晩餐へ向けて 1
謁見が済んだ広間を出ると使用人が何人かいて、私とセレスとリュー、それぞれを部屋へ案内するって言われる。
だけどセレスは「私はこのままハルルーフェについていく」と傍に来て寄り添ってくれた。
「セレス、すまないな」
セレスは声を掛けてきたリューに「いえ」と返す。
次にリューは私を見て、傍に来て「大丈夫か?」って顔を覗き込んだ。
「うん」
「そうか」
じっと見つめる深緑色の瞳は凄く心配そうだ。
でも兄さん、痛かったのはセレスなんだ、私のせいでセレスが酷い目に遭ったんだよ。
そう言い出したい言葉を我慢していると、頭をそっと撫でてくれてから「後で」と、リューは使用人に案内されて行ってしまう。
兄さん。
後姿をいつまでも見ていた。
―――首の辺りに何か柔らかなものがふわっと擦れる。
相変わらず気配はしないけれど、モコだ。
振り返ると、セレスとティーネも気遣うようにこっちを窺っている。
セレス。
斬られた方の袖が無くて、マントを羽織って隠している。
「参りましょう」
執事が先に立って歩き出す。
来る時通った廊下や通路と違う場所を進んで、最初とは別の部屋の前に辿り着いた。
「本日よりこちらがハルルーフェ様のお部屋となります」
ここが、城での私の部屋。
開けてくれた扉から中に入ると広くて綺麗に整っている。
まるで姫君の部屋だ。
嫌だな、全然嬉しくないよ。
―――それにここも魔力が淀んでいる。
「ハル、少し休みましょう、酷い顔色だわ」
ティーネが勧めてくれて長椅子に掛ける。
隣にティーネも座って、向かいの長椅子にセレスが腰掛けた。
「セレス」
伸ばした私の手を、マントの下から伸びてきた手が握り返してくれる。
セレスが腕を失くすのは二度目だ。
あの時も私を庇ってくれた。
私のせいだ、いつも、私のせいでセレスが傷を負うんだ。
「ごめんね、セレス、ごめんねッ」
涙が溢れる。
セレスは「君は悪くない」って言ってくれるけれど、違う、私のせいだよ。
「お、王位継承権なんて要らないッ、こんな酷いこと、認めたくないッ」
「気持ちは分かるが、さっきのアレは必ず行われる、いわば儀式的な行為なんだ、君だけじゃないんだよ」
「ええ、ハル、陛下もだけど、貴方のお母様だってなさったことよ?」
そんな、母さんもなの?
「オリーネ様の時は、私のお父様がお役目を承ったの」
「れ、レブナント様が?」
「ええ、互いに無二の信頼が無ければ務まらないお役目だから、何よりもの誇りだと仰られていたわ」
「姉上の、あ、いや、陛下の時はヴィクターが務めたと聞いた、惨い行為ではあるがティーネが言ったとおり、受ける側にとっては誇りなのさ」
だけどセレスは「事前に説明する暇がなかったことは謝るよ」って頭を下げる。
「聞いたら君は、きっと今みたいに動揺するだろうと思って」
「セレス王子が務められることは事前に知らされていたの、装束のご用意などもあるから急な変更は利かなくて、それに」
「ああ、この役目を誰かに譲るつもりはなかった、そして君を説得する時間もないだろうと思った」
「私も謝るわ、ごめんなさい、ハル」
「そんな、だって!」
二人とも当たり前みたいに言うけれど!
あの時のセレスの顔、切り落とされた腕、たくさん流れた血。
思い出すとまた涙が滲んで溢れる。
認められないよ。
大切な人を傷つけられて、それを受け入れろなんて、残酷過ぎる。
「あっそれにさ、両腕を失くした時ほどじゃなかったよ、切断役の兵だって腕に覚えのある者が選ばれるんだ、一撃で骨まで綺麗にスパッと、飛沫も散らさず断ち切るなんてなかなかできることじゃない」
「まあ王子! 以前は両腕を損なったことがおありですの?」
目を丸くするティーネに、セレスは「まあね」って肩を竦める。
あの時の酷い光景は今も忘れられない。胸が苦しい。
「セレスのバカ」
ギュッとセレスの手を握る。
私の力じゃ痛くなんてないだろうけれど、でも。
―――怒ってるんだよ、自分のことでも軽々しく扱わないで。
「やめてよ、笑って済まそうとしないで」
涙が溢れて止まらない。
嫌だよ。
だってパナーシアで再生できたって痛みはある、血だって流れる。
私のために自分を差し出そうとしないで。
「ハルちゃん」
セレスがオレンジ色の目を細くする。
「私がしたいからしたんだ、君が気に病む必要はない」
「無理だよ、そんなの詭弁だよ」
「うーん、だけどこればかりはなあ、自分でも抑えが利かないんだよ、分かって欲しい」
「どうして」
「君が好きだから、君のために出来ることなら何だってしたい」
「私だってセレスが好きだよ、大事なんだ、それなのにセレスがセレスを傷つけないで」
「ハルちゃん」
「バカ! セレスのバカ!」
酷いことを言っている。自分でも分かってる、滅茶苦茶だ。
誰かがしなくちゃならない役目をセレスは引き受けてくれた、だから私は感謝するべきだ。
でも許せない。
何もかも全部、たとえ腕が元通りになったって、私だけは私のことも、さっきの儀式も、セレスの意思だって許しちゃいけない。
握り締めていた手を離して、そのまま涙を拭おうとしたらティーネが「ダメよ」ってハンカチで拭ってくれた。
「珍しいわね、貴方がリューやロゼ、私以外にそんなに駄々を捏ねるなんて」
「違うよティーネ、セレスが頑固なんだ」
「君も結構それなりだぞ?」
「はいはい、分かったからそれくらいにしておいて」
なんで笑うの?
ティーネからハンカチを受け取って、あとは自分で涙や鼻水を拭く。
綺麗なハンカチなのにすっかり汚れた、洗って返そう。
「それにしても王子、貴方様のお覚悟の程、しかと拝見させていただきました」
「あ、ああ、うんまあ」
「噂とは随分異なる方のようですわね」
口元に手を当てて笑うティーネを見て、セレスは顔をうっすら赤く染める。
「それはどんな噂だ?」
「王子の名誉のためにも、この場で申し上げることは控えさせていただきます」
ぐうッと黙り込むセレスに、ティーネはクスクス笑う。
二人が落ち着いているから私も少しずつ気持ちが収まってきた。
どんな理由があったって、皆もやっているからって、やっぱりあんな酷い事は許せない。
でも一番理解できないのは、セレスが斬られた時、陛下も宰相も反応しなかったことだ。
気遣う言葉さえなかった。
姉弟なのに。
部屋にお茶の用意が運ばれてきた。
その時、給仕から今夜晩餐会が開かれることを訊かされる。
「なるほど」
給仕が出て行って扉が閉まると、セレスが長椅子に背中を預けながら天井を仰ぐ。
「早速顔合わせか、恐らく母上と父上が急かしたんだろうな、早く会わせろって」
「オリーネ様は来られるかしら」
「無理だろう、しかしサネウ兄上は参加するかもしれない、こっちの腹を探るために」
母さん。
会いたいのにまだ会えないんだ。
だけど―――サネウ叔父様がいらっしゃる。
「リューも呼ばれるでしょうけれど、ロゼもいてくれたら心強かったのに」
ティーネはロゼが一緒じゃない理由を知っていた。
だからいないことを訊かなかったんだって。
「お父様に御用があってノイクスへ戻ったことになっているんでしょう?」
「うん」
「けれど実際は内偵をしているそうね、確かに彼、あれだけ派手な見目なのにどういうわけか目立たないし、貴方たち兄妹の中じゃそつがないというか、二人と比べて抜け目がなくて立ち回りも上手いから、まさに適任でしょうね」
「その通りだけど酷いよティーネ」
ティーネはロゼがラタミルだってことをまだ知らない。
知ったら驚くだろうな。
セレスが納得した様子で「師匠だからな」って頷く。
「師匠?」
「ああ、あの方を人生の師と仰がせていただいている」
「まあ」
頬に手をやって「ロゼが師匠ねえ」ってティーネは呟いた。
「王子、悪い事は申しません、それはリュゲルになさった方が賢明ですわ」
「なッ! なんてことを言うんだ、それは何故だ!」
「だって彼って身内にしか興味ありませんし、身内以外には薄情ですし、王家の方は万民を導くお役目がおありでしょう? その手本としてふさわしくありませんわ」
「師匠は素晴らしい方だろう!」
「否定しませんけれど、思想や生き方を習うのであればリュゲルが適役と申し上げておきます、彼も甘いところがありますが、ロゼよりはましですわ」
「うぐッ、だ、だが私はリュゲルさんも師と仰ぎ尊敬している!」
「賢明ですわね」
頷いたティーネはニッコリ笑って「貴方の甥でいらっしゃいますが」なんて言う。
セレスがハッとなった。
「加えて申し上げれば、ハルは貴方の姪ですわ」
「うぅッ!」
「甥姪に随分と御執心でいらっしゃいますのね」
「それは、最初に会った時は知らなかったんだ、だから!」
「けれど今はご存じであられるのでしょう?」
「うッ」
「確かにリュゲルは貴方より年上、そしてハルは年下、ですがお立場的にはどうでしょう、叔父として姿勢を示すべき貴方が甥に倣い、姪には情を抱くなど」
「やめてくれぇッ! なあ頼むよ、それくらいで勘弁してくれないか? お願いだからさ、なあッ!」
ティーネ、セレスをからかって遊んでる。
何だかすっかり仲良くなったみたいで嬉しい。
「ふふ」
つい笑ったら、二人がこっちを向いた。
「少しは落ち着いたようね」
「やっと君の笑顔をまた見られた、よかった」
二人とも。
―――有難う。
「それじゃ、晩餐会があるそうだし、のんびりもしていられないわね、ハル、支度するわよ」
「うん」
「まずは着替えましょう」
「え、どうして?」
「いやだわ、そのドレスは晩餐向けじゃないわよ、ハル、いいこと?」
私の顔の前にティーネが一本立てた指をズイッと近付ける。
「場に見合った装いがあるの、これまでのように一日中同じ服でいるなんてこと今後はあり得ないわ」
「えっ」
「貴方に基礎を仕込んだのは私とオリーネ様、それからロゼと、リュゲルもよ、だから振る舞いは完璧だわ、でもハルには王女としての意識が全然足りていない」
「い、意識」
「とにかく場数を踏みましょう、習うより慣れろよ、貴方は覚悟を決めなさい」
「ううっ」
「大丈夫、私が付いているのだから、一緒に頑張りましょうね、ハル」
「はい」
いよいよ大変なことになった。
ティーネは向かいの長椅子でうんうん頷いていたセレスに「では王子、そろそろ退室なさっていただけるかしら」って声を掛ける。
「えっ?」
「お付きは私がおります、それにこんな遅い時間まで淑女の部屋に入り浸るなんてどういうおつもりですの?」
「いや、それは、そのっ」
「今のお姿は女性でいらっしゃいますが、貴方は男性でもあるのですから、ハルに対する周囲の目も考えて、しっかりと分別を」
「わ、分かった! 分かったから、すぐ出て行くから!」
立ち上がったセレスは慌てて扉へ向かうけど、途中で立ち止まってションボリ振り返った。
だから手を振って「また後でね」って声を掛ける。
嬉しそうに笑ったセレスは、私の隣を見てビクッとしてから、すっかり肩を落として部屋を出て行った。
扉が閉まると、私の髪の影からモコがピョコッと顔を覗かせる。
「あらモコ! 貴方ずっとそこにいたの?」
「うん」
ティーネはちょっと考えて、小さく息を吐く。
「ラタミル様にはまさか出て行けなんて言えないわね、それに、こんなに可愛らしい小鳥なのだし」
「ぼく、ちゃんとできるよ」
「えらいわね、ハルの傍にラタミル様が付いていてくださるならむしろ安心だわ」
「わーい!」
翼をパタパタさせるモコに「本当に可愛い」ってティーネはクスクス笑う。
「以前は羊の姿をなさっておいでだったし、貴方を見ているとラタミル様の印象が変わってしまいそう」
「私も、何だかすっかり身近になったよ」
「不遜かもしれないけれど、同感だわ」
二人で笑い合う。
それから、ティーネに支度を手伝ってもらいながら、これまでのことを大まかに話した。
粉やサネウ様に関して、レブナント様から伺ってティーネもある程度は知っているらしい。
「貴方から手紙が来なくなっても、リューがお父様へ定期的に連絡を寄越していたの、だから貴方が一応は無事に旅を続けていることも知っていたわ」
「ごめん」
「謝らないで、事情があったことは分かっている、むしろ謝罪は私がしなければ」
「どうして?」
鏡越しのティーネは私の髪を梳く手を止めて俯く。
「貴方が辛い時、傍にいられなかった」
「それは」
「貴方の最大の理解者であることは私に課せられた務め、でもそれだけじゃないの、私は貴方が大切で、いつでも一番に頼られる存在でいたかった」
「ティーネ」
「役目を果たせなかった、貴方の涙を拭えなかった、そのことが後悔で仕方ないわ」
「それは違うよ」
「え?」
ティーネはちゃんと傍にいてくれた。
それどころか離れていても私を助けてくれたんだ。




