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誰が為の学び

授業は毎日、午前と午後に別れて二教科ずつ。

週末に授業はないけれど、代わりに王宮での礼儀作法、社交のやり方、名前を知っておくべき方々のことや、ほか諸々の授業では教わらないことをみっちり詰め込まれることになっている。

うーっ!

ティーネが「覚悟なさい、舞踏会まで休む暇はないわよ」だって、そんなあ。


舞踏会は私のお披露目を兼ねている。

だから、招かれた方々は私がどういう人物で、果たして王の器に相応しいか、言い方が悪いけれど『品定め』をしに来るらしい。

継承権を持っているだけでは次の王として認められない。

それは当然だと思う。

でも、認めて欲しいとも思わない。

私は王になりたくない。

継承権を持つのはただ一人だけど、その人が権利を放棄すれば、別の資格を持つ誰かへ権利が移る。母さんがそうだったように。

それでも周りからこうして期待を掛けられるほど、段々と逃げ道を塞がれていくみたいだ。

勉強は頑張るよ。

だって自分のためだけじゃない、信じてくれる皆のためにも必要だから。

至らない私が嘲られるだけでは済まないんだ。それは分かってる。


―――でも、私にこの国全ての責任を負うなんてできない。

王位は継げないよ、荷が重過ぎる。

もしも耐え切れなくなって潰れたら、国の柱が壊れたら、大勢を苦しめることになってしまう。

この国そのものを狂わせてしまうかもしれない。

そんなの、想像するだけで怖いよ。

不安だらけの王に国も民も導けるわけがない。私は王に向いていないんだ。


「気分転換に、昼食は庭でいただきましょうか」


ようやく午前の授業が終わった。

容量の限界を超えて頭から煙が出ている私を、ティーネが気を遣ってくれる。

うう、有難う。

セレスも隣で「よく頑張ったなハルちゃん、さあ! 美味しいものでも食べて、午後も元気に頑張ろう!」って笑顔で励ましてくれる。

姿は見えないけれど、首の辺りにフワフワの羽を摺り寄せてくれているのはモコだ。

皆が一緒にいてくれてよかった。

もし私一人で授業を受けていたら、今日はまだ初日だけど、とっくに音を上げていたよ。


「文学って意外に難しいんだね」

「そうかもしれないな、だが理解力や読解力の訓練になる、文章は何であれ読み解く力がなければ得られた情報を有効に活用できないからな」

「ハルルーフェ様、こういった学びによって得た技術は日常の些細なこと、例えば娯楽小説を読むときにも役立ちますわよ、より深く内容を堪能できるのです」

「ああ、ティーネ嬢の言うとおりだ」

「確かにそうだね」

「ふふッ、宿題にされた作文、書き上げられましたら、添削いたしますわね」

「お願いするよティーネ」

「過去に最も感動した出来事についてか、ハルは何を書くことにしたんだ?」

「それは―――」


旅の間にあった出来事。

一番はロゼが本当のことを話してくれた時だけど、流石にそれは書けないから。


「初めて海を見たこと」

「海かぁ」

「まあ、素敵ですわね」


有難うティーネ。

そういえば、ティーネは海を見たことあるんだろうか。


「いいえ、まだございませんの」

「だったらいつか皆でまた海へ行こう!」


私の肩の辺りで「やったー」とモコの声が小さく聞こえた。

セレスにも聞こえたらしい、ニコッと笑い返してくる。


「海は広くて大きいぞ、なあ、ハルルーフェ」

「うん、それにすごく綺麗だよ、海には色々な種類の魚がいて、カニもいて、海賊船もあってね」

「海賊船?」


おっといけない、この話はまた後で。

とにかく見たことのないものだらけだったって説明する。

ティーネは楽しそうに聞いていた。

話し終わる頃に辿り着いた庭の東屋で、昼食をいただく。

周りに爽やかな香りのハーブがたくさん植えられた素敵な場所だ、緑の香りを孕んだ空気が心地いい。


「王宮の庭は広いからな、私でも多分まだ知らない場所がある」


庭をぐるっと見渡してセレスが言う。


「だがもし迷子になったとしても、あのエノア様の塔を目指せば大丈夫だ」

「大きいよね、こんなに離れていてもまだ上の方はよく見えないよ」

「垣根の向こうに城も見えますけれど、そちらより遥かに高いですものね、確かにあの塔を目指せば迷いませんわね」

「ああ、なにせ私が迷子になった時の体験談だからな」


セレスは庭で迷子になったことがあるんだ。

ティーネも「まあ」って口元に手を当ててクスクス笑う。


「小さかった頃の話さ、歩きまわっているうち迷子になって、どうにかエノア様の塔まで辿り着いて泣いていたら、ばあやが迎えに来てくれたんだ」

「ばあや?」

「乳母だよ、君の母上、オリーネ姉上のことも育てた、私を含めた兄姉全員が世話になった女性さ」


そうなんだ!


「マール様でいらっしゃいますわね」


ティーネが頷く。

知ってるの?


「先代様の信頼厚い御方ですわ、最近になり呼び戻されて、少し前までオリーネ様のお世話をなさっておられましたけれど」

「ああ」


セレスが俯いて溜息を吐く。


「姉上の傍仕えの役目を解かれ、また暇を出されたそうだ」

「ご一緒に仕えていた方も城付きの使用人に戻されております」


そうだったね。

母さんは今、孤立させられているんだ。私も昨日会えなかった。


「どんな方だったの?」


尋ねたら、セレスは顔を上げて微笑む。


「大らかで愛情深い方だ、迷子の私を見つけた時も抱きしめて泣きながら、少し叱られたよ」

「なんて?」

「貴方はいなくなっていい存在ではありません、とね」


思わず言葉に詰まる。

セレスがどうして迷子になったのか、乳母がセレスにそう言った理由、状況が何となく分かる。

ティーネも無言でお茶を飲む。


「昔の話さ」


そう言ってセレスは気まずそうに頭を掻いた。


「とにかく、マールは私にとってもう一人の母のような存在だ、きっとオリーネ姉上も同じじゃないかな、パイを焼くのが上手いんだ」

「どんなパイを焼くの?」

「何でも、だけど、そうだな、マールが焼いてくれたリンゴのパイは絶品だった」

「リンゴ!」

「ぜっぴん!」


私の手元でこっそりパンを啄んでいた食いしん坊が声を上げる。

思わず皆で一緒に笑う。

私もいつかマールさんが焼いたリンゴのパイを食べてみたいよ。


午後の授業の時間が近付いて、昼食も済んだから場所を移動する。

舞踏会まで毎日こうかと思うと気が重い。

勉強は楽しいよ?

だけどついていくだけで精一杯だし、いずれ舞踏会でお披露目があるのかと思うと気持ちに余裕も持てない。

はあ、頭がはち切れそうだ。

悩みが多過ぎてどうにかなりそう、オーダーのオイルが作りたいよ。


午後の授業もやっと終わって部屋へ戻る途中。

―――あっ、シフォノだ。

今度は廊下に置かれた大きな壺の影からこっちを窺っている。

セレスがまた「シフォノ!」と呼び掛けると、やっぱり遠目にも分かるくらいビクッと震えてから、ぎこちなく歩いてきた。

手と足が同時に出てる。


「お、叔父上ッ、そして殿下、またお会いできて光栄です」

「何を言っている、そこにある壺の影で待ち伏せていただろうが、午前も急に駆け出して姿をくらませるし」

「そッ、その節は大変失礼いたしました!」


シフォノは腰をほぼ直角に曲げて頭を下げる。

謝る時まで姿勢がいい。


「で?」


セレスが尋ねる。


「お前、またティリーア嬢か?」

「どぅわぁッ!」


今度は仰け反るシフォノを見て、セレスはため息を吐く。

顔が真っ赤だ。

もしかしてと思っていたけれど、シフォノってやっぱりティーネのことが好き?

でも前から知っていた様子はなかったから、今朝見かけたとき好きになったのかな。一目惚れ?


「あら」


名前が出たティーネが口元に手を当てる。


「違う!」


シフォノが大声で否定した。


「そそッ、そッ、そそそそそそんなわけあるか! 僕はッ! また君に会いたかったとか! 遠目に見惚れていたなんてことはけっしてないッ!」

「まあ」

「違うと言っているだろう! 君があまりに美しくて目が離せなかったなんてことは絶対ないからなッ、可愛いだなんて少しも思っていないからな!」

「存じておりましてよ」

「ち、違う! 何を言っているんだ、そうじゃないッ、今のは嘘だッ、いや! う、噓ではなくて、そうじゃなくて、僕はッ」


今度は泣き出しそうな顔で必死に訴えだす。何だかシフォノは自分でも訳が分からなくなっている雰囲気だ。

じっと見つめているティーネに気付くと、目を逸らして唇を噛みしめる。

そこまで様子を見ていたセレスが溜息を吐いた。


「シフォノ」

「おッ、叔父上ぇッ、僕はッ、僕はぁッ!」

「もういい、少し二人で話をしよう」

「叔父上ッ!」

「分かったから、少し待て」


そう言って今度は私とティーネに「すまないが」と謝ってくる。


「そういうわけで、私はここで失礼させてもらう、ティーネ嬢、ハルルーフェをくれぐれも頼む」

「承知いたしました」

「ハル、また後ほど、夕食の席で会おう」

「はい」


私に近付いて、耳元でこっそり「ごめんよ」と囁いてから、セレスはシフォノを連れて行ってしまう。

途中でシフォノは何度も振り返っていたけれど、ティーネが手を振ったらまたビクッと震えて、それきりこっちを向かなくなった。


「私達も部屋へ戻りましょう」

「う、うん」


大丈夫かな。

それにしてもシフォノ、ティーネのことがすごく好きみたいだ。

やっぱり一目惚れかな、でもその気持ち分かるよ。

だってティーネは美人だから、淑やかで所作も綺麗だし、好きになるのは当然だ。


私の部屋に戻ると、ティーネがお茶を淹れてくれる。

姿を現してポンッと人になったモコと三人でそのお茶をいただいた。


「おいしー」

「フフ、お口に合って何よりだわ」

「今日は疲れたよ」

「あらハル、まだ初日よ、音を上げるには早過ぎるわ」

「でもさ、勉強って大変だよね、憶えることばっかりで」

「いくら泣き言を言ったところで、貴方を知らない方々は、貴方の事情に配慮なんてしてくれません」

「分かってるよ、分かってるけどさ」


知識と教養は身を守る盾であり鎧だ。

ずっと前に母さんがそう言っていた、言葉は剣にもなるって。

手持ちの武器や防具を改めて鍛え直して、三週間後に待っている舞踏会で大勢と渡り合わなくちゃならない。

そのために家庭教師の方々から色々なことを教わっている。

分かっているんだけどさ。


「そうね」


ティーネがお茶を一口飲んで笑う。


「ハルにはもちろん頑張ってもらわないとだけど、私達も貴方を支えましょう、そのために傍にいるのだから」

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