白羽の大鳳
今日も軍施設内の転送装置で次の施設へ位相転移して、また馬車に乗って一日がかりで次の軍施設に到着した。
朝、出発前にヴィクターから「白いイーリアをご用意できませんでした」と申し訳なさそうに謝られて、残念だけど急に言い出したことだし、仕方ないよね。
母さんの御紋花。
陛下が一番好きだと仰っておられる花、そのうち手に入るといいな。
あと二日。
本当なら今頃、クロとミドリに乗って街道を旅しているはずだった。
考えると落ち込みそうになるから、今はなるべく母さんと会えることだけ思うようにしている。
軍施設に一泊した、次の朝。
「ハルちゃん、大丈夫か?」
「はる、へーき?」
起きてからセレスとモコがずっと心配してくる。
そんなに顔色がよくないのかな。
確かに、鏡に映った姿は自分でも憂鬱そうだった。
支度をして、朝食もしっかりいただいて、体調は万全だけど、その後で転送装置に案内されて、リューに会っても心配された。
ヴィクターや、他の近衛兵団の方々まで気遣ってくれる。
「ハル、今日は俺の馬車に乗らないか?」
「ううん、有難う兄さん、だけど一人になったらセレスが寂しがるから」
リューに断ると、傍にいたセレスの顔が真っ赤に染まる。
「大丈夫だ」とか「心配いらない」って慌てるのを落ち着かせてから、今日もセレスと一緒の馬車に乗り込んだ。
「ううっ、居たたまれない」
「私もセレスと一緒がいいよ?」
「有難うハルちゃん、はぁ」
後でリュゲルさんにお詫び申し上げないとなってぼやいていたセレスは、昼休憩の時リューに謝って、笑いながら頭を撫でられていた。
また真っ赤になるセレスを見てつい笑ったら、二人にホッとした顔をされた。
心配されているんだ。
ごめんなさい。
だけど不安だよ、怖いよ。
気持ちが大きくなり過ぎて隠せなくなっているのかもしれない。
「あと一日だね」
―――その日の夜。
ベッドの中からセレスに話しかける。
明かりの消えた部屋で「そうだな」って隣のベッドから声が返ってきた。
「やっぱり不安だよな」
「うん」
「不甲斐ないよ、私は、君の支えになれていない」
「そんなことないよ」
「なあハルちゃん」
「なに?」
「君は私にとって何より大切な人だ、だから―――君を守るため、もし姉上や兄上に剣を向けることになったとしても、私は構わない」
「セレス」
起き上がって、ベッドを降りて隣のベッドへ行く。
セレスも起き上がってこっちを見る。
薄闇に輝くオレンジ色の瞳は、真夜中の森で光る肉食獣の目みたいだ。
ダメだよ。
傍に行って抱きつく。
そんなこと言わないで、私のためだからって怖い選択をしないで。
「私もセレスが大事だよ、だからお願い、無茶はしないで」
「君のためなら何でもできる」
「セレス」
「必ず君を守る、そのために何を犠牲にしようとも、覚悟の上だ」
「やめて、お願いだから」
私のせいでセレスまで不安になっている。
ごめん。
肩でモコがピイッと鳴いた。
「せれす、はる、だいじょぶ、ぼく、ちょっとだけみえるよ、だから、だいじょぶ」
「見える? 先見か、天眼の力かモコちゃん」
「うん」
「一体何が見えるんだ?」
「それは、いっちゃだめ、ごめんね」
そうだ。
天眼で見えるのは一番可能性が高い先の出来事。
だけどそのことを口にすれば意図的に変化を起こしてしまう、だから言わないんだって、前にロゼも話していた。
謝るモコに、セレスは「いや、充分だよ、頭が冷えた」ってそっと羽を撫でる。
モコは喉をクルクル鳴らしながらその手に擦り寄った。
「ねえセレス、今晩は一緒に寝てもいいかな」
「え」
「ダメ?」
「いや、構わない、私も君に傍にいて欲しい」
捲った上掛けの中へ潜り込む。
横になってセレスと向かい合うと、間にモコがうずくまって小さく鳴いた。
暗闇の向こうにうっすら見えるセレスと目配せし合って笑う。
「おやすみ、ハルちゃん、モコちゃん」
「おやすみなさい、セレス」
頬にふわっと柔らかなものが当たった。
翼を広げたモコが、私とセレスを抱えるようにしている。
有難う。
小さな背中を撫でると、その手にセレスの手が重なった。
あったかい。
兄さん。
今頃どうしているだろう。
きっと兄さんも私を心配している。
あと二日。
まだ覚悟は決まらない、決めたと思ってもすぐ揺らぐ。
明後日には、もう王都だ。
――――――――――
―――――
―――
来るな。
来るな。
来るな。
―――怖いものが見ている。
お前は不確定因子だ。
計画が狂う。
来るな。
お前は『よくない』
だが、私は。
来るな。
来るな。
来れば。
お前は失うことになる。
―――何を?
何もかもを、だ。
お前は私から奪った。
だから私もお前から奪う。
お前を許さない、
許せない。
―――泣いているの?
何がそんなに悲しいの?
許せない。
許せない。
信じていた。
愛していたんだ。
どうして。
姉さま。
――――――――――
―――――
―――
また変な夢。
起きてぼんやりする。
残っているのは憂鬱な気分だけで、内容は何も覚えていない。
嫌だなあ。
不安だから夢見まで悪くなっているのかな、いよいよ落ち込みそうだ。
「おはようハルちゃん」
「おはようセレス」
「おはよー!」
モコがパタパタ羽ばたいてセレスの頭の上に乗った。
セレスは「モコちゃんもおはよう」ってそのままモコを撫でながらクスクス笑う。
「また夢を見たようだな」
「うん」
「そうか、困ったものだな」
傍に来たセレスが、私の髪を除けて目をじっと覗き込んでくる。
今朝も美人だ。
オレンジ色の瞳は、昨日と違っていつものように陽の光の色にキラキラ輝いて見える。
「なあハルちゃん、今朝は少し化粧をしようか」
「え?」
「私がしてあげよう、バッチリ可愛くするから任せてくれよ」
「う、うん」
急にどうしたんだろう?
よく分からないままセレスに支度を手伝ってもらう。
化粧は馴染みがないから慣れない。
でも、これくらいなら平気かな。
確かにいつもより可愛くなれた気がする、有難うセレス。
朝食が運ばれてきて、食べながら少し話す。
「もうすぐ一週間か」
「ん? 馬車での移動がか?」
「ううん、ロゼ兄さんにだけずっと会えてないなって」
「確かにそうだな」
セレスも俯いて、モコまで「ししょー」って寂しそうに呟く。
「見守ってるって言ってくれたけれど、やっぱり会いたいよ」
「呼んだらいらしてくださるんじゃないか?」
「うん」
そうだね。
今どこにいるんだろう。
傍にいてくれてるのかな。
「ロゼ兄さん」
ぽつりと呼んだら、不意に耳元で羽ばたきが起きた。
「えっ!」
「やあ、こうして会うのは久方ぶりだね、僕の可愛いハルルーフェ」
ろ、ロゼだ!
すぐ来てくれた、傍にいたんだ!
前と同じ白い猛禽の姿をしている。羽の先と目だけが赤い。
肩にとまって、顔に羽がモフッとあたる。
うわぁ、フワフワだ、あったかい。
「寂しくなったのかい? お兄ちゃんに会いたくなってしまったようだね」
「うん」
「よしよし、いつでも呼びなさい、こうしてすぐ会いに来よう」
翼で頭を撫でてくれる。
兄さん、会いたかったよ。
「ししょー!」
モコも飛んできて反対側の肩にとまった。
両方からモフモフだ。
セレスも「し、師匠」ってロゼを感激して見詰めている。
「麗しきお姿を拝見できて僥倖です、ああ、師匠ッ」
「ししょー、おっき! いいな、ぼくもおっきくなりたい、どうするの?」
「うるさい、お前たちは黙っていろ」
ああ、いつものロゼだ。
ホッとする。
「時にハル、浮かない様子だね」
「うん」
「リュゲルもすっかり元気をなくしているよ、君が心配でたまらない様子だ」
「そうなの?」
昼に会う時、兄さんはいつも元気そうだったけれど。
私と同じように気持ちを隠していたのかな。
「でも大丈夫、毎日僕が慰めている」
「そうだったんだ」
「可愛い僕らのハルルーフェ、僕もリュゲルも、いつでも君を想っている」
「うん」
いつも兄妹一緒だったから、離れて寂しい気持ちはずっとある。
傍にいたって会えないのは切ない。
だけどこうして会いに来てくれて本当に嬉しいよ、ロゼ兄さん。
「あの、師匠、別行動中はどちらにおられたのですか?」
セレスがおずおずと尋ねた。
首を向けたロゼは少し黙ってから「王家の内情を視ていた」と答える。
「えっ」
セレスと一緒に驚く。
先に王都へ赴いて情報を集めていたんだ。
「その話詳しくお聞かせ願えますでしょうか?」
「いいだろう、しかし後ほどだ、足音が聞こえる」
そう言ってロゼは「僕の愛しいハルルーフェ、また後で」と囁いて消えた。
すぐ後に部屋の扉が叩かれて、案内に来た兵士に呼ばれる。
転送装置まで行くと、陣の上に待機する馬車の傍にリューがいた。
「兄さん!」
思わず駆けていって抱きつく。
リューに「どうした?」って訊かれる。
髪を撫でられながら見上げたら、心配そうな顔だ。
「何かあったのか?」
「ううん、兄さん、私のこと心配しているだろうなって」
「ああ」
「ごめんね」
「バカ言え、というかお前、化粧しているのか」
「うん、分かる?」
「分かるさ、綺麗だよ、ハル」
兄さん、大好き。
肩をポンポン叩かれて「ほら、そろそろ馬車に乗れ」って言われる。
もうちょっとこのままでいたい。
「セレスが一人だと寂しがるんだろ、行ってやれ」
「りゅ、リュゲルさん!」
振り返ると、セレスはまた顔が真っ赤だ。
リューと一緒にクスクス笑う。
「あ、いや、だ、大丈夫だハルルーフェ、君がそうしたいなら今日は」
「ううん、兄さん、また後でね」
「ああ」
「あの、リュゲルさん、その」
「妹をよろしく頼む」
「は、はい」
「また昼にな」って馬車に乗り込むリューを見送ってから、セレスと一緒にもう一台の馬車に乗る。
間もなく転送術が発動して、位相転移先の軍施設に到着した。
そのまま走り出した馬車の中でずっと俯いたままだったセレスが、やっと顔を上げてくれる。
「なあ、ハルちゃん、私はリュゲルさんにどう思われているんだろう」
「妹じゃないかな、私とモコとセレスの三人で、三姉妹って」
「そ、そうか、それはそれで光栄なんだが、はぁ」
私の髪の影からモコが顔を覗かせる。
そして―――今度は目の前で羽ばたきが起こった。
「やあ」
ロゼ、また来てくれた!
私の膝の上に降りる。
白くて大きな鳥の姿。ツヤツヤしてフワフワ、このロゼは綺麗でなんだか可愛い。
見た目に反して全然重くないんだよね。
「師匠!」
「ししょー!」
セレスとモコも大喜びだ。
馬車内にロゼの魔力が満ちる。
防音の結界を張ったんだね、外からの物音が全然聞こえなくなった。
「これでよし」
モフッとうずくまるロゼを撫でると「悪くないね」って赤い目を細くする。
「ハル、改めてどうだい、僕のこの姿は?」
「好き」
「そうか、普段とどちらが好ましいかな?」
「どっちも大好きだよ、ロゼ兄さん」
「ふふ、僕の可愛いハルルーフェ、心底君が愛しい、愛している」
うん。
そっと抱えたら「ふふっ」って笑う。
兄さん、モフモフだ。
「こら、ハルルーフェ、それくらいにしておくれ、そろそろ本題に入ろう」




