朝の談話
「ハルちゃん、ティーネ嬢にも今も話を伝えておくべきだろう」
「そうだね」
さっきは話しそびれたんだよね。
部屋を出て行ったセレスは、少ししてティーネと一緒に戻ってきた。
「話は済んだようね」
「うん、あのね、さっき言おうとしたことなんだけど、ティーネにも伝えておきたくて」
事情を説明するけど、エノア様の花のことはまだ伏せておく。
先に見せてから話した方が早く理解できるだろうって、セレスの提案だ。
「よく分からないのだけれど、とにかく大事な用があって庭園の井戸へ行くのね?」
「そう」
「分かったわ、私も付き合いましょう」
「有難う、ティーネ」
「それと、オリーネ様のことだけれど」
ティーネもセレスと同じように難しい顔をする。
どうして会えないんだろう。
二人は理由を知っているのかな。
「私も伝え聞いただけで詳しくは知らないのだけれど、オリーネ様に関しては陛下が直々に命じられているそうよ」
「そう」
「何故離れに引き留めているのか、お世話する者まで取り上げて半ば監禁同然の扱いをなさっているか、憶測程度は聞くけれど事実は不明だわ、知っている者もいないようね」
「憶測って?」
「例えば政治的な理由だとか、体面に関わるだとか、そういうことよ」
よく分からない。
母さんが王位継承権を放棄したことと関係があるのかな。
ティーネが「少し話しましょう」って扉の方へ向かう。
「朝食を運んでくるわ、今日はこの部屋でいただきましょう」
「あ、うん」
「待っていて」
部屋を出て行くティーネを見送って、待っている間にさっきの言葉を考えてみた。
母さんは陛下のご命令で離れに閉じ込められている。
それを母さんは『八つ当たり』って言っていたらしい。
つまり、陛下の八つ当たりってこと?
やっぱり母さんが王位継承権を放棄したからなのかな。
陛下は母さんに玉座を継いで欲しかったのかもしれない。
それはどうしてだろう。
母さんに国を導いて欲しかった?
それとも、自分が継ぎたくなかったから、とか。
お会いしてから一度も声すら聞かせていただいていない、私とリューのこともよく思っていないのかもしれない。
それも母さんが理由なんだろうか。
陛下は母さんに怒っているのかな。
「ハルちゃん」
顔を上げる。
そうだ、セレスに訊いてみよう。
「ねえセレス、陛下ってどういう方なの?」
「えっ、そうだな」
あ、だけどセレスは陛下に近付くことさえ許されなかったんだよね。
気にするかも、訊いたのはよくなかったかもしれない。
少し考えてセレスは「すまない、分からない」って首を振った。
「陛下、姉上に関して、以前話した以上のことは私の主観になってしまう」
「聞かせて」
「実際は違うかもしれないぞ?」
「いいよ、参考にするだけだから」
「分かった」
セレスは小さく息を吐いて「多分、優しい方だと思う」と言う。
「時折視線を感じるんだ、そんな時、大抵遠くにシェーロ姉上のお姿を見かけた、多分だが私を見ていたんだと思う」
「多分?」
「目が合ったことは一度もないからな、気のせいかもしれない、でもその視線は不快なんかじゃなく、むしろ見守られているようにさえ感じられるんだ」
思い出しながら話すセレスの口元は少しだけ微笑んでいる。
「でも、やっぱりこれはそうであって欲しいという俺の願望なのかもしれない」
「ううん、事実だと思うよ」
「え?」
「前にヴィクターが話してくれたよね」
以前の陛下は花のように嫋やかな方だったって。
母さんが好きで、後を追いかけて、よく笑っていたって、そう話していた。
「だからセレスの話も納得いくよ」
「そうかな」
「うん」
「そうか、うん、そうだな」
でも、そう考えるとやっぱり母さんを恨んでいるのかもしれない。
王位を自分に押し付けていなくなったって。
だから戻ってきた母さんに八つ当たりしているんだろうか。
閉じ込めて、二度とどこへも行かないように。
部屋の扉が叩かれた。
セレスが開けに行くと、ワゴンを押しながらティーネが入ってくる。
「待たせたわね、さあ、食事を頂きましょう」
「わーい! ぼくもごはん!」
飛んでいったモコがティーネの目の前でポンッと人の姿になった。
ティーネは赤い目を真ん丸に見開いて「まあ」って手で口元を押さえる。
「貴方、その姿って」
「うつくし?」
「え、ええ」
「えへへぇ、はねあるよ、ほら!」
モコは背中に小ぶりな翼を広げる。
部屋の中だから大きさを控えたんだろう、でも白く煌めく綺麗な翼だ。
ティーネは二、三歩後退りして、急に床に膝をつくとそのまま頭を下げる。
えっ、どうしたの?
「お、恐れ多くも、斯様な場所へのご降臨、お姿を拝する栄誉にあやかれましたこと、まこと僥倖の極みにございます」
「てぃーね?」
モコも戸惑ってる。
「ティーネ、気にしなくていいよ、モコだよ、ほら、ちょっと羽が生えてるだけだよ」
「うん、ぼくもこだよ、てぃーねおきて、なかよくしよ?」
恐る恐る顔を上げたティーネは、ほうっと息を吐く。
ゆっくり立つと「まったくもう」って長い耳を何度も撫でつけた。
「ちょっと羽が生えているだけ、なんて、貴方でもなければ言えないわ」
「そうかな」
「羊や小鳥の姿ならともかく、このお姿は紛れもなくラタミル様よ、恐れ多いわ、それなのに貴方たちときたら、もう」
モコが翼を消す。
ティーネを見上げながら首を傾げて「なかよくしよ?」って繰り返した。
「てぃーね、らたみるいや?」
「いいえ、逆よ、取り乱してごめんなさい、貴方のことは好きよ」
「うん! ぼくもてぃーねすき!」
「有難う」
「えへへ! てぃーねとぼく、なかよし!」
「そうね、恐れ多いけれど」
はしゃぐモコに、ティーネはクスクス笑う。
「それにしても大きな眼鏡ね」
「これ、ししょーがくれた」
「師匠?」
「うん! ししょーすごい! ぼく、そんけーしてる」
「あらあら」
わ、ダメだよモコ、まだロゼのことは話さないで。
ロセに教えていいか聞いていないし、知ったらティーネは今度こそ腰を抜かすかもしれない。
ハラハラしていたら、セレスが「それは認識阻害の眼鏡だそうだ」って横から二人に話しかける。
「モコちゃんはラタミルの中でも稀な力を持っていて、その眼鏡が無いと周囲を魅了してしまう」
「まあ」
「だから眼鏡越しでも目をあまり直視しない方がいい、君も取り込まれるかもしれない」
「そうなのね、少し怖いわ、貴方って本当にラタミル様なのね」
「ぼくこわくないよ」
「ええ、勿論よ、分かっているわ」
話が反れた、よかった。
有難うセレス。
改めてワゴンの料理を卓へ移して、四人で朝食をいただく。
昨日の晩餐よりもずっと楽しいし美味しい。何を食べているか、味だってちゃんと分る。
「ハル、朝食が済んだら早速家庭教師の方々と顔合わせよ、今後の予定と教育方針についても話し合って決めましょう、そのつもりでいてね」
「うっ」
「そんな顔しないの、貴方は姫よ、自覚を持ちなさい」
「だけどガラじゃないよ」
「貴方が望む、望まないに関わらず、貴方には王族の血が流れている、誰も望んだとおりに生まれることなんてできない、分かるでしょう」
うん、そうだね。
旅の間にそういう人を何人も見たよ。
王族のセレスはご兄姉から冷たくされて、視察って名目で城を出されていたし、里長の娘に生まれて跡を継いだサフィーニャも大変そうだった。
ベルテナだって、グレマーニの娘に生まれなければもっと違う未来があったかもしれない。
ティーネもそうだ。レブナント公の娘に生まれたから、こうして私の傍にいてくれる。
「ハル、貴方はいずれ王位を継ぐ、貴方が次の、この国の王なのよ」
ティーネの言葉に胸がドクリと震えた。
王なんて、玉座なんて、私には荷が重い。
国を統治する? 民を導く?
そんなことできないよ。
「でもね、忘れないで欲しいの、貴方は独りじゃない」
「えっ」
「私がいるでしょう? 貴方のお兄様方だっている、それにセレス王子も貴方の味方よ、そうですわよね?」
「無論」
セレスが深く頷く。
それを見てティーネはフフっと笑う。
「モコもいるわ、ラタミル様が付いていてくださるなんて、これ以上なく心強いでしょう?」
「うん! ぼく、はるすき! ずっといっしょ」
「だから不安にならなくていいの、王を支えるのは私達の務め、だから貴方は前だけを向いていればいい」
「うん」
そうだね、私は独りじゃない。
玉座のことは取り敢えず置いておこう、今はそれよりもっと考えないとならないことがある。
獣人を、人を、狂わせる粉。
そしてサネウ様の企みと魔人、今度こそ被害が出る前に食い止めるんだ。
あとは、母さんに会う。
今はとにかく話が聞きたい。
自分のことは全部片付いてからでいい。それからじっくり考えよう。
「あの、さ」
セレスが私とティーネを窺うようにしながら口を開いた。
「私も、その、ハルちゃんと一緒に授業を受けて構わないかな」
「え?」
「あら」
「ま、学び直しは大事だろう? 学問に関してやり過ぎるってことはない、それに新たな見地を得られるかもしれない! 多少なりともハルちゃんの助けになれたらと思ったんだが、どうかな?」
うん、私は大歓迎だよ!
だけどいいのかな?
ティーネを見ると、ティーネもこっちを見て長い耳をピンピンと跳ねさせる。
「ハル、どうするの?」
「えっ」
「貴方が決めなさい」
「だ、だったらお願いしたい、セレスと一緒がいい!」
「ハルちゃん!」
「分かったわ、ではそう致しましょう、セレス王子、よろしくお願い致します」
「任せてくれ!」
よかった、セレスも一緒だ。
不意に「ぼくも!」ってモコが膝の上に飛び乗ってくる。
「モコも傍にいてくれるんでしょ?」
「うん!」
「それなら一緒に勉強できるね、でも気付かれたら駄目だよ?」
「はーい!」
皆のおかげで楽しく勉強できそうだよ。
有難う。よし、頑張るぞ!
「―――では、そろそろ片付けて、支度を始めましょうか」
片付けた食器を乗せたワゴンを、またティーネが押して部屋を出て行く。
手伝おうとしたら「なりません」って断られた。
ティーネが出て行った後で、セレスが、私が手伝うとティーネが叱られてしまうんだと教えてくれる。
「どうして?」
「王族の仕事ではないからだ、たとえ君が彼女を庇っても、周りは彼女の非を責めるだろう」
「そんな」
「ハルちゃん、王族も含めてこの城にいる者たちはそれぞれ役割というもの割り振られている、そこを理解する感性を今後は身に着けていかないとな」
難しいね。
私には姫なんて向いていないし、王にもなれないよ。
魔力が淀んでいるのもあるけれど、ここは何だかずっと息苦しい。
「それじゃ、王族の役割って何?」
「治世に関わる諸事だ、国内の状況を把握し適切な判断を下す、それと外交だな、国と民のためになるあらゆることを取り決め、実行するよう命じるのが王の役割だ」
「ランペーテ様は宰相をなさっておられるよね」
「ああ、サネウ兄上は軍部を統括されている、あの武器商人ともそれで面識を持たれたんだろう」
とても失礼だけど、サネウ様に軍部を任せるべきじゃなかったと思う。
反乱を考えた理由も軍を動かせる立場だったからかもしれない。
「私も」
セレスが呟く。
「いずれは君を補佐できるよう、改めて力をつけなければな」
「うん、頼りにしてるよ」
「任せてくれ、必ず期待に応えてみせる」
皆が傍にいてくれる。
私が不安な時、立ち止まりそうな時、必ず手を差し伸べてくれる。
独りぼっちなら今頃どうなっていただろう、きっと色々な気持ちに潰されていたんじゃないかな。
本当に嬉しい、皆にはいつも感謝しているよ。
食後のお茶をいただいていると、使用人が呼びに来る。
ティーネが家庭教師の方々と別室で待っているそうだ。
―――あれ、そういえばいつの間にかモコがいない。
肩の辺りをそっと探ってみると、指先に何か柔らかくて暖かなものが触れる。
クルクルと鳴き声も聞こえた、ふふ、ちゃんといる、大丈夫。
「ハルルーフェ、行こう」
「はい」
部屋の外で待っていた使用人に案内されて、別室へ向かう。
ちょっと緊張してきた。
教師から学ばせていただくなんて初めての体験だ、どんな方々が教えてくださるんだろう。




