 貴方どういうつもりなの!」
振り返ったティーネがリューを睨みつける。
怖い顔だ、リューも戸惑ってる。
「貴方はハルの兄でしょう? 誰よりも怒らなければならないはずよ、違うかしら!」
「君の言うとおりだが、それでもランペーテは宰相だ、今この城で何が起きているか、君も事情を知っているだろう」
「だからってハルを犠牲にすることは私が許しません、顔がこんなに腫れるほど泣いたのよ? ハルは我慢強くて、大抵のことは受け止められるくらい強いのに!」
ティーネ。
「女の子が、自分よりずっと年上の、よく知りもしない殿方に乱暴されそうになった恐怖を、貴方は軽んじている」
「違う、俺だって許せない、この手で奴を八つ裂きにしてやりたい」
「では致しましょう、許さないわ、絶対に」
「だから待ってくれ、ハル、お前からもティーネに言ってくれ」
「リュゲル! 貴方、よくもハルにそんなことを!」
「落ち着いてティーネ、いいんだよ、リュー兄さんが考えていることも分かるし、君が私のためにすごく怒ってくれているって、ちゃんと伝わってるから」
「ハル!」
「心配かけてごめん」
「バカッ、どうして謝るのよ、辛いのは貴方でしょう!」
叫んでティーネが泣き出した。
いつも冷静で、こんな風に取り乱したりなんてしないのに。
不安にさせてごめん。
抱き寄せて、よしよしって頭を撫でる。
白くて長い耳もぺしゃっと頭に垂れてしまっている。
有難うティーネ。
こう言うのもなんだけど、君の気持ちが嬉しいよ。
やっぱり君は、私の一番の親友だ。




