塔の麓にて 1
エノア様の墓所、静謐の塔。
近付くほどに見上げるような高さで圧倒される。
たくさんのツル性植物と苔に覆われた緑の壁面は、まるで大きな樹の幹みたいだ。
「ここまで来ると上の方はよく見えないね」
「そうだな、まさに天を突くが如くといった様相だ」
立ち止まってリューと一緒に見あげる。
本当に大きい。
それと、この辺りは落ち着くような、懐かしいような、不思議な感じがする。
どうしてだろう。
初めて来た場所なのに知っているような、さっきからずっと胸がざわつく。
「この辺りは干渉を受けていないようだな」
「そうだね」
リューも気付いていた。
塔に近付くほど魔力の淀みは薄れていって、この辺りはもう一切感じない。
エノア様が眠る聖地には、流石に魔人も手出しできるわけがないよね。
「はる、ここ、きもちいーね」
肩の辺りから声がした。
皆も気付いて、モコがいるのかって訊いてくる。
「いるよ、見えないけど」
「すごいな、全然分からないぞ、肩の辺りだよな?」
「そうだよ」
「流石ねえ、驚いたわ」
「輪郭程度は何となく掴めるか、しかしこの短期間でそこまで掴めるとは、偉いぞモコ」
「えへへ、ぼく、もっとがんばる」
きっと今は褒められて得意そうに胸を張っているね。
私も応援しているよ、頑張れ、モコ。
モコが自分以外も隠せるようになってくれたら、周りを気にせず城内の色々なところへ行けそうだ。
「ねえ、セレスが小さい頃よく遊んでいた場所って、この辺り?」
「そうだ、もう少し先へ行くと温室、それから離れがある」
母さんが今、閉じ込められている離れ。
会いたい、会えるかな、母さん。
不意に視界が開けた。
この辺りは多分、花畑だ。
時季じゃないから花は咲いていないけれど、見頃になれば辺り一面を花が埋め尽くす楽園みたいな光景が広がるだろう。
「わあ、素敵な場所だね」
「花の頃はもっと素敵だよ、ここで花冠を作ったこともある」
「いいね、一緒に作ろうよ」
「ああ、喜んで」
セレスと笑い合う。
その時は兄さん達、ティーネも一緒に、皆で花冠を作りたい。
勿論、母さんも。
―――母さん。
向こうに建物が見えてきた。
ガラスで出来ている方は温室だろう。
それなら、その奥の大きな屋敷。
あれがきっと離れだ。あそこに母さんがいる。
「皆様、お待ちを」
不意に呼び止められて立ち止まると、鎧を着た兵が二人、こっちへ歩いてきた。
「この先へは参られません、申し訳ございませんが、どうかお引き取りください」
「彼女はオリーネ姉上のご息女、次期王位継承者のハルルーフェ殿下であられる、娘が母に会いに来たのだ、阻む道理があるというのか」
セレスが兵達に言ってくれる。
でも兵達は改まって畏まりながら「申し訳ございません」と繰り返す。
「陛下より直々の命にございます、この先へは何人たりとも通してはならぬと申し付けられております」
「そこに親子は含まれまい、咎なら私が受けよう、通せ」
「斯様に申されましても、私どもの一存で決められることではございません、であればどうか陛下のお許しを得られてから来られますよう、お願い申し上げます」
不意に「セレス殿」とリューがセレスの肩に手を置いた。
「お心遣い痛み入ります、ですが、陛下の命ならば下がりましょう」
「リュゲル」
「お前達も務めあってのことだ、私と妹が母に会うことを阻みたいわけではあるまい、その意を汲もう」
兵達は頷くと、下がって首を垂れる。
「まいりましょう、セレス殿、ハルルーフェも行こう」
「はい、お兄様」
「そうか、分かった」
やっぱり会えないのか。
母さん、今どうしているだろう。元気かな、寂しくなっていないかな。
こんなに近くにいるのに、声さえ聞けないなんて。
城へ戻るのかと思ったけれど、リューは静謐の塔の方へ歩いていく。
このまま散歩でもするつもりなのかな。
「ハル、セレス」
「え、なに、兄さん」
「ロゼがいる、向こうで俺たちを待っている」
えっとセレスが声を上げる。
「待ってリュゲル、それはどういうことかしら」
ティーネは戸惑っている。
「ロゼはお父様のところへ行ったのではないの?」
「君に説明しておかなければならない、あいつのこと、さっきハルが咲かせた花のことも」
そうだね。
ティーネには全部話して、知っていてもらわないと。
協力を仰ぐつもりまでは無いけれど、きっと心配をかけてしまう。でも事情を知っていたら少しは安心してもらえるかもしれない。
―――あれ?
静謐の塔の麓まで来て、気になるものを見つけた。
花だ。
見慣れない、ううん、この花を知っている。
エノア様の花、愛で咲くポータス!
こっちは声で咲くトゥエア、そして温もりで咲くヴァティー!
え、でも、これは少し違う?
違うけど同じ、どうしてこの花が咲いているんだろう。
ここがエノア様の墓所だからなのかな。
「何故だ」
「え?」
「初めて見るぞ、ここにこんな花が咲いたことはなかった、それにこれは、君が咲かせるエノア様の花じゃないか」
セレスも驚いている。
―――不意に、目の前に羽根が落ちてきた。
白くて先だけ鮮やかな赤色の羽。
空から羽ばたきが聞こえて、見上げると大きな影が舞い降りる。
「やあ」
リューが差し出す腕にとまって、鳥の姿のロゼは翼を畳んだ。
「愛しい僕のハルルーフェ、そして愛しい僕のリュゲル、君達は今日もとても愛らしい、昼をすっかり過ぎてしまっているが、おはよう、君達の頼れるお兄ちゃんが来たよ」
「ロゼ兄さん!」
「し、師匠!」
思いがけず白くてフカフカな姿に気を取られて、すぐハッと振り返った。
ティーネ。
ポカンとしたまま固まってる。
両目をまん丸く見開いて、こんなに驚くティーネを見たのは初めてかもしれない。
「やあ、息災な様で何より」
ロゼがティーネに話しかける。
「あ、貴方、ロゼなの? その姿は一体」
「君の疑問はもっともだ、しかし僕より、僕の可愛い弟と妹の方が説明には向いている、そういうことで頼んだよ、リュー、ハル」
「お前なあ」
リューは鳥の姿のロゼの頭を指で軽くつつく。
今の姿だと普段みたいに叩いたりしないのか。まあ、それはそうだよね。
「ティーネ、今から話す内容は他言無用だ、君を信用して明かす、前置きして済まないが分かって欲しい」
「構わないわ、だけど今とても混乱しているの、なるべく詳細に聞かせて」
「それじゃ話そう―――ロゼ」
リューに呼ばれたロゼが翼を広げる。
同時に私達をロゼの魔力が包み込む。
すごい、流石にティーネとセレスも気付いたみたいだ。
認識阻害、気配と音の遮断、これで周りからは私達がどこにいて、何を話しているか、まったく分からない。
こんな高度な術を、詠唱もなく、呪文さえ唱えずに展開できるなんて、ロゼはやっぱりすごい!
「ししょーすごい! うつくし!」
私の肩の辺りからモコが羽ばたきながら現れて、ポンッと人の姿に変わる。
「これ、ぼくもできるようになる!」
「ならば早く習得しろ、お前は口では励むと言いながら、いまだに領域の拡張展開すらできていない」
「ううっ」
「要領が悪い、僕に倣え、お前は稀な機会に遭遇している、努力以上に価値あるものだ」
「はい、ししょー」
「フン」
またリューが「こら」ってロゼをつつく。
見慣れたいつものやり取りだけど、ティーネだけついてきていない。そろそろ気絶しそうな雰囲気だ。
兄さん、早く説明してあげようよ。
「待たせてすまない、それでは話そう」
「え、ええ、お願いするわ」
ティーネは額を押さえるようにして頷く。
―――手紙やハガキには書けなかったこと。
旅に出てからあった色々な出来事、そして、ロゼのこと。
私が授かったエノア様の種子と、その種子が咲かせる花のこと。
粉のこと。
サネウ様の企み。
主にリューが話して、時々私も話して、セレスが補足してくれる。
「そう」
全部聞き終えると、ティーネはそれだけ呟いて黙った。
まだ理解が追いつかないんだろう。
私もいまだにどうしてこうなったのか戸惑うことがある。
ただ母さんに会うために、それとモコをラタミルの領域へ帰すために、旅に出ただけだったのに。
「ねえ、ティーネ」
「ハル」
ティーネが私の肩にそっと手を置く。
「大変だったのね」
「えっ」
「傍にいて、貴方の支えになれなかったことが、改めて悔しい」
そんなことないよ!
ティーネはいつも私の傍にいてくれた、いつだって支えになってくれたよ。
離れていたって、忘れたことなんてなかった。
旅の間も何度も思い出したよ、今どうしているかな、元気にしているかなって、いつも気持ちは繋がっていた。
「違うよ、ティーネはいつもいてくれたよ」
「ハル」
「ベリュメアだって贈ってくれたじゃない、私の宝物だよ、ティーネは私の支えだよ」
「ええ」
「私も」ってティーネは微笑む。
「有難う、ハル」
「うん」
「リューも、王子も、お話有難うございます、まだ戸惑っているけれど、おおよそ理解は出来ましたわ」
「ティーネ」
呼んだリューにティーネは頷き返して、スカートを摘んで丁寧に礼をする。
「改めて、微力ながら私も皆様にお力添えいたします、何なりとお申し付けください」
「助かるが、無茶はしないでくれ、君に何かあればハルも俺も辛い」
「有難うリュー、心掛けるわ」
「流石ハルちゃんの親友だな、今の話をこうもすんなり受け入れるとは」
「あら」
感心するセレスに、ティーネはクスッと笑う。
「私、始めから覚悟はできておりましてよ? ハルの力になるためには、友として在るだけでは不足ですもの」
「そうか」
「この細腕では剣にはなれません、ですから、私はハルの盾になりましょう」
「ティーネ」
そんな覚悟しなくていいよ。
守るなら私がティーネを守る。絶対誰にも傷つけさせたりしない。
「ふふ、これまでと何も変わらないわ、だって私、ハルより一つお姉さんですもの」
「うん」
「でも話してもらえて嬉しい、貴方たちとの間に秘密なんて持ちたくないわ、これで隠し事は一切なし、そうよね、ハル?」
「勿論だよティーネ!」
やっとお互い全部打ち明けられたんだ。
ティーネは本当の身分と役割のこと、私はこれまでにあったことや、エノア様から授かった種子のこと。
よかった。
大切な友達だから少しだって偽りたくない。
それに嘘は苦手なんだ。すぐ顔に出るって言われるし。
「だけど、何故ハルが選ばれたのかしら」
頬に手をあてながらティーネが呟く。
同感だよ。
王族でエノア様の血統だからとか、王位継承権を持っているからとか、それっぽく理由付けは出来ても、何となく違うような気もするんだよね。
「リューは咲かせられないの?」
「ああ、種子を受け取っていないからな、一度だけ試したことがあるが、何も起こらなかった」
「そうなの?」
リューはこっちを向いてちょっと笑う。
それから空いている方の手を前へ差し出して「フルースレーオー、花よ咲け、愛よ開け、ポータス」と唱えた。
―――何も起こらないね。
「ほら」
「うん」
「やはり種子を授かったお前しかあの花を咲かせられないんだ」
「そのネイドア湖の特殊な空間で、最初の種子をハルが授かったからなのかしら?」
尋ねたティーネに、リューは首を横に振って返す。
「いいや、少なくとも俺には何者の呼び声も聞こえなかった、選ばれたのはハルだ、そこには確かに誰かの意志が存在していると俺は思う」
「エノア様の意志、ということ?」
「ああ」
種子を預かっていた竜たちは、私を『待っていた』と言った。
名前を受け取って、種子を私に託すのが一つめの約束。
でも約束は二つあるらしい。
二つ目は何だろう?
エノア様は、いつか私が現れるって知っていたんだろうか。そんなことってあるのかな?
―――やっぱり、考えても全然分からない。そもそも花の目的からして不明だ。
あと二つの種子を集めたら何が起こるのさえ想像もつかないよ。
「だけど、こういう言い方はよくないけれど、なんだか嫌ね、ハルの何かを養分にして咲く花だなんて」
ティーネに見つめられる。
「そのせいで気を失ったり、倒れたりしたのでしょう?」
「うん、でも今は大分平気だよ、加護をたくさん貰ったし、旅でかなり体力もついたから」
「そういう話じゃないわ、ねえハル、お願いだから貴方こそ無理をしないでちょうだい」
すごく真剣な目だ。
私を心配してくれている。
「さっき、リューが私に何かあったら辛いと言ってくれたけれど、私も貴方やリュー、ロゼにだって、何かあったら辛いわ」
「ティーネ」
「ハルが慈悲深いことはよく知っている、だけど貴方の替えは利かないの、自分を削るような真似はなるべくしないで」
「分かった」
有難うティーネ。
私も本音は怖いよ、無理も無茶もしたくない。
でも私にしか出来ないことなら、その時はきっと約束を守れない。
ためらったり後ろを向いたりしたせいで後悔したくないから。
だから―――ごめん。




