旅の目的
「だけど、母さんが王族の、しかも姫君だなんて驚いたよ」
部屋でお茶をいただきながら話す。
リューが淹れてくれた。清涼感の強い目が覚めるお茶だ。
「森でよく葉っぱまみれになって採取してたよね」
「えっ、そうなのか?」
セレスが驚いてる。
王宮では違ったのかな。
「あの人はとにかく破天荒だからな、よく分からない植物を食べてみようとしたこともあった」
「一緒に屋根の修理もしたよ、母さん釘を打つのが上手いんだよね」
「釘! や、屋根の修理って、それは君もしていたのか? 屋根に登ったのか?」
「うん、よく登ったよ、日当たりがよくて昼寝にも向いてる」
「危ないからやめろと言っても聞かないんだ、まあ、母さんも、それにこいつも一緒になって昼寝していたからな、あまり強くは言えなかった」
「ひ、昼寝!」
ロゼが歌ってくれたりしたんだよね。
それで集まってきた鳥を捕まえて夕食に頂いたりもした。
あの時は罠を仕掛けるより効率的くらいにしか考えなかったけれど、今思うと残酷だったかもしれない。
鳥にしてみたら、ラタミルの歌声に惹かれて寄ってきたら食べられるなんて思いもよらないだろう。ラタミルは食事を取らないから。
「王宮での母さんはどうしているの?」
何となく尋ねると、急にセレスの顔色が曇る。
「軟禁に近い状態だ」
「えっ」
「陛下が、シェーロ姉上が戴冠式に呼ばれたそうなんだが、そのまま離れに閉じ込められ、外出さえままならない」
診療所の手伝いって話は建前だったのか。
もう今更だけど、本当はシェーロ様の、妹の戴冠式に参列するため王都へ行ったんだね。
「離れの傍には温室があってね、そこだけだ、姉上が出入りを許されている場所は、他者と会うことすら禁じられている」
「待て、それなら君はどうして」
「話に聞いていた姉上にどうしてもひと目お会いしたくて、こっそり忍び込みました」
リューに訊かれてセレスは答える。
周りの人も見て見ぬフリで通してくれたらしい。
「最初にお会いした時、姉上は随分塞ぎ込んでおられたので、それで見逃されたのかもしれません」
さっき聞いた『愛玩用』って言葉が頭に浮かぶ。
母さんのためだったのかもしれない。
でもセレスは愛玩用なんかじゃないよ、私が知る限り誰より立派な王子だよ。
「その後も姉上と何度かお会いして色々とお話しさせていただきました、あの方は聡明で、博識で、しっかりした芯を持つ、噂に違わぬ素晴らしい人物であられた」
「母親をそうも誉められると少々面はゆいな」
「リュゲルさんとハルちゃんがどうして素晴らしいのか、理由が分かった気がします」
「えへへ、有難うセレス、母さんって素敵でしょ?」
「ああ、お会いできて本当によかった、私のことを弟と呼んで可愛がってくださったんだ、それが何より嬉しかった」
そうか、そうだね。
嬉しそうなセレスを見て、リューとそっと目配せし合う。
よかったね、セレス。
「しかし、姉上がどうして式典後も軟禁され引き留められているのかは分かりません、ただ姉上は『八つ当たり』と仰っておられました」
「誰のだ?」
「憶測ですが、現王シェーロ姉上、かもしれません」
「それは何故?」
「オリーネ姉上は仰いました、自分が王位を継がなかったから、これは仕方のないことだと」
「それで、実際に後を継ぎ王となったシェーロ陛下が母さんを恨んで閉じ込めている、と?」
「どうでしょうか、個人的にはしっくりこないのです、あの姉上が誰かを、ましてオリーネ姉上を恨んだりするのかと」
そういえば、セレスはそのシェーロ陛下の傍へ近づくことさえできなくて、一度も話したことがないって言っていたよね。
「いずれお会いすれば分かることですが、シェーロ陛下は何と言うか、その、観葉植物のような方です」
「観葉植物?」
「例えるなら窓辺の花、ただそこに飾られているだけのような、失礼な物言いではありますが」
「なるほど」
「あの方が強い感情を、まして恨みなど抱くとは思えないのです、けれど私はシェーロ姉上とお話したことがありませんので、実際は違うのかもしれません」
リューが考えこむように黙る。
セレスはそんなリューの様子を窺いながら、話を続ける。
「今、姉上の傍にいるのは身の回りを世話する者と、姉上の乳母をしていた者のみです」
「そうか」
「乳母は私の乳母でもあります、姉弟全員を育てた者で、名をマールと言います」
母さんとセレスを育てられた方か。
会ってみたいな。
「リュゲルさん、窺いたいのですが」
「なんだ?」
「現状、城へ行き姉上に会いに来たと伝えても恐らくは叶いません、私の供だと伝えたところで、やはり姉上にはお会いできないかと、如何なさるおつもりですか?」
「そこは問題ない」
リューは指を三本立てる。
「既に書状は三通揃った、東のノイクス、現代表であられる十一代目レブナント公、南のベティアスで新代表として就任されたスノウ殿、そして商業連合御三家、この三者の書状だ」
「まさか」
「俺たちの血統、そしてハルの継承権の正当性を認める文書が三通、幾ら現王の権限をもってしても各国代表の印が押された公式文書を蔑ろには出来ない」
兄さんいつの間に。
もしかして、だから次の誕生日まで一年かけて旅をしようなんて提案したの?
「確かに、仰るとおりです」
「この旅は彼らの信用を得るためのものでもあった、なんて理由は目的の半分でしかない、ハル」
「は、はい」
「もう半分は、お前に実際に見せておきたかったんだ、このエルグラート連合王国がどんな国なのか、どういう人々がどんな暮らしを営んで、どんなことで喜び、悩んでいるのかを」
それは、私がいずれ王位を継承するかもしれないから、だよね。
確かに旅をしたおかげで色々なことを知ったよ。
たくさん見て、感じて、楽しいことも、大変なこともあった。
だけど玉座に関してはまだ何も言えない。
私には責任が重すぎる。
「この三通の書状、加えてハルが母さんから譲られた静謐の塔に入るための鍵、だが何よりハルがパナーシアを唱えられるという揺るがない事実がある」
「疑う余地などありませんね、要らぬ気遣いを失礼いたしました」
「構わないさ、ハルのことを心配してくれたんだよな、有難う」
「はい」
「それに」とリューが切り出す。
思いがけず「俺とロゼは一度城に入ったことがある」なんて言うから、今度は私もセレスと一緒に驚いた。
「えッ!」
「母さんが継承権を破棄した時だ、お婆様とお爺様、母さんの弟妹全員ともお会いした」
「わ、私も、ですか?」
「君はお婆様のスカートの影に隠れていたな」
「うっ」
「利発そうでとても可愛らしい子だと思ったよ、あれから立派に育ったものだ」
「わ、私は、憶えていませんでした、すみません」
セレス、顔が真っ赤だ。
リューは笑って「気にするな」って声を掛ける。
「とにかく、だから城へ入るのは初めてじゃない、ハル、お前も堂々としておけ、普段通りに振舞えば問題ない」
「う、うん」
「あの時、お婆様は涙を浮かべ、お爺様は泣いておられた、母さんも少し泣いていたな」
そうだったんだ。
「弟妹の方々は無言だった、だが叔母上が、シェーロ殿が酷く悲しげだったことだけはよく覚えている」
「そうなのですか」
「だから俺も、君が言うとおりしっくりこない、あの方が母さんを恨むとは思えない」
セレスが「はい」と頷く。
「とにかく王都へ実際に行ってみないことには何も分からない、それに今は別件で危うい問題もある」
「魔人、それと、兄上のこと、ですね?」
「ああ」
俄然、母さんが心配だ。
まさか軟禁されているなんて思わなかった。
それに王家には魔人が入り込んでいるかもしれない。
サネウ様の謀だって解決したわけじゃない。
―――早く王都へ向かわないと。
「だから旅程を少々急ぐ、まだ連絡が無いから母さんの身に何も起きてはいないだろうが、急ぐに越したことはない」
「そうですね、分かりました」
「ハルも、大丈夫か?」
うん、平気だよ。
継承権についてはひとまず置いておく。
悩んでも仕方のないことだ、それも王都へ着かないと何もならない。
今はなるべく早く母さんに会いに行くことだけ考えよう。
「よし、じゃあまずは食事だ、食べたら出発するぞ」
そう言ってリューは宿の厨房を借りに行った。
昨日貰った野菜や果物で美味しい朝食を作ってくれるみたいだ。楽しみだな。
「ねえ、ロゼ兄さん」
「なんだい、ハル」
「セレスも教えて、お城やご兄姉のこと、お婆様、お爺様のことも知りたい」
「ああ、いいよ」
―――それから、リューが食事を運んできてくれるまで、色々な話を聞いた。
主にはお婆様、お爺様と、城の話。
前王であられるお婆様は厳格ながらも器量の大きな方で、お爺様はとても優しい方らしい。
エノア様の墓所である静謐の塔についても詳しく教えてくれた。
「地上からの高さはおよそ三百メートル強ほど、とても高い塔だ、内部の詳細までは分からないが、壁伝いに螺旋状の階段が上まで伸びているらしい」
「その階段を上って、託宣を授かるの?」
「いや、儀式は入ってすぐの大広間で行われるそうだよ」
「よかった」
「上るにしたって三百メートル程度ならすぐさ、たいしたことないよ」
「私とセレスは違うよ?」
「あ、そうだった! ごめん、君は女の子だからな、そうだな、かなり大変かもしれない」
そういう意味じゃなくて、それにセレスも女の子でしょ?
まあ登れないことはないと思うけれど、歩くのは慣れてるし。
「最上階には小部屋がある、その窓から神殿を望めるだろう」
ロゼが言う。
セレスが「そうなんですか?」って目を丸くする。
「窓の方向から察した話だ、僕も中へ入ったことはない」
「な、なるほど」
「別称を『翆玉の塔』という、壁面が苔むしツタの絡む様を例えているのだろうが、あれは、元は白亜の塔だった」
「元って、一体いつの」
「それなりに前だ、あれが少しずつ緑に染まっていく様を時折見かけたので知っている」
「な、なるほど、想像もつかない規模の話だ、流石師匠」
苔とツタの種類が気になるな。
ツタに花は咲くんだろうか、墓所周辺の植物も何が生えているか知りたい。
やっぱりエルグラートの固有種かな、母さんも採取してオーダーのオイルの素材に使ったんだろうか。
やってそうな気がする。
だとしたらどんな精霊を呼べるだろう、うーん。
「飯だぞ、開けてくれ!」
部屋の扉の向こうからリューの声がして、いい匂いが漂ってきた!




