執着 4
ランペーテ様の後姿を追って、どれくらい歩いただろう。
庭から城内へ、廊下を進んで階段を上り、もう暫く歩いた先の扉の前でランペーテ様が立ち止まった。
「こちらだ」
振り返りそう言って、部屋へ入るランペーテ様に続く。
緊張して、怖くて仕方ない。
ずっと心臓の音が早い。
だけど気後れしていられない。
いつも皆に頼ってばかりいるけれど、私だってしっかりしなくちゃ。
ランペーテ様と話す機会なんだ。
部屋には、大きな長椅子が卓を挟んで向かい合うように二つ、壁いっぱいの書棚と大きな机。
大きな窓には薄手のカーテンが引かれて、外から陽が差し込んでいる。
昼過ぎの柔らかな光だ。
そういえばまだ昼食をいただいていないけれど、全然お腹が減ってない。
「座れ」
言われて長椅子に腰を下ろす。
座面が広くて、柔らかく沈み込むような座り心地だ。
「飲み物が運ばれてくるまで、暫し寛ぎ待つといい」
ランペーテ様は座らずに、窓際へ行ってカーテン越しに外を眺める。
寛げって言われても落ち着かないよ。
さりげなく肩の辺りに手をやると、指先にフワッとした感触が擦り寄ってきた。
モコ。
―――今、ここに一人じゃないって、本当に心強い。
ランペーテ様は怖い。
冷たい雰囲気で言動も固いけど、何かされたわけじゃない。
だけど怖い。
あまり近付いてはいけないような、そんな気がする。
しんと静まり返っていた部屋の扉を叩く音が響いて、使用人がお茶を運んで来てくれた。
いい香り。
美味しそうな紅茶だ、それと手で摘まめる焼き菓子。
カップに紅茶を注いで、傍に控える使用人に、ランペーテ様が「下がれ」と命じる。
使用人は深く礼をして部屋から出て行った。
また二人きりだ。
本当はモコがいるけれど。
「さて、では話をしようか」
ランペーテ様が来て向かいの長椅子に腰を下ろす。
怖いけど、やっぱりすごく綺麗な方だ。
外見も声も中性的というか、どっちだろうって少し迷う。
でも母さんの弟だから、男性だよね。
長い白銀の髪、深く暗い青色の瞳。
まつ毛が長くて、鼻筋が通っていて、唇は薄い。肌は白い。
指先まで洗練された雰囲気を漂わせているけれど、なんて言うか、それがむしろ無機質な印象を強調するみたいだ。
ロゼやリュー、セレスもすごく綺麗で洗練されているけれど、受ける雰囲気は大らかで明るい。
例えるなら燦々と降り注ぐ陽の光や、大地に深く根を下ろし緑の葉を茂らせる大樹、温かく燃え盛る炎って感じだ。
でも、ランペーテ様は暗くて冷たい。
月も星もない夜みたいな方だ。
傍にいると訳もなく不安になる。
「そう固くならずともよい」
お茶を飲むよう勧められる。
―――美味しい。
でも素直に味わえない、こんなに美味しい紅茶なのに。
「実に、似ている」
ふとランペーテ様が呟いた。
「お前はかつての姉上そのものだ」
「お婆様と、お爺様からも、同じことを言われました」
「そうか」
こうして向き合っているだけでも緊張が収まらない。
だけど、そんなことばかり言っていられないよね、積極的に話さないと。
「あの、ランペーテ叔父様」
私は駆け引きみたいなことは正直苦手だ。
リューやセレスなら上手に言葉を選んで話を引き出すだろうけど、それはできない。
ロゼみたいに相手を威圧して話をさせるのも無理だ。
だから真正面からあたっていくしかない。
「何故母を一人で離れに閉じ込めているのですか」
膝の上で手をギュッと握りしめる。
私を見つめるランペーテ様の瞳の奥が一瞬揺らいだように感じた。
「私に問われても答えかねる、陛下がなされていることだ」
「では叔父様はその理由をどうお考えになられますか」
「そんなことを訊いてどうする」
「母の状況をどうにかしたいのです、そのための参考になるかもしれません」
「陛下に直訴するつもりか」
「叶うのであれば、いえ、宰相であられる叔父様に、その機会を設けていただきたく存じます」
勢いで言ってしまった。
流石にやり過ぎた?
でも駆け引きは本当に苦手だし、ずっといっぱいいっぱいだ。
今にも心臓が破裂しそう。
「ほう」
不意に―――ランペーテ様が笑う。
驚いた。
笑うと怖くない、普通に綺麗だ。
笑顔が母さんに少し似ている気がする。
「なるほど、言うものだ」
けれどまたすぐ冷たい雰囲気に戻ってしまう。
あんな笑顔で笑えるなら、ずっと笑っていたらいいのに。
ランペーテ様ってどういう方なんだろう。
「二年前の戴冠の儀に伴い、姉上には城へお戻りいただいた」
ランペーテ様が話し始める。
「理由は妹である現陛下を寿ぐ祝典へご参加いただくこと、そして、即位後の内政がある程度軌道に乗るまで共に陛下を支えていただくためだ」
一区切りして紅茶で唇を湿らせる。
「しかし、かつて姉上は玉座を放棄し王家を去った、故に戻られたことを快く思わぬ者達がいる」
どうして?
役目を辞退したからかな。
「故に、離れに蟄居していただくことで、あくまで王族として戻られたわけではないことを周囲へ示し、同時に何かしらの間違いが起こる可能性を防いでいる」
「それが母を離れに閉じ込めている理由ですか?」
「この話は私の推量であり、陛下より伺ったものではないと告げておこう」
「母は十数年王家から離れていました、それがどうして今も警戒されるのですか?」
「姉上の人望は絶大だ、どれだけ時が経とうと変わらぬ、今なお姉上を信奉する者達は数多いる」
そうなんだ。
私の知らない母さんの話を色々な人から聞いた。
でも、皆から愛されて、期待されていた母さんは、継承権を放棄してノイクスへ移り、あの森の奥の村で私と兄さん達とささやかに暮らす日々を送っていた。
今更だけど疑問に思う。
なんであの村だったのかな。
私のために用意された場所だって聞いた。一緒に暮らしていた皆も、全員が母さんについてきた従者と、レブナント様の信用が置ける配下だって。
でもどうして?
そもそも森に村を作って暮らす必要があった?
中央エルグラートに着くまで旅の本当の目的を教えてくれなかったこと、私の生い立ちや、パナーシアを唱えられる意味をずっと隠していたこと。
何かモヤッとする。
まだ隠されていることがあるのかもしれない。
私だけ知らない本当のこと、それはさっき母さんに言われた『準備』と関係あるんだろうか。
「それどころか、既に継承権を放棄した姉上を玉座にと、今なお望む声すらあるのだ」
思いがけずドキッとした。
母さんを王に?
でも今、エルグラートを治めているのは妹のシェーロ叔母様だ。
「邪な芽の可能性は開く前に摘み取っておかねば、故に何者も姉上に近付くことは許されぬのだ」
「それは、まさか」
口にしそうになった言葉をぐっと飲み込む。
サネウ様の企みに、母さんが関係したりしていないよね?
怖い考えに繋がりそうだ。
反乱を起こして政権をひっくり返し、母さんを王に、そしてサネウ様が宰相に。
―――まさかね。
母さんが協力するわけないよ。
それに母さんはむしろ魔人を警戒していた。城内で安全なのは離れと静謐の塔の辺りだけだって。
色々なことが絡まり合って、何かが起ころうとしている。
不安だ。
私はどうすればいいんだろう。
「まさか?」
ランペーテ様が訊き返してくる。
だけど答えられないから、紅茶を飲んで誤魔化した。
兄さん達とセレスにこのことを話さないと、ティーネにも聞いて欲しい。
―――本当に母さんは大丈夫なのかな。
「ハルルーフェ」
呼ばれて顔を上げた。
向かいに座っているランペーテ様から「私からも訊こう」と話を切り出される。
「お前と兄の父親について、知っていることはあるか」
「えっ」
「姉上から聞かされていないのか」
知らない。
どんな人だったか、外見や性格は聞いたけど、どこの誰なのか、名前さえ知らない。
ランペーテ様も知らないのか。
母さん、もしかして誰にも話していないのかな。
「既知かもしれぬが、姉上はかつて五年ほど行方をくらませたことがある、その五年の間、この中央、東西と南、更には北へも捜索の手を広げたが、痕跡一つ掴むことはできなかった」
北のファルモベルまで母さんを探したの?
ランペーテ様は険しい表情で話を続ける。
「だがある日、何の前触れもなく姉上は戻られた、ご自身の子だという幼子を連れて」
兄さん達のことだね。
その時、叔父様方や叔母様、セレスとも会ったって聞いた。
「姉上は五年の間どこにいたか、何をしていたか、一切語らず、ただ継承権を放棄するとだけ告げて、幼子と共に城から去られた、そしてノイクスのレブナントを頼った」
村で暮らしていた日々。
楽しかった、母さんが元は姫君だなんて思いもしなかったし、村の皆は優しくて暖かかった。
戻りたい。
私の帰る場所はあの村だ、この城は私の居場所じゃない。
だけど帰れるのかな。
母さんと、兄さん達と一緒に、またあの村で暮らせるのかな。
村に来る前、母さんは王都で兄さん達と父さんと一緒に暮らしていたって聞いた。
それは作り話だったけれど、じゃあ、兄さん達は父さんのことを知っている?
五年も行方不明だった母さん。
一体どこで、何をしていたんだろう。そのことも兄さん達は知っているのかな。
「故に公式に姉上は行方不明のままという扱いにされ、生死も不明とされた、城へ戻られた今は城内の者達と王族のみが姉上が存命であること知っているが、近く催されるお前のお披露目にて、このことは広く知れ渡るだろう」
母さんが生きていることを皆が知る。
それって、さっきの話から考えると、何かよくない騒動に繋がりそうだ。
「加えてハルルーフェ、お前はその姉上の娘、パナーシアで奇跡を起こすことのできる女子、紛れもない王位継承者だ」
底知れない暗い青色の瞳が私をじっと見つめる。
背筋にゾクリと悪寒が走った。
「このことから予見されることは語るまでもない、姉上と件の辺境伯が我らの目を欺いた手腕はまったく見事なものだ、実に称賛に値する」
「どうして」
尋ねるつもりもなく呟いた言葉を、ランペーテ様は鼻で笑う。
「お前を政治の道具にさせないために決まっている、王家の干渉を防ぐのが目的だろう」
「でも、私は」
「あの方はつくづく玉座に関心が無いようだ、しかし娘の自主性は重んじられたようだな、お前に決めさせるため登城させた、手荒い真似をなさるものだ」
「違います、母はきっと私を心配して」
「であろうが、実際お前は戸惑っている、望みもしない玉座を目の前に置かれ『さあ選べ』などと、随分無体なやり様ではないか」
「やめてください、母を酷く言わないで」
母さんは、私がいつかここを訪れなければならないと分かっていた。
だからそれまで守ってくれたんだ。
そして私が自分の意思で選べるように、兄さん達に託して旅をさせた。
今なら分かるよ。
権利として玉座を望むなら、そのように。
だけど望まないなら、正式に放棄して、王家とも完全に関わりを断てるようにって。
私に選択肢をくれた。
それは母さんの愛情だ、誰に何を言われても間違えたりしない。
ランペーテ様は暗い青色の瞳をすうと細くする。
「やはり似ている」
呟いて立ち上がった。
「姉上も、お前も―――ここではない何処か、彼方の果てへその目を向けている」
卓を回り込んで、えっ、どうして隣に?
座りなおしたランペーテ様が体を寄せてくる。
ドッと汗が噴き出す。
距離が近い、どうして傍に来たの? 何かするつもり?
「ハルルーフェ」
「は、はい」
「お前は次期王、その事実は揺るがない」
だけど私は玉座を継がない。
そんな気は少しもない。
―――手が、髪に触れる。
ランペーテ様は私の髪をひと房掬いあげて、そっと唇に触れさせた。
全身がゾワッと震える。
「であれば、伴侶となるべきは宰相であるこの私だろう」
「え」
「私を選べ、ハルルーフェ」
「ッツ!」
暗い青色の目が近付く。
慌てて顔を背けたら、そのまま圧し掛かってきて、押し倒、され、てッ!
長椅子に寝そべる格好で、上にランペーテ様がいる。
嫌だ、やめて。
怖い!
「ハル」
首筋に吐息が触れた。
胸で心臓の音がメチャクチャに鳴り響いている。
血の気が引いて声も出せない。
全身痺れたみたいに動けない。
指先が唇に触れる。
んぐッ、なに? 魔力を無理やり流しこまれた、頭が、クラッとして。
目の前が、揺れる。
「初めてお前を見た時、怒りと同時に言い知れぬ感情が私の中に起こった」
やめて。
触らないで。
「私はお前が憎い」
手が触れる。
こわい、いやだ。
「だが、同じ轍は二度踏まぬ、お前は私のものだ、今度こそ、姉上も」
母さん?
どういうこと?
「私がお前の純潔を奪ったと知れば、誰も、お前ですら、我らの婚姻を阻むことはできぬ」
こわい、こわい、こわいよ。
目の前が濁って溢れる。
震えが止まらない。
やめて。
触らないで、嫌だよ。いや、いや、いやッ!
「そう怯えずともよい、ハルルーフェ、抵抗さえしなければ、痛苦なく快楽のみを享受させてやれる、さあ、私を受け入れろ」
嫌ッ!
助けて!
―――誰か!
「ッく!」
目をギュッと瞑った直後に傍で何かバチンと爆ぜた。
驚いて目を開くと、上に乗っていたランペーテ様が体を起こして離れる。
耳元で「はる!」って呼ばれた。
モコ!
必死に這い出して長椅子から降りる。
何が起きたか確認なんてしていられない、とにかく今は逃げないと!
「やはりいたか、魔性め」
微かに血の臭いだ。
モコが何かしたんだろう、おかげでランペーテ様から離れられた。
扉に辿り着いて開こうとするけれど、開かない!
鍵なんてないのに、どうしてッ!
「外へは出られぬ、お前の声も外には届かぬ、戻れ、ハルルーフェ」
「い、やっ、です!」
「私のものになるのだ」
「なっ、りま、せん! もう、やめてッ、出して!」
「ハルルーフェ」
後ろから足音が近づく。
きっと次はもうない。
開いて、開いて、開いてよッ! ここから出して!
また耳元で「だいじょぶ、あとちょっと」って声が聞こえた。
直後に取っ手が動いて、扉が開く!
「何?」
ランペーテ様の驚く声がした。
そのまま廊下へ飛び出して、走る!
必死に走り続けていたら、廊下の先にある扉の一つが開いて、大きな姿がぬっと覗いた。
「こっちよぉン!」
招かれてその部屋へ飛び込んだ!
奥の突き当りの壁に縋りつくと、背中を預けて座り込む。
息が苦しい。
扉を閉めた姿が様子を窺うようにしながら近づいてくる。
「どうされたの殿下、何があったのぉン?」
あ、宮廷仕立て師の、レイだ。




