薬師 リュゲル視点
目付け役のソフィアから薬師の話を聞いて数日経った。
廊下を歩いていると、向こうから来る人物と目が合う。
「おお、リュゲルよ」
「叔父上」
サネウだ。
従者を引き連れ、鷹揚な雰囲気を醸している。
この男は声も態度もやたらと大きい。周囲に対して示威的に振舞い、自分の権力を無暗に主張しているかのようだ。
恐らくそれは劣等感や卑屈さの裏返しだろう。
俺の記憶にある彼は、目付きがきつい武骨な印象の青年だった。
年齢を重ねて相応の狡猾さを身に着けたのだろうが、むしろあの頃より衰えたというか、気概のようなものが抜け落ちてしまった感がある。
「久しいな、城にいてもなかなか会わんものだ」
「そうですね」
セーラスムヌ城は広大だ。
全体の敷地面積はおよそ一千万平方メートルほど、移動に馬車を使うこともある。
敷地内にある建造物は、賓客を迎える象徴である正宮と、主に王族の寝所がある桂宮、他に離宮が幾つか、加えてエノア教の聖地とされるエノア様の墓所、静謐の塔。
正宮の左右にそれぞれ王庭近衛兵団と騎士団本部が置かれている。
この騎士団本部は主に城内の警備を行う者達だ。城下には別に騎士団が配備されている。
軍を統括する立場にあるサネウは、大抵どちらかの本部にいるようだ。
俺が拠点にしているのは桂宮。
だからこうして何日も遭遇しないことくらい当然起こり得る。
実際、宰相であるもう一人の叔父、ランペーテの姿もほぼ見かけない。陛下である叔母上は前に顔合わせの晩餐会でお会いしたきりだ。
「何処へ行くところだ?」
「王庭近衛兵団長と手合わせをしに道場へ向かう途中です」
「ほう、近頃随分懇意にしていると聞き及んでいるぞ」
「彼の剣には習うところが多く、故に多忙な中、無理を言って相手を頼んでおります」
「ふん、お前もなかなかの使い手と聞いているが、ではリュゲルよ、お前と近衛兵団長、どちらの腕が上であるか?」
「数多の責任と命を預かる近衛兵団長に、俺如きが敵うはずもありません」
フハハ! とサネウは声高に笑う。
「喰えん奴だリュゲルよ、あの幼子がこのように育つとは、やはり血は争えんな!」
そして探るように俺を見る。
「随分と精力的に動き回っているようだが、何か理由でもあるのか?」
「はい」
「ほう? 俺が力になってやれるかもしれん、詳しく話してみろ」
抜け抜けとよく言う。
こちらも「有難うございます」と丁寧に礼を返す。
「なにぶん俺は長く王族の役割より離れていたため現状を知らず、故に今は自身の在り様を模索している最中にございます」
「ふむ、殊勝な心掛けだ、しかしお前の立場では成せることなど何もなかろう?」
「仰るとおりです、しかし俺は、次期国王である妹の役に立ちたいのです」
サネウがスッと真顔になる。
やはりハルの存在を意識しているな。
俺に対しても警戒しているに違いない。
なにせ俺達はこれまで、東のノイクス、南のベティアス、西の商業連合と、この男が絡む企てを悉く潰してきたのだから。
「殿下におかれては、現在王として知るべき多くを学ばれている最中と伺っている」
「はい、ですので私も兄として恥じることのないよう、心身を鍛え、日々学びを深めております」
「いじらしいことだ、いずれお前も妹に仕えねばならぬ立場、兄としての威厳を保つため足掻いているのだな」
はッ、笑える。
その程度の了見でしか物を見ることが出来ないお前に、俺の真意など一生理解できるわけがない。
「なるほどよく分かった、献身結構、お前は兄の鏡だな」
「恐れ入ります」
「今後も妹のために精々励むといい」
「はい」
「リュゲルよ、お前を軍の会議に参加させてやろう、国防の何たるかを実際に知ることが出来るぞ」
「それは願ってもないこと、感謝いたします」
「うむ、どうやら俺は思い違いをしていたようだ、今後何かあれば気兼ねなく頼れ、可愛い甥のために一肌脱いでやろう」
「有難うございます、サネウ叔父上」
俺の肩をポンと叩いて「ではな」とサネウは歩き出す。
従者と共に去っていく姿を一礼して見送り、俺もまた前へ向き直って目的の道場へ向かう。
恐らくは親近感というやつだ。
サネウの目に、俺は兄としての尊厳を奪われまいと必死で足掻く、何の力もない哀れな男として映ったのだろう。
―――ふふ、呆れる。
了見の狭い奴はどこまでいっても自身の想像の域を抜け出せない、哀れだな。
だが軍の会議に参加できることになったのは思いがけない収穫だ。
ロゼから内情はあらかた聞いているが、それでもやはり自分の目で見て、耳で聞いて得た情報というのは価値がある。
俺と敵対するより身内に取り込んだ方が得策だと考えたのだろう。
境遇が似ている者同士、付け込む隙があると踏んだのかもしれない。
まあ、暫く適当に合わせておくか。
奴はいずれボロを出す、その時に必要であれば一気に叩いてしまえばいい。
ふと廊下の先にまた人影を見つけた。
くすんだ金の長い髪、前髪の下から覗く昏い色の瞳。
―――背筋をぞわりと怖気が這いのぼる。
「ごきげんよう」
その人物は柔和に微笑み会釈した。
俺も、努めて平静を装い「やあ、貴殿はどなたか?」と友好的に返す。
「これは失礼いたしました、お初にお目にかかります、次期国王ハルルーフェ殿下の兄君、リュゲル様」
慇懃な振る舞い、物腰は穏やかだ。
しかしその佇まいが醸す異様な雰囲気は隠しきれない。
巧妙に偽装しているようだから、恐らく大抵の奴には気付かれないだろうが。
「私は、この度陛下の専属薬師の命を賜りました、レパトーラと申します」
まさか向こうから接触を図ってくるとは思わなかった。
周辺から探りを入れるつもりだったが予定変更だ。
―――エノア教の聖地でもあるこの城へ入り込み、狡猾に王族へ取り入った異分子。
砂漠でハル達を襲ったのはこいつが放った思念体だとロゼが話していた。
サネウやランペーテの裏で暗躍する影。
魔人レパトーラ。
「貴方か、話は伺っている」
「恐れ入ります」
レパトーラは何食わぬ様子でニコリと笑う。
「先代の重要なお役目を引き継ぎ、誠心誠意励もうと思っております、以後お見知りおきください」
「ああ、ご苦労」
「貴方に一度お会いしたいと思っておりました」
「それは何故だ」
俺は普通に話せているだろうか。
背中にびっしりと嫌な汗が滲んでいる。
気を抜くと体自体が震えだしてしまいそうだ。
何故俺の前に現れた、その気になればこちらから接触を図ろうとしても身を隠し続けるくらい可能なはず。
一体、何の目的でここにいる。
「貴方は特殊な『ヒト』ですので」
レパトーラの暗い目の奥で怪しげな気配が蠢く。
「しかし実際にお会いして分かりました、どうやら私が貴方に関わる必要はないようです」
「言葉の意味が分からないんだが」
「ああ、すみません、なにぶん不慣れで、リュゲル様はご健勝そうですので薬の類は無用かと存じたのです」
「なるほど、確かに長いこと風邪もひいていない、君の世話になる機会はないだろうな」
「何よりです」
こんなものは上辺の会話だが、関わりたくないのは本心だ。
しかし、いずれこいつは排除しなければ。
向こうも今はまだ様子を窺っているのだろう。
「ではリュゲル様、私はこれにて失礼させていただきます」
「ああ」
会釈をして俺の脇をすり抜け、レパトーラは歩き去っていく。
その姿が完全に見えなくなるまで目で追い、大きく息を吐いた。
ドッと疲労感が押し寄せる。掌にも握り締めた爪の跡がくっきり残ってしまった。
あの魔人、そして叔父達。
奴らの思惑はそれぞれ異なるようだが、向かう先は等しくこのエルグラートの危機に繋がっている。
建国して長いこの国で、過去に内乱があった記録なども残っているが、今回に至っては恐らく前例のない事態に陥るだろう。
その理由の一つはあの魔人。
実際会って分かったがレパトーラは異質だ。奴はこれまで遭遇した魔人達と明らかに違う。
だが魔人である以上、同様に自身の存在を証明したい欲を持っているはずだ。
そのために何をしようとしている?
サネウ、ランペーテを利用して、叶えたい望みは何だ?
それはいずれ知れる。
だが手をこまねいて待っているわけにはいかない。
こちらも早急に対策を講じておかなければ。
何であろうとこの国を、ハルを脅かすものは容赦しない。
いずれ―――全て排除してやる。




