執着 1
「―――んん」
朝?
目を開いてベッドの天井をぼんやり眺める。
そこへ「はる」って人の姿のモコが覗き込んできた。
「おはよ」
「うん、おはようモコ」
「またゆめ、みた?」
「うん」
起き上がって目を擦る。
最近―――同じような夢を何度も見るんだ。
私は広くて長い廊下を必死に走っている。
追いかけてくる誰かから逃げているけれど、それが誰かは分からない。
どこまでも足音がついてくる。
そして、腕を掴まれたところで目が覚める。
怖い夢。
相談したセレスは心配してくれたし、ティーネも授業の数を少し減らそうかって言ってくれたけど、暫くは様子を見ることにした。
もし、たまに見る予知夢的な夢だとしたら、また何かあるのかもしれない。
だけど夢の中の私は何をあんなに怖がって逃げているんだろう。
「はるぅ、だいじょぶ?」
「うん」
そういえば今朝はティーネがまだ来ないな。
あ、そうか、週末で授業がないからだ。
先週末も朝はゆっくりだった、ティーネも毎朝早くから私を起こしに来るのは大変だよね。
いつもお世話されてばかりいるよ。
お返しがしたいけれど、いい案が浮かばないし、今はまだ自分のことで手いっぱいだ。
「ねえはる」
隣に寝そべったモコが、頬杖をつきながら足をパタパタさせる。
今朝も可愛いなあ。
ラタミルで、魅眼を持っていて、だけどそういうことは関係なくモコはいつだって可愛いよね。
「ぼくね、たぶんね、できるようになったよ」
「何が?」
「えっと、にんちそがいのかくちょう? はるのことかくせるようになった」
「本当?」
とうとう出来るようになったんだ、凄い!
モコは起き上がって「えへん」って胸を張る。ふふ、頑張ったねモコ。
「早速やってみて」
「うん」
ちょっとドキドキ。
モコはポンッと小鳥の姿になると、パタパタ羽ばたいて私の肩にとまる。
そしてモフッと丸くなった。
―――あれ?
「ええと、モコ?」
戸惑っていると、部屋の扉がコンコンと叩かれる。
ティーネだ。
「失礼いたします―――あら、ハル?」
入ってきたティーネは不思議そうに辺りを見回している。
どうしたんだろう。
「いないわ、おかしいわね、一体どこへ」
私、ここに居るよ?
ベッドの上だよ、まさか見えていない?
「えへん」
肩でモコがまた胸を張った。
その声に気付いて「モコ? そこにいるの?」ってティーネがこっちを向いた。
「私もいるよ、ティーネ」
「ハル!」
モコが認識阻害を解いたんだろう、慌てたティーネが駆け寄ってくる。
「驚いたわ、いないと思ったら急に現れるんだもの」
「えへへ」
「どうなっているの?」
「モコがね、認識阻害の範囲拡張? を出来るようになったんだ」
「えへん」
「まあ」
私の肩で得意になっているモコを撫でて、ティーネに事情を説明した。
ラタミルは自分を認識させる対象を選ぶことができる。
つまり、見られたくない相手の前では姿を消せるってことだ。
だけど気配まで消すのは訓練が必要で、更にその範囲を拡張させて任意の対象の姿や気配まで消すには才能と技術が必要、らしい。
全部ロゼの受け売りだ。
モコはラタミルでも稀な能力の『天眼』と『魅眼』を持っているから、範囲拡張も当然できるって言っていた。
理由はロゼが出来るからだって。
師匠のロゼから言われたモコは一生懸命頑張って、本当に技能を習得した。凄いよね、改めて感心だよ。
「それは、大変なことね」
「でしょ?」
「ええ、モコの協力があれば、姿を消してどこへでも行けるということでしょう?」
「うん」
「つまり、オリーネ様にも会いに行ける、ということね」
「そうだよ」
説明しなくても伝わるか、やっぱりティーネは私をよく知ってる。
母さんに会わせると約束してくださったランペーテ様から、一週間以上経ってまだ何の話もない。
セレスは毎日ランペーテ様へそのことを訊きに行ってくれているけれど、いつも追い払われているらしい。
辛いよ。
母さんに会えないのも、毎日「ごめん」って謝るセレスのすまなそうな顔を見るのも。
だけど、許可はもう必要ない。
肩のモコを掌に乗せて、顔の前へ持ってくる。
「モコ、頼めるかな」
「いーよ」
「待ってハル、今すぐというのは性急過ぎる、せめて身支度を済ませて、朝食をいただいてからにしましょう」
そうだね。
ティーネは冷静だ。それに私を引き止めないでくれる。
有難うティーネ。
ベッドを出て身支度を整えていると、部屋にセレスも来た。
「ティーネ嬢、今日なんだが、シフォノが君と庭を散策したいと言っていたぞ」
「まあ、セレス様に伝言を頼まれたのですか?」
「いいや、誘って断られたらどうしようなんてつまらないことを悩んでいるようだったから、お節介を焼いた」
「困った方ですわね」
ティーネが溜息を吐く。
シフォノって意外に奥手なんだよね。
授業の時はティーネの隣に絶対座らない。だけどいつもティーネを目で追っている。
話しかけられると大騒ぎして、自分からは上手く話せないようだし、もっと素直になればいいのに。
「そういうわけだから、すまないが朝食の後で声をかけてやってくれないか」
「構いませんが、セレス様」
「なんだ?」
「シフォノ様を理由に、私を体よく追い払おうとなさってはおられませんわよね?」
「うぐッ」
セレスは目を泳がせる。
どうしたんだろう。
「ち、違うぞ、まさか、ハハッ」
「本日は特に予定もございませんし、ハルと二人きりで過ごしたいというお気持ちは分からなくもありませんが」
「いッ、いや、そうだとしても追い払うなんてつもりは!」
「ご自覚がおありですのね」
「まさか! 君はハルの親友だ、蔑ろになどしない」
「けれどご自身の欲もお認めになると」
「うぅッ、本当にすまない、だが勘弁してくれ、あともう少し手心を加えて欲しい、頼むよ」
二人ってすっかり気の置けない仲だよね。
いつもセレスが少し負けるんだ。ティーネのことを尊重してくれる。
ティーネも分かっているのにお構いなしなのは、セレスを信用しているからだろう。
ふふ、なんだかいいよね。
こうして二人のやり取りを見ているだけで嬉しくなってくるよ。
「分かりました、本日はシフォノ様と過ごすことに致しましょう」
「ああ、うん、有難う」
「セレス様、ハルのことくれぐれもお願い致しますわね」
「無論だ、心得た」
ティーネが振り返って「ハル」って呼ぶ。
「今日は傍にいてあげられないけれど、無茶をしてはダメよ」
「分かった」
セレスが「どうしたんだ?」って首を傾げる。
だから―――朝食の後、母さんに会いに行くことを教えた。
「そうか、遂に」
「うん」
「では私も行こう」
セレスも?
私を見つめるオレンジ色の瞳が、肩にいるモコへ移る。
「モコちゃん、私も一緒に連れて行ってもらえないか?」
「だいじょぶ! そばにいてくれたらへーき」
「有難う、何かの役には立てると思うから、君達を手伝わせてくれ」
こちらこそ。
セレスが一緒だとすごく心強いよ。
―――それから支度を済ませて、朝食をいただくために別室へ移動した。
部屋ではシフォノが待っていたから、いつもの四人と、モコもこっそり一緒に。
食事が済んで、モジモジしているシフォノにティーネが声をかけて、二人は部屋を出て行った。
頑張れ、シフォノ。
ティーネも今日くらいは私を気にせず楽しんで欲しい。
いつも傍にいてくれるのは嬉しいけれど、ティーネ自身の時間も大切だからね。
そして私はセレスと一緒に庭へ向かう。
行き先は静謐の塔。
モコもまだどれくらいの間私達を隠していられるか分からないから、なるべく離れに近い場所から行動しようってことになった。
兄さん達に伝えておいた方がよかったかな。
だけど多分、今もどこかでロゼが見守っていてくれるだろうし、それならリューにも伝わるよね。
大丈夫。
強行突破なんてよくないけれど、もう待っていられない。
「ねえセレス、何かあったら一緒に切り抜けようね」
「ああ」
「私のために無茶しないで、約束だよ」
「君こそダメだぞ? 私は師匠とリュゲルさんから君のことを頼まれているんだ、ティーネ嬢にだって叱られてしまう」
「そういうのは気にしなくていいよ」
「いいや、それに君を一人になんてさせない、当たり前だろ?」
セレス。
手をギュッと握る。
「は、ハルちゃ」
「いつもね、セレスが一緒だと頑張れるんだ、ついてきてくれて有難う」
「ああ!」
二人で手を繋いで静謐の塔を目指す。
―――近付くとやっぱり大きい。
でも守られているような不思議な感覚を覚える。
不意に私の肩で気配を消していた小鳥の姿のモコが、ピイッと鳴いた。
「それじゃ、かくすよ、はる、せれす、いーい?」
「お願い、モコ」
「やってくれ」
モコは羽を膨らませてモフッと丸くなる。
間があって、セレスが辺りを見回して、自分の手を確認しながら「隠せたのか?」って首を捻った。
「かくしたよ、でも、おしゃべりするとみつかるから、しないでね」
「わ、わかった」
頷いたセレスは仕草で『行こう』って伝えてくる。
二人で慎重に離れへ向かって歩き出した。
近付いていくと見張りの兵が何人もいて、離れの周りも巡回している兵がいるみたいだ。
こんなに警戒して母さんを閉じ込める理由って何だろう。
離れの中には母さんしかいないらしいから、中に入ってしまえばもう見つかる心配はない。
どうやって中へ入るかはセレスに考えがあるらしい。
だからそっちは任せて、気付かれないよう集中して注意する。
―――二年ぶりだ。
母さん、元気かな。
どうしているかな。
村を出てから一年かけて、やっと辿り着いたよ。
もうすぐ行くから待っていて。
本年度の更新はここまでです。
一年お付き合いいただき有難うございました。
来年も引き続きよろしくお願い致します。




