緑の庭園
案内された部屋で、家庭教師の方々とお会いした。
女性に男性、人も獣人もいる。
それぞれ名前と担当教科を教えていただいてから、ティーネが一週間単位で学ぶ曜日と時間を説明してくれた。
基本的にはその予定に沿って学習するけれど、たまに変更もあるらしい。
打ち合わせが済むと、家庭教師の方々は帰っていった。
どなたも本職をお持ちで忙しい中、私のために時間を取ってくださるらしい。
有難いけれど、有難くないような、そこまでしてもらわなくていいんだけどな。
「ハル、先生方の前で気を遣うような顔をしてはダメよ、失礼だわ」
「え、そんな顔してた?」
「貴方は結構顔に出るの、今後は気をつけなさい」
「そうだな、ハルちゃんって割と分かりやすいぞ」
「うっ、分かったよ、気をつけます」
兄さん達からも言われる。
だけどそんなの自分じゃ分からないよ、無表情でいろってこと? 無理だ、努力はするけど、多分出来ない。
顔合わせは昼前に終わったから、別室に移って昼食をいただくことになった。
朝と同じでティーネも一緒。
モコもこっそり同席だ。
「ご相伴に預かり光栄にございます」
「君はハルルーフェの友だ、ならば私の友でもある、今後も気兼ねなく食事の席を共にしよう」
「はい、感謝いたします、セレス王子」
―――というやり取りを敢えて周りに見せて、今後はティーネも私達と一緒に食事をしても問題なくなった、らしい。
「私はこの城で生まれ育ったからな、今はまだ君より発言力がある」
「ハルもいずれはそうなるでしょうけれど、人心というものはすぐにはついてこないから」
「ああ、だが君ならすぐに受け入れられるよ、君は聡明で強い女性だからな」
「セレス様はハルのことを正しく評価されておられますわね」
「有難う、彼女はとても素敵な人だ、誰でも君や私と同じように彼女を好きになるだろう」
「ええ、同感です」
やめて、私の前でそういう話をしないで。
照れて緩む頬を手でムニムニしつつ、城って何かと大変だなあと思う。
なんでも許可が必要で、自由がない。
ここへ来てまだ一日しか経っていないのに、もう息が詰まりそうだよ。
昼食が済んで、まずリューの部屋を尋ねることにした。
兄さん今頃どうしているかな。
私と同じで家庭教師がついて、勉強することになったりしているかな。
「お兄様」
扉を叩いて呼びかけると、少ししてリューが覗いた。
「昼過ぎだが、おはよう」ってニッコリ笑う。
「おはよう、何をし、なさっておられたの?」
「そうだな、立ち話もなんだ、取り敢えず部屋に入ったらどうだ」
「はい、失礼いたします」
促されてリューの部屋に入る。
私の部屋と同じくらい広いけれど、置いてある家具や使われている色は何となく男の人っぽい雰囲気だ。
「エルグラートの記録を読んでおられたのですか」
セレスが卓の上に積まれたたくさんの本や紙束を見て言う。
「ああ、一通り目を通しておこうと思って、ざっと数十年分、記録庫から運ばせた」
「流石です、リュゲルさん」
「有難う、だがまだ情報が少なすぎる、持ち出し禁止の資料などはこれに目を通してから改めて読みに行こうと思っている」
「そうですね、必要でしたら私もご協力いたします」
「助かるよ」
すごいなあ、兄さん。
昨日からずっと戸惑ってグルグル悩んでばかりいる私とは大違いだ。
見習わないと。
「それよりハル、俺のところに来たってことは、これから庭の井戸に行くんだろ」
「え、あ! ええと、うん!」
多分昨日ロゼに聞いたんだろう。
でも今ロゼはいないことになっているから、ティーネの手前それは言えない。
リューはクスクス笑って「いいぞ、行こう」って私の頭を撫でる。
「なんで笑うの?」
「顔に出てる」
「え!」
「あらまあ、ハル、リューと一緒がそんなに嬉しいのかしら」
「それは、まあ、そうだけど」
ティーネと一緒にセレスまで笑わないでよ。
だって兄さんが傍にいてくれるのは嬉しいし、安心する。
ロゼもどこかで見守っていてくれるのかな。
「ではご案内します、ついてきてください」
セレスについて、リューの部屋を出て、庭園へ向かう。
辿り着くまでの間、廊下や通路で使用人を見かけるたび、立ち止まって頭を下げられた。
私達の姿が見えなくなるまで動いてはいけない決まりだそうだ。
変なの。
皆、仕事中だよね。
邪魔するみたいで気が引ける、こういうことにも慣れないといけないのかな。
仄かに外の匂いがする大きな扉を開くと、陽が差し込んだ。
わあ、庭だ!
青々と茂るたくさんの樹木や草、花も咲いて、どれもよく手入れが行き届いている。
ここ、好きだなあ。
採取はしたら駄目かな。
時季の花があちこちで咲いている、オーダーのオイルに使いたい。
風が気持ち良くて、外は魔力の淀みも薄い。
見上げた青空には白い雲が浮かんでいる。
「井戸はあの奥です、先に庭師小屋へ向かいましょう」
辺りに誰もいないから、セレスの口調と雰囲気もいつもの感じに戻ってる。
庭園の奥まで進むとツタが絡む門の先に家が一軒建っていた。
あれが小屋? そう呼ぶには大きいと思うんだけど。
「私だ、誰かいるか」
セレスが扉を叩くと、少しして白髪の男の人が中から出てきた。
背が高くて真面目そうな雰囲気の方だ。
「セレス様」
「いたか爺! 久しいな!」
「お戻りになられたと伺っておりました、セレス様もお変わりなく」
帽子を取って恭しく礼をする。
この人が庭師長らしい。
他に大勢いる庭師たちの統括を任されていて、王宮の庭で知らないことはないそうだ。
「爺、井戸を開けて欲しい」
「かしこまりました」
セレスが頼むと、庭師長は奥から鍵を取ってくる。
「お待たせいたしました、ではまいりましょう」
「ああ」
本当に理由も何も聞かないんだ。
セレスを信用しているんだね、何だかいいな。
「あの」
呼び掛けると庭師長が足を止める。
「なんでございましょう」
「その、ここのお庭ってとても素敵ですね、愛情込めて手入れをされている様子が伝わってきます、何だかホッとするようです」
じっと私を見つめて、庭師長は「有難き御言葉、恐れ入ります」と頭を下げる。
その皺だらけの手も土を愛している人の証だ。
植物と付き合っていくために何よりも必要なものは愛情、それと、忍耐。
鉢の花でも農園の苗でも変わらない、手塩にかけて育てれば植物は必ず応えてくれる。
「私、この庭が好きです」
風が緑の香りを運んでくる。
広くて明るくて、大地に根差すたくさんの生命の鼓動が聞こえてくるような、居心地のいい庭園。
何となくだけど村の周りにあった森を思い出す。
景色は全然違うけど、雰囲気というか、温もりというか、そういうのが少し似ているんだ。
ずっと向こうに見えるあの大きな塔はエノア様の墓所。
ここはエノア様の眠られている地でもあるから、植物も土も他より力を持っているのかもしれない。
「なんともお懐かしい」
「え?」
庭師長が目を細くする。
「貴方様がハルルーフェ様でいらっしゃいますな、御母上も同じことをこの爺に仰いました」
母さんが?
皺だらけの庭師長の顔が優しく微笑む。
「この庭はご自身の宝箱だと、そして私をその宝箱の番人と申しておられた」
「はい、私もそう思います」
ここは本当に宝箱みたいな場所だ。
そしてこの人はその番人、そう言った母さんの気持ちがよく分かる。
「恐れ多く」
深く頭を下げて、庭師長は「まいりましょう」とまた歩き出す。
母さんも好きだった庭。
離れはあの塔の近くにあるって聞いた、今頃どうしているだろう。
母さん、会いたいよ。
ここで用が済んだら行ってみよう。
話したいこと、訊きたいことも、数えきれないくらいある。
辿り着いた場所には、周囲をガラスで覆われた小屋があった。
ガラスには強化と保護の術が付与されている。
その温室みたいな小屋の中に井戸がある。
だけど想像していたような井戸じゃない、手押しのポンプを使って汲み上げる仕組みの井戸だ。
中は覗けないのかな。
「グラスを持ってまいります、鍵を開けておきますので、中でお待ちください」
「ああ、頼む」
「暫し失礼いたします」
扉の鍵を開けて、庭師長はどこかへグラスを取りに行く。
私達はガラスの小屋に入って、セレスがポンプの取っ手近くにある蓋の、持てるようになっている部分を掴んでグッと引き、パカッと開けた。
「ここから井戸の中を覗けるぞ」
「うん」
「ハル、少し待て」
リューが不意に口笛を吹く。
そうしたら―――小屋の周囲をロゼの魔力が覆った。
認識阻害だ、セレスとティーネは気付いていない。
「いいぞ」
「分かった」
蓋を開けた井戸の穴に手を翳す。
「フルースレーオー、花よ咲け、愛よ開け―――ポータス!」
私の掌からフワッと現れた紫の花が次々井戸へ落ちていく。
これで水を浄化できるんだよね。
どうか何事もなく、苦しむ人も獣人も現れませんように。この水で今まで取り込んでしまった毒も消せるかな。
「は、ハル、何をしたの?」
動揺しているティーネに、事情は後でちゃんと説明するって伝える。
だけど悪い事はしていない。
そう言ったら「そこは当然信じているわよ」って憤慨された。
えへへ、有難う、ティーネ。
やっとこれで一つ片付いた。
ロゼの魔力の気配も消える、兄さんも有難う。
セレスが持っていた井戸の蓋をゆっくり下ろして、音を立てないように閉じる。
どれくらいで効果が出るだろう、なるべく早いといいな。
「グラスをお持ちいたしました」
庭師長が戻ってきた。
早速セレスがポンプを動かして、グラスに水を注いでくれる。
「わぁ! 冷たくて美味しいね!」
「そうだろう? この井戸の水は絶品なんだ、気に入って貰えてよかった」
「確かにいい水だ、この庭も、俺も気に入ったよ」
「同感ですわね」
リューもティーネも楽しそう。
凄いな、この庭も、庭を守っている庭師長や庭師の方々も。
私は城の中でここが一番好きかもしれない。
「また来てもいいですか」
庭師長は「勿論」と頷いてくれる。
「いつでもお越しください、ハルルーフェ様のために、庭を整えお待ちいたしております」
「有難うございます!」
空になったグラスを引き受けてくれた庭師長にお礼を告げて、井戸を後にした。
整えられた緑の中を進んでいく。
少しずつ、少しずつ、エノア様の塔が近くなってくる。
「庭師長って素敵な方だね」
「ハハッ! 爺は他の庭師から『鬼』って呼ばれてるぞ、仕事に関して妥協を一切許さない職人気質な奴なんだ」
「そうなの?」
「でも君のことはすっかり気に入ったようだ、流石だな」
私が母さんに似ているからかな。
昨日も言われたけど、そこまで似ているのかな、母さんの方がずっと綺麗だよ。
「ねえ兄さん、私って母さんに似てるの?」
「そうだな、似てると思うが、ここなら母さんが小さかった頃の写真があるかもしれない」
「見たい!」
「探してもらおう、俺も見たい」
リューが笑う。
写真か、あるといいな。
それなら私と母さんが本当に似てるかどうか分かるかもしれない、なんてね。




